専門コラム「指揮官の決断」
第260回文系バカは日本を潰すのか?
私立文系ですが・・・
前内閣官房参与の高橋洋一氏はよく「文系バカ」という趣旨の発言をされます。『「文系バカ」が日本をダメにする』という著書があるくらいです。
高橋氏が言いたいのはメディアの記者たちの多くが法学部や経済学部出身で数学を理解しないので、コロナ禍などについてもいくら説明してやっても理解できないということなのでしょう。
高橋洋一氏は東京大学で数学を専攻した人なので、数学を理解しない記者たちがバカに見えるのでしょう。そう言われると私立文系出身の筆者としても忸怩たる思いがないわけではありません。
いろいろと勉強してはきたけれど・・・
筆者は大学で統計学の入門的講義を受けただけで、その他の数学教育を受けていません。理論経済学の講義を理解するために自分で勉強した程度です。その後、大学院で組織論を学んでいるときに社会学に関心を持ち、その方法論の一つとして数理社会学を細々と学んできたに過ぎません。
その後入隊した海上自衛隊では実に多くのことを学ばなければなりませんでした。
船に乗りますから航海術や航海法規はもちろんですが、手旗や発光などの各種信号法も必須です。最初の配置は機関士でしたので機関科の学校で蒸気機関について学んでいました。当然、熱力学について学ぶことになります。武器への電力の供給も機関科の仕事ですので発電機やモーターについても知らねばなりません。
最初のうちは1年ごとに違う船で違う配置に就きますので、そのたびに射撃や水中音響、暗号理論、レーダー理論などを学ばねばならず、中級幹部になる頃には対潜戦、対空戦、対水上戦などの戦術についても学びます。上級幹部になる頃までには国際法や国際関係論なども学んでおく必要があります。退官するまでずっと勉強してきたように思います。
現在のコンサルタントとしての筆者を支えているのは、それら各段階で学んできたことや経験してきたことの一つ一つだと考えています。
数学は大切ですね
しかし、ここでよく考えてみると、それらの基礎にあるのはやはり数学だったかもしれません。
ものごとの変化を見るためには「微分」が役に立ちます。また、在庫などについて考える際には「積分」が役に立ちます。
多くのデータがある場合に、それがどういう傾向を持つのか、今後はどのようになっていくのかは統計学で見当をつけることが出来ます。
国際関係論においては、戦争が起きる確率すら議論することが出来ます。
このように数学はいろいろなものを見たり考えたりするときにとても役に立ちます。
逆に言うと、まったく数学を理解しない人たちに数学を使わずにいろいろと説明しなければならないのは怖ろしく面倒です。
当コラムで陽性判定者数のピークアウトという問題を取り上げた際、実際の毎日の陽性判定者数のグラフを見ているのではなく、その増加率の変化を見ていたと述べたことがあります。
高校2年生の数学を思い出していただければ、これは微分係数のことだとすぐに分かるはずです。毎日の陽性判定者数のグラフの関数を1日単位で微分して、その微分係数が小さくなり始めたときがピークアウトなのですが、「微分」とか「積分」とか記載するとアナフィラキシーショックを受ける方々が少なくないので、回りくどい言い方をしていました。
高等数学が分からなければならないということでもない
しかし、逆に申し上げれば、当コラムで数学という場合、その程度のことを指しているに過ぎません。大学の数学科などに進学しなければ学べないような高等数学の話をしているわけではありません。筆者自身が統計学こそ大学で学びましたが、数学の基礎知識は高校の授業が最後です。
ある時期、対潜捜索理論の勉強のため、オペレーションズリサーチの基礎を学んだことがありましたが、それが危機管理のコンサルタントにとっては非常に貴重な知識となっていることは事実です。これは高校生にはちょっとハードルが高いとは思いますが、大学の一般教養で学んだ統計学は、高校生でも十分に理解できるレベルです。
しかし、そのレベルすらメディア関係者や恐ろしいことに感染症の専門家も理解していないので世の中が妙なことになってしまっています。
それがどういうことなのかが今回のコラムのテーマです。
文系バカの実態
昨年末ですが、共同通信が東大の研究チームがGoToトラベル利用者の発症者が非利用者の2倍になることを統計学的に証明したと配信し、各新聞やテレビが一斉にこれを取り上げたことがありました。このことについては共同通信の完全な誤報であることをすでに紹介しています。
この論文はエール大学が運営している健康科学に関する査読前の論文を公開するサーバーにアップされていたものです。
