専門コラム「指揮官の決断」
第234回コロナ禍を危機にした人々:説明する勇気のない政治
数式を理解できないのがことの本質
昨年2月にダイヤモンドプリンセス号において新型コロナ感染騒動が発生して以来1年以上が経過し、多くのことが分かってきました。
しかしながら、この国の政策を左右する専門家たちがデータを読むことができず、またテレビに出演する専門家と称する人々が視聴率稼ぎに奔走するテレビに迎合した発言しかせず、さらに責任逃れに終始する医師会によって地方自治体の長が判断を誤り、その結果出来上がってきた空気により政権が政策を二転三転させるという泥沼状態が続いています。
問題の根幹は、この一年間で集められたデータを冷静に分析できない、あるいは何らかの思惑があってデータ解析をしないということにあります。
これらのデータを読むという作業は特に難しいものではありません。
計算そのものは高校生の数学力でできますし、理屈は大学の1年生が読む統計学や数理社会学の入門書を半分程度読めば理解できます。一冊最後まで読む必要すらありません。
つまり、この国の空気を作っているテレビをはじめとするメディアが簡単な数式を理解できないことが問題なのです。
彼らが統計学や数理社会学の基本中の基本を全く理解できていないことを示す事例があります。
ある番組でキャスターが「我々報道に関わる者は、視聴率1%が130万人の皆様に伝わることの使命の重さを自覚すべきである。云々」と話をしているのを観たことがあります。
日本の人口が1億3千万人であることから1%を暗算したのでしょうが、テレビ報道に関わるこの人物が視聴率すらどのように計算されているのかを全く理解していない証左です。視聴率は各家庭においた専用機材で算定されますから、世帯視聴率しか分からないのです。
この程度の簡単な数字一つ理解できない人々が作る空気で政策が左右されているこの度のコロナ禍が明らかに人災であることが読み取れます。
何が起きてきたのか
それでは、その程度の簡単な数字から分かる事実から、この度のコロナ禍における騒ぎを振り返ってみます。
昨年の4月に第1回目の緊急事態宣言が発出されました。この頃は新型コロナウイルスに関する情報が錯綜しており、信頼できる論文もそれほど多くなく、特に国内の感染者が極めて少なかったためデータ解析をどうすべきかよく分かっていなかったかもしれません。
当時北大にいた西浦教授が「8割オジサン」として有名になった論文もこの頃出されたのですが、国内でのデータが乏しかったためドイツのデータを使い、社会にいる人々の多様性を前提とせず、国民は一斉に同一行動を取るとの簡単な前提で書かれた論文でした。
これは西浦教授が医学者であり、社会科学の研究者ではないことが原因かもしれません。現代の社会科学は、古典的な経済学が合理的経済人を仮定していたほど単純な仮定を置かず、人間行動の不合理さを前提として議論しますから、西浦教授のような論文にはならないはずです。西浦教授の論文のシンプルさは数理社会学の教科書にしてもいいくらいのレベルでした。現に、私はこの論文を読んで、医学統計とはこのような考え方をするのかと勉強したくらいです。
しかし、その8割が政策を動かし、とにかく人の動きを封じることに政権は躍起とならざるを得なくなりました。
さらに悪いことにテレビが「接触を80%削減して欲しい。」という首相のテレビでの要請の意味を理解せず、翌日から主要駅の前や繁華街で人出を数えて80%に達していないとか達したとかで騒いだのです。人出の数と接触の数は違う概念であり、社会に人が二人しかいなければ、人出が50%減ると接触は100%減ることについては当コラムですでに言及しています。テレビ局はその程度の理屈すら理解できないようです。(専門コラム「指揮官の決断」第195回 何故私たちは正しい情報を得られないのか https://aegis-cms.co.jp/2081 )
いずれにせよ、今になって分かることは、この時の緊急事態宣言は必要が無かったということです。
3月以降、急激に感染者(正確にはPCR検査陽性判定者)が増えたように見えたのは、PCR検査数が増えたからであり、実際に陽性になっていた人は昨年10月頃から徐々に増えていたはずです。
それが1月2月の風邪のシーズンになって発症する人も増えてきたというだけのことです。
4月に緊急事態宣言が出されて急激に感染者数が減り、5月25日に全国で解除されましたが、実は陽性判定者は緊急事態宣言発出以前に減少に転じていました。飲食店等の時短の効果が現れるには10日か2週間程度かかるのが普通ですが、この時は翌日から減っています。
理由は簡単です。春になったからです。
昨年の7月から8月にかけて陽性判定者が増加し、テレビが大騒ぎをし、専門家たちは緊急事態宣言の時よりも酷いとコメントしましたが、実はこの時も感染者は増加していません。
陽性判定を受けた人数は確かに緊急事態宣言の頃よりも倍になりましたが、PCR検査数が4倍になっていました。
検査数が4倍で、陽性判定を受ける者が2倍ということは数学を用いずとも算数で解釈できます。社会における陽性者が減っているということです。専門家が数字を読めていないと私たちが批判するのはこういうことです。目先の人数しか見ておらず、その人数がどのようにカウントされているのかを理解していないという素人でもびっくりするようなレベルなのです。
そして、この度の第3波です。
例年、冬の風邪は夏風邪の10倍の患者が発生します。この度もきれいに10倍でした。
冬になれば新型コロナはまた威力をぶり返すと夏の前から言われてきました。何の準備もしなかったのが1都3県の長と医師会です。
国の施策は?
