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専門コラム「指揮官の決断」

第286回 

危機管理論が真価を問われるとき  その2

カテゴリ:危機管理

危機管理論の使命は・・・

当コラムは危機管理の専門コラムとして軸足を組織論・意思決定論において議論を展開しています。そして、これまでリスクマネジメントとクライシスマネジメント(危機管理)は別物と数限りない回数をかけて主張してきました。

このコラムを長い間お読みいただいている方々は「また始まった。」と思われるかと存じますが、そもそも危機管理論とは現在の世界情勢のような状況をいかに回避するかという議論から始まっています。

第2次大戦が終わったのち、世界は平和になったと思う間もなく東西冷戦が始まりました。これが冷戦ではなくホットな戦争になったとき、核兵器が使用されるかもしれず、それは世界の終末を意味するかもしれないということから、そのような事態を何としても避けようとして議論が始まったのが危機管理論です。

以後70年を経て、世界は危機管理論が想定し何とかして回避しようとしてきた事態に直面しています。ロシアの武力侵攻に伴う核による恫喝は世界が歴史上初めて経験する事態です。

米国の失敗

危機管理論の観点から述べると、この度のロシアのウクライナ侵攻をプーチンが決断したのは、バイデン米国大統領のコミットメントがあったからです。

ロシアがウクライナ国境付近に大兵力を終結させていた昨年末、バイデン大統領は「ロシアが実際に侵攻すれば深刻な結果を招くことになる。」と警告した一方、ロシアが侵攻した場合に米軍をウクライナに派遣することは「検討していない」と述べています。

その後も、米国民向けのメッセージにおいても米国の兵士が戦地に行くことはないと何度も述べています。

バイデン大統領については大統領としての資質に疑問が投げかけられていますが、このコミットメントほどその外交能力を疑わせるものはないでしょう。

これはプーチンに「米国は何もしないから、どうぞ。」と言ったも同然です。

国連の論理の破綻

この度、国連はまったく機能しませんでした。

もともと安全保障理事会常任理事国の五か国が核保有国としての地位を持ち、その他の国々に核の保有を認めないという論理は、第2次大戦において枢軸国に勝利した連合国(United Nations)が、勝ったものの特権として押し付けた論理であり、それを正当化するために現核保有国は核兵器を使用することはないし、核による恫喝も行わないという信頼があったはずです。

しかしこの度、ロシアは国連憲章違反の武力侵攻を行い、さらに核による恫喝を行っています。常任理事国である五か国にのみ認められた核保有の論理に、非核保有国が従わなければならない理屈が無くなりました。

安全保障理事会において拒否権を持つ5大国の一つが平然と国連憲章違反の武力侵略を行い、核を背景にした恫喝を行っている以上、国連を中心とする国際秩序に従うことの危険性から自国を守ることも正当化されてしまうでしょう。

つまり、世界は国連を中心とする集団安全保障態勢には期待できず、自分の国は自分で守らなければならず、したがって、北朝鮮の核保有を認めなければならない状況に追いやられたのです。

日本国憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と述べています。そして憲法第9条によって、我が国は平和を守られているはずでした。

筆者は第9条の改正を前提とする憲法改正には反対ですが、この戯けた前文は直ちに修正する必要があると考えています。国の独立と平和は国民が血を流して守る必要があるのです。

プーチンは核の使用をためらわないかもしれない

残念ながらプーチンは核兵器の使用をためらわないかもしれません。

プーチンの目的であるキエフ攻略のために、ロシアは間もなく一刻も早くキエフ市内に入り市街戦を始めなければなりません。

市街戦を行うためには近接航空支援という航空戦が必要になります。これは上空から観測して地上戦を支援するものですが、この役割はヘリコプターと精密爆撃能力を持つ支援戦闘機が担います。しかし、速度の遅いヘリコプターや重装備して小回りが効かなくなっている支援戦闘機は米国がウクライナに大量に供給している携行の対空ミサイルであるスティンガーの格好の目標となります。

ロシアの継戦能力はすでに限界に近付いているかもしれず、また軍隊の士気の維持のためにもこれ以上時間をかけることができないはずです。SWIFTからの除外の影響がボディブローのように効いてくるでしょう。

プーチン大統領は目的を達成しない限りウクライナから撤退することはできないので、一挙に問題を解決しなければならないという問題に直面しているはずです。

彼が正常な判断力を失ってしまうと、核兵器の使用を命じる可能性がないとは言えないでしょう。

しかし軍は動かないかもしれない

これは筆者の希望的観測ですが、たとえロシア大統領が正気を失って核兵器の使用を軍に命じても軍が動かないかもしれません。

筆者は1996年に海上自衛隊が初めて護衛艦をロシアに派遣した際、派遣部隊の司令部幕僚としてウラジオストクに入港したことがあります。

多くのロシア海軍士官と会いましたし、酒を酌み交わしたこともあります。

この行動中においては、ロシア軍人と個人的に付き合うことは禁じられていましたが、ある海軍少佐の自宅に招待されたため、指揮官であった護衛隊群司令と相談して、その招待に応じて自宅を訪問してきたことがあります。ロシア海軍士官の生活や意識などを探るためでした。

