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専門コラム「指揮官の決断」

第320回 

ロシアの軍人に期待する理由

カテゴリ:危機管理

クリムゾン・タイド

映画ファンの方の中には『クリムゾン・タイド』という映画をご覧になった方も多いかと思います。ジーン・ハックマンとテンゼル・ワシントンの演技が秀逸でした。

映画は米海軍のオハイオ級原子力潜水艦が舞台でした。

冷戦後のロシアでチェチェン紛争の後に反乱が起こり、反乱軍が手に入れた大陸間弾道ミサイルにより、要求に応じなければ米国を核攻撃すると脅しがかけられます。

米国はこれに対して叩き上げで実戦経験の豊なジーン・ハックマンが演ずる大佐を艦長とする原子力潜水艦に出撃を命じます。

この船に副長として着任したのがハーバード大学出身のエリートであるテンゼル・ワシントンが演ずる少佐でした。

この潜水艦が哨戒位置に着いた時に、反乱軍が核ミサイルに燃料注入を開始した兆候があるので、先制攻撃を加えよという命令がもたらされます。

その時に反乱軍の攻撃型潜水艦の攻撃があり、何とかかわすことがことが出来たものの、海上にアンテナを展張するためのウィンチが壊れ、次の命令を受信できなくなりました。途中まで印刷された命令文の解釈を巡り、艦長と副長が対立します。

艦長はミサイル攻撃を行うべきと考え、副長は指令が再確認されるまで攻撃をすべきではないという立場でした。

核戦力の行使には厳格な手続きがあり、艦長と副長が証人となる士官を同席させて双方が承認しなければなりません。この手続きは米国もソ連(現在のロシア)も同じ手続きを踏むことにより、偶発的あるいは狂信的な事故的発射を食い止めることになっています。

副長の承認が得られないことに腹を立てた艦長は別の理由で副長を命令違反で解任しようとしました。これに対して副長は艦長を軍法違反で拘束するよう先任伍長(先任の下士官)に命令します。彼はいろいろと考えたうえで副長を支持し艦長を拘束するのですが、続くロシア潜水艦の攻撃により被害を受け沈没寸前のところに追い込まれてしまいます。

実戦経験の豊かな艦長でなければこの危機は乗り越えられないという不安が士官に広がり、彼らによって艦長が解放され、艦長は副長の行為を叛乱であるとして副長を逮捕し、ミサイル攻撃を行おうとします。しかし、事態の推移に納得していない先任伍長らの働きにより副長も解放され、艦内で対立が激化していきます。

そのうちに通信が復旧し、完全な形で命令が受信されると、ミサイル攻撃を中止することを求めた命令が来ていたことが分かります。

この事件は査問委員会にかけられ、艦長と兵学校同期の判事によって艦長に名誉退役処分という温情判断が行われ、副長も艦長が自分を次期艦長に推薦していたことが分かって矛を収めたところで映画が終わります。

この映画で描かれた問題は極めて難しい問題でした。

どちらの軍人の判断も間違っていないからです。

核攻撃の命令に対する艦長の準備は適切であり、中止させるには正式な命令が必要だからです。中止の命令を受け取っていない以上、先の命令に従うことを指示した艦長の判断は間違いではありません。特に自国に対する核攻撃を防ぐための先制攻撃の場合は一刻を争います。次の暗号電報がまったく攻撃に関係のない電報だったりした場合に確認に時間を取られているととんでもない犠牲が出てしまいます。

しかし、内容のよく分からない暗号電報を不完全な形で受診した場合に確認の措置を取ろうとした副長の判断も間違いではありません。核戦力の使用にはそれだけ慎重な態度が求められるからです。

これは映画の話ですが、リアルワールドで同じようなことが起きたことがあります。

ワリシー・アルヒーポフ

時はキューバ危機の真っただ中です。

キューバー沖で米海軍の封鎖に対抗しようと出撃したソビエト海軍潜水艦にワリシー・アルヒーポフという男が副長として乗組んでいました。

この潜水艦は同海域を哨戒中の米海軍駆逐隊と航空母艦の警戒線を突破できず、逆に探知されてしまいました。

この潜水艦には核魚雷が搭載されていたのですが、それを知らない米海軍の駆逐艦は同潜水艦を完全に追尾し、浮上要求をするための攻撃を行いました。これがどういうものであったのかはよく分かりません。書物によると爆雷攻撃とされていますが、爆雷攻撃は浮上要求ではなく撃沈を意図して行われます。オフセットさせたかもしれませんが、オフセットされた爆雷攻撃であると、潜水艦側は敵に自分の正確な位置を探知されていないと判断してしまうため、浮上要求のメッセージは伝わりません。

