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専門コラム「指揮官の決断」

第249回 

土石流災害から身を守るには

カテゴリ:危機管理

熱海というところは・・・

静岡県熱海市で土石流による大きな被害が発生しました。ニュースで繰り返し流される映像では、東日本大震災における津波を彷彿とさせる破壊力が伺えます。

熱海には、今回災害があった伊豆山とは反対側のかなり南の方ですが、よく行くことがあり他人事ではありません。

熱海は元々平らな土地ではありません。海岸線に国道135号が走っていますが、その国道もほとんどが片側が山、反対側が海となっています。

熱海の家は斜面に建てられていることが多く、玄関を入ったところが2階で、下におりて1階になるという家が珍しくありません。そのような家が多いのですが、静岡県には崖条例と呼ばれる条例があり、その条例の規定を順守した建築であれば一応崖に住んでいても安全なことになっています。

一応というのは意味があって、この崖条例は個別の家に必要な基礎の作り方などを規定しているだけなので、今回のような地域を襲う土石流などに耐えられる作りとなっているものではありません。

直感的な薄気味悪さを大切に

実はこの土石流被害があった日の直前、筆者はその熱海に滞在していました。仕事をいくつか抱えて一人で行っていたのですが、天気図を見ていて若干不安になりました。何が不安になったのか説明するのは難しいのですが、何か変だとの思いが残ったのです。

しばらくすると、ニュースで下田市街全域に避難指示が出たことが分かりました。

下田は伊豆半島の南端にあり、伊豆半島の根元にある熱海とはかなり気象条件が違うのですが、この時、筆者の直感が「理屈ではない。避難しろ」と囁き続けました。翌朝、いつもなら入る朝風呂もあきらめて荷物を積み直し、135号線を走って伊豆山を通ったのが10時半頃で、土石流発生のちょうど2日前の同じ時間ということになります。

戦場や現実の社会における危機管理では、このような理屈抜きの直感は大切です。なぜそう感じるのか自分でも分からないが、なんとなく変だと感じる感覚。それを大切にする必要があります。関西の方はよく「気色悪い」という言い方をされますが、まさにその感覚です。

この感覚は決してオカルト的なものではありません。予知能力とか言われるものではなく、人の頭脳がスーパーコンピューター並みの情報処理能力を発揮し、それまでのあらゆる経験や学んできたことなどを瞬時に判断し、言葉で訴えるのではなく、その先の感覚に訴えているにすぎないはずです。

ひょっとすると人災かもしれない

現在、捜索救助作業が続けられていますが、同時に土石流の発生原因の解明も行われているようです。

断片的に伝わってくる情報では、土石流が発生した源流は盛大に盛り土が行われた場所であり、小田原の業者から森林法による許可申請が出されて大量の土が運び込まれたところだということです。

当コラムは土木工学に関してはまったくの素人ですが、直感的にも太古の昔からの斜面ではなく、伐採により開かれた谷に他の場所から土を持ってきて入れたのでは崩れやすいだろうなとは思います。

ただ、県の副知事の記者会見によれば、盛り土を行った業者に法律違反の作業があり、県から是正勧告が出されていたとのことですので、そうであれば工事を担当した業者とそれを監督すべき自治体の責任問題となるでしょう。法律に基づく申請が出されて認可したのであれば、監督官庁としてはその施工が申請通りであったのかどうかをしっかりと確認する責任があったはずで、是正勧告を出していたというのは言い訳にはなりません。行政の不作為が問われることになります。

いずれにせよ、この度の災害の原因は近く明らかになるでしょうし、ひょっとすると人災であるということにもなりかねません。

実は自然災害の原因が人災であることは珍しくありません。自然の猛威そのものが人間の作り出したものということではなく、適切に対応していれば被害が生じなかったはずという意味です。

ちょうど7月のこの頃は全国で水害が発生しやすい時期です。3年前の西日本豪雨もこの時期でしたし、熊本で球磨川が溢れて大きな被害となったのもこの時期です。

特に熊本の水害は民主党政権が事業仕分けで中止させたダムがあれば防げた災害でした。この時仕訳で中止となったダム建設のうち、八ッ場ダムは工事が再開されて、その後の災害を見事に食い止めたのですが、球磨川の水害はその後熊本県知事が何ら代替策を講じなかったために怖れていた事態がそのまま生起してしまいました。当時の政権を担当した主として立憲民主党の政治家たちの誰も慰霊祭に参加していないところを見ると、何も反省していないのでしょう。何も反省していないとすれば彼らは同じ過ちを何度でも繰り返しかねません。

