専門コラム「指揮官の決断」
第350回安全保障の議論がチグハグな理由
それでも「専守防衛」は誤解されている
先にこの国では「専守防衛」の概念が理解されていないという記事を配信いたしました。海上自衛隊のいろいろな先輩方から、「攻撃されても反撃できないというのは何事だ。」と御叱りを頂きました。
確かに筆者が海上自衛隊に在職した頃、実働も図上も含めて演習は我が国の船舶が攻撃されて原油の運搬が滞るとか、ゲリラ・コマンドの上陸により重要施設が攻撃されるとか、海上保安庁の巡視船が某国海軍艦艇により撃沈されるなどの事象が生起したところで外交交渉をあきらめ、自衛隊に対し予定した作戦の開始が命ぜられるという設定で開始されました。(この指示は“BigGun”と呼ばれます。)
しかし、それらの演習では、対象国からの更なる攻撃が続くというシナリオが展開されていました。つまり、シーレーンは攻撃され続け、尖閣攻略部隊が出撃の準備を着々と整えている情勢が展開していたということです。
この状況を受けて日米安全保障条約が発動され、カムラン湾方面で作戦中であった米海軍第7艦隊の空母打撃群が日本救援のために北上を始め、海上自衛隊は現状に対応しつつ、陸上自衛隊の部隊を所要の地域に移動させる輸送を行い、同時に北上する空母打撃群の安全確保のための前程対潜掃討を行うという多方面作戦をどうやって行うのかが演習のテーマでした。
我が国のシーレーンが攻撃され続けるとか、どこかの島に対し武力侵攻が行われ、地元住民が強制連行されたり虐殺されたりという事態が生起されている場合には、BigGunが発動され、自衛権の行使が正当化されることに異論はありません。
しかし、この国の「専守防衛」という考え方が間違っているという主張を変えるつもりはありません。
それは多くの論者が、「専守防衛」という考え方においては攻撃を受けてからの反撃しかできないという前提で議論をすることの間違いを指摘しようというものです。
専守防衛の考え方
国連憲章など国際法における自衛権の発動の要件は、「武力攻撃が発生した場合」ではなく、「武力攻撃が発生する場合」です。このことは先に掲載した記事でも紹介していますが、国連憲章が自衛権の発動要件として” If an armed attack occurs “ と現在形で規定していることからも明らかです。
ちなみに国際法の通説的解釈でも「核ミサイルでも、相手国のミサイル弾基地に攻撃が命令されたときに『武力攻撃』は存在するに至っている。」(高野雄一『国際法概論』光文堂)とされています。すでにミサイルが弾着し、国土や人間に被害が発生しているという必要がないというのが通説です。
つまり、反撃は「攻撃を受けた側」に許される自衛権の発動ではなく、「攻撃を受ける側」に許される自衛権の発動です。この防衛行動を正当防衛と呼びます。
正当防衛は、このような防衛行動をとった側に許される行動であり、そのような行動をとらなかった者には許されません。なぜなら、正当防衛とは「急迫不正の侵害に対して自己または他人の権利を防衛りするために、やむを得ずした行為」であり、「急迫不正」という要件が重要だからです。
「急迫」の要件についてはかつて指摘していますが、「法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫っている状態」であり、「被害の緊迫した危険にある者は、加害者が現に被害を与えるに至るまで、正当防衛することを待たねばならぬ道理はない。」というのが最高裁の判例ですが、一方で「過去の侵害に対する正当防衛は認められない。」のが通説です。
国際法でも「他国の武力攻撃がすんでしまった段階では、たとい自国の艦船、航空機に損害が生じていたとしても、自衛の行動はとりえない。」(前掲書 高野雄一)のであって、復仇権は認められていません。
奪われた権利を取り戻す行動が一律に認められないかというとそうでもありません。刑法で「自救行為」と呼ばれるのがそれにあたります。盗まれたものを取り返したりすることなどですが、この自救行為が認められるにはかなり高いハードルを越える必要があります。まず、警察などに訴える時間的余裕がなく、その手段が適当であることなどが認定されなければならず、盗まれたものだからといって当然に取り戻していいということにはならないのです。
つまり、急迫不正の侵害が行われるのを防ぐことが正当防衛であり、そのために行われるのが自衛権の発動であり、それが「専守防衛」の要件なのであり、我が国に核ミサイルが撃ち込まれたから攻撃に行ったり、尖閣諸島が占領されたから奪い返しにいくことは正当防衛ではなく、むしろ国際法違反であるということです。
そのような場合には、国連安全保障理事会に提訴しなければなりません。それが国際法の要請です。
この場合、安保理がどう機能するかはウクライナ情勢を見ていればよく分かりますが、誤った専守防衛の解釈をするとそのような状況に陥りかねないのです。一度侵略を許してしまうと手遅れなのです。
チグハグなのは不勉強のせい・・・
