TEL:03-6869-4425

東京都港区虎ノ門1-1-21 新虎ノ門実業会館5F

専門コラム「指揮官の決断」

第302回 

痛恨の極み?

カテゴリ:危機管理

ピンとこない会見

安倍晋三元首相が狙撃されて亡くなるという衝撃的なニュースが世界を駆け巡りました。当日の要人警護を担当していた奈良県警の鬼塚本部長は事件の翌日に記者会見に応じ、警護上の問題があったことは否定できないとして、痛恨の極みであると述べました。

この本部長は他省庁からの出向ではなく、警察官僚出身の本部長であり、しかも刑事や組織暴力などではなく、警備・警護を専門にしてきた官僚のようです。

筆者は、この本部長の「痛恨の極み」という発言に大きな違和感を抱いています。

この言葉が意味するところは、「非常に残念だ」ということと、「大変に悔やまれる」ということになります。

県警本部長ですから、「非常に残念だ」という意味ではないでしょう。そんな第三者的な感想を述べている場合ではないからです。

それでは「大変悔やまれる」ということであるはずなのですが、それでは「何が悔やまれる」と言っているのかがよく分からないのです。

警護の現場とは

警護の任務を経験したものなら誰でも気が付くことなのですが、元首相が襲われた時のビデオを観るかぎり、奈良県警は要人警護の訓練は十分に行っていないようです。

筆者は首相の警護を経験したことがあります。

2009年3月、海上自衛隊はアデン湾ソマリア沖の海賊から航路を守るために「海上における警備行動」を発動し、護衛艦2隻を広島県呉から出航させました。

筆者はその当時、呉地方総監指揮下の呉造修補給所長という配置にあり、呉を母港とする護衛艦や潜水艦の整備や補給などの責任者として勤務していましたので、ソマリア沖に向けて出港する2隻の護衛艦の整備に前年の年末から取り組んでいました。

同時に、出航の見送り行事が海上自衛隊の呉基地で行われることから、同岸壁地区の自隊警備責任者として警備計画の立案と訓練を行っていました。

出発が迫ってきた頃、麻生首相(当時)が見送りに来るということになり、広島県警や海上保安部なども警備を行うことになりました。

それら警察機関との連携が必要になってきましたが、そちらは総監部がやってくれました。

警察が行うのは基地の外周の警備であり、海上保安庁は呉港周辺の海上の警備を担当するのですが、実際に行事が行われる岸壁地区は海上自衛隊の責任であり、その警備指揮官が筆者でした。連携を総監部が担当してくれていたので、筆者は正門から岸壁に至る構内の道路の警備に専念することが出来ました。

筆者は、第一線の戦闘部隊ではない後方担当の造修補給所員を率いて、警備計画を作り、訓練を始めました。

基本的には戦闘部隊ではなかったのですが、筆者には自隊警備に関しては自信がありました。

筆者の指揮する造修補給所の隷下部隊に吉浦貯油所という部隊があり、10万キロ弱の燃料を保管する燃料タンクを持っていました。この膨大な量の燃料タンクをテロリストやゲリラ攻撃から守るために、監視カメラなどのシステムを使用していたのはもちろんですが、20頭近い警備犬も飼育しており、その警備科長はレンジャー資格を持った陸上自衛隊の1等陸尉が勤めていました。その燃料施設は海上自衛隊が自隊で保有する燃料の概ね半分を保管するとともに、近隣の陸上自衛隊や航空自衛隊のための燃料も保管していたので、以前から陸・海・空の統合部隊だったのです。

この警備科長を中心に施設を防護する計画を立てて訓練を行っており、毎年、自隊警備では同じ広島県に所在する陸上自衛隊の部隊の協力を得て、陸自レンジャーの襲撃から守る訓練を続けていました。

筆者はその警備科長を呼んで警備計画を作り、警備犬を主とする警備訓練を始めました。

様々な状況を想定して、その場の対応訓練を念入りに行いました。防衛出動待機も治安出動待機も令されていない状況でしたので、実弾を装てんした武器の携行は考えず、襲撃者への攻撃は警備犬に行わせ、首相以下の要人を如何に安全に退避させるかを中心に訓練を進めていました。

基地の正門から岸壁まで、施設の2階や屋上にカメラを設置して高い所から監視をし、周辺の山や建物からの狙撃者を監視し、どこで襲撃されたらどの建物のどこに首相を避難させるか、その時のインカムでの通信要領をどうするかなどを検討し、警備犬には銃声や爆発音に慣れさせる訓練を行い、当日は時限爆弾などが仕掛けられていないかを夜明けから確認する作業を行うなど、総監に報告したら「そこまでやるか?」と言われた準備をしていました。

