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専門コラム「指揮官の決断」

第254回 

専門家と言われる人々:学者・研究者の場合

カテゴリ:危機管理

はじめに

私たちが社会で起こっている様々な出来事や問題を考えるとき、それが自分の慣れ親しんできた分野の場合には自分なりの見解を出すことができます。

銀行や証券会社で勤務されてきた方々なら経済問題についてはそれなりのご意見をお持ちのことと思います。

筆者は専門技術商社の営業部長を勤めた経験があり、また、米国で精密部品やゴルフのシャフトを売る仕事をしていたこともありますので、それらのモノの話や流通の話なら見当がつきます。

しかし、自分が関わったことのない分野の話だったりするとどう考えていいのか分かりません。そのような時に参考にするのが、いわゆる「専門家」の意見です。

その「専門家」という人種について前回から考えています。前回は「専門ジャーナリスト」について考えましたが、今回は学者・研究者について考えます。

お詫びと訂正

その前に、一つ訂正をしておかなければなりません。

前回のコラムで関門海峡を「海上交通安全法」が適用される海域だと記載しました。この記事を書いている時にちょっとした違和感があったのですが、移動中の電車の中でPCを使っており、目的地の到着直前になったため慌ててアップし、そのまま次の仕事に入ってしまっていました。

しばらくして、次のコラムに取り掛かる際に、前回のコラムの違和感について思い出して読み返したところ、その違和感の原因が分かりました。適用される法律が海上交通安全法ではなく港則法だったことに気が付いたのです。このコラムを読んでいた海上自衛隊の先輩や同期生たちはさすがに目ざとく気が付き、しばらく読めずにいたメールを開いてみると何人もの人たちから「お前も潮気が抜けてきたな。」とか「頭の上の皿が乾いているんじゃないか?」などとのご指摘を頂いていました。

ここに謹んで訂正させて頂きます。関門海峡は海上衝突予防法が支配する海域ではないことは事実ですが、規定する法律の名称が「海上交通安全法」ではなく「港則法」でした。記載記事の内容に間違いはないのですが法律の名称の取り違えがありました。

かつて護衛隊群司令部の幕僚として勤務していた頃、2等海尉以下の若い幹部に対して行われる初級幹部検定の問題を作成したことがあります。その時、この関門海峡の通峡方法についての問題を出したところあまりに正答率が低く、群司令から講習会をやれと指示され、若手の幹部を集めて講習を行ったことがありました。その出題者及び講師自身が間違うようではさすがに焼きが回ったと反省せざるを得ないところです。

筆者の潮気が抜けつつある原因の一つに、海から離れすぎていることがあるかもしれません。一昨年の台風で愛艇のマストをへし折られ、泣く泣く廃船として以来、海に出る手段を失っています。一人乗りのディンギーを江の島に置いていたのですが、オリンピック開催の準備のため一昨年から移動させられ乗ることが出来ていません。潮気も抜けるわけです。

しかし、ここでも一つ分かることがあります。

かつては艦隊勤務をしていたこともあり、司令部幕僚として若手幹部に対して海上法規の講習をしたことがあっても、適用される法律を勘違いすることがあります。まして、前回指摘したとおり、ある分野に関する報道を専門としていても、自分でその分野の経験を積んでいないジャーナリストなどに専門家としての意見を求めるのは極めて危険だということです。この度の筆者の過ちは適用される法律名を勘違いしたものですが、前回当コラムで指摘した間違いは、適用される法律が異なることすら知らず、まして異なる法律の下では船の走り方が違うということすら知らなかったという完全に素人の過ちでした。コメントを求める相手を誤った典型例です。

学者・研究者の知見は参考になるか

さて、学者・研究者ですが、さすがにその道のプロであって、私もよくいろいろな研究者の方から参考意見を頂いたりしており、また、日常の何気ない会話の中にも学ぶべきものが多々あり、そのような方々とのお付き合いはとても有意義かつ楽しいものです。

つい最近ですが、久しぶりに経済学の勉強でもし直すかと思い、東京財団政策研究所が日本経済新聞社と共催したシンポジウム「ポスト・コロナの経済・財政」の動画を観てみました。

