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専門コラム「指揮官の決断」

第346回 

失敗の意味するもの

カテゴリ:意思決定

『失敗の本質』の失敗

『失敗の本質』という著作があります。ビジネスマン必読の書と言われて久しく、出版されて30年以上経つのにいまだに読み継がれています。

これは組織論と戦史の専門研究者たちの共同執筆による第2次世界大戦における日本軍の様々な作戦を取り上げ、それらが失敗に終わった理由を社会科学の観点から分析したもので、大学院で組織論を学んでいた筆者にとっても参考とすべき書籍でした。

この本を初めて読んだのはまだ筆者が海上自衛隊に入隊して数年しか経っていない頃であり、研究室を出て以来、幹部候補生学校や各種の術科学校で様々な勉強はさせられたものの、それらは艦隊勤務に必要な技術的な勉強ばかりだったので、久しぶりに学問的な書物に触れる懐かしさもあり、凄い本が出版されたという驚きを持って読んでいました。

しかし、何回か読み直すうちに、筆者も最前線の部隊勤務での経験を積んでいたこともあり、何となく違和感を抱くようになりました。

一等海尉の4年目に在米連絡官を命ぜられて家族を連れてペンシルバニア州に赴任した際に持って行った数少ない日本語の本の一冊でもありましたが、当時突如として始まったのがイラクによるクウェート侵攻であり、米国が参戦して始まった湾岸戦争を目の当たりにしながら読み直すと一層の違和感が生じてきました。

その違和感については当コラムでも何回か触れてきましたが、近いうちに再度別の角度から触れることにいたします。(専門コラム「指揮官の決断」第30回 No.030 『失敗の本質』の失敗の本質 https://aegis-cms.co.jp/560 その他)

ただ、この書物の中でタイトルの「失敗」の意味にも若干の違和感があり、これが今回のコラムのテーマとも関係しますので、あえてこの書物を取り上げている次第です。

何に違和感を覚えているかと言うと、「失敗」という言葉の意味するところです。

この『失敗の本質』という書物では太平洋戦争で戦われた最初の作戦である真珠湾奇襲攻撃を成功した作戦、民間人10万人以上の死者を出し、軍の戦死者も9万人を数える犠牲を払った沖縄の戦いを失敗した作戦と位置付けています。

単なる戦史の本ならそれでもいいでしょうが、この本は組織における意思決定を取り扱っている学術書です。組織論の専門家としてそれでいいのかという疑問が残ります。

意思決定において最初に行わなければならない重要なことは、目的をはっきりと定義することです。目的が曖昧であるような決定は碌な結果をもたらしません。また、目標と目的を峻別し、目標の目的化は避けなければなりません。

真珠湾奇襲攻撃の目的は、山本連合艦隊司令長官自身が書き残したように、開戦劈頭に米海軍の主力部隊を壊滅させ、日本と戦う気力を喪失させることにありました。

結果はどうかというと、”Remember Pear Harbor”の合言葉の下に米国世論は湧き上がってしまいました。つまり、目的を達しなかったのです。

一方の沖縄の戦いはどうだったでしょうか。

沖縄の守備に当たった陸軍第32軍に与えられた使命は、沖縄の死守ではありませんでした。それが不可能なことは大本営も承知していました。第32軍の使命は、詰まるところ本土防衛の準備のための時間稼ぎでした。

当初沖縄は1か月程度で陥落すると見積もられていましたが、第32軍司令官牛島中将はその使命を自覚して水際での決戦を選ばず、島中を逃げ回って戦う作戦に切り替えて3か月の持久戦を戦いました。その結果民間人の犠牲が凄まじい数になったのですが、見事に1か月ではなく3か月持ちこたえています。目的は達しているのです。

そうは言いつつ、極めて少ない被害で大きな戦果を挙げた真珠湾攻撃を失敗とし、多くの民間人の犠牲者を出した沖縄戦を持久期間が長かったことをもって成功と評価することには躊躇があります。つまり、何をもって成功とし、何をもって失敗とするかは意思決定に際してしっかりと議論しておかなければならないということです。

目的を達成するための代償についても評価しておくことも必要になる場合は少なくないからです。

H3ロケットの打ち上げ

今年2月、JAXAが次期基幹ロケットとして開発していたH3ロケットの打ち上げが発射直前にシステムの不具合を検出してメインロケットを点火させずに中止となりました。

その後の記者会見で、JAXAの岡田プロジェクトマネージャーが「制御システムが正常に稼働したことによる中止」と説明しているにもかかわらず、共同通信の記者が何度も「それは失敗というのではないのか」と執拗に迫ったことで問題が大きくなりました。

JAXAの岡田マネージャーは涙ぐんで悔しがっていたのですが、共同通信の記者は最後に「分かりました。それは一般に失敗といいます。ありがとうございます。」と突き放して質問を切り上げたので、ネット上で炎上してしまいました。

この記者の狙いは明白です。担当者から「失敗」という言質を取りたかったのです。結果的に大きな国費の無駄遣いであったと言いたいのでしょう。

一言を取りたいメディア

あるキーワードに関する記者の執念というのは報道関係者でなければ理解できない圧倒的なものです。

それについては筆者にも強烈な思い出があります。

1996年に海上自衛隊が初めてロシアに護衛艦を派遣しました。

日露の国交正常化のための最初のステップとして軍艦の交換訪問が計画されたのです。

軍艦同士の相互訪問は、そのように外交の手段として使われることは珍しくありません。

これが平時における海軍に課せられた役割の一つであり、軍艦は戦争の為にも使われますが、友好親善のためにも使われるのです。

陸軍はそうはいきません。友好の証として他国の首都を戦車が走り回るなどと言うことは聞いたことがありません。

とにかく、日露国交正常化への第一段階として筆者が司令部幕僚として勤務していた部隊に護衛艦をウラジオストクに派遣せよという命令が出されたのです。ロシア海軍300周年記念の国際観艦式に参加して来いということでした。

