専門コラム「指揮官の決断」
第247回企業が図上演習を導入すべき理由
図上演習コントローラーの役割
前回までに図上演習の概要とどのような目的で使用することができるのかについて説明をしてきました。
(専門コラム「指揮官の決断」第245回 危機管理の最強のツール:図上演習 https://aegis-cms.co.jp/2410 )
(専門コラム「指揮官の決断」第246回 図上演習はどのように使うことができるのか https://aegis-cms.co.jp/2416
今回は図上演習に隠された最大の成果であり、企業が積極的に図上演習を導入すべき理由について解説いたします。
図上演習を実施するにあたり、プレイヤーグループとコントローラーグループの二つのグループに分けると説明しました。
コントローラーが次々に想定を出し、プレイヤーがその想定への対応を行っていくのが図上演習です。
コントローラーが出していく想定にはかなりの工夫が必要です。
例えば、東京の湾岸地域にある会社が首都直下型地震への対応の図上演習を行うとします。
コントローラーは首都直下型地震ではどのようなことが起こるのかをあらかじめ勉強しておかなければなりません。同じ首都直下型と言っても、震源が東京湾内であるのとそうでないのとでは起こる被害がかなり違うからです。
ハザードマップを調べたり、交通網はどうなるのか、火災の発生予想はどうなっているのか、電力やガス・水道などのライフラインはどうなるのか、曜日による帰宅困難者数はどのくらいかなど、知っておかなければならないことは広範囲にわたります。
そのような社会一般の事情については自治体や図書館などで様々な情報を手に入れることができますし、ネットを活用することもできます。しかし、自社のビルが何年の耐震基準に基づいて建築されているのかなどは自分で調べなければ分かりません。
つまり、コントローラーになるためには、図上演習のテーマとなる事象について、相当詳しく、あらゆる角度から事前に勉強しておくことが必要なのです。
正解の無い問題を出す
それだけではありません。コントローラーが出す想定は単純で素直なものだけではだめなのです。
たとえば、地震発生ののち、在社している社員の安全を確認したところ、社内にいるはずの社員が一人見当たらないという想定を出すとします。
続いて、地下の倉庫以外のあらゆるところを探したが見つからないという想定を出します。
この想定だけなら地下にその社員がいるかいないかを見に行けばいいだけなのですが、その想定を出す前に、「津波警報が発令された。」という想定を出しておきます。
弊社ではこれを「伏線を敷く」と呼んでいますが、もし担当部門が漫然と地下に捜索に行きますという対応を示した場合、「津波警報が出ていることを忘れていないか?」と指摘することになります。地下にいるかいないか分からない社員を津波警報が出されている状況で地下に探しに行かせることのリスクを考えなければならないからです。
これはある意味で正解のない問題です。
もし社員が地下に行っていて、倒れてきた棚の下敷きになって身動きが取れない状況になっていたところを見つけて救出して上の階へ移動させた後に津波が来たら、凄い適切な判断だったということになりますが、その社員が屋上でタバコを吸っていただけで、地下に捜索隊が入った途端に津波に襲われたとすれば、無駄な犠牲を出しただけということになってしまいます。
これはどうすればいいのか正解がない問題の典型です。結果的にはその対応が正しかったか間違っていたかは分かるのですが、事前にはどちらが正しいのかは神のみぞ知るという問題です。
現実の危機管理においてはそのような問題ばかりが起きてきます。危機管理上の事態を乗り越えようとする指揮官はそのような問題と戦っていかなければならないのです。
したがって、図上演習においてもそのような想定を次々に出していく必要があります。
先の津波警報の例のように、二律背反する条件を与えて判断することを要求するなどの着意が必要です。
津波の例では、揺れが収まった後に1Fで人が倒れているのが見つかったという想定を出してもいいでしょう。意識ははっきりしているが下半身の感覚がまったく無く自分で立って歩くことができないという想定を出すのです。
プレイヤーは津波警報が発令されているという想定を意識しているので、すぐ上の階へつれて上がろうとするかもしれません。
しかし、意識がはっきりしていて下半身の感覚がまったく無いという状態であれば、脛骨に損傷が与えられている恐れもあります。この場合はうっかり動かしてはいけません。といって、その場に寝せておくと津波に巻き込まれる恐れもあります。
これも正解の無い問題です。本当に動かしてはいけない状況なのかどうかは救急車が来てみなければ分かりませんし、津波が本当に来襲してくるのか、来るとしてそれがいつなのか、それらは事後的にしか分からないからです。
事後的にしか分からないにもかかわらず、現場での意思決定はその場で行わなければなりません。そのような想定を次々に出していかなければ効果的な図上演習にはなりません。
つまり、コントローラーはそのような想定を次々に出していける人材をもって充てなければならないということです。
そのような人材を企業内に育てれば図上演習を自分たちで企画運営できることになります。
コンサルタントに依頼してはいけない
企業などで防災の図上訓練を行う際、通常はコントローラーは損害保険会社からコンサルタントが派遣されてきます。損保のコンサルタントは多くの会社で図上訓練の指導をしていますから、膨大なデータの蓄積を持っており、過去の事例を組み合わせてそのような想定を出していくことがある程度できます。そして、実際に企業の図上訓練を行うたびに少しずつ事例を増やしていきます。それが彼らのノウハウになっていくのです。
実はここに問題があります。
そのノウハウが蓄積されるのがコントローラー側のコンサルタントなのです。彼らはそのノウハウを囲い込んで外に出しません。毎年の防災訓練に呼んでもらうためです。
数百人が参加する上場企業の防災訓練を拝見したことがありますが、一日の防災訓練で数百万円の経費が掛かっていますので、彼らが毎年呼んでもらいたがるのも無理はありません。