そのような経験を持つ筆者が、安倍元首相狙撃の現場のビデオを観るといろいろなことに気付きます。

素人集団だね

テレビなどでも一様に指摘されているのは、犯人が後方から5メートルくらいまで一人で近付いてきているのに誰にも制止されていないことです。

歩道でもない自動車が走る公道を一人だけ手製の銃を持って歩いて近寄り、2発も撃っているのに誰も反撃もしないどころか見てもいないようです。

警護対象の要人の側近で警護に当たるのはSPであり、地元警察ではありませんから、背後から5メートル近くまで接近した襲撃者から警護対象者を守るのはSPの責任です。初弾発砲から次弾発砲までは3秒弱の間隔がありますが、この間、SPは動いていません。

本来なら、警護対象者を押し倒してでも姿勢を低くさせ、覆いかぶさって守らなければならないはずです。

ここまではテレビでも指摘されています。

筆者がこの奈良県警の警察官たちが警護の基本がまったくできていないと考えるのは、犯人を易々と接近させ、2発も撃たせことだけではありません。

その後の処置がまったくの素人だからです。

狙撃犯を取り押さえている場面で、数人の私服警察官が取り押さえていますが、その現場にいる他の警察官の誰もすぐに拳銃を抜くことのできる姿勢をとっていません。

今回の犯人は単独犯だったようですが、もしこれが組織的に行われていた場合、グループの他の犯人が別の狙撃を行う可能性もあり、また、口封じのために警察官に取り押さえられた犯人を狙撃することへの対応もしなければなりません。

そのような事態への対応を取っているようには全く見えません。

倒れた元首相を運ぼうとしている時も同様です。組織的犯行であればとどめを刺すための狙撃も警戒しなければなりませんが、誰もそのような対応を取っていません。このコラムの冒頭の写真を見て頂ければ分かります。右端に映っているのが倒れた元首相を歩道に移そうとしている私服の警察官たちですが、周りには誰も付いていません。

もっと酷いのは周辺で警備に当たっていた制服の警察官たちです。犯人が取り押さえられている様子を遠くから、ただの傍観者になり切って眺めている警察官がビデオに映っています。犯人が単独なのかグループなのか分からない時点では、まずそちらの対応をすべきなのですが、単に見物人に成り下がっています。

彼は自分が何者であるのかを全く理解していません。

悔やむべきは・・・

これらの行動を見ていると、彼らが何の訓練も受けてこなかったことが分かります。

組織がどの程度の訓練をしてきているか、どのように準備をしてきたのかは、ある程度の経験を積んでくると、多くを語られなくとも分かるようになります。

県警本部長の会見では、警護計画が本部長に報告されたのは当日の午前中だったそうです。その計画は前日に作られたということです。前日に策定された計画が当日の午前中に報告されているのですが、犯行が行われたのも午前中です。

今回もそうですが、選挙などの場合には予定が頻繁に変更となり、この日も当初は長野へ行く予定だったのが前日夕方に奈良に行くことが決まり、奈良県警がそれを受けて警護計画を立案したものです。このような場合には標準的な手続きがあらかじめ策定されており、その標準的な手続きを当日の情勢や現場の状況に合わせて修正して計画が立案されます。

したがって、その基本計画に基づく訓練などもあらかじめ行われていなければならないのですが、通常の手続きに、そのようなテロ対策が考慮されていなかったようです。ビデオで観る限り、とても警護の訓練を受けた警察組織とは思えません。

街でよく見かける民間の警備会社の警備員の方がより強いオーラを発しています。

逆襲に備えるとか、第2次攻撃に備えるなどというのは基本中の基本であり、その着意がないというのは「ド素人」と呼ばれてもやむを得ないでしょう。

奈良県警はその程度の警察組織であり、県警本部長が「悔やむ」べきは、何も考えず、何の訓練もしてこなかったことです。

抜本的見直し?

事件を受けて二之湯国家公安委員長は臨時の国家公安委員会を招集し、警察庁に検証チームを置き、要人警護の在り方を抜本的に見直すことにしました。

いかにも政治家が考えそうなことです。

しかしながら、これは問題を複雑化する以外の効果はもたらさないはずです。基本を守ることのできない組織が相手なのです。新たなやり方などを徹底することは困難でしょう。

検討しなければならないのは、なぜ基本が遵守されなかったかだけなのです。

しかし、危機意識のない堕落した組織に、当たり前の基本の遵守をさせるのには、抜本的な改革が必要であることは間違いありません。

それは要人警護の在り方の抜本的見直しではなく、危機管理組織としての抜本的見直しであり、要人警備の計画を見直して済むような生半可なものではありません。

それは組織風土を入れ替えることを要求するものであり、組織論や管理論の観点から申し上げるとすれば、凄まじい困難を乗り越えなければなりません。

白いペンキで満たされた缶の中に一滴でもスポイトで黒ペンキを混ぜたら、いくら白ペンキを継ぎ足しても、二度と真っ白に戻ることはありません。全部捨てて、缶を洗浄するくらいのことをしなければならないのが組織風土です。

国家公安委員長がその程度のことを理解していればいいのですが。