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専門コラム「指揮官の決断」

第209回 

テレビのウソを見抜く方法

カテゴリ:危機管理

私たちが情報を得るには・・・

前回、当コラムでは私たちが注視していかなければならないのは新型コロナウイルスだけではないことに言及しました。

私たちの社会に襲い掛かってくる危機は感染症だけではありません。今年の初めから忘れ去られたように話題に上らなくなりましたが、首都直下型地震や南海トラフに起因する地震の脅威は去ったわけではなく、その生起確率を日々高めています。最近は専門家の間では千島海溝を震源地とする地震津波災害にも言及されることが多くなっています。

富士山が噴火する確率自体は100%なので、その日も着実に近づいています。

これらの自然災害は避けることができません。問題はいかに被害を局限するかということです。

一方で、中国の海洋進出や北朝鮮の核ミサイル開発などの危機は、様々な外交努力や経済交流などを通じて回避することが望まれます。これらは避けられる危機です。

いずれにせよ、私たちの周囲には危機の種は浜の真砂の数よりたくさんあると言っても過言ではありません。

それらの危機について、専門家は独自の情報源を持っています。あるいは自分が情報源になっています。しかし私たち一般の社会に暮らす者にとっては情報源は限られています。

やはりテレビや新聞などのメディアに頼らなければならないでしょう。

問題はここにあります。

私たちが頼らなければならないメディアの質を議論しなければなりません。

当コラムでは、新型コロナウイルスの騒ぎが始まった当初、「初動全力、水際撃破」が戦いの原則であると述べるにとどめ、以後はメディアの動きとそれに対する社会の反応を観察すると宣言し、その観点からこの事態を観察してきました。

それは弊社が感染症に関する専門的知見を有さず、この事態を観るに数字が示すデータによる評価しかできないことによるものですが、もう一つ理由がありました。

危機管理上の事態が発生した際にメディアがどのような役割を果たすのかについての一つの社会学上の実験になると考えたからです。

東日本大震災の際にも同じ研究ができたはずなのですが、当時私はまだ制服を着ていましたので、それどころではなく、この度のように様々な角度から見るなどと言う発想自体がありませんでした。

この度は、自粛要請など様々な事情によりいろいろな団体の理事などの仕事に出向くことがなくなり、また、いろいろな会合にも出席せずに済むという機会を得たため、それを活かしていろいろなメディアがこの騒動をどう捉えるのかを観察していました。

私なりの研究結果はいずれ論文にしなければならないかと考えてはいますが、現時点での結論を申し上げると、私たちはメディアの性格をしっかりと理解しなければ、次に来るであろうより烈度の強い危機を乗り切れないかもしれないという危機感があります。

再びテレビと言うメディアの性格を考える

私たちがしっかりと理解しなければならないのはテレビというメディアの性格です。その他のメディアに比べると、このテレビの質の悪さは群を抜いています。

しかし、他のメディアに比べて社会に与える影響力の大きも群を抜いているので始末が悪いのです。

テレビ番組は視聴率を見ながら作られます。これは仕方がありません。視聴率が悪ければスポンサーがつかないからです。

ただ、テレビは良い番組を作って視聴率を上げようという発想ではないようです。新型コロナウイルスを取り扱った番組をいろいろ観ましたが事実を探求して真実に迫ろうという気迫のある番組はまず見受けられませんでした。例外はBSで、夜放送されている報道番組にはそのような姿勢を見せる番組が多くみられましたが、地上波はほぼ全滅でした

地上波テレビは真相に迫るという気迫を持たず、より安直な視聴率稼ぎに奔走しました。それは視聴者の不安を煽るという手法です。

社会心理学の教えるところによれば、人は不安を煽られると無関心ではいられなくなります。今後どうなるのかが気になって仕方ないのです。

つまり、テレビが不安を掻きたてる放送を行うと、視聴者はチャンネルを変えることができなくなるのです。

また、自分が不安になっている原因が何なのかを追及したくなります。少なくとも自分が悪いわけではないことが明らかにならないと落ち着かないからです。その結果、政府の無策の責任であると罵倒してくれるメディアに触れると安心することになります。

つまり、不安を煽り、それを行政の責任だと批判する番組を作れば視聴率を稼ぐことができるということになります。

テレビはそのような番組を作るために必要な専門家を登場させます。つまり局の意向に沿ったコメントを出す専門家が選ばれるのです。

よくテレビに出演してコメントをしている専門家が同じ顔触れであるのはそういう理由があり、いろいろな専門家を登場させると何を言い出すか分からないので困るのでしょう。宇都宮にあるクリニックの院長でよく登場する呼吸器内科の医師がいますが、かれは3月上旬の番組で番組の中で、安っぽいマスク2枚を見せ、これが政府から支給されたマスクだと述べ、国はこのマスクで若い医師たちにこのコロナと闘えと言っているんですよと憤って見せました。

