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専門コラム「指揮官の決断」

第283回 

ちゃんと説明してくださいね

カテゴリ:危機管理

現実になった軍事的侵略

ロシアによるウクライナ侵攻が2月24日に始まりました。

当コラムは執筆者が自衛隊出身ではありますがコラム自体は危機管理の専門コラムですので、国際関係論上の問題や軍事的な内容に踏み込むことは避けながらこの問題を注視してまいります。

侵攻開始から1週間たってもキエフが陥落しないという情勢は、ウクライナが予想以上に善戦しているのかロシア側の士気や準備に問題があるのか分かりません。CNNが放映した映像で、ロシア軍兵士の遺体が転がっているシーンがありましたが、勝っている軍隊なら戦友の遺体を放置することはありません。ただ、このシーンだけで全体の情勢を推し量ることは危険ですので、もう少し状況を見極めていきたいと思っています。しかし、この事態を看過すると中国による台湾侵攻を許容することにもなりかねませんので、国際社会が一致してこの事態に対応してくれることを願うばかりです。

いずれ、危機管理の問題としてこの戦争を分析する時が来るとは思っていますが、現時点では情報があまりにも少なく、軽々に議論できませんので、今回は戦闘そのものには触れません。

一方で国連安全保障理事会において拒否権を持つ常任理事国による国際法違反の武力侵略が行われるという事態において、国連の存在意義が問われることになるでしょうし、日本国内では憲法改正の議論に弾みがつくことになることが予想されます。

機会に乗じた改憲論は危険

当コラムでは憲法改正については慎重な態度を取っています。特に第9条の改正には反対の立場を取っています。改正するとすれば前文だとの解釈です。

当コラムが第9条の改正に反対である理由についてはかつて掲載したことがありますので、そちらをお読みいただければ結構なのですが、これをまとめると、第9条は自衛のための軍隊を保持することを禁じていないからです。

第9条は次のとおり規定しています。

 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第9条が陸海空軍その他の戦力を保持しないし、交戦権も認めないとしているのは第1項の目的を達するためだと明記されています。

第1項は国際紛争を解決する手段としての国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を放棄すると規定しており、第2項はそのための戦力の不保持と交戦権の否認を規定したものです。

現在ロシアがウクライナに対して行っているのが、この第1項で禁止している武力の行使ですが、それではウクライナが必死に抵抗しているのがこの国権の発動たる戦争や武力の行使に該当するのでしょうか。

日本国憲法には国家の自衛権に関する条項はありません。自衛権は自然ですので憲法や法律でその存在について規定する必要がないのです。

ウクライナが行使しているのはこの国家の自衛権であり、交際紛争を解決するための武力の行使ではなく、自衛権の行使に伴う武器の使用を行っているというのが実態です。

論点は何か

武力の行使と武器の使用はまったく別の概念です。

武器を使わずとも武力の行使は可能ですし、武器を使っても武力の行使に該当しない場合もあります。

中国が尖閣諸島に大艦隊を送り、近付く海上保安庁巡視船の前に立ちはだかったら、それは武力の行使を見做されるでしょうし、海上保安庁の巡視船が北朝鮮の不審船から銃撃を受けて応戦して撃沈したのは武力の行使ではなく武器の使用にすぎません。

また能登半島沖不審船事案では北朝鮮の不審船に対し海上自衛隊の護衛艦からの艦砲射撃や哨戒機からの対潜爆弾の投下などを行いましたが、これも武力の行使ではなく不審船拿捕のための武器の使用でした。艦砲射撃も爆弾投下も威嚇目的でしたので、命中させないように指揮装置に疑似目標を与えるオフセット射撃やオフセット爆撃を行いましたが、憲法が禁ずる武力による威嚇にはあたりません。

つまり、憲法9条は自衛のための武器の使用を禁止しているものではありません。

安倍元首相は様々な任務に赴く自衛隊員たちに対して「君たちは違憲かもしれないが頑張ってきてくれ。」とはとても言えないと改憲理由を述べていましたが、この程度のことが理由であれば愚劣極まり、憲法の尊厳を冒すものと言わざるを得ません。

隊員たちはどの公務員よりも強力な「服務の宣誓」をしています。この服務の宣誓は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」と結ばれています。政治家に激励などされなくともやるべきことはやってくることくらいは当たり前だと思っていますし、自分たちには振り返っても誰もおらず、自分たちが最後の砦であることも承知しています。

政治家が自分たちが激励してやることが何らかの意味があると思っているとしたら、それは彼らの驕りであり、正直なところ、そんなものはどうでもいいと思っている隊員が大半でしょう。出発に先立つ式典で、政治家の激励のスピーチなどまともに聞いている隊員はあまりいないでしょう。少なくとも筆者は「早く終わってくれないかな。」としか思っていませんでした。彼らにとって大切なのは、家族や地域の人々の応援なのです。

ここで不用意に第9条を改正するとすれば、これまでは違憲の存在だったと認識されるおそれがあります。自衛隊創設以来60年以上になりますが、昭和の時代に「憲法違反、税金泥棒」と言われながらも必死に鍛え、制度を作ってきて現在のような精強な部隊を作り上げてきた先人たちの苦労を思うとき、彼らを違憲集団としてしまいかねない改正などには賛成できません。

