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専門コラム「指揮官の決断」

第304回 

イージスの統計手法

カテゴリ:

イージスの方法論

弊社(株)イージスクライシスマネジメントは危機管理を専門とするコンサルティングファームですが、軸足は組織論、特に意思決定論においています。

そして、世の中の様々な出来事の本質を見極めるためには数理社会学の手法を用いています。

この場合、オペレーションズ・リサーチや相関分析や回帰分析などをメインとした多変量解析を試みることはありますが、データ処理を専門としているものでもないので、比較的多用するのはベイズ統計の手法かもしれません。

このベイズ統計学についてはかつて当コラムで触れたことがありますが、伝統的統計学を学ばれた諸先輩方から、それはどういうことなのかというご質問をいくつかいただいていますので、ちょっと説明をしておきたいと思います。

まず、筆者がこの統計手法をいつ、どのように学んだのかということですが、確かに大学で学んだ覚えはなく、大学院の研究室でもこの統計学の議論をした記憶はありません。

その後は海上自衛隊に入隊して、幹部候補生学校を皮切りに、船での配置が変わるたびにエンジンや通信、射撃などを学ぶための術科学校などでいろいろな勉強をしましたが、統計学の教育を受けたことはありません。砲術士として射撃理論を学んでいた時に「公算学」という教育を受けましたが、これは単なる確率論でした。軍隊では確率を公算と呼ぶのだそうです。

任官して10年ほど経った頃に入学した幹部学校指揮幕僚課程の学生の頃、それまでの怒涛のような忙しさだった部隊勤務から解放されて、思う存分本を読むことのできる環境を与えられたので、その際に様々な学び直しをした際に数理社会学を勉強し、そこで出会ったのがベイズ統計でした。

この幹部学校学生という身分は、海上自衛隊において最高の配置で、部隊で10年ほど若手幹部として思い切り揉まれてきたのが、1年間にわたって給料を貰いながら勉強だけすればよいという結構な身分なのです。旧軍の海軍大学校に相当する学校です。

1等海尉の4年目くらいに受験資格ができ、選抜試験に合格しなければなりませんが、入校時は1等海尉か3等海佐ですが、卒業時は皆3等海佐になっています。卒業後は海上幕僚監部のスタッフになるか部隊司令部の幕僚として勤務するのが普通で、この課程を通過していないと2等海佐への昇任がかなり遅くなります。指揮官と上級司令部や海上幕僚監部の幕僚を養成する課程ですが、2等海佐という階級は指揮官か幕僚の配置がほとんどですので、この課程を出ていないと、それらの配置に就けず、結果的に昇任が遅くなってしまいます。

筆者は受験資格ができた年の試験の直前に米国に連絡官として赴任し、東海岸に2年間駐在していたので他の幹部よりも2年遅れて受験しました。そのため入校時には3等海佐でした。

余談ですが、遅れて受験して3佐になってから入学したことで得をしたことがいくつかあります。同じクラスなのですが、軍隊の学校ですから、階級に差があると扱いが変わるのです。学校のクラスには面倒な係がたくさんあります。それらは先任順に若い方から就いていきますので、私のところにはまず回ってこないのです。研修旅行に行っても、ホテルの部屋は階級順にいい部屋に入っていきますから、筆者がシングルの部屋なのに1等海尉のクラスメイトはツインの部屋に入れられたりということがおきます。

連絡官として受験資格が出来ても受験できない期間が2年間あったということが幸いしていました。

この課程は、入学が決まるとマハンの『海上権力史論』とウラウゼヴィッツの『戦争論』を読んでから着校するようにという指示が来ます。これでも分かる通り、それまで幹部候補生学校では気力体力の錬成、各種術科学校では艦隊勤務に必要な各種技能の教育を受けてきたのが、この幹部学校指揮幕僚課程ではかなりアカデミックな勉強をすることになります。

その教育も、幹部学校教官が担当する海上作戦や国際法などの教務を除いては、いろいろな大学の教授などをお招きして講義をして頂くものが大半になります。つまり、給料を貰いながら大学もしくは大学院レベルの勉強ができるということなのです。

しかも、朝から夕方までぎっしりと講義が組まれているということでもなく、各自に課された課題論文を書くための時間も組み込まれており、自宅研修の時間がかなり潤沢にありました。これが部隊で10年近く揉まれてきた若手幹部にとってはリフレッシュのための重要な時間になります。

筆者もこの期間を利用して、それまで読もうと思って読めずにいた本を読んだり、手をこまねいていた分野の勉強を始めたりしていたので、統計学もこの期間に学び直していました。

ベイズ統計とは

さて、ベイズ統計学とはどういう統計学なのかということですが、筆者は統計学を専門としているものではないので、詳しい解説をするつもりはありません。ただ、従来の統計学とどう違うのか、何故弊社でこの手法を用いることが多いのかについてだけ、簡単に触れていきたいと思います。興味のある方は、いい参考書がたくさん出版されているようですので、それらで学ばれることをお勧めします。

