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専門コラム「指揮官の決断」

第331回 

コロナ禍の実相  その2

カテゴリ:危機管理

はじめに

今回は、危機管理入門の基礎的な理論と同時並行で進めている応用編であり、危機管理の眼から社会の様々な事象を見るとどう見えるかという話です。

皆様に話が見えやすいように前回の応用編に引き続きコロナ禍を取り上げます。

前々回のコラムでこの問題を取り上げた際、当コラムはコロナ禍の本質は無能な感染症専門家たちと視聴率稼ぎのために事態を煽り続けたメディアによる人災であると結論付けました。

事態を煽って視聴率を稼ぎたいメディアが、その意向に沿う発言に終始する専門家と称する連中のみを取り上げた結果、彼らの意図したとおり騒ぎが大きくなり、過剰に反応し、3年間にわたる惨禍を引き起こしたということです。私たちの社会はもっと冷静に事態を観察すべきだったのです。

コロナ禍の規模感

このことは、新型コロナウィルスによる惨禍は実際には生じていないということを意味しているわけではありません。

全世界では700万人近い死者を出しています。日本でも6万7千人の方が亡くなったと統計されています。

しかし、第一次世界大戦を集結させたとまで言われているスペイン風邪の際には当時の世界人口約19億人に対して5億人が感染したとされ、死者数は最近の研究では1700万人だったと言われています。

ただし、この数は直接スペイン風邪によって亡くなった数の推計であり、現在の新型コロナのような死後の検査によって死因を問わずにウイルスが検出されればコロナ死と認定するというやり方ではないため、比較ができません。現在のような集計法によれば、死者数は1億人を軽く超えると言われています。

世界人口が19億人程度の時の話です。今のように80億人を超えている時代ではありません。

スペイン風邪はヨーロッパでの流行に遅れて日本にも入ってきました。結局、感染者数2380万人、死亡者数39万人となりました。この死亡者数は当時まだPCR検査が実施されていないので、スペイン風邪と診断されて亡くなった人数なので、現在のように交通事故で亡くなってコロナ死と認定されるような数字ではありません。

新型コロナ感染症が恐ろしいことは事実

この国では歴史的に毎年冬になると風邪が流行ります。これは4種類のコロナウイルスが入れ代わり立ち代わり襲い掛かって来るのだそうで、これらに対する治療薬はまだ開発されていないそうです。風邪薬として処方されたり売っていたりするのは対症療法の薬であり、熱を下げたり、咳やくしゃみを止めたりするだけで風邪そのものを根本的に治すものではないということです。

この4種類のコロナウイルスは毎年襲ってきますので、私たち日本人にはある程度免疫が作られているのでしょう。ただ、免疫の効果が1年間続くということでもないようなので、風邪を引きやすい人は毎年引きますし、基本的に体力があって抵抗力の強い人は風邪を引きにくいのだろうと思われます。

毎年襲ってくるコロナウイルスに対しても私たちは感染して様々な症状を発症してしまうので、この度のように第五のウイルスに襲われるとそもそも免疫を持っていないので感染する人数が例年より多くなるのは仕方ないでしょう。

これ以上の言及は専門分野が異なりますので避けることとしますが、6万7千人のコロナ死者のうち70代以上の方が4万8千人という数字をどう解釈するかという統計学的な問題があります。この間、インフルエンザによる死者数が激減していますが、一方で肺炎による死者数に大きな変化はありません。

この状況を見ると、高齢者が持病が悪化して亡くなったり、例年であれば流行性感冒またはインフルエンザによる肺炎で亡くなっている数はそれほど変わっていないけれど、コロナ死に置き換えられているという現状が見えてきます。

このことは新型コロナウイルスがそれほど怖くないということを意味するものではありません。現場の医師たちはよくご存じですが、インフルエンザなどには見られない質の悪い後遺症を残して廃人同様になってしまうケースもあり、また数週間後に後遺症が発症して全身が倦怠感に襲われて仕事に就けないというケースも多いようです。

そうでなくても「風邪は万病のもと」と言われ、特に高齢者は怖れるべき病気だったはずです。

この事態を社会科学の眼で見ると

さて、議論を医学的な問題ではなく、危機管理論が寄って立つところの社会科学の側面から見て見ると恐ろしい現実が浮かびます。

当コラムでは病院がコロナ患者を受け入れることができないほど病床使用率が圧迫されているはずはないと主張してきました。ところが、この見解には、実際に救急搬送ができないでいる現実をどう説明するのかというご批判が集まりました。