むしろ改正すべきと考えているのは憲法前文です。

前文は「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と述べています。どこに信頼できる平和を愛する諸国民の公正と正義があるのかが問題だと考えています。

説明責任を果たすべき

ここで問題とすべきは、政治家や多くの著名人で自衛隊違憲の立場を取っていた人々がこの度のロシアの侵略行為をどう解釈するのかということです。

日本共産党は自衛隊違憲を主張していますが、かならずしも非武装中立を標榜しているわけではなく、現憲法下で違憲だとしているだけですが、社会民主党などは依然として非武装中立論を掲げています。福島党首は民主党内閣の閣僚として自民党の佐藤正久議員に「自衛隊は合憲ですか?」と問われて答弁を拒否し問題化したことがありました。その後内閣の一員として内閣の方針に従う、自衛隊は違憲ではないと述べましたが、社民党自体は違憲の主張を変えていません。

非武装中立論を掲げる識者の多くがエマニュエル・カントの『永遠平和のために』で常備軍の廃止が謳われていることを挙げていますが、多分、その人たちは実際にカントの著作を読まず、カントが常備軍の廃止を唱えたことだけを聞き知っているだけのようです。なぜなら、カントはこの著作の中で明文で、国民が防衛のために軍隊を組織して訓練するのは当然の権利であると述べてもいるからです。

カントの時代の常備軍は国民の志願者ではなく傭兵を中核として成り立っていました。カントはそれらを止めようと述べたのです。

最近は原典を読まない学者も珍しくないですから、この程度の認識の識者も多いのかとは思いますが、その影響力が世論の構成に与える影響は無視できません。

立憲民主党は自衛隊違憲の立場をとっていた政治家が多数所属していますが、さすがに一度民主党政権を作った経験があるため、非武装中立というような浮世離れした議論はできず、自衛隊違憲論を主張すると選挙で勝てないことにも気づいていますから、個別的自衛権の範囲で合憲という立場を取っています。しかし、本来は違憲論であることは明らかで、安全保障関連法制の整備の際にはこれを「戦争法」と呼んで、自衛隊の行動を骨抜きにしようとしていました。

自衛隊を取りまく様々な制約はまともに考えると滑稽なほどで、極端な話が、戦車が戦場に急行する際に、交通信号に従わなければなりません。戦車には緊急車両の灯火もサイレンもありませんからね。高速道路では災害派遣の垂れ幕を掲げていないと料金を請求される可能性があります。

『シン・ゴジラ』は笑えない

映画『シン・ゴジラ』では、現場の陸上自衛隊からゴジラに対して発砲していいかどうかの問い合わせがありますが、政権では法的根拠をどうするかで問題が起こります。外国からの侵略ではないので防衛出動になるかならないか、ならないとした場合、動物保護のための法令違反にならないかなどが議論されます。

これは笑えない話です。阪神淡路大震災の際に、陸上自衛隊中部方面総監であった松島陸将はのちのインタビューで「もっと早く災害派遣の要請があれば多くの命を救うことができたはず。」と涙を流しました。腹を括れない官僚のような指揮官であればそう考えても不思議はありません。海上自衛隊の指揮官ならさっさと訓練命令を出して現場に出ていきます。災害派遣の訓練や情報の収集を行うのに、実際に災害が起きているところに行くよりもいい教材はないからです。現場に行って、現実に目の前で被害が起きていれば、その救助に当たることは当然にできます。

自衛隊を違憲であるとし、非武装中立論を唱えていた人々にこの度のロシアによるウクライナ侵略がどういうことなのかをしっかりと説明していただきたいと思います。

オリンピックも例外ではない

それだけではありません。

東京オリンピック開催に反対した人々にも、東京オリンピックは本当に開催しなかった方が良かったのかどうかを説明していただきたいと思います。

この人たちは、あたかも自分はそんなことは言わなかったような顔をしています。その証拠に多くの識者たちのツイッターやFacebookにおける開催反対の主張はすでに削除されています。

日本は言論の自由が保障されている国です。この権利は非常に重要です。

重要な権利は国民は何があっても守っていかなければなりません。権利は黙っていれば保障されるものではなく、おそろしい努力を払って確保していかなければなりません。

この言論の自由が、将来的にも保護され続ける権利であるために、私たちはこの権利の尊厳を冒してはなりません。

たとえば、ネット上で匿名で他人を誹謗中傷するような行為はこの権利の尊厳を冒すものです。

当コラムでは政治家や学者などを名前を明示して批判することがありますが、このコラムは匿名で執筆しているわけではありません。反論ならいつでも受けて立つつもりでいます。

それは自分の言論に対して責任を負うという覚悟を持っているからです。言論の自由を守るためにはその程度の覚悟は必要だと考えています。

オリンピックに反対した識者・著名人の多くにもそれなりの責任を感じて頂きたいと思っています。

よく政治家や企業の説明責任を問う議論が出されます。国会での議論を見ていると説明責任を追及している側で何かが起きた場合の説明責任は果たされないことが多いようですが、それはさておき、自分の言論について、少なくとも何らかの影響力を持つことを自覚しているのであれば、説明責任を負っていただきたいと思います。