この場合は大規模な土木工事が必要で、費用も時間もかかりますが、しかし効果は絶大です。当時の民主党政権はコンクリートから人へという標語の下、公共工事の多くを無駄であるとして事業仕分けなるショーを展開していきましたが、不況にあえいでいた日本の社会における公共工事がもたらす経済的な乗数効果については考える力が無かったため、国政を家庭経済と同じ次元で捉え、とにかく支出を削減することしか思いつかなったようです。

多くの自然災害では行政の適切な対応で災害そのものの発生は抑止できずとも犠牲を局限することができた事例がたくさんあります。

自治体の指示に頼ってはいけない

この類の災害でいつも問題になるのが自治体の対応です。

かなり前になりますが、台風が伊豆大島を襲い、土砂災害で多くの人命が失われたことがありました。地元警察は町役場に対して避難指示を出すように再三要求したのですが、夜間に避難指示を出して高齢者などが怪我をするおそれがあるとして指示の発令を躊躇っている間に土石流が発生して多くの人命が失われました。

2015年の鬼怒川の堤防決壊の際も同様に市が避難指示を躊躇っている間に堤防が破られてしまいました。

また、発令しても何も起こらないと市民から非難されることを怖れるということもあります。

いずれにせよ、これらのことは責任を問われたくないという市役所の小役人の本性が透けて見えます。

今回の事例では、熱海市がどのように対応していたのかが問われることになります。

筆者が熱海を撤退してきたのは1日(木)の午前中です。この頃、網代では一時間当たりの降水量が10ミリ前後であり、車を運転していても、まとまった雨という感じで大騒ぎするような降水量ではありませんでした。しかし、なぜか筆者は不思議な不気味さを感じていました。そして、伊豆山を超えて湯河原辺りに差し掛かっていた頃、時間降水量は2~3ミリでしかありませんでした。一時的に雨が止むのかもしれないと思ったほどです。

しかし筆者はためらうことなく自宅を目指して車を走らせていました。この降水量が増え始めたのは夕方になってからでした。2日の明け方、時間降水量は10ミリを超え午前6時には熱海に大雨警報が出されました。これを受けて午前10時、熱海市は高齢者等避難を発令しています。これはいわゆるレベル3と呼ばれる指示です。

さらに午後零時には気象庁が熱海に対して土砂災害警戒情報を出しました。ところが熱海市はその午後零時を境に雨量が減っていったことで避難指示を出すことを見送ったのです。

自治体に頼ってはいけない理由

これが多くの水害で出さなくても済む犠牲者を数多く出してしまう原因の典型の一つです。

目の前の現場の雨量が少なくなってきたことを受けてピークが過ぎて危険の山を通り越したと判断するのです。

河川の増水はその場所ではなく、その遥か上流で水量が増えることにより起こり、土石流は遥か上の方で土の中に周辺の山々から集まってきた水分が溜まり続け、ある時に限度を超えて生ずるのであって、現場の雨量には何の関係もないのです。

現場の雨量が関係してくるのはその現場よりも下の土地や下流域だけなのですが、自治体の防災担当者はそれを理解していません。現場の雨が上がると安心してしまうのです。

同じ過ちを毎年いくつもの自治体が繰り返しているのにも関わらず、自治体の防災担当者というのはまったく学ぶということをしません。

それで災害が防げるわけはないのです。

自治体の防災担当者の意識がその程度であるということについては筆者も強烈な思い出があります。

5年ほど前ですが、地元でセミナーの講師を頼まれたことがあります。東日本大震災で自衛隊は何をやっていたのかについて話をすることになりました。ついでに地元での防災についても話をして欲しいということでした。そこで私は地元の市役所にハザードマップについて疑問点を質問に行きました。ハザードマップに記載された津波の浸水面積と高さが私の認識とかなり違ったので、市のハザードマップが何を根拠にして作られたのかを訊きに行ったのです。誰のどのような計算が根拠になっているのかを知りたかったのです。