この間、国家は何をやったのでしょうか。
遅きに失し、後手後手であり、根拠なしに右往左往しているというのが一般的な評価でしょう。
当コラムの評価は若干異なります。
コロナ対策の財政出動は実は世界最高レベルです。GDPの20%を拠出したのは日本と米国だけです。
補正予算で予備費を10兆円も準備しました。これには野党が多すぎると批判し、予備費を使うに当たっては使途と計算の根拠をあらかじめ国会で承認を受けるようにすべきという議論を展開しました。
野党は憲法を読んだことがないと見えます。
憲法には予備費は何に使うか事前には決められないものために準備し、使用したら事後的に国会の承認を得るようにと書いてあります。
大半が民間である日本の病院がコロナ対策をどうするか、国は直接指揮監督できません。したがって、それらの調整を行うべきなのが地方自治体であり、病院会や医師会であるはずです。
国は10兆円の予備費でプレハブのコロナ専用病棟を設置したり、ECMOを買ったり、医師や看護師を集めたりすることを当然に期待していました。ところが、自治体も医師会も夏の間にそれらの手を打たなかったため、この予備費はそのまま3次補正に引き継がれることになりました。この点だけ見ても医師会と地方自治体の長がコロナ禍の人災の張本人であることが分かります。
説明する勇気を持たない
この政権の問題点は、国民に基本的な方針を説明する勇気がないことです。
この国の基本的な狙いは社会的な免疫を早急に獲得することにあります。そのためには、国民を絶えずウイルスに対して暴露させ続ける必要があります。ロックダウンのような強烈な対策を取ることは逆効果になります。対応が生ぬるいと批判されるのはそのためです。
英国などがロックダウンを行っているのは、感染者の数の桁が違うので、医療崩壊を起こす恐れがあるからです。医療崩壊を起こさないギリギリのところでコントロールできるのであれば、ロックダウンはやってはなりません。
政権はゼロコロナが幻想に過ぎないことを知っています。したがって、早期に社会が免疫を獲得するためには陽性判定者は増えなければなりません。しかし、陽性判定者が増えると、それに比例して重症化する人、そして亡くなる人が出てきます。
新たなウイルスですから死亡者は増えるでしょう。例年のインフルエンザが3000人くらいの死亡者を出しますが、新型インフルエンザでは1万人以上の死者を出しています。この度も1万人程度の死亡者を覚悟しなければならないかもしれません。新たなウイルスに対して私たちは免疫記憶を持たないからです。
しかし、政権はそのようなアナウンスメントを出すことはできません。社会が免疫を獲得するために1万人程度の死亡者数を許容しなければなりませんとは口が裂けても言えないのがこの国です。何せ野党党首ですらゼロコロナなどと主張する社会です。一人の人の命は地球より重いのです。
過剰反応する私たちの社会
そもそも私たち日本人が完璧主義者であり過ぎます。
例えば、ソーシャルディスタンスです。
飛沫による感染を防止するためにこの距離を取ることが必要だとされています。
その距離を取れない時にはマスクをして飛沫が飛ぶことを防ぐ必要があります。
ところが私たちがやっているのは、マスクをしたうえで距離を取り、密を防ぐために映画館などでも間隔をおいて座っています。興行でチケットが50%しか売れなかったら元は取れないでしょう。距離を取ることの本質的な意味合いを忘れてしまい、何も考えないのです。考えていないのなら距離も取らずマスクもしないかと言えばそうではなく、全部やってしまうのが私たちの社会です。
1万人程度の死者を許容しなければならないなどと言ったが最後、野党やテレビが何を言い出すか分かりません。
政権はその結果作られる空気に耐えられないでしょう。
2020年を振り返ります。この国では毎年130万人程度の人が死亡し、90万人程度が生まれてきています。ところが2020年の一年間、この国で亡くなった人数は2019年に比べて9千人少なかったのです。
自殺者は増えましたが、しかし、肺炎で亡くなった人の数が著しく少なかったのです。新型コロナウイルスのために肺炎で亡くなった人がいたにもかかわらずです。
それが新型コロナウイルスの実態なのに、政府はその説明をしないのです。
