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専門コラム「指揮官の決断」

第250回 

正気に返れ 

カテゴリ:危機管理

正気が失われた!

当コラムは危機管理の専門コラムとして様々なレベルにおける意思決定に関心を持っています。この度のコロナ騒動についても同様で、社会の反応とそれに対する政府、自治体その他の対応を意思決定の面から注目してきました。

この観点から見て、この度の事態の本質はテレビが振りまいた「コロナ怖いウイルス」に私たちが感染して正常な判断が出来なくなったことが原因であるという点は繰り返し述べてきました。

4度目の緊急事態宣言が出されるに及びこの国の政府と私たち自身の正気を疑わざるを得ない事態だと認識しています。

ハツカネズミに申し訳ない

オリンピックを開催するに際し緊急事態宣言を出すというのは正気の沙汰とは思えません。開催しても大丈夫だから開催ではないのです。医療関係者の努力により重症者は減少しており、また、死亡者も減少の一途をたどっています。

多分、政府の本音は、オリンピックで感染者がどうしても増えるだろう、そうなると医療態勢がひっ迫するだろうから緊急事態宣言だ、ということだろうと思います。この政権を作っている連中にはハツカネズミの脳みそ程度の頭しかないようです。

現在、重篤者数が減り、死亡者が減っているのは何故か政府も専門家会議も理解する頭が無いようです。

そんなことはグラフを一目見れば分かるはずなのですが、高齢者に対するワクチン接種が進展するにつれて重篤者も死亡者も減ってきています。

当然です。重篤化したり亡くなったりするのはこの世代が圧倒的多数だからです。

つまり、今月中に高齢者に対するワクチン接種が終わるのであれば、医療逼迫の状況にはならないのですが、これが分からない専門家たちの脳みそはハツカネズミ程度と言うとハツカネズミに失礼なのでハツカネズミ以下と言っておきましょう。

ちなみに、7月13日現在、ECMOの使用数は45台に満たない数であり、コロナ病床における人工呼吸器使用数は320程度です。

私たちが正気ではないと疑う理由

私たちが正常な判断ができていないという論拠はいくつもあります。

まず、あらゆるメディアだけでなく、感染症の専門家までが日々のPCR検査の陽性判定者を感染者」と呼び、その数が増えると大騒ぎをすることです。

感染症に関して陽性者が増えるということは本来望ましいことです。結核で毎年3000人の方が亡くなっているにもかかわらず、私たちが結核に対して自粛もせず、話題にもせず、恐れもしないのは、私たちの多くが結核菌に対して陽性だからです。ある一定以上の年齢の方であれば小学校の頃にツベルクリン反応検査を受けて、陰性だった子がBCGの接種を受け、その夏の水泳を禁止されたりした記憶があるはずです。

弊社は医学を専門としておりませんので、このPCR検査陽性判定者が増えることの何が恐ろしいのかいろいろな識者に質問するのですが、納得できるお答えを頂くことができません。

陽性判定者が増えるにつれて重篤者や死者が増えるのであれば考えなければなりませんが、元々日本の重篤者数・死者数は欧米のグラフと重ねると底辺付近にシミのように見える程度でしかないうえに、現在は重篤者がピーク時に1500人程度であったのが500人弱ですし、一日の死者も120名を超えた日もあったのが、現在は20人前後にとどまっています。

病気で問題なのは重篤化したり死んでしまったりするからなのですが、それらの数がこれだけ激減してきても陽性判定者が増えたと言って大騒ぎをしているのは正常な判断力が失われているからとしか思えません。

官製談合を平気で誘導する担当大臣

4度目の緊急事態宣言に際し、飲食店での酒類の提供の自粛を求めた西村大臣は併せて自粛に応じない飲食店との取引を自粛するように酒類販売業者に求めました。

筆者はこの大臣の発言にメディアや社会がどう反応するのかを注目していましたが、さすがに要請は撤回されました。しかし、メディアの取り上げ方は、この要請の法的権限などをめぐるものばかりでした。立憲民主党も法的根拠がないとして撤回を求めました。

しかしこの議論の馬鹿馬鹿しさに誰も気づいていないようです。

西村大臣は「要請」したのであり、法的根拠など必要ありません。法的根拠があれば命令や指示ができるはずです。それがないから「要請」だったので、その程度のことも野党は理解できていません。論点を正しく認識する能力を欠いています。

問題なのは西村大臣の発言は「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」の第2条6項及び第3条が禁止している「カルテル」に該当するおそれがあることです。根拠のない自粛要請に過ぎないものに従わないからと言って弱いものいじめをするようそそのかしているのです。