そのほかにも滞在中何人かの士官と話をする機会もありましたが、どの士官も一応に誇りが高く、知性があり、敬意を持って付き合うことのできる連中でした。英語を理解する士官はそれほど多くはありませんでしたが、文学や音楽、歴史に関する造詣は深いようでした。

最後の夜に海上自衛隊主催の艦上レセプションにやってきた彼らと別れる際、「次に会う時は洋上で敵同士かもしれないが、正々堂々と戦おうぜ。」と声をかけると、ニッコリしてウィンクをしていく者、「オゥ、望むところだ。」と握手を求めてくる者、「そんなことにならないで、横須賀で一緒に飲めたらいいね。」と言ってくる者など様々でしたが、そのような会話を交わすことのできる連中でした。

当時ロシア海軍太平洋艦隊司令官であったクロエドフ大将は、その後ロシア海軍総司令官となりましたが、こういう指揮官の下でなら喜んで命を投げ出して戦いたいと外国人である筆者にさえ思わせる人物でした。

そのような士官が揃っている軍隊が、正気を失った指導者の核兵器による攻撃命令などに従うとは考えにくいというのが本音です。

誇り高い軍人である彼らは、ロシアが核を最初に使った場合、その汚名を終生背負って生きていくということに耐えられないはずです。

筆者の知るロシアの軍人はまともな教育を受けた名誉を重んずる軍人たちであり、終末のシナリオが現実に描かれようとするとき、彼らの良心に最後の望みをかけたいと思います。

ロシアに勝機はあるか

筆者は軍事専門家ではありませんが、元自衛官という立場から申し上げると、軍事的合理性の観点からはロシア軍には勝ち目はないだろうと思っています。

首都攻略という目的に対して投入された兵力が少なすぎるのです。チェチェンやジョージアとは事情が違います。筆者の学んできた軍事的な感覚からすると、少なくとも3倍の兵力が必要なはずで、それは現在のロシアが動員できる兵力を上回っています。

ロシアが当初一挙に踏み込んだにも関わらず、3週間たってもキエフを攻略できていないのは、ウクライナ包囲のためにロシア軍が態勢を整えているという見方をしている人もいるようですが、筆者に言わせればウクライナの戦略でしょう。機動力のある部隊を迎え撃つ際、奥まで引き込んで、戦線が伸び切ったところで各個撃破を図るのは常套手段です。勢いよく突っ込んでくる敵は、当然のことながら補給が追いついてきていません。適当に消耗を強いておいて、補給が不足してくる頃に逆襲に出るというのは教科書通りの守り方です。

開戦以来1か月近くたってまだウクライナが抵抗を弱めていない現状を見ると、ロシアの勝ち目はますます小さくなっていると考えます。

ロシアがいまだにキエフの制空権どころか航空優勢も怪しいという状況では首都侵攻が大幅に遅れてしまいます。市街戦には近接航空支援が絶対に必要ですが、それを得られないのはウクライナの防空システムがまだ機能しているからです。

ウクライナ空軍はほとんど消滅してしまったようですが、様子を見ていると携行対空ミサイルが機能しているようです。これは米国からロシア空軍の動きが伝えられているのでしょう。

また、ドローンの映像がよく流されてきますが、逆にウクライナ軍はこのドローンを効果的に用いてロシア兵の動静を把握してゲリラ戦を挑んでいるようです。ロシア側の将官に5人の戦死者が出たと伝えられていますが、これは偶然ではなくウクライナのドローンと組み合わせた情報によってスナイパーが密かに忍び寄って撃ったか、近くへ進出した小部隊の迫撃砲の戦果でしょう。

一方で、ロシア側は通信が貧弱で苦戦しているようです。通信系統がうまく機能しないと陸と空の連携が取れません。友軍相撃が起こり、近接航空支援に入ったら地上の見方から撃たれるという事態になりかねないのです。

何よりもウクライナの指導者のリーダーシップが強力です。ウクライナ側の士気の喪失という報道を聞くことがありません。彼らには自分の命に代えても守りたいものがあるのです。

日本のメディアにおいては、一般市民の犠牲者を増やさないようにウクライナは早々に降伏すべきという主張をする者もいますが、彼らは降伏したら戦争が終わって平和になるとでも思っているのでしょうか。

能天気なのにもほどがあります。降伏したとたんに始まるのは虐殺です。これはすでに始まっています。それを知っているウクライナが屈するはずはありません。

祖国防衛のため、強大な陸軍国ロシアの前に立ちはだかり、恫喝に屈することなく戦い続けているゼレンスキー大統領とウクライナ国民の勇気に敬意を表するとともに、その武運を祈っています。