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専門コラム「指揮官の決断」

第318回 

聞き飽きた

カテゴリ:

コラムですよ

弊社配信のメールマガジンを読んでくださっている方は、今回のタイトルを見て、「アレッ? これメルマガかな?」と思われたかもしれません。ご安心ください。専門コラムです。

何を聞き飽きたのかというと、ある政治家の発言です。

当コラムは危機管理の専門コラムですから、政治家の動向などを気にかけているわけではありませんが、その政治が一国の首相であるとすれば、危機管理上の問題でもありますので、当コラムでも取り上げざるを得ないことになります。

そうです。岸田首相の発言にうんざりしているのです。

当コラムは政治家や著名人には手厳しく、実名を挙げて批判したりをします。当コラムが弊社のウェブサイトに掲載され、筆者が実名で語っているからであり、ネット上の匿名の誹謗中傷ではないからです。

その中でも現首相にはかなり手厳しい言及が多くなっています。

当コラムをよく読んでくださっているある海上自衛隊の先輩から「お前はよほど岸田が嫌いらしいな。」と言われたことがあります。

好き嫌いの観点から申し上げれば勿論嫌いです。筆者は政治家と役人とマスメディアが大嫌いなので、その政治家のトップにいる首相が好きなはずはありません。

何故嫌いかという質問はしないでいただきたいと思います。

好き嫌いは生理的なもので、皆様の多くがマムシを好きでないのと同じ理由です。

本題に入ります

何を聞き飽きたと述べているのかということですが、首相の発言に「全力で」という言葉が多すぎるのです。

何事にも全力で取り組む姿勢というのは、傍から見ていると「頑張っているなぁ」と思わせます。

若い学生がスポーツや勉強あるいは社会活動などに一生懸命になっていると応援してやりたくなります。しかし、それは彼または彼女が目の前にあるものに向かって一生懸命に取り組んでいるから応援してあげたくなるのであって、本人が「何事にも全力で取り組みます。」と言っているから応援したくなるのではありません。

一国の首相は、限られた資源、予算、時間などを投入する先に優先順位を付けなければなりません。

目の前にあるものすべてに思い付きでそれらを投入されては困るのです。しかも、実際に全力を挙げて取り組むならまだいいのですが、彼の場合は発言した途端に忘れてしまうようです。

「全力」の変遷

首相は昨年10月、首相就任にあたり所信表明演説を行い「「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」。これがコンセプトです。成長を目指すことは、極めて重要であり、その実現に向けて全力で取り組みます。」と述べ、新しい資本主義の実現に向けて全力で取り組むと宣言しました。

ところが、その3日後には拉致被害者家族と面談し、「全ての拉致被害者の1日も早い帰国を実現すべく、全力で取り組む。私自身、条件をつけずに金正恩朝鮮労働党総書記と直接向き合う決意だ」と述べています。首相自身が全力を挙げて救出に取り組むと約束したのです。新しい資本主義の実現に向けて全力で取り組むと宣言した3日後です。

しかしその2か月後の総選挙を受けて開かれた臨時国会では「オミクロン株のリスクに対応するため、外国人の入国について、全世界を対象に停止することを決断いたしました。まだ、状況が十分に分からないのに慎重すぎるのではないか、との御批判は、私が全て負う覚悟です。国民からの負託は、こうした覚悟で、仕事を進めていくために頂いたと理解し、全力で取り組みます。」と述べ、コロナ対策に全力で取り組むことにしたようです。

ところが、今年2月フランスでマクロン大統領主催で開催されたワン・オーシャン・サミットにおいては「海洋国家・日本として、美しい海を守るべく、世界の皆様とともに、全力で取り組んでいく決意である。」と述べ、今度は海を守ることに全力を傾注するようです。

そして今年5月、イタリアのドラギ首相とローマで会見した岸田首相は共同記者会見で「ウクライナの政府と国民を全力で支えていくことが両国の共通の責務であることを確認した」と強調し、「日本とイタリアは前例のない強力な対ロ制裁を実施するとともに、ウクライナ支援を強化する」と述べています。

今度はウクライナ支援が国政の最重要項目になったと見えます。

しかし9月4日、新潟県北部を襲った記録的大雨で深刻な被害を受けた村上市を視察し「政府一体となって迅速な復興・復旧を図るとともに、住まいの確保を始めとする生活再建のために全力で取り組んでいかなければならない」として、政府が全力を傾注すべき目標が新潟の災害からの復興・復旧にあると述べています。

そして9月25日、度重なる北朝鮮の弾道弾発射に言及し、「今回の弾道ミサイルの発射も国連の安保理決議に反するもので強く非難する。すでに北朝鮮に対して抗議も行った。引き続き、情報収集や警戒監視に全力を挙げ、わが国の平和と安全の確保に万全を期していきたい」と述べ、また全力を傾注する目標が変わりました。

今度は情報収集と警戒監視です。

これは首相が「全力を挙げて」取り組む事項ではありません。彼には情報の分析能力はありませんし、ましてや警戒監視能力など皆無です。

さらに、10月7日、参議院本会議の代表質問においては高騰する電気料金の引き下げ策に関し「全ての家計、企業が直面する電力高騰の対策に全力を挙げる」と電力料金の引き下げが全力傾注の目標に変わりました。