その中で愕然としたことがあります。

同財団の主任研究員で専門が財政学と公共経済学であるという方の講演がありました。

冒頭で分かったことはこの方は財政規律派であるということで、そのような見解を取る学者は少なくないので驚かないのですが、びっくりしたのはその主張です。

https://www.youtube.com/watch?v=dshB6-8elro&t=539s  )

コロナへの対応に追われるあまり、我々は財政規律を失ってしまったとし、緊急事態においては大規模な財政出動が求められるが、財政規律を緩めて、いい加減な使い方をして良いわけではないのだそうです。

国民への直接給付がいい加減だったということなのでしょう。筆者に言わせれば額が少なすぎると思いますが、いい加減な給付であったとは考えていません。

さらに、多くの国のインフレ率は2%前後と、財政をコントロールしているのに対して日本は0.1%と低すぎてコントロールできていないとされているのですが、これこそ財政規律主義の弊害以外の何物でもありません。

傑作なのは我が国では財政が野放図に拡大してきたという経緯があるので、コントロールするための仕組みを作る必要があるという主張です。この方は日本の政府総支出の増加率が主要先進国で20年間で最下位なのをご存じないようです。

さらに、財政は平時と非常時の二つに分けた方がいいとして、東日本大震災の時のように特別会計を組み、特別会計を組むからには償還財源をどうするかも当然考えるべきと、償還財源に財産税の導入を主張されています。

財産税というのは応能負担の原則から考えるとまともな議論ですがここは累進課税でOKで、この時期新たな税を設けるなど愚の骨頂です。

さらに消費税に言及して、消費税は経済学的に考えると望ましい性格を持っていると述べられています。経済活動を歪めない、国際競争を阻害しないなどのメリットがあるので、消費税を軸に社会保障の財源を考えるべきだという議論です。

この学者は財政学を専門としていながら、日本の財政のデータの読み方を知らないというよりも見ていないのではないかと思います。また、財政学者でありながら、税の機能を理解していません。

消費税は本来、景気が過熱してインフレが酷くなってきた時に税率をアップして景気のオバーヒートに水を差すために用いるものであり、現在の日本のようにデフレから脱却できずに苦しんでいる国で税率をアップさせることはとどめを刺すに等しい行為です。

3%から5%、5%から8%、8%から10%へのアップが行われるたびに景気が悪化していったのはデータが示す事実です。東日本大震災に際してはそれだけなく復興特別税なるも税も創設され、ただでさえ痛めつけられている経済にどんどん冷や水を浴びせかけました。これをやってのけた政権は、看板として掲げた子供手当てにより国民に手渡される補助金の消費性向とその政策自体の乗数効果の違いすら分からない人が首相を勤めたりした政権でしたから、消費税がどう機能するのかを理解できずとも不思議ではないのですが、こと財政政策に関しては政権が代わっても同じことを考えるのは、この手の学者が跋扈しているからでしょう。

つまり、専門の学者が自分の専門についての見解を述べていても当てになる場合とならない場合があるということで、よく考えてみれば学者・研究者の世界も玉石混交なのは当たり前のことです。

ただ、東京財団と日本経済新聞社の共催の講演会だというのでそれなりの話を聴くことができるはずと期待したのが裏切られてしまいました。

こうなると、何を信ずればいいのか迷うことになります。特に自分が知見をもたない分野に関して知ろうとするとき、専門家の見解をどう捉えればいいのかが問われることになります。

学者・研究者の世界も玉石混交

重要なことの一つはメディアの性格を理解することです。メディアリテラシーと言ってもいいかもしれません。

テレビや新聞が視聴率や購読者数を気にするのは仕方ありませんので、そのように理解すべきです。つまり、そこに登場する学者・研究者たちもそのメディアによって選ばれた人たちであるということを理解すべきなのです。

もう一つは「権威」を鵜呑みにしないことです。この度、筆者は東京財団研究所と日本経済新聞という名前に若干期待したのですが、一人の講演を聴いて後は推して知るべしと思って止めてしまいました。