ベイズ統計学の基礎は、高校の数学で学ぶ「条件付き確率」です。

批判を怖れず、かなり大雑把にベイズ統計学の特徴を申し上げると、従来の統計学がかなり大量のデータを集めないと信頼性の高い分析が出来なかったのに対し、ベイズ統計ではデータが少なくても、ある事象が生ずる確率を事前に設定しておき、新たな情報が得られる度にある事態が発生する確率を更新し、本来起こるであろう事象の確率を導き出していきます。

と言っても、何のことか分からないかもしれませんので、具体的な例を挙げて説明しましょう。

婚活パーティーを思い浮かべてください。

ある女性の前に一人の男性が座りました。これは何らかの意図があって座ったのではなく、くじか何かで無作為に決められた座席表によって座ったものです。

さて、この女性にとって、その男性との相性が合う確率あるいは期待値としてのθ(シータ)がどう変化していくでしょうか。

まず、無作為に決められた座席表に座った時点では女性は男性に関する何の情報も持っていないのでθは0.5だとします。

自己紹介で、まず男性が映画を観るのが好きだと言ったのに対して、女性も同じ趣味を持っていた場合、θは0.6になるとします。

次に、男性が旅行も好きだと言い出して、女性もそうであった場合、θが0.7になるとします。

そして、男性は休暇の際には登山に行くことにしていると言い出し、アウトドアに関心のなかった女性のθは0.5になってしまうとします。0.4にならなかったのは、男性がそのような趣味を持つことへの理解だったかもしれません。

そこへ、男性が麻雀やパチンコも好きだと言い出したので、女性のθがいきなり0.3に下がってしまうということだってあり得ます。さらに男性がヘビースモーカーだと分かって0.1以下に下がることも十分考えられます。

このように、新たな情報を得る度に確率が変わっていくということは人間の感情ではよくあることです。ベイズ統計も条件が変わるたびに確率を変化させていきます。

このような手法を取ることにより、大量のデータが集積されるのを待つことなく事態の本質に関する仮定を置き、推移に関する推測を行うことが出来るようになります。そして、新たな事態が判明する度に計算を修正していき、実態から乖離することなく分析を続けていくことが出来るのです。

この考え方はAIと馴染みがよく、今後の人工知能の開発発展の基礎となるのがこのベイズの定理に基づく考え方だと言われています。

原典を見よ

このベイズ統計学は最近になって脚光を浴びてきたようですが、筆者が最初に学んだ頃は今のようにいろいろな参考書がありませんでした。連絡官として米国に駐在していた時に知り合った海兵隊士官が転出する際に、筆者の部屋にやってきて、「これ面白いよ。」と言って置いていったのが、米海軍大学校の統計学の教科書で、ベイズ統計学の巻でした。筆者は「面白いことをするんだな」程度の認識しか持たなかったのですが、帰国後自分が幹部学校指揮幕僚課程に入学することになって、読み直してみて、新たな可能性に気付いてびっくりしたものでした。

この頃、統合幕僚学校の図書館をウロウロして、様々な資料があるのに気付いたのが、後に大きく役に立ちました。

ジョージ・ケナンのX論文を読んだのもこの時ですし、ランチェスターの論文もこの図書館で見つけてコピーを貰いました。

退官後、商社マンや米国企業のCEOを経てコンサルタントになり、多くのコンサルタントと知り合いました。セミナーでランチェスターの戦略に触れるコンサルタントは多いのですが、そもそもランチェスターの論文を読んだことのあるコンサルタントにお目にかかったことはありません。

因みに、ランチェスターを経営学の枠組みで捉えているのは多分日本だけだと思います。米国ではランチェスターの論文は軍事学に分類されており、経営コンサルタントがランチェスターに触れることはまずありません。

一方、日本のコンサルタントは、ランチェスターの論文が、当時まだ未発達であった航空機を戦線に投入することがいかに有利に戦いをする目ることになるのかを数学的に解明した論文であることを知らない人がほとんどです。

専門家は原典にあたる必要があるのですが、経営コンサルタントという人たちはそのような手間をかけることをしない人種のようで、ドラッカーですら原典を読まずにドラッカーについてのセミナーに登壇するコンサルタントは山ほどいます。

筆者のように様々の原典にあたり、基本からの学びの機会を与えられたことは本当にラッキーでした。

多角的視野を育てましょうか

当コラムをお読みいただいている方々は、筆者が方法論にかなり拘っていることにお気付きのことと拝察いたします。

論理的一貫性や事実による証明を重要視し、自身の説なのか伝聞推定なのかの表現を区別するなどということは、社会科学においては常識的な態度です。

そのような観点からこの2年半のコロナ騒動を眺めると、出鱈目の極致であり、よく恥ずかしくなく専門家としてテレビなどに出ることができるなと思う人が何十人もいますし、ただ煽るだけで、真実を探求しようとしないメディアには絶望感しか抱くことができません。彼らがいかにいい加減であるかは、この2年間当コラムでうんざりするほど指摘してきました。ここで筆者がいくら熱弁をふるっても事態が変わらないことは百も承知なのですが、少なくとも当コラムをお読みいただいている方々には、別の見方があることをご紹介しておきたいという思いから続けています。

今後も弊社の方法論については、折に触れてご紹介してまいります。いろいろな方法論を身に付け、様々な事象の分析的枠組みを持つことは、起きている物事を多角的に見る眼を育てますので、有意義なことだと考えています。

少しでもお役に立てば幸いです。