専門コラム「指揮官の決断」
第323回防衛予算GDP比2%へ その1
あえて取り組む専門外の領域
繰り返し申し上げてきておりますが、当コラムは危機管理の専門コラムであり、専門以外の領域に踏み込む際には大きな躊躇を感じております。
特に今回テーマとするのがこの国の安全保障に関する財政問題であり、財政学は当コラムの専門ではありませんので大きな躊躇を感じているところです。
筆者は大学院で経済学研究科にいたことがあります。しかし、この程度で経済の専門家と称することはできませんし、そもそも研究科は経済専攻ではなく組織専攻でした。財政学に関しては学部での講義くらいしか教育を受けていません。
また安全保障の専門家でもありません。
筆者は海上自衛隊に30年間在籍しましたが、海上自衛官がすべて安全保障論の専門家であるわけではありません。
幹部自衛官に任官後しばらくしてから海上自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程や高級課程に入学し、合わせて2年間、戦略や国際関係論などの教育を受けていますが、学問としての安全保障論を体系的に教育されたということでもありません。つまり、海上自衛隊にいたから自動的に安全保障論の専門家になるということではないということです。
経済学部出身の元海上自衛隊幹部で危機管理のコンサルタントをやっている奴が防衛予算について話したら、「専門家」の議論だと思われてしまうだろうという危惧がありますが、筆者は財政学も安全保障論も専門外であるとあらかじめお断りしておきます。
国防関係費に関する議論
さて、異様に長い前置きでしたが、本題に入ります。
今後の防衛予算についての議論なのですが、いくら専門ではないとは言っても、国家の危機管理に関して国防予算の問題は看過できない分野ですので、あくまでも危機管理の側面から議論させて頂きます。
今回はその前置き的な議論です。
岸田首相は11月28日に2027年度に防衛費と関連経費を合わせて国内総生産比2%にするように関係閣僚に指示しました。
今年の6月頃、この防衛予算拡大の議論が出てきた際、世論調査では70%以上が賛成であり、反撃能力に関しても60%以上が賛成でした。
それが財源論が議論され始めると賛成が50%にまで圧縮されてしまいました。つまり、防衛費の拡大には賛成であるが、自分の収める税金を財源とするなら反対という人が20%いるということです。
6月はまだウクライナにおいて戦争が始ったことのショックが生々しかったのに比べ、10月は半年以上たってそろそろウクライナ報道にも飽きが来ていたという事情があるかと思われます。
つまり、この国の安全保障に関する議論は“理性”ではなく“感情”をベースに展開されているということです。
そもそも防衛予算のGDP比とは?
世論調査を見れば明らかなのですが、「防衛費2%への増額は適当かどうか」という質問が同じでも、ヨーロッパ諸国がGDP比2%前後であることを示して行う調査と、「これまでは1%という枠があった。」という前提を置いて行われる調査では結果が全く異なります。
そもそも防衛予算の対GDP比1%という数字が何を根拠にしているかを知らない人に、それが適当かどうかを尋ねること自体が誤っているのですが、この問題も単純ではありません。
防衛予算が対GDP比1%を超えないと決められたのは1976年の三木内閣の時でした。
世界が1973年末の石油危機からようやく立ち直り始めている頃です。
当時、防衛予算と社会保障予算の割合をどうすべきかという議論が行われた結果、絶対額ではなく、対GDP比という相対額として示すこととされたのは、その後の経済成長が見込まれたからです。1%としても、母数が大きくなれば絶対額は膨らんでいきます。
そのため、当時の防衛予算や社会保障費の総予算に占める割合をとりあえず「是」として、その後の経済成長に期待して1%枠がはめられたのです。
この議論は政策を担当する政権としては、無理もないものかもしれません。
国防さえ充実していれば社会保障や教育などどうなってもいいということではありませんから、少ない予算を何とか適切に分配しなければならず、何らかの基準が必要だったことは言うまでもありません。
しかし本来、国防予算はその国の置かれた安全保障環境を20年くらいのスパンで見積り、そこに必要とされる装備の調達、維持、人件費などを積算し、年度ごとの予算をはじき出していくべきであり、最初から対GDP比があるわけではありません。GDP比は結果的に算出されるべきものです。しかし、いつのまにかそれが目的となってしまいました。
2%の根拠は?
岸田首相は唐突に2%という数字が示したものの、その根拠について説明がありません。強いてあげると、欧米各国が2%程度だからという理由です。
先に2%という数字があり、各省庁はそこから中身を考えようとしています。2%を何に使おうかな?ということです。
これを「本末転倒」と言います。
しかも財源に関する議論すら後回しというお粗末さです。
実はこの財源論がもっとも問題なのですが、今回はそこには踏み込みません。
老兵は消え去れ!
