専門コラム「指揮官の決断」
第235回危機管理とリスクマネジメントの基本的な違いは?
危機管理ってなぁに?
当コラムは危機管理の専門コラムであり、これまでにも何回か危機管理とは何かという議論をしてきました。(専門コラム「指揮官の決断」第216回 そもそも危機管理とは何だろうか https://aegis-cms.co.jp/2209 その他)
また、筆者は昨年から母校上智大学で危機管理の入門的講座を開講して半年間の講義を行ってきましたが、その冒頭でも危機管理とは何かという議論を展開しました。
やはり、学生のほとんどは危機管理がどういうマネジメントなのかをほとんど理解せずに受講してきていました。
しかし担当した私自身がびっくりするほど登録した学生が多く、オンラインで行った講義には100名の学生が登録してきました。学事センターによれば、本当はもっと多かったのですが、学部が抽選で100人にしてしまったそうです。
何故危機管理というものが何なのか分からないのに、多くの学生が登録したのかに興味があり、学生に登録した理由を尋ねてみました。危機管理という分野は世の多くの経営者が口では大切だと言いながらも真剣には実践しない分野だからです。
すると、「コロナ禍で参った」「将来が見えなくなった「どうしていいか分からない」、そう思っていたところに履修要覧で「危機管理」という講座を見つけたので、これを聴けば何とかなるのではないかと思ったという学生ばかりでした。
よく考えると学生の方が多くの経営者よりもしっかりしているのかもしれません。少なくとも危機管理を勉強する必要があると認識して、実際に登録してきた学生がたくさんいたということですから。
しかし、これには私の方が参りました。
私は危機管理のコンサルタントなので、日常は組織のトップ向けの実務レベルの危機管理の話をしており、それが大学で講義をするようにと言われたので、それに少しアカデミックな解説を加えた講義を準備していました。当然話題は国家レベルの危機管理だったり、抽象的な意味における組織の危機管理であり、個人の生活におけるノウハウではありませんでした。議論の軸足を組織論に置いたのです。そのことはシラバスでも明言していました。
しかし、昨年の学生が可哀そうでした。1年生は希望に燃えて上京して下宿を構えたでしょうに入学式も行われず、大学に通うこともできません。2年生や3年生はそれまでのアルバイトを失った者が多数でした。4年生は就職活動が滅茶苦茶になってしまいました。
さぞかし参っているんだろうなと思うと可哀そうで、当初の予定をシラバスの変更にならない程度に内容を改め、個人の生活にレベルを合わせた話もすることにしたのです。
しかし、危機管理の概念についての議論は避けて通ることができません。
多くの学生はリスクマネジメントと危機管理は同義語だと思っていたようです。
危機と危険性はまったく別物
度々申し上げてきていますが、riskに危機という意味はありません。あるのは危険性という意味です。危機と危険性は意味が違います。
危険性はある程度覚悟しなければなりません。まったく危険性を取らないとすると得られるものがほとんどなくなるからです。ハイリスクを取るかどうかは慎重な判断が必要ですが、ローリスクばかり取っているとローリターンしか得られないのは皆さまご存じのとおりです。
リスクマネジメントはその危険性に備えようとするものであって、危機に立ち向かうというものではありません。
危機はクライシスと呼ばれます。つまり危機管理とはリスクマネジメントの訳ではなくクライシスマネジメントの訳なのです。
危険性を事前評価するのがリスクマネジメント
この議論については当コラムですでに何度もしてきています。
ここで再度荒っぽく解説すると、リスクマネジメントは様々な活動に際して、そのリスクを事前に評価し、そのリスクを取るかどうかを判断します。
そして、リスクを取ると決定したなら、そのリスクが現実になったらどうするか、被害をどう局限するか、いかに早くリカバリーするのかを検討します。
BCPはまさにその一連のプロセスを記述したものです。
つまり、事前にリスクを的確に評価できなければなりません。これはプロの専門的な仕事です。したがって、リスクマネジメントは専門の分野ごとに細かく分かれています。リーガルリスク、ファイナンシャルリスクなどと呼ばれることもありますし、災害に対していかに被害を局限するかなどということも専門的見地から議論される必要があります。防犯や対テロなども同様です。