政権はテレビが作る世間の空気に忖度して、本当の目的を説明しません。それだけではなく、空気に迎合して緊急事態宣言まで発出しています。その結果、社会が免疫を獲得するのが遅れてしまいます。つまり政策がチグハグなのです。
そもそも危機管理の最前線に立つ覚悟がない
当コラムでは安倍政権には危機管理はできないと断言したことがありました。(専門コラム「指揮官の決断」 第44回 呆れてものが言えない https://aegis-cms.co.jp/654 )
外務大臣と防衛大臣という、安全保障上の問題が生じたときに全く反対の業務に必死で取り組まなければならない大臣を兼務させるという無神経さに呆れたのですが、やはり安倍政権は危機管理というものを理解していませんでした。
ダイヤモンドプリンセス号の入港に際して対策会議を招集した際、防衛大臣が呼ばれなかったのです。
この国は史上初めて民間人が化学兵器のテロに襲われた国です。サリンによって14人が亡くなり6300人が被害を受けました。それから四半世紀を過ぎて起きた感染症患者を乗せた船の入港です。
まともな国の指導者なら、まず軍隊の動員を考えます。生物学兵器による攻撃かもしれないからです。そうでなくとも、普通の医療機関に対応できるような事件ではなくなるはずだからです。案の定、厚生省の検疫官だけではどうにもならず、日赤を動員しても間に合わず、陸上自衛隊が災害派遣で動員されました。その時点で、防衛大臣が呼ばれていないことに気が付くという間抜けさ加減です。
感染症を安全保障問題と考えることのできない平和ボケした政権でした。当コラムがその政権には危機管理ができないと断じた理由がそこにあります。
その能力もない
現政権についてはどうでしょうか。
当コラムは危機管理の専門コラムですので、政治評論などをするつもりはありません。しかし、指揮官としての資質については触れなければなりません。
失格です。
国のトップであればワクチンの接種を最初に受けるべきです。首相が最初に接種を受けて、特権の乱用だと批判するメディアや野党があるとすれば無視すればいいだけです。
首相が真っ先に接種することをためらうようなワクチンであれば、それを国民に向けて接種せよという政権は退陣すべきでしょう。
万一、副反応が酷くて首相が死亡するような事態が生じたらどうするのか?
首相の交代などどこにでもいます。自分は余人をもって代えがたいなどと首相が自分で心配する必要はありません。
そもそも現首相は官房長官時代に事の本質を見抜く能力がないことを披瀝しています。
10万円の一律給付金を申請するかどうかを記者会見で問われ、「常識的にはしないと思う」と答えています。
この政治家は自分が申請して使う給付金の10万円がどのような乗数効果をもって経済に影響を与えるのかを理解できていません。何かを必要として困っている団体があれば、そこにモノを買って寄付すれば、そのモノを作って売った人々にお金が回り、困っている団体の問題が解決されることに思いが至らないのです。
メディアによって作られた空気による政権支持率を気にして右往左往するだけの小心者でしかないと判断せざるを得ません。
つまり、この政権にも危機管理はできません。
繰り返しますが、緊急事態宣言の発出は必要ありませんでしたし、GoToトラベル事業の中止も必要ありませんでした。データは同事業が始まり、利用者が増えるのに反比例して陽性判定者が減っていったことを示しています。だからと言ってGoToトラベル事業が感染を減少させると主張するつもりはありません。夏だから減っただけであり、つまり、GoToトラベル事業と陽性判定者数には相関関係も因果関係もないということです。つまり、統計学的には無関係ということです。社員旅行は別ですが、家族やカップルで旅行し、対策の取られたホテルなどに宿泊していて感染などしません。GoToトラベル事業利用者が4000万人になったときの調査で、利用者のうちの陽性判定者は200人台でした。
時短営業は感染拡大の解決策ではありません。声が大きくなり飛沫感染が生ずるため5人以上の飲食を制限すればいいだけです。
深夜に二人だけで静かにと食事していて感染することはありません。夕方から飲み始めてカラオケなどやるから感染が広がるだけです。
数字が示しているのはそういうことなのですが、簡単な数式を理解できないテレビによって作られた空気に支配される政権がコロナ禍を危機に変えた究極の張本人かもしれません。