この時期、自粛要請に応じない飲食店がどのような思いと覚悟を持つのかを考えれば、そのような措置を思いつくこと自体が弱者に思いを寄せられない政治家であることが分かります。彼らは自粛警察から不当な嫌がらせを受けることも覚悟しているはずです。

ちなみに、飲食店における飲食が感染を助長しているというエビデンスはどこにもありません。保健所が追跡調査を止めてしまったのでデータが無いのです。

しかし飲食業に従事していない私たち多くの一般人は、飲食店で感染が広がっていると思っています。本当にそうなのかどうか疑わないのです。

4度目の緊急事態宣言を受けて酒類の提供ができなくなった飲食店や夏休み需要を当て込んでいた宿泊業からは不満の声が上がっていますが、東京都民へのインタビューでは、「またか。」「仕方ない。」「オリンピックで多くの外国人が東京に来るのが心配。」という声は上がるものの、全体としてはあきらめムードです。

つまり、コロナ怖いウイルスに侵された東京都民は政府と東京都が不当な弱者いじめをしている事実には何も感じることなく、根拠のない感染拡大を怖れているだけなのです。

人は法の下に平等だったはずだろう

昨年、持続化給付金が性風俗関連業者への支給が行われず裁判に持ち込まれた件について、政府は「性風俗業は基本的に不健全であり、公的資金を投入することに国民の理解を得られない。」という見解を取りました。筆者は呆れ果ててこの問題をこのコラムで取り上げる気力すら失っていました。

この見解について、さらに筆者が驚いたのは賛否が分かれたことです。高須クリニック院長は「私の税金だって使われたくない。」と投稿しましたし、多くの識者がこの政府見解を支持していました。さすがに休業補償については除外対象となっていた風俗業や接待を伴う飲食業も除外されなくなりましたが、持続化給付金については認めることはありませんでした。

この社会は、「女性は・・・」という発言をすると、その前後が切り取られて「女性蔑視発言」として大騒ぎになる社会です。そのため女性の能力を高く評価した発言をしていたオリンピック組織委員会の森前会長は辞任を迫られ、そのはずみでスポーツには何も関係がなく、ダイバーシティという言葉が「女性の積極登用」を意味すると勘違いしているとしか思えない方が女性であるというだけで理事に就任されています。

筆者は江の島のヨットハーバーに一人乗りのディンギーを置いていたため、このオリンピックに巻き込まれてしまったのですが、大学のヨット部員やジュニアクラブの子供たちがオリンピックセーラーを間近に見ることができるのであればと積極的に協力していました。しかし、彼女の組織委員会の理事就任で一切の関心を失ってしまいました。

そのような社会であるにもかかわらず、性風俗は差別を受けるのです。性風俗産業の経営者たちは多分男性が多いかと思いますが、現場で支えている人々の大半は女性でしょう。好きでやっている人ばかりではないはずです。子供を抱え、やむを得ずにその仕事をしている女性だって多数いるのではないかと思われます。それが「不健全」であるとして差別をされているのです。

日本国憲法の第14条は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別を受けない。」と明文で規定します。反社会的勢力の話ではなく、風俗産業として認可を受けている事業の従事者たちが差別を受けているのです。不健全ならなぜ認可するのでしょうか。

この話題が生じた際、このような暴挙は許されないという議論は国会では起こらず、「桜を見る会」の議論しかなされていませんでした。当コラムでは度々指摘していますが、最大野党の立憲主義を標榜する政党が憲法を知らないのです。

政党ばかりではありません。世論もこの件を問題視しませんでした。森発言の際にはあれだけ大騒ぎしたメディアが明白な憲法違反が政府によって行われているにも関わらず議論を起こさなかったのです。その議論を提起しても視聴率に繋がらないという読みがあるからでしょう。つまり私たちの社会がその問題に関心を持たなかったのです。

明白な人権侵害が公然と行われても私たちは無関心だったのです。

筆者に言わせれば、不健全なものに公金を投じないというのであれば、政党交付金などはその典型でしょう。

付言すれば、高須院長の経営する美容外科など無くてもかまわない典型的な存在です。神が造り給うたか両親から与えられたかの解釈は別として、自分が与えられた顔に不満を抱いている人のためにメスを入れるという短絡的な行為であり、本来の医療ではありません。しかもその顧客に風俗関係の女性がどれほどいるかを考えたら、どうしてそのような発言ができるのかが不思議でなりません。

そんな美容外科の医師を養成するために医学部に多額の助成金が出されていること自体が不健全です。医学部に国の予算から助成金を支出することに異論を唱えるつもりはないですが、筆者としては美容外科医師の養成のために予算を使って欲しくはありません。

民意はどこに?