なぜこの国では簡単な国際法の理論も理解しないチグハグな議論がまかり通っているかという理由を考察します。
この国では長らく安全保障に関する議論が封印されてきました。
学術会議は軍事に関する研究をすることを禁止してきました。そのため、旧国立大学で現役自衛官の国内留学を受け入れてきたのは筑波大学だけでした。東京大学などは、中国の人民解放軍士官の留学は受け入れているのに、現役自衛官の国内留学は受け入れていませんでした。
政治家も安全保障はほとんど勉強しません。安全保障をいくら語っても票にならないからです。まして野党議員は基本的には「自衛隊は憲法違反の存在」という前提に立っており、非武装であればこの国の平和が保たれると思い込んでいましたので、安全保障を勉強する必要がなかったのです。勉強していないから野党議員の安全保障に関する議論は聞くに堪えないものがほとんどでした。かつて、当時社民党の代表であった福島瑞穂議員が「尖閣諸島が中国に占領されたらどうするか」を問われて、「国際司法裁判所に訴える。」と答えるのを聞いて呆れかえったことがあります。
筆者がこれまでに野党議員で「これは違うぞ」と感じた安全保障に関する議論をしていたのは、「みんなの党」党首だった浅尾敬一郎、「民主党」の細野豪志両議員くらいですが、現在ではご両人とも自民党に移籍してしまっています。
多分安全保障三文書は読まれていない
政治家たちが不勉強なので、先に改定された安全保障関連三文書がどのような性格なのかを理解していません。というか、多分、ほとんどの政治家たちはこの三文書をまともに読んでいないかと考えています。もともと安全保障論の基礎的な勉強をしていない彼らが105ページを読んだとは思えません。官僚はしたたかですから、それら議員のための説明資料を作成していますので、多分ほとんどの議員たちはそちらを元に議論しているのではないでしょうか。
筆者が政治家たちが改定された安全保障関連の三文書をまともには読み込んではいないと推定しているのには根拠があります。
日本が初めてPKOに自衛隊を派遣したのは1992年のカンボジアPKOでした。
自衛隊の海外派兵であるとして当時の社会党は牛歩戦術などを持ち出して自衛隊の国連平和維持活動(PKO)協力法案を廃案に持ち込もうとしました。
ところが後年、筆者はびっくりするような出来事に出会いました。
カンボジアPKOのかなり後ですが、ある時出張先に前日の夕方進出し、ホテルの近くを散歩していた時に、土井たか子さんの講演会があるのに気が付きました。間もなく開演で、予約不要ということでしたので、入り込んで聞いてみたことがあります。
土井さんの政治生活の思い出を語るというのが主旨のようで、海上自衛隊の湾岸派遣や陸上自衛隊の部隊のPKO派遣についても言及がありました。
カンボジアPKOの翌年に土井さんはカンボジアの現地に視察に行かれたのだそうです。そこで彼女がびっくりしたのは、あれだけ大騒ぎして陸上自衛隊の施設部隊を派遣して整備した道路が見る影もなく朽ち果て、元の荒れた道に戻っていたということでした。何のためにあれほど大騒ぎして国民の反対を押し切って陸上自衛隊の海外派兵を強行したのかということです。
彼女は道路が見る影もなく朽ち果てていたことに驚いたのだそうですが、筆者はそれを聞いて仰天してしまいました。
カンボジアPKOで陸上自衛隊の施設部隊が派遣された理由は、カンボジアに民主的な政治が行われるために総選挙を行う必要があり、その総選挙を行うために辺鄙な地域に住む住民などをバス輸送しなければならず、また、選挙に伴う様々な管理事項をつつがなく実施するために交通網を整備しなければならないため、それに間に合わせて道路を整備しなければならなかったからです。
つまり極論すれば、選挙管理のための道路を早急に作ることが必要だったのです。
陸上自衛隊の施設部隊というのは、伝統的な呼び方をすると工兵部隊です。戦場で戦車が川を渡っていけるように急いで橋を架けるとか、補給用の車両が通ることのできる道をジャングルの中に通すとかの作業が専門で、とにかく急いで事に当たるのが彼らの任務です。
このためには恒久的なインフラを作るのとは全く異なるノウハウと装備が必要になります。
彼らに恒久的な高速道路や首都高のような高架道路を作ることはできません。しかし、とりあえず戦車や補給用のトラックが通ればよく、しかも時間を争って作らなければならないときにはゼネコンには到底できないような作業をアッという間にやってしまいます。
土井さんはPKO派遣の目的を知らなかったようです。とにかく自衛隊の海外派遣は認められないという立場で、そのための法律が何を目指しているかなどは考えていなかったのでしょう。
「おタカさん」として一世を風靡し、衆議院議長まで務められた土井たか子さんですらそうなのですから、その志の片鱗も持ち合わせないお粗末な弟子たちが105ページの安全保障関連文書を読み込んでいるとは到底思えないのです。
要するに、この国の安全保障論議がチグハグなのは、政治家や評論家たちの不勉強が原因の一つであることは間違いないようです。