この度のコロナ禍でもこのことは痛感されました。数々の専門家が登場し、有名になったり、その発言が話題となったりしましたが、ことごとく外れていきました。

今のニューヨークは二週間後の東京なんです、そのうち東京でも日比谷公園などに墓穴を掘らなければならなくなりますなどと述べた女性教授がいたり、この勢いでいったら来週の東京は凄いことになり、来月には目を覆うようなことになると国会で参考意見を述べた東大名誉教授など例を挙げればきりがありませんが、これらの専門家の予想はことごとく外れました。

一方で、テレビには出てこないので目立ちませんが、数理社会学の手法によりこの問題を考えている研究者たちの予想は概ね的中しています。特に京都大学の研究者グループの研究成果は事態の推移を概ね的確に予測できています。政治的なバイアスのない数字を客観的かつ科学的に評価していくと、医学の専門家でなくとも社会に生じている現象についてはかなり的確に予測できるという証かと考えます。

つまり、テレビで有名だから、という権威くらい怪しいものはないということなのでしょう。テレビ局の要請を受け入れたうえで語られているコメントなのですから。

筆者も研究者を目指したことがありますが、専門の研究者や大学で教鞭をとっている学者たちのほとんどはまじめに自分たちの専門領域に取り組んでおり、目指しているのは真理の探求です。

そういう意味では研究者と技術者は似ているかもしれません。どちらも本来は純粋に求めているものがあり、その探求のためには寝食を忘れて没頭します。しかしそこに会社の営業方針などによるバイアスが入るとデータ偽装などを行ったりすることがあります。専門の研究者がテレビ出演という餌を目の前にぶら下げられ、ましてそれが感染症などという人の命に関わる話であったりするとテレビ局の思惑通り不安を煽る意見となったりするのかもしれません。

メディアの手法

メディアの取材を受けたことのある方であればご存じですが、メディアはあらかじめ質問の回答を用意してきます。そのような回答をしない場合にはその取材が採用されることはありません。相手が学者や研究者であってもそれは同じであり、テレビに出てくる学者や研究者というのは、そのようなスクリーニングを経て出演していることを銘記して話を聴かねばなりません。

筆者自身もこれまでテレビの取材を受けたことが4回あり、また偶然ですがニュース番組に映されたことが分かっているだけで3回あります。後者は取材を受けたものではなく、番組の取材の際にその場にいてカメラが向けられているのを知らなかっただけなのですが、4回の取材については事情が異なります。

最近、弊社の図上演習指導風景が取材され5分間の番組として放映されましたが、それは事前にディレクターと番組制作の趣旨について話し合いが行われ、編集終了後のチェックを経て放映されたものでしたので当方の意図するところが表現されていました。また、地元のローカルテレビのニュースで防災についての話をするように要請されたときは、生放送でしたので局側の編集はありませんでしたし、質問はあらかじめ渡されていましたが、どう答えるかは一任されていたので出演を承諾した次第です。それ以前の2回の取材は、筆者がまだ海上自衛隊の制服を着ていた頃であり、部隊のある行動が取材対象となっていることを知っており、その部隊での報道対応が私の職務の一つでしたので、自分なりのQ&Aを作っておきました。案の定、不意打ちの形で取材が行われましたが、想定の範囲内の質問でしたので、準備した対応をしたためにその場面が放映されることはなく、代わりに取材記者の解釈によるコメントが流され、それには防衛省が抗議をしています。

テレビの報道というのはそういうものであるということを理解したうえで参考とすべきであるということです。

公理すら疑え、まして専門家の意見においてをや

第三に、当コラムで何度も申し上げてきておりますが、デカルト的懐疑心が必要です。

筆者が大学院で社会科学の方法論を学んでいるとき、ある教授から教えられたのがこのことでした。その教授からは「公理ですら疑え」と言われました。確かに天が地球の周りを回っているということが「公理」であった頃もありますから、この態度は大切かもしれません。このことから物事の本質に遡って考えるという習慣が身に付けられることになります。

社会科学であろうが自然科学であろうが、科学は疑うことから始まります。宗教がまず信じることから始まるのと正反対です。

このような態度を身に付けていると、たとえ自分に知見のない分野に関する問題であってもメディアにごまかされることなく、問題の本質に迫っていくことができるのではないかと考えています。