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専門コラム「指揮官の決断」

第316回 

呆れるような連中ばかり・・・

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立法府は法律を知らないのか?

当コラムはこれまでうんざりするほど申し上げてきたとおり、危機管理の専門コラムであり、専門外の領域に言及する際には極めて慎重な態度を取っています。

しかし、その問題が危機管理の問題に波及するとなれば看過することもできませんので、専門外であることで躊躇しつつ、独自の見解に言及せざるを得ません。

何を言いたいのかと言えば、旧統一教会問題に関する岸田首相の答弁における政府答弁の変更への疑問です。

旧統一教会に対して「質問権」の行使を文科省大臣に指示した岸田総理が、解散命令請求の要件に「民法における不法行為は含まない」と答弁しました。この解釈は過去のオウム真理教の判例に照らせば合理的です。

しかし、この解釈であると民法上の不法行為が解散命令要件にあたらなくなるため、刑事罰でなければ解散命令が発動されないということになり、何のための質問権の行使なのかが分からなくなります。

そのため、野党から猛烈な反発が起こり、自民党内部からも批判が出たため、翌日、首相は前日の発言を撤回し「民法の不法行為も入りうる。」と述べました。

この対応に、立憲民主党の安住国対委員長は「やったことはいいけど、朝令暮改という批判は免れないね。」と苦笑いしながら対応していました。

この発言を聞いていて筆者は呆れかえりました。

野党が政府に法律の解釈変更を迫るというのは、自分でもおかしいと思わないのでしょうか。

政府が勝手に解釈を変更して、民法上の使用者責任や反道徳性などの要件で解散命令を出すことが出来るようになるのであれば、この国の集会結社の自由や言論の自由はもとより、思想良心の自由まで保障されなくなります。

むしろ、政府の勝手な解釈の変更を許さないという立場をとるべきなのではないでしょうか。

そもそも、彼らの議論を聞いていると、立法府の議員たちには禁止規範、命令規範の概念が理解できていないようです。

財政当局は経済を知らないのか?

19日、円は149円台半ばという32年ぶりの円安を記録しています。

150円に抵抗線があって、到達しそうになると跳ね返されているようですが、この抵抗線がちょっとでも突破されると、一挙に雪崩が起きるかもしれません。

この異常な円安を前に、鈴木財務相は「投機による過度な変動は容認できない。」と述べ、財務省の神田財務官も「この数日間は投機的な動きも背景に一方向で急速な円安の進行が見られる」とし、「政府、日銀はこうした動きを極めて憂慮している」と述べています。

この程度の経済の認識がこの国の財政及び金融を指揮しているのですから、呆れてコメントしたくもなくなります。

これだけ円安が進めば、機関投資家でなくともドルを買いたくなるでしょう。喜んで円を買っているのは日本への旅行者だけかもしれません。

トレンドが発生したときというのはそういうものです。歯止めを賭けたくてもトレンドに乗ろうとする投機筋の動きがトレンドを加速させるのはいつものことです。

リーマンショックの時にはあらゆる株が売られましたが、誰も買わないために凄まじい勢いで下落していってしまいました。

このようにトレンドが発生している時に投機による変動を防ぐことはできません。むしろ、それを睨んだ対策が必要なのです。投機による過度な変動は容認できないといくら吼えても、投機的な売買だけを禁止することもできないのに、何を「容認できない。」としているのでしょうか。

財務官にせよ財務大臣にせよ、為替は輸出入の決済のためにのみ行われていると考えているのかもしれません。

トレンドが発生している時に「投機的な変動は容認できない。」などと見当違いなコメントを発するこの程度の素人が財務官や財務大臣の席に座っているというのは恐るべきことです。

岸田首相の所信表明演説も唖然とさせられます。

物価高対応のため、「前例のない、思い切った対策を講じる。」と述べましたが、具体策としては電気料金の負担緩和でした。

確かにこれほどの円安に際してほとんど何も手を打たないというのも「前例がない」かもしれませんが、いつになったら「成長と分配の好循環」をもたらすはずの「新しい資本主義」が動き始めるのか見当もつきません。

さらにびっくりなのは、旧統一教会の問題について、質問権の行使に関し、いつまでに決着させるつもりかを問われた首相が、「質問権の手続きに速やかに着手させる。」と述べ、質問権の行使は年内に始めたいが、いつまでに調査を終えるかを答弁するのは難しいとしたことです。

年明けには予算国会が始まります。もしその時点でこの問題について一定の方向性が示されていなければ、この問題が人質に取られて予算の審議が進まないことは、過去の事例をみても明らかです。