東大の研究チームが挙げた論文のタイトルは“Association between Participation in Government Subsidy Program for Domestic Travel and Symptoms Indicative of COVID-19 Infection”というもので、関連性の研究であって因果関係を研究したものではありません。
その主張はGoToトラベルを利用した人のほうが新型コロナ症状の人に多かったということなのですが、相関関係と因果関係は別物ですし、統計学上2倍になるということと、利用者と非利用者の比が2対1であるということも別問題です。統計学的に2倍であることを証明しようとすればこの論文の程度の検定では不十分であることは筆者達も気が付いているからこそ、causal relationではなくassociationというタイトルがついているのですが、共同通信の記者は、その程度の統計的知識もないのに「統計学的に証明された。」と言い切ったのです。ひょっとすると英語で書かれたこの論文を読めなかったのかもしれません。
メディアの科学的知識の欠如は第1回目の緊急事態宣言でも明らかでした。
覚えておられる方も多いかと存じますが、当時の安倍首相は「接触を7割、できれば8割削減して欲しい。」と国民に要請しました。翌日からテレビが狂ったように報道を始めたのは渋谷駅前の交差点や新宿駅前の人出の数であり、前日比で70%は達成したが80%にはまだ至らないとか、見当違いの報道が行われました。
人出と接触は異なることも当コラムでもすでに指摘しています。
簡単に申し上げれば、人が二人しかいない社会において、人口の50%である一人が外出をしなければ接触は100%削減されるということです。
人出の数と接触率の関係については物理の分子の衝突理論である程度の推計ができます。
この理屈は理学部や工学部の一年生なら勉強しているでしょうし、計算は理屈さえ教えてやれば中学生でもできます。
また、昨年のかなり早い時期に、PCR検査をむやみにやることは良くないことを簡単な計算で示したこともあります。これなどは小学生でも計算できる式しか使っていません。
しかしながら、それらの理屈をテレビや新聞の記者たちは理解できないようです。
テレビのワイドショーや新聞でコロナ禍を扱っているのは科学技術関連の部門ではなく、社会部などのセクションでしょうから、高橋洋一氏の指摘するように文系学部出身者が多いかもしれません。少なくとも高校の数学レベルを理解できていないことからもそう推定されます。それを高橋氏は「文系バカ」と称したのです。
それでは理系は大丈夫なのか
しかし、文系学部出身者でない人たちでもびっくりするようなことを言うことがあります。
今年の5月頃ですが、ネット上の講演会で東大先端研の児玉龍彦名誉教授や医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏がスピーチを行っているのを聴きました。お二方とも日本を代表する英知であり、児玉教授は国会にも呼ばれて参考人として意見を述べたこともあり、一方の上昌広氏はネット上でも活発な言論を展開されています。
しかし、筆者の見るところ、児玉教授の予想は当たったことがありません。彼は当初から日本はニューヨークやミラノのようになると主張し、昨年の参議院では「この勢いでいったら、東京は来週は大変なことになる。来月には目を覆うようなことになる。」と涙声で述べ、翌日の新聞には「児玉教授、魂の叫び」と見出しが付きました。しかし、まったくその予言は外れ、一か月後の累計死者数はニューヨーク州が15万人程度であったのに対し東京は300人台、日本全国でも600人台でした。
児玉教授が何を根拠に計算されたのかまったく不明です。
上昌広氏についても、どこから見ても無相関のグラフを「完全な逆相関」と発言したり、「新型コロナウイルスのpcrの陽性的中率の議論。私は風邪患者の2割程度は新型コロナウイルスだと考えています。感度7割、特異度9割で陽性的中立(原文のまま)は8割です。何が問題なのかな?」とツイートされたことがあったことは当コラムでも指摘しています。私は感染症は全く専門外ですが、陽性的中率が検査陽性のうち罹患している人の割合を示すと言われたら、この数字が変だと気付くのに3秒とかかりません。暗算でも65%程度のはずです。
65%で問題がないという医者がいたら「一歩前に出ろ」と言わねばなりません。
そのお二人がスピーチを行ったセミナーですが、ここでびっくりしたのは、5月の時点での新型コロナウイルスによる致死率を1.5%と計算されていることです。
当コラムでは感染症の専門家が致死率の計算の仕方を知らないと批判したことがあります。
彼らの計算は、コロナ死と認定された人数を分子に、PCR検査で陽性になった人数の累計を分母にして割り算をしています。