市役所の防災担当課の部屋には多分5人くらいの職員がいたと思いますが、まず訪ねて行って、入り口で「お願いします。」と言っても誰も振り向いてくれません。何度か次第に声を大きくしながら「お願いします。」と繰り返していると一番若い女性の職員が対応に出てきました。そこで私の疑問点について「根拠を教えてください。」と頼みました。しばらく待てと言って彼女は部屋の奥の方に行ったきりしばらく戻ってこなかったのですが、そのうち一番年配と思われる男性職員が出てきて、「それは県の想定を採用しているから、県に行って訊いてくれ。」ということでした。

私がびっくりして「市民が市役所に市の出したハザードマップについて質問しに来ているのに県へ行って訊いて来いというんですか?」と訊くと、彼は明るく「ハイ、県の方が詳しいですから、いろいろと教えてくれますよ。」とのことでした。調べてお答えします、ではないのです。私に言わせれば、県の役人ごときに教えてもらうことは何もない、市が何を根拠に採用したのかを知りたいだけなのですが、その意味を彼らは理解しません。

その程度の連中が毎年のように他の自治体で起きている水害についての教訓を学び取っていると期待するのは無理であり、私たち市民は自分の命は自分で守るという覚悟がなければなりません。

解決策は・・・

これらを克服し、市民生活を安全なものにするにはとりあえず次の二つの方策を早急に実施する必要があります。

第一は、市役所の防災担当者を責任感のない小役人から普通の常識を持った担当者に入れ替えること、第二はすべての措置に対して市長が責任を持つと宣言して小役人たちを働かせ、宣言するだけでなく実際に責任を取ることです。

残念ながら市役所の小役人たちはその職業人生を通じて市内での仕事を続けるので、他を知らず、きわめて刺激の少ない中で、役人の黄金律である「前例の踏襲、問題の先送り、責任の回避」という三種の神器だけは守り抜くという始末の悪い存在が多く、やる気と責任感と実行力を兼ね備えている担当者は煙たがられて要職には就けないというのが実情でしょう。

自分の命は自分で守る

現実を直視するなら、自分と家族の命は自分たちで守るという覚悟をしなければなりません。

それではどうやって自分たちで安全を確保するかですが、基本はハザードマップをよく見ておいて、自分がいる場所がどのようなリスクを抱えているかを知っておくことです。疑問があれば市役所に訊きに行くといいでしょう。私の地元市役所のような戯けた小役人ばかりではないはずです。

旅行に行く際にも、行った先のハザードマップを確認しておくと、天候の状態によってはいろいろな判断をすることができます。

また、過去の事例をよく知ることです。土地には昔からの伝承があります。おじいちゃんから聞いた話などが重要です。

東日本大震災においては宮城県石巻市立大川小学校の児童たちはその訓えを守って、地震発生後裏山に逃げ込みました。しかし、教師たちによってせっかく登った山から降ろされ、時間が経ってから別の地区に避難することを決めた教師たちに引率されて校門を出た途端に津波に襲われて多くの児童が亡くなりました。おじいちゃんの訓えをそのまま実行していれば失われずに済んだ命です。

さらに、前兆となる兆候を見逃さないことです。川が急に濁る、石などが流れてくる、聞きなれない音がするなどの前兆現象があることが報告されています。

気象情報に敏感になることも重要です。筆者は元々ヨット乗りで、小学校の頃から天気図を書いていました。スマートフォンにも気象庁の出す情報が常に入ってくるようにセットしてあります。このような関心を持っておくことが重要でしょう。気象の勉強をする必要はありません。予報官や気象予報士の解説を聞いておけばいいだけです。

最も重要なことは、心理的バイアスと戦うことです。

私たちは目の前の現実を自分に都合のいいように解釈する傾向があります。これは何も新たな行動経済学の研究成果ではなく、1950年代にレオン・フェスティンガーによって解明された認知的不協和を解消する心理作用です。ハザードマップに土砂災害の危険が表示されていても、今日は大丈夫だろうなどと過小評価する傾向を私たちは持っています。そのバイアスと向き合い、勇気ある撤退を決断することも必要な場合があります。

自治体の避難指示などを待ってはなりません。最近の自治体は、避難指示は出さずとも避難所の開設だけは行っておくというところが増えています。市からお知らせなどはスマートフォンに届くようになっているところが多く、そうでなくても防災無線を通じて避難所開設は通知されてきますから、ハザードマップに危険性が示されていたら、必要なものを小さくまとめて早めに避難所へ行っておくことが重要です。

残念ですが、それが私たちの社会の実情です。