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専門コラム「指揮官の決断」

第306回 

自分の言葉で語れるか

カテゴリ:リーダーシップ

理念を言葉で語ろう

弊社は危機管理専門のコンサルティングファームとして、クライアントの組織の中に危機管理の枠組みを作り、さらに危機管理上の事態の生起に際し、トップの周りに素早く参集して盤石な危機管理体制を作ることのできるスタッフの養成について助言をさせて頂いています。

この際、重視しているのは、論理的な意思決定、トップを中心として一丸となるリーダーシップ、そしてゆるぎない信頼を勝ち取るためのプロトコールの三本柱です。

そして、そのために「理念」を高々と掲げることの重要性を強調しています。

ここで、極めて重要なことは、その理念をトップが自分の言葉で語ることができるかどうかということです。

つまり、理念が借りものであってはならないということです。自分の言葉で語られない理念は、なにか空虚で、はっきりと言って、どこか「嘘くさい」感じがします。

なぜ弊社がそのように理念に拘るかと言えば、誤りのない意思決定をするためには、何度も何度も理念に立ち返って考える必要があるからです。

常に理念に立ち返って意思決定を行っていけば、少なくとも誤った意思決定はしなくなります。

軽自動車の燃費に関して不正なデータを提出していた三菱自動車の理念は、「大切なお客様と社会のために、走る歓びと確かな安心を、こだわりをもって、提供し続けます。」というものでした。こだわりをもって、という表現はいかにも三菱らしいなと思っていましたが、彼らはその理念を忘れ、技術で達成できなかった燃費を、データを改ざんすることによって処理しようとしました。

理念に忠実な意思決定を行っていればあり得なかったデータ改ざんを行って、結局社名は残ったものの日産の傘下に入ることになってしまいました。

つまり、理念が全社員に共有されていなかったということです。

経営者は理念を自分の言葉で語る必要があります。それは長く語り継がれ、その会社のあらゆる意思決定に影響を与えていきます。それが、その会社らしさ、個性となっていきます。

弊社が理念に拘るのはそのためです。

借り物の言葉が目につきますね

最近、非常に気になっていて、かなり警戒していることがあります。

それは、トップが自分の言葉で語らないことです。

たとえば、ウクライナに侵攻し、核の恫喝をちらつかせているロシアに対し、多くの国の首脳が「最も強い言葉で非難する。」という言い方をしています。

日本の岸田首相も同様です。

これは英語の”We condemn in the strongest possible terms”という表現を直訳したもので、元々は外交上の表現です。

しかし、このような表現を使われたところで、相手方が真剣に受け止めるなどということはあり得ないでしょう。どのような言葉が使われたのかすら分からないのですから。

自民党の広報本部長である河野太郎氏は、ウクライナ侵攻に関する駐日ロシア大使館のツイッターに対し” Shame on you “(恥を知れ)と書き込みましたが、これは見事です。

当コラムにおいても2年前の4月にWashington Post紙のあまりの出鱈目な記事に対して”Shame on you Washington Post” という英文のコラムを掲載していますが、ここには外交上の配慮など何もありません。

外交上の配慮をする必要などないと申し上げるつもりはありません。極端な表現は北朝鮮や中国の報道官がよく使い、品性を疑わせるものがありますから、時と場合によっては必要かもしれません。

しかし、それは「時」と「場合」によって必要となるもので、のべつ幕なしに使えばいいというモノではありません。

こんな場合もその言葉ですか?

びっくりしたのは岸田首相の発言でした。

安倍元首相が狙撃された事件に関し、同日、記者団から質問を受けた首相は、犯人に対し「最も強い言葉で非難します。」と言ったのです。

彼の「最も強い言葉で非難します。」という言葉には、それだけの強烈な思いがくみ取れません。いつも「最も強い言葉で」なのですから、「また言ってるな」程度にしか感じられないのです。

多分、スピーチの品位を保つ必要上から、そのような場合にはそのような表現を使うのが適当という判断なのでしょう。それは、結局は保身からくる判断でしかありません。激しい言葉を使って非難されるような真似はしたくないということです。

そのような判断から導き出される言葉は空虚であって、響きません。

必死なれば・・・

トップは、たとえ使い古された表現であっても構わないので、余計な判断のない、率直な気持ちを語るべきです。

自分の思いを正確に言葉にするということはとても難しいことです。筆者も得意ではありません。

しかし、トップが自分の信念を組織に対して示さなければならないとき、トップはしゃべるのは苦手だなどと逃げてはなりません。

必死になって言葉を探すことです。どれだけの時間を費やそうと、必死になって考えれば、自らの信念をしっかりと表現できる言葉が見つかるはずです。

見つからないとすれば、まだ信念と言えるほどに昇華していないということです。

つまり、組織を率いていくだけの覚悟がないということであり、まだリーダーになるべきではないということです。

あまり「自衛隊では」という言い方はしたくないのですが、筆者が30年間暮らしてきた海上自衛隊では指揮官が交代する際、盛大な交代行事が行われます。

離任する指揮官が部隊に対して離任の挨拶を述べ、新しい指揮官を出迎え、新旧指揮官が申し継を行い、旧指揮官が見送られて退隊していきます。指揮官が将官である場合には儀じょう隊が編成され、音楽隊がやってきて栄誉礼が行われます。そして、音楽隊が演奏する「蛍の光」に送られて前任の指揮官が隊を離れていきます。

その直後に行われるのが新着任の指揮官による訓示です。

着任に際し、自分がどのような想いを持ってその部隊を指揮していくかを部隊に対して語るのですが、この着任時の訓示の起案だけは自分で書かなければなりません。着任前にその部隊のスタッフを使うわけにいかないからです。

この着任時の訓示の起案には相当頭を使います。何日もかけて推敲する指揮官もいます。

この時、自分の言葉で語らなかった指揮官は、その3分くらいの間に評価を失います。あっさりと「つまらない奴が来たな。」で片づけられてしまうのです。

トップの言葉とはそれほど重いのです。

自らを振り返ってみると・・・

筆者はそのような世界から離れて10年以上たちました。ビジネスの世界に入り、米国企業でCEOなども勤めましたが、社長(President)ではなかったため、指揮官としての緊張感はありませんでした。10年以上そのような緊張感のない世界で生活してきたため、自分の言葉の選び方が雑になっているということを時々感じます。

現在は3つの会社の社長を兼任していますが、制服を着ていた頃のような緊張感をもって勤務することはできません。相手が異なるからで、そのような態度で向かうと誰もついてきてくれなくなります。したがって、使う言葉も制服の頃とは随分異なる言葉を使っています。

しかし、たとえ事情が異なっていても自分の言葉で語ろうという思いは変わっていません。

人の言葉で嘘くさく思われるよりも、自分の言葉で「何だ こいつ」と思われた方がましだと思うからです。

筆者はビジネスの世界においても多様な経験をしています。二部上場(当時)の精密技術商社の営業部長やカリフォルニアにある米国企業のCEOを経験し、その後コンサルタントとして企業を見てきています。さらに情報の分析を主業務とする業務を本業としておりますので、その関係者として多くの方と協同作業を行っています。それぞれのセグメントで相手が全く異なりますので、交わされる会話の内容もレベルも全く異なるので、相手に合わせた言葉を選ばなければならないのが難しいところです。しかし、様々な専門家と協同作業をするのは知的好奇心を十分に満たしてくれるので楽しいのですが、コンサルティング分野において言葉が通じないという思いをすることがよくあり、自分の言葉ではダメなのかななどと思うこともありますが、しかし、借り物の言葉で語るつもりはないので、粘り強く理解を求めていかなければならないと思っています。