その結果、彼はほぼレギュラーの地位を占めることができたようです。医療機関の、しかも呼吸器内科の医師などはぞっとするほどの仕事を抱えているはずなのによく宇都宮から毎日テレビなどに出れるなと感心もしましたが、しかし、それは3月上旬の話です。

私に言わせれば、呼吸器内科のクリニックが、感染症の流行を受けて3月の上旬にすでに医師が使うマスクの在庫を失っていることに驚愕しました。どう考えても、感染症を甘く見ていたのはこの院長の方でしょう。呼吸器内科を専門としていながら、感染症が流行した場合にどのような状況になるのかをまったく理解していなかったのでしょう。

私たちが毎日テレビで話を聴いていた専門家と言う人たちはこのレベルの人が多いことをまず銘記しなければなりません。

テレビに登場する専門家は

また、多く専門家がかなり凄まじい予測について言及しましたが、私の知る限り、それら専門家の予測はことごとく外れています。

まず、マスコミの寵児となった某大学の女性教授は、緊急事態宣言が出された日に、今日のニューヨークは来週の東京ですと述べましたが、そうはなりませんでした。この人は指数関数というものの性質を理解していないことはすでに以前に指摘しています。

また7月中旬、東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦名誉教授は、この勢いで行けば東京は来週は酷いことになり、来月には目を覆うような状況になると国会で意見を述べましたが、やはりそうはなりませんでした。この勢いでいくとという彼の前提がどういう前提なのか論文が出ていないので判断できないのですが、重篤者、死亡者ともに減少してしまいました。

 

7月29日のテレビ朝日の番組で、テレビ朝日の社員であるコメンテーターの玉川徹氏は1週間後の東京は重篤者が94人になるという発言をしていました。その結果、その日19人だった重篤者は15人になりました。減ったのは重篤者のうち4人の方が亡くなったためですが、新たに重篤化した人が一人もいなかったので総数が減ってしまったのです。

つまり、テレビ局が好きなこの類の専門家や評論家たちのセンセーショナルな意見は結局すべて的外れだったということです。それは彼らの予測ではなく、願望だったのでしょう。彼らの予想通りの事態になれば、彼らのテレビへの出演はもっと増えるからです。

また、テレビ報道で連日報道されている感染者数というのも事実とは異なり、PCR検査で分るのは陽性か陰性かだけなので、感染者数は分からないはずなのに、それを感染者数として取り扱っています。つまり、実態としては陽性と判定される人数が増えているにもかかわらず、発症し重篤化する人数は減っているということであり、これは要するに免疫を持った人数が増えているということを示しているだけなのですが、テレビの報道を真に受けると感染に歯止めがかかっていないという印象しか受けません。これはテレビが不安を煽ろうとする印象操作としか思えません。

情報の真偽を判定するには

これを要するにテレビの情報は鵜呑みにはできないものばかりであるということです。

ただ、100%すべてが嘘ということでもないので、私たちがその中で正しい情報と操作された情報を見極める必要があります。

新型コロナウイルスに関する報道の真偽を判別するには、本来は専門的知識を持つ必要がありますが、それでは私たちはテレビを鵜呑みにしなければならないのかというとそうでもありません。

例えば、弊社では感染症の専門的知識は持ち合わせませんが、統計とORについての知見は少々持ち合わせていますので、それを手がかりとしています。したがって、テレビに登場する専門家と称する人々の発言を数学的に見て納得できるものかどうかを判断します。

例えば、北海道大学の西浦博教授はこの社会が何の対策も取らなければ85万人が重篤化し、42万人が死亡する恐れがあると述べられましたが、西浦教授はその論文を公開されているので、どうしてそのような数字になるのかの根拠が示されています。

感染症の素人である私たちはその論文を読んで、感染症における統計処理とはこうやるのかという勉強をしたりしていましたが、42万人の死者が出なかった理由ははっきりと分ります。それを理解するのに感染症の専門知識は必要ありません。西浦教授の論文の前提がまだ日本でのデータが不足していたためにドイツの実効再生産数を計算に用いたことと、このまま何の対策も取らなければという条件での計算をしていることを理解するのに感染症の知識は必要ありません。

ただ、この教授の発言の問題は、緊急事態宣言が出された日にそのような発表をしたことです。これから国民一丸となって対応していこうと決意している日に、「このまま何の対策も取らなければ」という前提の話をすることには何の意味も見出せません。私たちにとっては医療統計の考え方を理解するのにいい論文ではありましたが、社会的にはそのような発表は何の意味もありませんし、むしろ社会を不安にさせるだけの効果しか生まないでしょう。