ただ、その時はロシアと友好親善の関係ではなかったので、位置づけとしては「信頼醸成措置の第一歩」とされました。

しかしメディアは何とかして海上自衛隊から「ロシアとの友好親善」という言葉を引き出したかったようです。

当時、中国はまだ問題となるような勢力ではなく、日本の仮想敵国はロシアでしたから、その言葉を引き出すことに成功すれば、ロシアは友好国なんだから、もうロシアとの戦争を想定した防衛力整備はしなくてもいいよね、ということになるからです。

筆者は司令部監理幕僚でしたので、メディア対応を担当していました。そこで派遣艦である「くらま」乗員に対して、出発前・ウラジオストク入港中・帰国後を通じて「友好親善」という言葉を口にしてはならないと徹底的に教育しました。

凄まじい取材攻勢に見舞われました。

ウラジオストクで上陸する乗員が片っ端から日本から来た記者につかまって、「ここへ来た目的は何ですか?」とマイクを向けられるのです。

教育の効果があって、乗員は誰も「友好親善」という言葉を発しません。ただ馬鹿の一つ覚えのように「信頼醸成措置の第一歩」という言葉を繰り返すだけでした。多分若い乗員はその言葉の意味を理解しておらず「シンライジョウセイソチ」と丸暗記していたかもしれません。

業を煮やした朝日新聞社の担当者に筆者はウラジオストク入港中につかまり、「あんたは言論統制をしているだろう。」と詰め寄られたこともあります。

この時、「オフレコなら教えてやる。」と言ったら、一応レコーダーとカメラのスイッチを切ったのですが、疑い深い筆者はその担当者の胸ポケットが膨らんでいるのを見逃さず、ボイスレコーダーが入っているのを見つけて電源を切らせました。さらに内ポケットも膨らんでいたのでそこからもボイスレコーダーを出させて電源を切らせました。

そして、「そうだよ、徹底したメディア教育をやったよ。友好のユの字も口にしてはならんと言い聞かせてきたんだ。分かったか?」と教えてあげました。

今回も、JAXAから「失敗」の一言を取りたい執念があったのでしょう。

他のメディアは一部の新聞等で「打ち上げ失敗」と報じたものの、「JAXAの見解としては異常探知のシステムが正常に機能したのであり、中止であって失敗ではない。」と伝えていました。

岡田マネージャーの悔し涙を浮かべた記者会見が功を奏したのかもしれません。

目的を考えると・・・

当コラムを継続して読んでいただいている方は、筆者が共同通信の記者を厳しく批判していたことをご記憶と存じます。(専門コラム「指揮官の決断」第231回 コロナ禍を危機にした人々:専門家たちの果たした役割  https://aegis-cms.co.jp/2301 )

GoToトラベル事業に関し、東京大学の研究者チームが感染者数との関係について発表した論文に関して共同通信が配信したニュースが出鱈目だったことを批判したものです。

GoToトラベル事業と感染者数の増加が統計学的に証明されたという記事だったのですが、実際には統計学的な証明はされておらず、執筆チームもそれを自覚しており、論文中のどこにも統計学的証明とは書いていないにもかかわらず、数式が並んでいる論文を見た記者が統計学的に証明されたと配信したのです。多分その記者は統計学の初歩が理解できず、英語も読めないのでしょう。

しかし、今回の問題に関しては、あっさりと共同通信を責めるつもりにはなりません。

冒頭に述べているように、目的を考えるからです。

今回の打ち上げが、H3ロケットのシステムの稼働状況を検するために行わるものであれば「失敗」ではないという言い方もできるかもしれません。制御システムが正常に稼働して異常を検知しているからです。

しかし今回は積んでいる衛星を軌道に乗せることなど実用目的を持った打ち上げでした。

それができず、打ち上げを中止せざるを得なかったとすれば、やはり「失敗」だったとすることが正しいと考えます。

これを失敗とせずに中止としたため、再度の打ち上げを急がなければならず、3月7日に再度打ち上げを試みたものの、今度は2段ロケットが点火しなかったので破壊信号を出さざるを得ず、さすがに失敗を認めざるを得なくなってしまいました。

失敗を失敗と認めない文化

失敗を失敗と認めないというのは実は恐ろしいことです。

太平洋戦争中、ガダルカナル島で敗退した日本軍は、その事実を「転進」と表現し、その後援軍を送ることも撤退させることもできずに全滅した守備隊は「玉砕」と美化されました。

失敗は失敗と認め、その失敗から何を学ぶかが重要なのですが、残念ながら日本の文化がそれを許さないのでしょう。「失敗」すると誰かの責任問題となり、引責辞職をやむなくされてしまいます。

ロケット開発など、技術的に見れば3歩進んで2歩下がることの繰り返しで発展してきているのですが、このところのH2の成功率が高いので成功するのが当たり前と思われてしまっているようです。

メディアの歪んだ報道姿勢が取材される側を委縮させ、歪曲された発表が行われ、結果的に国民に真実が伝わらないという事態が生じているのです。