現代なら、凄まじい音響を発する爆雷に代わる兵器があり、同時に水中交話器で浮上要求を伝えるところですが、キューバ危機の頃にそのようなシステムがあったかどうかよく分かりません。

いずれにせよ、なかなか浮上しない潜水艦に対し、いよいよ実弾が使われ始めたことは間違いありません。

潜水艦は身の危険を感じ、モスクワに反撃の許可を求めようとしましたが、現在のような衛星通信システムのない当時のことゆえ、連絡が通じませんでした。

潜水艦艦長は空気と電力が不足しつつある艦内にあって、浮上して降伏するか核魚雷による攻撃を行うかの判断をしなければならなくなりました。

通信が途絶して周囲の状況が分からない状況にあって、艦長はすでにキューバを巡った戦争が始っており、そのために通信が途絶しているのだと判断し、海軍軍人として果敢に戦うべきとの結論を出しました。

この潜水艦は水上にアンテナを出して米国の民放ラジオから情報収集をしていたのですが、米海軍に取り囲まれたため潜水して行動していたため開戦したのかどうかを知りようがなかったのです。通信途絶の状況から艦長は米ソが開戦したと判断したと言われています。

当時のソビエト海軍の規定によれば、艦長が決断し、同じく乗組んでいる政治将校の了解があれば発射は可能だったのですが、副長が艦長と同じ階級であったため、副長の了解も必要とされていました。

政治将校は了解したのですが、このアルヒーポフ副長は慎重で、しっかりとした情報を得るべきであると艦長と政治将校を説得し、結局この潜水艦は米海軍の陣形の中央に浮上することになります。この潜水艦は原子力潜水艦ではなく艦内の空気と電力が限界に達していたのです。

浮上したところ、米海軍は浮上要求に応じたものとして攻撃せず、無線通信も復活したため状況を判断することが出来、開戦されていないことが分かり、潜水艦は作戦海面を離れて帰国の途に就きました。

このアルヒーポフ副長の熟慮がなければキューバ沖で核攻撃が行われ、一挙に世界は第三次世界大戦を始めたかもしれません。

筆者はこの頃小学生でしたが、ある日、海上自衛官で護衛艦艦長であった父が長い訓練航海から帰ったばかりでビールを飲もうとしていた時に官舎地区にスピーカーを積んだ車が来て、護衛艦乗員は直ちに帰艦するようにというアナウンスが流され、父は迎えに来たジープで出て行ったのを覚えています。自衛隊も緊張状態に入ったのだと思います。

ソビエト海軍の一人の潜水艦乗りが第三次世界大戦の勃発を防いだのかもしれません。

アルヒーポフはその後、沈着冷静な海軍士官としての評価が定着して信頼を集め、海軍大学校の校長などを務めて海軍中将で退役しています。

しかし、私たちが忘れてはならない男がもう一人います。

スタニスラフ・ペトロフ

1983年9月、ソ連空軍の戦闘機が領空侵犯をした大韓航空機をミサイルで撃墜し、269名が死亡するという事件が起きました。米ソ関係は一挙に悪化しました。

この日、筆者は任官したばかりの実習幹部として遠洋航海の途上にあり、ポーツマスに入港してロンドンでの歓迎レセプションに参加するためロンドンにいました。

レセプションは夕方からで昼間は市内研修が行われ、その後の自由時間でタクシーに乗ったところ、ラジオを聴いていた運転手が「大変だ。戦争が始る。海軍はすぐに船に帰らなければならないんじゃないか?」と騒ぎ始めました。彼は筆者の制服を見て英国海軍の士官だと勘違いしたらしいのですが、ロンドンの下町訛りについていけなかった筆者が何度か聞き直しているうちに外国海軍だと気付いて、「ソ連がアメリカの旅客機を撃ち落とした。」と教えてくれたのです。彼もよくニュースを聞き取っていなかったようです。

この事件の3週間後、ソビエト戦略ロケット軍の中佐であったスタニスラフ・ペトロフという男が、モスクワのセブコフー15という防空警戒施設で当直将校として勤務していました。この任務は人工衛星による早期警戒システムの監視です。

9月26日、この早期警戒システムが米国から一発のミサイルがソ連に向けて発射されたことを探知しました。さらに4発のミサイルが探知されました。

規程によれば、この場合、彼は直ちに戦略ロケット軍司令部に報告しなければなりません。そしてソビエト軍は相互確証破壊理論が怖れたように全力を挙げた報復攻撃を発動することになります。