前例のない経済対策を行うと言いながら、中身は電力料金の値下げです。これに一国の首相が全力を傾注すると国会で宣言したのですから呆れます。

最近は10月28日に記者会見を行い、「今後は、この経済対策をできるだけ早くお手元にお届けするよう、補正予算の編成を急ぎます。また、御用意した政策を国民の皆さんに徹底的に御活用いただけるよう、発信と広報に全力を挙げてまいります。国民の皆さんの御理解と御協力を心からお願い申し上げます。」と述べています。

いよいよ具体的な施策に全力を傾注するのではなく、いかにもそれをやっている風を装うための発信と広報が首相の目標に変わりました。

海軍は大言壮語を嫌った

筆者が長く籍を置いた海上自衛隊は、そもそもあまりことを大げさに表現することを嫌う体質がありました。

例えば、アデン湾ソマリア沖の海賊対処行動から帰ってきた護衛艦は、長期にわたる洋上での行動のために船体がかなり汚れて戻ってきます。しかし、母港に入港してくるときには、長期間の作戦行動の疲れなどどこにもなかったようにきれいな船体で入ってきます。

入港に際し帰国歓迎行事が行われることを知っているので、前日に近くに錨を入れて錨泊し、船体の錆をグレーに塗り、艦番号を真っ白に書き直しているのです。つまり、いかにも長期の任務行動から戻ってきました、というような様子を見せず、淡々と入港してくるということです。

その海上自衛隊で語り継がれている一つの信号文があります。

「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」という信号文です。

日露戦争の決着をつけた対馬沖の海戦で、東郷平八郎連合艦隊司令長官が信号旗「Z」を掲げましたが、この信号旗は特約信号と呼ばれ、その作戦においてのみ使用される意味が付与されていました。それがこの信号文です。

海上自衛隊がこの信号文を大切に語り継いでいるのには理由があります。

勿論、日露戦争の命運を担った作戦で掲げられて大勝利を収めたという歴史的意義もありますが、海上自衛隊が大切にしているのにはもう一つ理由があります。

それが海軍のセンスに一致しているからです。

「皇国の興廃この一戦にあり」という前段では、その作戦の意義について淡々と語っています。余計な文言が使われていません。

後段の「各員一層奮励努力せよ」という言葉は悲壮感に酔うことなく、兵員の覚悟を促しています。全力を尽くせ、とか死守せよなどと述べてもいません。これまで一生懸命やってきたことを認め、その上で「努力せよ」と述べているのです。

東郷提督がロシア艦隊を迎えうつために行った訓練は壮絶なものだったと言われます。「月月火水木金金」という言葉が生まれたのがこの頃だったと言われるほどの猛訓練が行われました。連合艦隊司令部は各艦が全力を出し切って訓練していることを知っていました。

そこで「全力」を出せという表現が行われず、さらに努力してくれという表現になっています。

この当時の軍人たちは維新までは武士であった者が多く、あまり大言壮語を吐くことを好まなかったようです。闘志は静かに秘めるものと考えていたようで、この信号文はそのような事情にあって精一杯の表現だったと思われます。

時が進み、太平洋戦争も末期になると、官僚化した軍人たちの言動は明治の軍人たちと大きく異なっていきます。

「天祐を確信し、全軍突撃せよ。」などという信号が平気で出されるようになります。

ついに神頼みになってしまっているのですが、命令している本人は気付いていないようです。

センスの違いもありますが、筆者はこの類の表現が大嫌いで、自分が指揮官配置にあった時も、このような表現は使わないよう指導し、幕僚であった時もそのような言葉を使って起案したことはありません。

まして全力を傾注するということは目的を一つに絞るということであり、その優先順位を部隊に示すということでもありますから慎重になります。

信念に基づく「全力」ではなさそう

どうも首相は相手に合わせて気軽に「全力でやります。」と安請け合いをしているようにしか見えません。

以前は「検討する」という言葉がやたら多く、役人から「検討使キッシー」というあだ名を奉られていました。

よく話をする若手の官僚と飲んだ時に「早急に検討に着手するよう指示しました。」と首相の物まねをしたら、彼はやたらと喜んで、「そのネタ、今度使わせてもらっていいですか?」と言ってきました。「俺は単なる有権者だからいいけど、お前さんは国家公務員だから、そんな物まねを宴会芸でやったら命取りだぞ。」と脅かしておきました。

「早急に検討に着手するよう指示」と首相が発言することは、政治家や役人の言葉に不慣れな皆様のために翻訳すると、実現させるつもりがないということを意味しています。

説明すると、「早急に」と言っておきながら期限を明示していません。「着手」するのは「検討」であり具体的な対策ではありません、しかも自分が検討するのではなく「検討を指示」しただけです。筆者が公務員だった頃には、そのようにこの言葉を理解していました。

これでは官僚たちは限られた資源をどこにどう投入するのかが判断できないはずですが日本の官僚は優秀です。

彼らは時の政権の思いとは関係なく、自分たちが正しいと信じた施策を淡々と講じているようですから、首相がどのような安請け合いをしても構わないのかもしれません。

それはそれで危機管理上の問題であることも間違いないのですが、とりあえずは検討使に振り回されないでいることに安堵するしかないようです。