政府は解散命令を出すかどうかを判断する必要はありません。法律に照らしてどうするのかを判断するのは裁判所です。

行政府は、国民の福祉の観点から行政府としての判断をすればいいのであり、それは調査を急げばいいだけのことです。さっさと行政府としてやるべきことをやって、解散命令を出すかどうかは司法の判断に委ねてしまえば、予算国会でこの問題を人質に取られることはないはずです。

かつて森友学園問題で重要法案の審議がほとんど進まなかったことを覚えていないのでしょうか。

これまでの教会との関係から党内でも意見の取りまとめが面倒なのでしょうが、行政としての判断を急がなければ司法も判断できず、その間、被害者の救済が進まないだけでなく、教団側に新たな態勢づくりの時間を与えることになります。

党内でどのような利害の調整が行われているのか知る由もありませんが、他の施策が雑な割にこの問題に関しては「信教の自由」などへの配慮のためかやたらと慎重であることが目につきます。

政治家は自分たちの立ち位置も知らないのか

岸田首相はまた改憲についての所信も問われ、「自民党総裁選を通じ、任期中に憲法改正を実現したいということを申し上げてきた。その思いは全く変わっていない」と答えています。彼がどのように憲法を改正したいと考えているのか細部は承知していませんが、少なくとも第9条の改正は必須事項でしょう。

しかし、現時点で自衛隊を違憲だと主張しているのは、国会で国民の支持率が一桁前半のいくつかの政党と憲法学者くらいであり、かつてのように自衛隊は違憲集団と世間で呼ばれることはなくなりました。

それでも何故わざわざ憲法改正の議論を起こさなければならないのでしょうか。

今のように低い支持率の岸田政権によって憲法改正が発議され、国民投票の結果否定でもされようものなら、自衛隊は立ち上がれなくなります。

自衛隊は創設以来、「憲法違反」「税金泥棒」と言われながら黙々と防衛力整備と訓練に励み、現在の実力を築き上げてきました。そして、ある種の特殊な人たち以外からは信頼される存在になってきています。この間の先人たちの努力は並みのものではなかったはずです。

筆者も海上自衛官の子供として生まれましたが、高校までは自衛隊は違憲の集団であると教えられてきました。家族も含めてそれらの偏見に耐えてきたのです。

彼らをそれらの偏見の中でも努力を続けさせたのは、結局は「使命感」だったと考えます。

かつてある政治家が改憲の理由を問われて、「任務の為に出動する自衛官に向かって、君たちは違憲かもしれないけど頑張ってきてくれ、とはとても言えない。」と言っているのを聞いたことがありますが、その程度の理由で改憲論が起こされるのは自衛隊にとっては大きな迷惑です。

自衛官は政治家に励まされて士気が上がるような人種ではありません。むしろ、そのような場面においては政治家の顔など見たくもないのです。

政治家たちは、自分たちの言葉で自衛隊員が活気づくと勘違いしているかもしれませんが、実はまったく逆なのです。

そのことは東日本大震災において明らかに示されています。

当時の菅首相は、創立以来最大の作戦を展開している自衛隊員たちに対して、視察や慰問などをまったく行いませんでした。それでも災害派遣に出動した隊員たちは、自分たちが最後の砦であるとの自覚の下、信じられないような捜索救難活動を展開しました。

彼らが喜んだのは、松島基地に激励に来て歌ってくれた長渕剛さんのような行動であり、政治家の激励ではないのです。

筆者が制服を着ていた頃、自民党のある政治家と話をしていた時に「君は1等海佐だと名乗ったけれど、本当は海軍大佐なんだよ。それがワールドスタンダードなんだ。何としても、自衛隊を世界標準の軍隊にする必要があるんだよ。」と言われたことがあります。

この程度の頭が改憲論をリードしているのです。

筆者の知る限り、世界中の海軍で戦艦や航空母艦の艦長になるのは、旧帝国海軍では大佐と呼ばれた階級ですが、現在、その階級を「大佐」と呼称している軍隊はありません。

中国は「大校」ですし、韓国は「大領」と呼ばれます。

強いて言うならCAPTAINがワールドスタンダードかもしれません。それでもCaptainと綴ると陸軍や海兵隊では「大尉」でしかありません。

要するに、軍隊のことなど何も知らず、現役隊員の思いなどには関心もない政治家たちが第9条を問題としているに過ぎません。

首相には、くれぐれも自民党の悲願達成のために自衛隊を使うなと申し上げたいと思っています。