これを分かっていても、企業にノウハウが残らないので毎年コンサルタントを呼ばなければならないのです。
弊社では自社で図上演習を企画運営できる態勢を作りましょうとお勧めしています。自分たちで行えば、たった一日に数百万円をかける必要もなく、何よりも図上演習のノウハウを自社に蓄積できるからです。
訓練の指導はできても演習の指導ができるとは限らない
またそのようにしてやって来るコンサルタントたちの多くは図上訓練の指導はできますが、図上演習の指導はほとんどできません。
前回解説したとおり、図上演習と図上訓練はやり方は極めて似ていますが目的が異なります。訓練の場合はマニュアルが作られており、さまざまな想定に対しても、期待されるリアクションが決まっています。したがって、場数を踏んだコンサルタントなら、そのマニュアルに基づいて、このような場合にはこのように行動すべきという指導はできるのです。
ところが演習の場合はそうはいきません。マニュアルには記載しにくいような複雑な情勢を作為したりする必要もあり、また、マニュアルでは考えてもみなかったリアクションを取ってしまう人が出たりするからです。実際の事態に際してももちろんそのようなことが多発するはずで、危機管理がマニュアル通り淡々と行えるというのは極めてレアなケースかもしれません。
私が拝見した企業の主として防災のためのいくつかの図上演習の指導にやってきたコンサルタントたちは、一流の損保の若手社員たちで、きわめてそつなく指導をこなしていましたが、彼らは最初からコンサルタントとして育てられており、危機管理の図上訓練のコンサルティングに関しては一流の腕を持っていることははっきり分かるものの、現場で危機管理をやった経験がないことも一目見て明らかでした。経験の有無は経験者から見れば一目瞭然で、彼らがどのような机上の理論を並べようとすぐに見抜くことができます。
つまり、彼らは図上訓練の指導は出来ても図上演習の指導は出来ないのです。
弊社がお勧めしているのは自社で図上演習を企画運営することです。それによりいつでも手軽に様々計画を立案し、その実効性を検証できるからです。それができる企業であれば、図上訓練などははるかに簡単に実施できます。
その図上演習のコントローラーとして様々な想定を出していくことのできる人物というのがどういう人物かというと、様々な事態において、いろいろな問題が生じても冷静に対応できる人物のはずです。
行方不明の社員が地下にいるかもしれないといって無暗に捜索隊を地下に送るようなまねはせず、津波警報の発令状況など様々な要因を冷静に考慮するはずです。1Fに倒れている人がいるからといって、すぐに抱き起して2階へ連れて行くというようなこともしないでしょう。
彼はそれらの情報の裏に潜む危険性などに考えを及ぼすことができるのです。
そのようなコントローラーグループが社内に育っていれば、危機管理上の事態において社長の周りに集まり、危機管理の指揮を執る社長を強力に支えるスタッフになるはずです。
また、新製品の開発や様々な戦略的な意思決定の際にも社長を支えるブレーンとして機能します。
それでは、そのような想定を次々に出していけるコントローラーはどうすれば養成できるのでしょうか。
コントローラーはどのように養成されるか
実はそれはそれほど難しいことではありません。
損保のコンサルタントのように現場を経験していないと机上の空論だけになってしまいますので、通常の社員と同様、現場を経験させておくことが重要です。
そして「貴方は図上演習においてコントローラーとしての役割を果たすことになっている。」と指名してやるだけでいいのです。
彼または彼女は、図上演習においてテーマとされる案件について勉強を始めるでしょう。首都圏直下型地震への対応をテーマとした図上演習を行うとなると、その場合にどのような事態が生ずるのか、国や自治体の対応はどのようになるのか、関係法令はどう整備されているのか、自社の建物の耐震基準はいつのものに適合されているのか、帰宅困難者用の食糧などは何をどこに備蓄しているのかなど調べなければならないことは山積みです。しかし、彼らは潜在意識で自分はコントローラーなのだということを意識していますので、それ以前とは同じテレビを見ても新聞や雑誌を読んでも情報の入り方が変わっていきます。つまり、アンテナが高くなるのです。それまで何気なく見逃し、聞き逃していたものに目や耳が止まります。日常生活でそれらが積み重なっていくと、コントローラーとして指名されていない社員たちとは雲泥の差が出来ていきます。
後は、具体的な想定を出す際に効果的な伏線をどう敷けばいいのかという点を学べばいいだけです。
これだけは具体的な事例を見て学ばなければなりませんが、そこにはちょっとした着意点があるだけなので、ちょっとした指導を受けることによってその着意点を身に付けることができます。
実は弊社で行っている図上演習のコンサルティングは、その効果的な伏線の敷き方についての着意点をご指導しているだけなのです。
企業が図上演習を導入すべき最大の理由とは
ここに企業が図上演習を導入すべき理由があります。そして、その図上演習は自社で企画運営を行うべきであり、コンサルタントに依頼してはいけません。
コンサルタントは次々に得られる新たな発見やそこから見いだされるノウハウを独占し、かつ囲い込んでしまいます。自らの手で行えば、それらの重要な知見が自分たちのものになるだけでなく、社長を強力に支えるスタッフを養成することができるからです。
図上演習を自ら企画運営することによって得られる最大の成果はそのようなスタッフを自社に養成することができるということなのです。
彼または彼女は実際に危機管理上の事態が生じた際には、社長の下に馳せ参じ危機管理の指揮を執る社長の強力なスタッフとなります。彼らは様々な情報に含まれる落とし穴や本当の意味について考慮しつつ次々に意思決定をしていくことができます。
コンサルタントに依頼した図上演習では、そのノウハウを獲得することはできません。自社で企画運営する図上演習であるからこそ、そのようなスタッフを養成することがきるのです。
これが企業が図上演習を導入すべき最大の理由です。