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専門コラム「指揮官の決断」

第315回 

素人に惑わされるな

カテゴリ:

専門分野というもの

当コラムは危機管理の専門コラムであり、組織論・意思決定論に軸足を置いて、様々なテーマに関して議論を展開しています。そして、その専門領域から離れて議論をする際には、極めて臆病な態度を取ります。ただし、弊社が情勢分析に使用する手段が適用できる分野については、専門であるかないかを問わず、独自の視点で分析を行います。

弊社は危機管理を専門とするコンサルティングファームであることから、情勢の分析は弊社にとって必須の作業であり、定性的な分析及び定量的な分析の双方からの分析に努めています。

特に定量的な分析においては統計学や数理社会学の手法を使用しますが、この手法はいろいろな分野においても応用されているため、これらの手法が用いられている分野については、たとえそれが専門外の分野であっても、ある程度入り込むことが出来ます。

例えば、このコロナ禍で分かったことは、感染症学や公衆衛生学の専門領域について、様々な専門家(と称する人たち)の意見に関し、科学的な検証に耐えられない議論についてはある程度看破することができます。というよりも、彼らの議論の出鱈目さは専門外であっても見抜くことができます。それは例えば、フレンチや中華の専門料理人が和食を食べても、その料理人の技量を推し量ることができるようなものです。

今回はそのような視点から、最近のテレビ等におけるコメント等について考えてみます。

私たちが社会に起きている様々な出来事について考える時、自分に知識や経験のない分野については、専門家の意見を聞いて理解することが多いかと思います。しかい、気を付けなければならないのは、テレビでコメントを述べている人たちが、一見専門家のように見えて、実は専門家でもなんでもなく、ただの素人であることが多いことです。

医療専門家とは

コロナ禍について、テレビでは現場の医師のコメントを求めることがよくあります。

医師は目の前の患者の治療をすることに関してプロであり、その見解は傾聴すべきものであるはずです。

しかし、彼らに感染症の社会における拡がり方や先の見通しなどを尋ねてもまともな回答は返ってきません。

なぜなら、社会全体における感染症の問題を扱うということは、目の前の患者を個別具体的な実存的存在と認識することではなく、マスで捉えて例外を切り捨てていく作業だからです。

したがって、一人でも目の前に病気で苦しんでいる患者がいれば医師にとっては大きな問題であり、彼らはその患者を見捨てることをせず、むしろそのような患者を救うことに職業的プライドを掛けていきますが、筆者のように数理社会学的手法で分析する者にとっては統計学的には問題視する必要のない例外的存在については捨象してしまうので、5%以下は無視してしてしまう対象なのです。同様の問題は感染症に留まらず、様々な分野で発生しています。

つまり、医師に社会全体に関する議論について専門家としてのコメントを求めること自体が間違いなのです。

安全保障問題は?

10月9日未明、北朝鮮が2発の弾道ミサイルを発射しました。このミサイル発射について、某テレビ局がニュースで、北朝鮮情勢に詳しい某大学の政治学を専門とする学者にコメントを求めているのをたまたま観ていました。

質問は、これまで24回繰り返されたミサイル発射と異なり、深夜の発射であったことは何を意味するのかというものでした。

某教授のコメントは、これまではミサイル発射場の発射台、鉄道、潜水艦など様々なプラットフォームから発射し、どこからでも打つことができることを示していたが、今回は「どこからでも」だけでなく、「いつでも」打てることを示したものであるというものでした。

一見、もっともらしく聞こえます。

しかし、このコメントはまったく意味をなしていません。

当コラムは軍事を専門としているものではありませんが、筆者は30年に渡り海上自衛官として軍隊生活を経験しています。いくら専門家ではなくとも、その分野についての一般的な常識は持ち合わせています。

ミサイル発射に関し、発射時間が真昼間であろうと深夜であろうと技術的に違いはまったくありません。周囲が明るいから作業がしやすいとか、真っ暗だから発射が面倒だということはまったくありません。

まして今回は潜水艦から発射されたSLBMである可能性が高いと言われています。筆者自身が護衛艦のミサイル射撃の分掌指揮を担当していたことがあるので自信を持って申し上げることができますが、護衛艦の戦闘指揮所は艦内中央の窓など全くない部屋ですので、昼だろうと夜だろうと関係ありませんし、そのあたりの事情は北朝鮮の潜水艦でも同じです。

機関砲で対空目標を撃つ際に、目視で射撃をしろと言われたら、さすがに夜は撃ちにくいことは認めざるを得ませんが、弾道ミサイルの射撃に関して昼夜の差は問題になりません。

その辺が政治学者の限界です。彼はミサイルを撃つ作業がどのようなものなのかを知らないのでしょう。

北朝鮮がその時間を選んだ理由は定かではありませんが、筆者があえて理由を探し出すとすれば、日本や韓国の対応を試したのかもしれません。

午前1時や2時という時間帯は、生理的にも注意が散漫になっていく時間帯です。これは体内時計の働きにより致し方ない生理現象です。

その時間帯にミサイルを撃つことによって、日本や韓国が昼間と同じように対応するかどうかを試したかもしれません。ただ、あえて理由を探すとすればということであり、このような理由で発射時間を選ぶとは考えにくいので、本当の理由は別にあるはずです。

