専門コラム「指揮官の決断」
第349回危機管理とは その7
はじめに
危機管理論の入門的議論に戻ります。
これまで6回にわたり、わが国では危機管理の概念が混乱しているという現状について語ってきました。
具体的にはリスクマネジメントを危機管理だと考える勘違いが生じており、そのような混乱が起きているのは、少なくとも筆者が調べたところでは日本だけであること。その混乱は阪神淡路大震災後に政府・自治体が重視し始めた危機管理(クライシスマネジメント)と金融機関が始めた企業を金融商品で守っていこうとするリスクマネジメントをマスコミが区別できずに一緒に扱ったために生じたことなどを指摘してきました。
しかし、問題をこじらせたのはマスコミだけの責任ではありません。学問の世界にも責任の一端があります。
学問の世界では・・・
リスクマネジメントを日本で初めて本格な学問研究の対象として取り上げた先駆者は関西大学の故亀井利明先生でした。もともと保険論を専門とされた研究者であり、リスクマネジメントが保険などを使っていかに企業の資産を守っていくかという議論からスタートしていることからも、亀井教授が保険論の専門家であったことに違和感はありません。
亀井先生は後にリスクマネジメント学会の理事長を務めるなどリスクマネジメント研究の発展に大きな成果を残されました。
ただ、残念ながらこのリスクマネジメントの先駆者が危機管理を理解していなかったために混乱を生じさせたという一面があることも否定できません。
平成9年に出版された亀井教授の著書に『危機管理とリスクマネジメント』という書物があります。時期としては阪神淡路大震災の2年後です。
この書物に次のような記述があります。
「それゆえ、リスクマネジメントと危機管理はどう違うのかということが往々にして問題となる。しかし、どちらも危険克服の科学や政策で、そのルーツを異にするに過ぎない。強いて区別するならば、リスクマネジメントはリスク一般を対象とするのに対し、危機管理はリスク中の異常性の強い巨大災害、持続性の強い偶発事故、政治的・経済的あるいは社会的な難局などを対象とする。
それゆえ、危機管理とは家計、企業あるいは行政(国家)が難局に直面した場合の決断、指揮、命令、実行の総体をいうが、とくにリスクマネジメントと異なるところはなく、その中の一部を校正しているにすぎない。」
「リスクマネジメントという言葉が一般に知られるようになると、その内容の十分な展開なしに、言葉だけが一人歩きをし、リスクマネジメントが企業の発展ないし成長のための何か有難い特別のマネジメントやノウ・ハウのように思ってしまう人がいる。これはとんでもない誤解である。リスクマネジメントは決して企業成長や収益増大を志向した攻撃のマネジメントではなく、企業保全や現状維持のための企業防衛のマネジメントである。それは決して積極的に収益や利益の増大には機能しない。しかし、収益にチャージされる費用(とくに危険処理費用)の節約を通じて間接的に利益増大に機能する面は有している。」(『危機管理とリスクマネジメント』同文館出版 P8)
当コラムをお読みの方はすぐにお気づきになったことと拝察いたしますが、亀井教授は危機と危険の概念の区別ができていません。「リスクマネジメントはリスク一般を対象とするのに対し、危機管理はリスク中の異常性の強い巨大災害、持続性の強い偶発事故、政治的・経済的あるいは社会的な難局などを対象とする。」とあるとおり、危機はリスクの中で異常性の強いものを対象とするにすぎないと断じておられます。
危険と危機の概念の差異を理解されていないのですから、亀井教授に危機管理について語っていただくのは無理と断じざるを得ません。
企業の発展や成長を目的としないマネジメントは存在しない
問題はもう一つあります。
リスクマネジメントが企業の発展ないし成長のための何か有難い特別のマネジメントやノウ・ハウのように思っている人が多くなったがそれは間違いであるとおっしゃっている点です。
「リスクマネジメントは決して企業成長や収益増大を志向した攻撃のマネジメントではなく、企業保全や現状維持のための企業防衛のマネジメントであり、決して積極的に収益や利益の増大には機能しない。」と述べておられます。
これがリスクマネジメントの権威の発言かと疑いたくなります。
亀井教授は商学部の教授で保険論が専門でした。マネジメントが何を目的として行われるのかを理解されていないのかもしれません。企業のあらゆるマネジメントは発展や成長のために行われるのであり、直接であろうが間接であろうが企業の発展や成長を目的としないマネジメントはありません。
リスクマネジメントは収益や利益をもたらす
問題はまだあります。リスクマネジメントについて、「それは決して積極的に収益や利益の増大には機能しない。しかし、収益にチャージされる費用(とくに危険処理費用)の節約を通じて間接的に利益増大に機能する面は有している。」との記述があるのですが、これは明白な間違いです。
繰り返しますが、リスクマネジメントは意思決定に際し、その決定に伴うリスクを評価し、その決定を行うかどうかを決断し、リスクを取ると決定したならば、そのリスクが現実になったらどう対応すべきかを検討するマネジメントです。
しっかりとしたリスクマネジメントが行われていれば、競合他社が恐れて入れないマーケットを独占することもできますし、他社が深い考えもなく入って手酷い目に合うマーケットを避けることができます。
つまり、リスクマネジメントは収益や利益の増大に直結するマネジメントなのです。
これを理解されていないということは、危機管理を理解していないだけではなく、ご自分の専門であるところのリスクマネジメントの理解すらその程度であるということです。
結論を申し上げると、亀井教授も阪神淡路大震災を受けて、リスクマネジメントと危機管理の際が理解できなかったお一人です。
亀井教授は阪神淡路大震災以後、危機管理に関する著書や論文を多数出されています。つまり、震災後の危機管理ブームに際して、ご自分も危機管理の専門家であるとの主張を展開され始めたということです。
ただ、それらはいずれもリスクマネジメント論であり、危機管理の議論は展開されていません。亀井教授はあくまでもリスクマネジメント専門家であり、危機管理をご理解されているとは到底思えないのです。
しかし、世の中が危機管理ブームになったことから、自分も危機管理の専門家であると主張したかったのかもしれません。
幸い現在のリスクマネジメント学会やリスクマネジメント協会の方々はリスクマネジメントとクライシスマネジメントの違いをよく認識されていますので、このような過ちは犯すことなく議論を進めています。
ただ、阪神淡路大震災の後、マスコミが勘違いを始めた頃にリスクマネジメントの権威がそのような過ちを犯していたので、この国において概念の混乱が生じたのも無理はないのかもしれません。