政権与党の中でも議論が戦わされているようですが、それらも論点がずれた議論に終始しているようにしか見えません。
山崎拓という政治家がいます。
防衛庁長官や建設大臣、自民党副総裁などを歴任した重鎮です。
この政治家が、昨今の安全保障費増額論議に苦言を呈しています。
この人の発言をまとめると次のような主張のようです。
「米国は日本に、北大西洋条約機構(NATO)並みに防衛費を引き上げるよう求めている。その要求に応じる国際政治の局面はある。米国を喜ばせる点ではたしかに意味がある。
しかし現実問題として防衛費を増やしたらどうなるか。日本の防衛費は4割強が人件費だ。その7割を占める陸上兵力を増強して、人件費を増やすことは実際的ではない。つまり防衛費を増やすことは装備費を増やす問題になる。2022年度予算では防衛関係費は5兆4000億円だ。2倍にするならば10兆8000億円だ。
装備をそこまで増やす現実的な方法はない。米国の軍事産業を喜ばせるかもしれないが、装備をそれだけ買うことは実際上、不可能だ。みな非常に単純に考えているが、防衛力というのは簡単に強化できるものではない。核開発でもするというなら別だが、非核三原則は国是だ。変えるべきではない。」
一見もっともな議論に聞こえますが、筆者に言わせると山崎拓という政治家も老害になりはてたかというところです。
必要なのは装備ではなく継戦能力
現在の自衛隊に最も必要なのは継戦能力です。
即応能力にはまず問題はありません。
東日本大震災の際、海上自衛隊は発災から1時間以内に40隻の停泊状態にあった艦艇を出航させ、日本に駐在する各国駐在武官たちを唖然とさせました。
そもそも「可動全艦出航せよ。」の命令が出たのが発災6分後であり、その命令から47分後に最初の船が横須賀を飛び出していきました。
岩手県を大津波が襲ったのは発災から25分後ですが、海上自衛隊の出航命令は6分後、つまり、まだどこも被害を受けていない時点で発出されています。
しかし、問題は即応できたとしても、その態勢をいつまで維持できるかです。
戦いを続けるために必要なものがあります。
戦場から傷付いて戻っても、それを整備し直し、弾を再び積み込んで出かけて行かなければなりません。
人は疲れていきます。休養や交替が必要です。戦いが始れば怪我をする者、命を失う者も出てきます。それらの補充や交替が必要です。
たまに撃つ、弾がないのが玉に傷
陸・海・空三自衛隊共通の問題は弾の不足です。
正面装備の調達が精一杯の防衛予算で、継戦能力の要である弾薬の備蓄が後回しになっています。問題はそれらを製造する態勢が貧弱であることと、備蓄しようにも弾庫が無いという問題が生じていることです。
弾薬庫はかなり厳しい基準で作られるのですが、もともと山の中にあったのに、付近の宅地開発が進んだ結果、近くに幼稚園ができて、貯蔵できる弾薬の換爆量が制限されてしまうというような馬鹿々々しいことが当たり前のように起こっています。
人も足りてません
人の不足も半端ではありません。
正月に行われる箱根駅伝で、かつては陸上自衛隊のジープなどが伴走していたのですが、ここ10年くらいはその光景が見られなくなったことにお気づきの方も多いかと思います。
イラク派遣を行っていた陸上自衛隊が関東陸連の要請に応えることができなくなったのです。
海上自衛隊も深刻です。特に護衛艦の幹部自衛官の充足率の低さはビックリするほどで、出航して哨戒配備につくと、3交代の当直が組めず、4時間当直して4時間交代するという2交代の勤務が続いています。その当直についていない半分の時間で、日常の仕事をこなしていかなければならないので、出航すると幹部は慢性的な寝不足になります。
本来、艦艇には定員以上の人員を予備員として確保しておくことが必要です。長期航海や戦闘航海では病気や怪我、あるいは死亡により交代させなければならなくなることがあり、着任したての新人は訓練をしないと配置に就けることができないからです。
米海軍の原子力潜水艦にはクルーのチームが二つあり、長期の警戒任務から帰投すると、待機していたクルーが乗り込んで交代しています。
海上自衛隊は予備員どころか、現員ですら充足率を割っており、即応は出来ても、しぶとく何年も戦い続けることができるかどうかは心許ない状況です。
さらに陸・海・空という物理的なスペースだけの戦いではなく、サイバースペースでの戦いも極めて重要になってきていますので、その要員も確保しなければなりません。
山崎氏は「日本の防衛費は4割強が人件費だ。その7割を占める陸上兵力を増強して、人件費を増やすことは実際的ではない。」と述べていますが、防衛庁長官経験の政治家ですら、自衛隊の人員不足に認識を持っていないというのがこの国の防衛論議の実態です。
人件費を増やすと言ったら、陸上自衛隊の定員を増加させることしか頭にないのです。彼は防衛庁長官の時に、部隊の充足率を考えたことが無いのでしょう。
充足率80%などという部隊は珍しくありません。戦わずして2割が戦死しているのと同じことであり、それが大問題であるという認識すらないようです。
防衛庁長官を経験した政治家ですらその程度の認識で、その程度の政治家が進めているのが防衛予算GNP比2%の議論です。
壮大な無駄と、取り返しのつかない歪な防衛態勢が構築されるのではないかという危惧を抱いています。
次回はもう少し踏み込んだ議論を展開します。