これらはそれぞれが極めて専門的ですので、万能のリスクマネジメントというのはありません。もしリスクマネジメントのコンサルタントで専門を問われて、リスク全般ですなどと言う者がいたら、それは間違いなく偽物です。
何が起こるのかが分からないのが危機管理
それでは危機管理とは何をするマネジメントでしょうか。
それは想定外の事態への対応です。
想定外の危難に襲われた場合に、踏み潰されずに第一撃に耐え、次々に変化していく情勢を見極めつつ、そこに反撃の機会を見出し、速やかに態勢を立て直すだけではなく、変化する環境の中に組織を飛躍的に成長させる機会を見出していくマネジメントです。
そんな調子のいいことができるかと思わるかもしれません。
しかし、これは戦場において敵の奇襲を受けた場合に、その奇襲に何とか持ちこたえて敵を撃退し、撤退する敵を追撃して壊滅させるプロセスと同じものであり、軍隊においては常識で、敵が撤退する際に追撃しなかった指揮官はその理由を問われることになります。
逆に軍隊においては、敵の陣地を攻撃してそれを奪取することに成功したならば、まず行うことは深追いではなく逆襲に備えることです。敵地を占拠してすぐに「逆襲に備えよ。」という命令を出さなかった指揮官はやはり失格です。
リスクマネジメントが事前に綿密に評価して対策を取るのに対して、危機管理(クライシスマネジメント)は事前の評価を前提としていません。事前の評価ができていない事態が生じた際にどう対応するのかがテーマなので、あらかじめ対策を立てておくということができないのです。
クライシスマネジメントの問題は教科書を作りにくいことです。何をテーマにどう説明していいのかが分からないのです。
想定できない事態への対応ですから、当然のことながらどう対処すればいいのかも想定できません。
そのような事態を強引に管理してしまおうというのが危機管理なのですから、その困難性は推して知るべしです。
リスクマネジメントは高度に専門的
筆者はリスクマネジメントを専門とするコンサルタントを何人も知っていますが、彼らは実に緻密な作業をしていきます。それぞれの専門分野に関して、あらゆる角度から検討してリスクを計算し、そのリスクを取るのかどうかをクライアントと検討します。
ハイリスクを承知でもそのリスクを取りたいというクライアントのためには、そのリスクが現実になった場合にどうすればいいのかを漏れなく検討していきます。その作業は実に根気のいる作業であり、高度な専門性に裏付けられた作業でもあります。
そして彼らの仕事を見ていると、ある一定の共通点があります。
彼らはリスクを計算しているのです。
リスクとは確率である
つまりリスクマネジメントの専門家と称する者が本物かどうかを見極める鍵がここにあるということです。
リスクマネジメントが確率論に立脚していることを知っているのであれば本物でしょう。
確率計算ができるかどうかを確認すればいいだけです。
英国の経済学者フランク・ナイトが定義したものをお借りすると、リスクとは確率計算ができる可能性を指しています。この計算ができないものは「不確実性」と呼ばれます。
つまり、リスクマネジメントは確率が計算できなければなりません。確率計算のできないリスクマネジメントの専門家というのは論理矛盾なのです。
ただ、ここで誤解されては困るのですが、すべての確率がサイコロの特定の目が出る確率やルーレットのように数学的に計算すべきと申し上げているものではありません。
もちろん、そのように計算されるリスクもあります。富士山が噴火する確率や地震が起きる確率などがそれで、これは頻度を元にしています。身近なところでは天気予報がその頻度主義に基づく確率計算をしています。私たちが確率として通常認識するのはこの確率です。
この頻度に基づく確率を客観確率と呼びますが、統計に基づく推計や予測には「主観確率」を採用するのが主流です。これが可能となったのは18世紀の英国の数学者トーマス・ベイズの功績であり、彼は人間の主観による確率計算ができることを証明して見せました。これをベイズ確率と呼びます
私達の多くがこのベイズ確率を知らないのは、高校の数学で勉強する確率が頻度主義の確率だけだからです。しかし現実の世界で議論されている確率は地震の生起確率、火山の噴火確率、天気予報などの分野以外においてはベイズ確率に基づいて計算されること多いのです。