弊社が病床がそほど圧迫されているはずがないと判断していた理由は、新型コロナウイルス感染症によるECMOや人工呼吸器の使用数を観察していたからです。

ECMOについては患者ご家族の想いや医師の判断が働くので、一概にその使用状況を判断できないのですが、少なくとも肺炎で重篤化した場合、人工呼吸器は使用するはずです。その使用数を見ていると、とてもではないが病床使用率が危険な度合いまで逼迫したことはないと考えています。

ECMO及び人工呼吸器のCOVID-19の患者に対する装着数を見てみます。

これまでにECMOを装着した人数は約1700人、人工呼吸器を装着した人数は約1万2千人です。

そして、ECMOや人工呼吸器を用いても亡くなった人数は約3千2百人です。

日本のコロナ死の総数は6万7千人と言われていますが、コロナに罹患して病院で人工呼吸器やECMOを装着しなければならない事態に陥って亡くなったのは3千人強だということなのです。

その他の死者は人工呼吸器も付けずに亡くなっているのであり、つまり、元々の病気が悪化してなくなったか、施設や自宅で看取られて亡くなったということです。

これが新型コロナ感染症の実態です。

このため、当コラムではかねてから病床のひっ迫について疑問を呈してきました。

何故医療のひっ迫が騒がれたのか

それでは、何故8波に及ぶ感染拡大のたびに医療のひっ迫が騒がれたのでしょうか。

その疑問に対するヒントが一昨年ありました。辛坊治郎氏が神奈川県の黒岩知事にインタビューを行ったのです。

当時、神奈川県のコロナ病床の使用率が30%となったというニュースが流れ、黒岩知事が「大変だ。」と騒いでいた頃でした。

筆者は単純に経営者としての感覚で、コロナ患者にしか使えないベッドが30%しか埋まらなかったら、病院経営は大変だろうなと思っていたに過ぎないのですが、黒岩知事は病床のひっ迫が大変だと騒いでいたのです。

インタビューで辛坊氏が神奈川県の病院には入院病床が何台あるのですかと尋ねたところ、黒岩知事はその数字を知らず、言葉を濁してしまいました。そこで辛坊氏が重ねて同じ質問をしたのですが、黒岩知事はそれに答えることができず、「コロナ病床の30%とは言っても、即応という意味では70%を超えて現場は大変なことになっている。」と答えたのです。

この時の黒岩知事の対応にイライラした辛坊氏が「全体数を知らずによく逼迫だなんていえますね。」とボールペンでデスクをつつきながら呆れたような顔をしていたのが印象的でした。

筆者は別の意味で驚いていました。

コロナ病床数とすぐに入院できるコロナ対応の病床数に大きな乖離があることを知ったからです。コロナ病床の30%が即応のベッド数の70%に相当するということですから、単純に計算すると、県知事が準備したと豪語したベッド数の43%しか入院できないということになります。

何故かというと、コロナ専用病床としてベッドを確保し、導線を区切ることまではやっているのですが、医師と看護師を待機させていないからです。

一応、コロナ担当の意思や看護師は指定されて名簿も届けられているのですが、彼らは日常は通常の診療のシフトに組み込まれており、いきなり患者が運び込まれても対応できないのです。

その結果、100床あるはずの病院でも30人が入院すると逼迫状態になり、それ以上の受け入れができないということになってしまうのです。

一方で、本当に必死で受け入れた病院もあり、ピーク時には廊下での診療も行ったところもあります。日赤病院や徳洲会の病院などはその例です。彼らはそのような状況においても受け入れを拒みませんでした。

100床あるはずの病院で30人が入院すると受け入れができないので、その後の患者は日赤や徳洲会に搬送されていきます。そのような病院で戦場のような騒ぎが起こるのも無理はありません。

一方の黒岩知事が準備した病院では、100床に対して30人しか入っていないのですから、ガランとした感じだったはずです。

これがコロナ禍における病床逼迫の現実です。

この状況をさらに分析するともっと酷い現実が浮かび上がってきますが、長くなりますのでその議論は今後ということにさせて頂きます。