東京大学先端技術研究センターの児玉龍彦名誉教授は「東京にエピセンターが発生しており、今、全力で食い止めないとニューヨークのような事態になる」と指摘し、外出自粛を呼びかけるステイホームでなく、「遺伝子工学・計測科学を使った制圧が重要。致死率は時間と共に上昇する」と懸念を示し、来週には東京は大変な状況になり、来月には目を覆う状態になると断言しましたが、しかし、ご本人が遺伝子工学・計測科学を使った制圧が重要と発言しているにも関わらず、それらの論文の公開がありません。研究所内や学内ではあるのかもしれませんが、私たち一般人の目に触れるような論文での論証を目にすることはできません。したがって、その主張が何を根拠になされているのか私たちには理解できないままでしたが、結果を見ると致死率は時間とともに凄まじい勢いで下降しており、東京はニューヨークのようにはなりませんでした。しかし、児玉教授はなぜそうならなかったかの説明を一切せずに、逆に世田谷モデルなるPCR検査態勢の構築を世田谷区長と一緒になって始めるなど、私たちには意味不明な行動を取っています。

某大学の女性教授の場合もそうですが、東京がニューヨークのようになるという発言に根拠が示されていません。

予測と予想は違う

専門家は根拠を持って予測をしなければなりません。その根拠がないものは予測ではなく、単なる予想でしかありません。

予想は誰にでもできます。ある番組でテリー伊藤さんが死亡者は10万人になりますよなどと発言していましたが、彼の場合は誰も感染症の専門的知見を持っているなどと思わないので、どう発言しようと何のインパクトもなく、単なる予想であることが明白であるからいいのですが、専門家はそうであってはなりません。

また、テレビ朝日でコメントをした玉川徹氏にしても、彼はテレビ朝日の社員であり、報道番組の制作に当たってきている人物であることから、その番組で発言した1週間後の東京の重篤者数94人という数字は、観ている人たちは当然何らかの確かな筋への取材の結果持って来た根拠のある数字だと信じてしまいます。

私たちは彼のそれまでの一連の発言を時折見聞きしていましたので、彼がこのコロナの感染状況について正しく理解する能力を持っていないことに気付いていました。それは彼のPCR検査態勢を巡る発言を聴いていれば一目瞭然でしたので、単なるデマゴギーにすぎないと判断していましたが、しかし、PCR検査を何故むやみに行うことが間違いであるのかを知らない人たちにとって、彼のデマゴギーを見破るのは難しいかもしれません。

しかし、注意して見れば、彼が94人といった時に、なぜ94人になるかと言う根拠を示していないことに気が付くはずです。

つまり、予測をするにあたり示すべき根拠を持たないということであり、それは単なる予想でしかないということが分かるのです。

予測と予想を峻別するには

テレビで様々な専門家と称する人たちがいろいろな意見を述べている時、それらが信ずるに値するものかどうかの試金石として最もシンプルなのは、彼らが根拠を示しているかどうかを見ることです。

専門家は何かを主張する際、必ず根拠を示します。それが専門家の習性です。根拠を示さなければ自分が主張していることの正しさを説明できないからです。根拠を示さないのは、それが予測ではなく根拠のない予想でしかないことを自分が知っているからです。

特に社会にインパクトを与えるような主張を影響力のある専門家が根拠を示さずに主張することは専門家にあるまじき行為であり、まして、その主張が間違っていたことが明らかになった後に、あたかも自分はそのような発言はしていなかったかのように振舞うというのは専門家とは言えません。

当コラムが専門外の領域に言及することに極めて消極的な態度を取り続けている理由がそこにあります。専門外の領域の事柄について、明確な根拠を持って何かを主張するということができないからです。

少なくとも何らかの分野における専門家として矜持を持ち合わせていれば、専門外の分野について言及することには逆に躊躇いを持つのが普通であろうと考えます。専門を極めるということがどれだけおそろしいことなのかをよく知っていれば、他の専門領域にそう簡単に踏み込んでいけるはずはないのです。

逆に言えば、自らの専門領域に関して、根拠も示さずに何らかの主張をするなどということは専門家のすべきことでありません。

このような観点から世の中に溢れている情報を見ることにより、そもそも傾聴するに値する情報なのか、聞き流す程度で十分な情報なのかの峻別は難しくはありません。

多分、それがメディアリテラシーだと言っても間違いではないでしょう。メディアの性質を理解し、その中から本物と偽物を見分けていく能力、それが私たちにもっとも求められる能力かもしれません。