街頭インタビューでは政府の措置が後手後手に回っているという声が上がります。つまり、もっと早く強力な措置をすべきだというのです。自分では何も根拠を調べない一般人が、メディアの見解を自分の見解として述べ立てています。

本当は何が起きているのかという疑問をもって、ほんのちょっとだけ調べれば、テレビが毎日喚いている「感染者数」が実は「検査陽性判定者」であり、さらに、それが増えることは社会にとって望ましいことであることが分かるはずです。

また、これもちょっと調べれば、コロナでの死亡者数1万5千人弱と言われる人数が、インフルエンザで毎年亡くなる3000人、同じく結核で亡くなる3000人、同じく交通事故で亡くなる3000人と意味がまったく異なることも分かるはずです。インフルエンザや結核、交通事故と同じ方法でこれまでのコロナ死者をカウントすれば2000人に達していないはずです。しかも1年半かかってです。

日本では毎年130万人くらいの方が亡くなります。平均すると毎日3500人くらいの方が何らかの理由で亡くなっていることになります。ところが、7月7日のコロナ死者は13人でした。亡くなった後の検査でコロナウイルスが検出された方が13人です。コロナ重症病棟で亡くなった方の数ではありません。

そんなことはテレビではまったく話題に出ませんが、ちょっと調べればすぐに分かります。

しかもテレビに出てくる感染症の専門家は「感染者の増大」という言葉を平気で使います。感染症の専門家ですら陽性判定者と感染者の区別がつかなくなっています。

つまり、私たちはテレビのまき散らす「コロナ怖いウイルス」に脳を侵され、正常な判断力を失っているのです。

何も考えないことの罪

当コラムでは度々アンナ・アーレントの「悪の陳腐さについての報告」に言及しています。ナチスのホロコーストを生み出したのは強力で極端な悪魔ではなく、ドイツ国民がすべてを無批判に受け入れたことであると彼女は看破しています。つまり、悪は主体的・能動的に行われるのではなく、無意識的・受動的になされることに本質があるというのです。

戦前、新聞は日本の満州進出を煽りました。そして満州事変に際して国際連盟を脱退することになった時に喝さいを送ったのも新聞です。そうやって世論が形成されていき、政府も軍部もその空気の中で意思決定をしていかざるを得なくなりました。そしてついには新聞は「対米開戦もやむなし」という空気を作り上げ、昭和16年12月8日朝のNHKの臨時放送に国民は躍り上がって喜んだのです。

しかしこれは新聞にとっては不都合な真実なので、彼らは軍部の弾圧によって自由な言論が出来なかったとして、解体されて反論のできない軍部に責任を押し付けてしまいました。私たちもそのような歴史教育を受けてきました。しかし、現実にはそうではなかったことがメディア研究者らによって明らかにされつつあります。

同じことが現在の日本の社会で行われています。

当時と同様、メディアが作る空気によって私たちの思考は支配されています。当時と異なり、様々なメディアがあり、特にネット上ではいろいろな情報が手に入りますが、圧倒的多数の人々はそれらを確認しようとしません。感染者と陽性判定者は全く違うんですよ、と言うたびにびっくりされるくらいです。

私たちの社会はメディアの論調を無批判に受け入れ、憲法違反の差別が行われても何も感じることなく、大臣が法律違反の発言をしても当然のこととして受け入れてしまっています。

国会において政権と議論を戦わすべき野党が憲法も科学的方法論も知らず、大学の一般教養レベルの統計学も理解していないので議論にならないという体たらくです。

正気に返れ

私たちはこの状況を座して見ていてはなりません。

この国が何度も緊急事態宣言を繰り返しても事態が改善せず、経済は痛めつけられ、私たちは楽しい旅行も親しい人たちとの会食もできない憂鬱な社会で暮らしていかなければならないのは、この事態を受け入れて黙って粛々と自粛をしている私たちの責任なのです。

テレビが何と言おうと科学的根拠に反する事実には耳を貸さず冷静に事態を眺めることさえすれば政権は空気を忖度する必要が無くなり、ポリティカルコレクトネスなどを追求しなくて済みます。

この事態を打破するのは簡単です。

私たちが正気に返ればいいだけです。