誤解されると困るのですが、ベイズ確率は各人が勝手に計算する確率ではなく、各人に与えられた条件が変わると確率が変化するということなので、この計算による推計や予測は膨大なデータを集めなくとも計算できるのですが、従来の数学的確率から見ると必ずしも正しいとは言えません。しかし、今回のコロナ禍のように当初データがほとんどなかった事態から徐々にデータが集まり、それによって推計が変わっていくようなモデルを考えるときには有力な分析ツールです。徐々にデータが集まっていくと推計の精度は飛躍的に高くなっていきます。
これはどういうことかと言うと、統計データを新たな情報によって更新することを繰り返して推計の精度を上げていくということです。新型コロナウイルスについても、騒ぎの発生から1年を過ぎてみれば、当初に比べると比較にならないほど高い精度で推定ができるようになっています。
教科書ではこのベイズ確率の話が出ると必ず紹介されるのが「モンティ・ホール問題」と言われる問題です。これはアメリカのテレビ番組で有名になった人気ゲームの一つなのですが、これを紹介しているとコラム1回分を軽く超えますので機会があればということにしたいと思いますが、次々に情報が更新されることによって確率が変化していくことを証明することができ、ベイズ確率が実用的であることが分かります。
これは数理社会学の入門書のレベルですので、この程度を理解できないリスクマネジメントの専門家は偽物と断言していいでしょう。政治家も感染症の専門家もメディアもこのベイズ確率を理解しないので、政策は行き当たりばったりですし、メディアは事態をまったく理解していません。感染症の専門家は頻度確率しか理解しないのでしょうが、この頻度主義に基づく客観確率ですら理解していないのではないかと思われるような発言がやたらに目につきます。
つまり、リスクマネジメントは確率計算が基礎であり、統計学を理解できないリスクマネジメントのコンサルタントと言うのは、英文を読めない英語教師のようなものなのです。
このようなリスクマネジメントのコンサルタントとは話をするとすぐに分かります。
彼らはリスクを「大きい」か「小さい」かでしか表現できません。二つの相反するリスクを比べてどちらがどれだけ大きいかという議論になると話が急に感覚的なものになってしまいます。まともなリスクマネジメントの専門家はその比較を係数を持って説明します。
つまり確率計算のできないリスクマネジメントのコンサルタントはリスクを客観的に評価できないのです。
リスクマネジメントの典型は保険
分かりやすく説明すると、保険を思い浮かべて頂ければ分かります。
自動車を買うときに自動車保険に入ります。保険会社はその車を運転する人の年齢や違反歴などからその人が対象期間中に事故を起こす確率を計算します。そこで補償額に応じた保険金額が決定されます。
この計算はプロ中のプロが行います。
各保険会社には保険数理士という資格を持った専門家がおり、彼らが計算をします。
この資格は世界中のどこの国でも特別待遇を与えられる専門職の資格であり、生命保険の保険料率の計算が起源と言われていますが、船舶に掛ける保険料率の計算で著しく発展した分野です。
この人たちは、様々な統計資料のみではなく、国際情勢なども計算に入れています。つまり、数学的確率だけではなく主観的確率も大いに利用しながら計算を続けています。
これがリスクマネジメントです。
リスクを計算できないならリスクという言葉は使ってはならない
計算できないのであればリスクと言う言葉は使うべきではありません。それは不確実性でしかありません。
数年前の安全保障法制の改正論議の中で、野党からは米軍の戦いに日本が巻き込まれるリスクが高くなるという意見が出されました。政府与党は集団的自衛権により日本が侵略されるリスクが低くなると主張しました。
頻度主義の確率論からはこれらのリスクを計算することはできませんが、ベイズ確率によれば推定することができます。しかし、与野党のどちらも確率論を理解していないのでこの議論は水掛け論に終わるしかなく、結局強行採決に持ち込まざるを得なくなりました。
リスクの話をするならしっかりと確率論の議論をすれば説得力のある議論になったのでしょうが、リスクが確率論であることを理解する政治家などいなかったのでしょう。いつもと同様の中身のない不毛な議論の末に押し切るといういつもの事態でした。