コロナ死と認定された人数は検査の結果コロナウイルスが検出されて亡くなった人と、亡くなってから検査の結果ウイルスが検出された人数がカウントされています。この人数を分子にするなら、分母は全国の陽性者でなければなりません。これは全国民を毎日PCR検査しなければなりませんから、推計することになりますが、それでも当たらずと言えども遠からない率が産出されるでしょう。
一方、検査を受けて陽性になった人数を分母とするなら、分子はその陽性判定を受けて亡くなった人数を採用しなければなりません。
筆者がラフな計算をすると0・1%を下回ります。これは例年のインフルエンザと変わらない致死率です。
この日本の英知であるはずのお二人はそんな簡単なことすら理解できていないのです。このお二人はいわゆる「文系バカ」ではありません。
このお二人ですらその程度ですから、本来はすさまじい騒ぎの渦中にいて寝る暇もないはずであるのに日常的にテレビに出演してコメントをしている専門家と称する人々などは推して知るべしです。
当コラムでは先月末には東京はすでにピークアウトしていると指摘していますが、その判断をした頃はまだ毎日の陽性判定者数は増えており、そのコラムを掲載して間もなく減少に転じました。
この頃、テレビで専門家たちがどうコメントしていたかと言うと、この減少はお盆休みで人流が減少したことを受けたものに過ぎないということでした。
このコメントは多くの矛盾を孕んでいます。
まず、お盆の頃、彼らは人流が減っていないとコメントしていたはずです。コロナ疲れで自粛する人が減ったとか、緊急事態宣言の効果が無くなってきているとかというコメントでした。にもかかわらず、8月末に減少に転じた理由が「お盆での人流の減少」なのです。
もう一つの矛盾は、彼らがこの頃コロナ感染の最大の理由に挙げていたのが家庭内感染だったことです。お盆で人流が減ったというなら、家庭内でオリンピック観戦をしていたことになるので、陽性判定者は増えるはずです。彼らの説明はすべてに矛盾しているだけでなく、陽性判定者数推移のグラフから導き出される微分係数の変化に気付いていないというミスも犯しています。
そのようなコメントをしていた人々も感染症の専門家だったり、呼吸器科の医師だったりで、いわゆる「文系バカ」ではありません。しかし、専門家としてコメントを述べるに際してエビデンスによらず思い付きのコメントを続けるので、自分のコメントが矛盾しているのにすら気が付かないようです。
理系バカは始末に負えない
さらに「理系バカ」の例を挙げましょう。
これもかつて当コラムで指摘していますが、先の東日本大震災に際し、避難途上で津波に巻き込まれた石巻市立大川小学校の児童、教員など大勢が亡くなった事故に関し、最高裁判所が石巻市及び宮城県の上告を退け、損害賠償裁判が確定しています。この裁判については、一審二審ともに学校側の過失を認定しましたが、一審の仙台地方裁判所と二審の仙台高等裁判所の判断の根拠が異なったのですが、最高裁判所は自らの判断を示さず、市と県の上告を退けたため、仙台高等裁判所の判決が確定したことになりました。
この最高裁判決を報道したNHKのニュースにおいて、その解説をした解説委員は「最高裁は自分の判断を下さずに高等裁判所の判決を継承した。できれば、自ら危機管理の指針となるような何かを示してほしかった。」と解説しました。
この解説委員は自然災害や原発事故などの解説によく出てくる解説委員ですから、多分「文系バカ」ではなく、理科系の教育をバックグランドとしている人だと思いますが、三権分立が何を意味しているのかをほとんど理解できていません。
最高裁に危機管理の指針など示せと要求するのは愚の骨頂です。
司法の役割は個別具体的な事件に法を適用して終局的に裁定することであり、行政が行う様々な作用に関しての一般的な指針を示すというのは司法権の逸脱です。
一般的抽象的な法規範を定立し、行政を指導するための理念などを確立するのは立法府の役割です。
それゆえ、司法は行政の専門性を尊重し、個別具体的な事案について根拠となる法を適用して判断するに留まるのです。
危機管理の専門家でもない最高裁判所に一般的な指針などを示す能力があるはずもなく、もし最高裁がそれを示して最終的な司法判断だなどといい始めたら大変なことになることをこの解説委員は理解していないのでしょう。一般教養ですら憲法論を学ばなかったとみえます。
つまり「理系」にもバカはいます。
「文系バカ」は数式を前にして黙るだけなのでいいのですが、「理系バカ」は平気でコメントをするのでかえって始末に負えません。それでも自分の専門分野でまともなコメントをするならいいのですが、この1年半を見ていると、少なくとも感染症に関しては出鱈目な専門家がやたらに目につきます。おそらく感染症のまともな専門家が迷惑しているものと拝察しているところです。