しかし、この政治学者のコメントはまったく見当違いであることは間違いなく、北朝鮮のミサイル発射に関して、北朝鮮の事情に詳しい政治学者にコメントを求めても正しい回答は得られないということです。

この政治学者が政治的背景についてコメントしたなら参考になるはずです。

放送局がその政治学者にコメントを求めたこと自体は誤りではないでしょう。問題は自分の専門領域の視点からのコメントではなく、専門外の領域の視点でコメントした学者の態度です。とても専門家としての発言とは思えません。

専門家なら専門外の分野について言及することの怖ろしさを知っているはずです。その教授は政治学を専門としていながら、政治学の専門家としてのコメントをせず、専門外の軍事の分野の視点で素人のコメントをしているのです。

さて有名な番組では・・・

同様の問題はテレビでは珍しくなく起きています。

池上彰氏が最近の彼の番組で、ウクライナ情勢に触れ、プーチン大統領は冬を待っていると述べました。

理由は冬になって暖房が必要になるとエネルギーを人質にしてヨーロッパのウクライナ支援を止めさせることが出来るからだそうです。

彼のカバーしている範囲からの知見ではそういう結論が導き出されるでしょう。

しかし、筆者の見解はそれとは異なっています。

プーチンがもし情勢を見る眼を持っているとすれば、あるいはロシア陸軍の高官たちは、冬が来る前になんとか事態を収めたいと考えているはずです。

アレキサンダーもナポレオンもヒトラーもあの地域に攻め込んだ者たちは冬に追い返されてきたのが歴史上の事実です。

池上氏はロシアは常に冬を味方にして勝利を収めてきたと勘違いしているのですが、勝利してきたのは「ロシア」ではなく、「守っていた側」で、「攻め込んできた側」が敗北してきたのです。

今回はロシアが攻め込んできています。

しかも、筆者はある理由でウクライナ軍兵士の冬の装備を知っているのですが、彼らはかの地で戦うためのしっかりとした防寒用戦闘服や軍靴を持っており、ゴアテックの暖かいアンダーウェアが支給されています。対するロシア軍兵士の装備は貧弱で、ウクライナの冬の戦場で野戦を戦えるような装備ではありません。ロシア兵の遺体や投降したロシア兵の装備を見れば、まともな装備が支給されていない部隊が多いことが分かります。

特に、今後動員されてくる予備役兵や外国人部隊に十分な装備が支給されるとは考えにくく、寒さの中でまともな装備が支給されなければ、部隊の移動は緩慢となり、迅速な作戦行動はとることが出来なくなります。もともと士気の低い予備役兵たちにそのような試練が襲い掛かれば結果は明らかです。

米国最大の戦争であった南北戦争では南軍が敗北しました。南軍の敗北の理由についてはいろいろ語られています。最大の要因は工業化の進んだ北部と遅れていた南部の生産力の差と言われていますが、その差がどこに如実に現れたかというと軍服でした。南軍は特に靴が不足していました。

このため、南軍の兵士の多くが裸足で進軍しなければならない局面があちらこちらに出現しました。

有名なゲティスバーグの戦いは、ペンシルバニア中央部の靴の生産が大量に行われていたハリスバーグ(現在のペンシルバニア州都)を目指した南軍を北軍が阻止しようとして起きた戦いでした。

もしプーチン大統領が冬を待っているとしたら、それは雨期のためかもしれません。

現在ウクライナは雨が降りやすく、ぬかるむと戦車等が機動しにくい状況となります。それであれば、冬になってすべてが凍結した方が戦車や装甲車にとっては動きやすくなります。

しかし、装備の貧弱な兵士にとっては辛い季節です。この地域で冬季に攻撃側が勝利を収めるのはやはり困難でしょう。守る側には陣地があるからです。

そのような視点は軍隊経験者は常識的に持っているのですが、池上氏のようにメディアの経験しかない方は、新聞や本から得られる知識だけでコメントをせざるを得ないので、論点を外していることが多々あります。

専門家は専門領域でのみ専門家たりうる

専門家の見解というのは私たちが世の中で起きている様々な事象を理解するために非常に貴重です。

しかし、専門家と言えど、専門以外の領域に関してはただの素人です。素人の意見は聞いても無駄なのですが、うっかりすると専門家の意見として聞いてしまいがちです。

北朝鮮のミサイル発射などについては国際政治や軍事技術の両方の専門家がそれぞれの立場からコメントすべきなのですが、自分自身も勘違いをして政治学の専門家が軍事技術の観点からコメントをしたりするからややこしくなります。

優れた専門家であればそのようなコメントを発することはありません。彼らは自分の専門領域をよくわきまえており、専門外の領域について言及することの怖ろしさを知っているからです。

筆者は北朝鮮のミサイル発射についてコメントしていた政治学者を存じ上げていないのですが、その著書や論文を読めばどの程度の専門家は推測できるでしょう。自分の専門領域が何であるかを理解していない専門家の書く論文など読むに値しないはずです。

放送局はコメントを求める相手の選択を誤ったようです。