しかし、彼はそのミサイル攻撃警報をシステムエラーによる誤報だと判断し、上層部に報告することをしませんでした。

彼の判断を裏付ける情報は何一つなかったのですが、彼は軍人としての常識的な判断からこれが誤報であるとしたのです。

筆者も同様に考えますが、もし、これが本当に米国からの攻撃であるとすれば、1発とか5発とかであるはずはありません。第一撃で相手国を叩き潰すような攻撃になるはずで、そのためには数百発から数千発の核ミサイルが発射されるはずです。にもかかわらず、この時探知されたのは、ヒョロヒョロと飛んでくる5発のミサイルなのです。

彼はこの攻撃はコンピューターの誤作動であると判断して上層部に報告せず、その結果、米ソの核戦争は生起しませんでした。

その後、システムの誤作動が確認され、大幅な改修が行われたことは言うまでもありません。

この中佐のお陰でソビエトは戦争を始めなくて済んだのですが、戦略ロケット軍は彼の規則違反を見逃しませんでした。抗命と軍紀違反で告発され、何よりも軍のシステムエラーという欠陥を暴露したことが致命的であり、些細な書類上のミスを理由に懲戒処分を受けて左遷され、早期退役を余儀なくされ心神耗弱状態になりました。

その後、彼の行動を高く評価したソ連防空軍の元司令官の回顧録で彼の功績が紹介され、2006年、国連の会合で表彰されるに至りました。

当コラムがロシア軍人に期待するもの

当コラムでは二度にわたりロシアが核攻撃をするようなことはしないだろうと述べています。それは筆者のロシアの軍人に対する信頼感に起因しています。

ここまでお読みなった皆様にはお分かりいただけたかと拝察いたしますが、軍人は機械ではありません。システムのエラーを見抜くこともできます。

ペトロフ中佐の行動は役人には理解できないでしょう。彼が警報をそのまま司令部に報告しても何の落ち度も彼にはないからです。

しかし彼は何の裏付けになる情報がないにも関わらず、国家の命運にかかわる報告を自分の責任で握りつぶしたのです。役人と軍人の違いです。

軍人には誇りがあります。特に士官は様々なレベルで教育を受けています。それは単に軍事技術だけではなく、リベラルアーツと呼ばれる分野に及んでいます。

例えば米軍では中佐以上で修士号の学位を持っていない者に会ったことがありません。会っているかもしれませんが、その程度の学位を持っているのが当たり前なのでいちいち聞いたりしていないだけです。中佐に進級させるかどうかの評価が行われる際に学位が問われると聞いたことがあります。

日本の自衛隊も、筆者が入隊した頃、同期で大学院出身者は筆者と技術幹部候補生の二人でしたが、その後、国内留学や米国の大学院への留学等で修士号を持った同期生は数えきれないほどいます。筆者の学位は経済学修士ですが、国内留学や米国留学の同期には国際関係論などで学位を取ってきた者が多いようです。

最近は筆者のように入隊時に修士号を持っている候補生も多くなってきましたし、任官後の海外の大学院への留学生も増えていますから、かなりの高学歴社会になっていくものと思われます。これは筆者の知る限り他の多くの国でも同様です。

つまり、核兵器を最終的に使用する者たちは「馬鹿」ではないということです。

筆者は海上自衛隊が初めてロシアに派遣した護衛艦に司令部幕僚として乗っていくという機会を得たことがあります。そこで知り合ったロシア海軍の士官たちは、英語こそ話す者は多くありませんでしたが、歴史を学び、芸術を理解し、船の士官室で猫を飼うほどペットが好きな連中でした。

「次に会う時は洋上で敵味方かもしれないけど、正々堂々とそれぞれの国ために戦おうぜ。」と言うとニッコリして握手を求めてくるような連中です。相手は少尉とか中尉などという血気盛んな若造ではありません。筆者は当時二等海佐であり、相手も同じ中佐や少佐というそれなりに分別もあり、軍人としての判断力も涵養されているはずの佐官クラスの将校でした。

「汚い爆弾」と呼ばれる放射線汚染物質をばらまくということは核攻撃よりも敷居が低いので、特に劣勢が伝えられている陸軍がうろたえて撤退せざるを得ないほどウクライナの攻撃が急であった場合に、切羽詰まって追撃してくるウクライナ軍の速度を緩めるために撤退前にそれを使うということはあるかもしれません。

しかし、その行為は以前のコラムでも申し上げているとおり、除染能力のないウクライナにNATOが軍事的介入ではなく、人道的介入を行うという口実を与えるのでプーチンは行いたくないはずです。

そのプーチン大統領はKGB出身です。ロシア軍人が大嫌いなスパイ組織であり、軍に対抗するカウンター勢力としての役割も担っている組織です。

筆者はロシアの軍人たちがこのプーチン大統領の言うがままに核攻撃などと言う愚かな決断をすることはないと信じています。