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専門コラム「指揮官の決断」

第363回 

性懲りのない〇〇

カテゴリ:危機管理

学ぶことのない人々

またまた幼い命が失われました。

9月9日、岡山県津山市で2歳の男の子が長時間車の中に置き去りにされて死亡するという事件が発生しました。

この男の子の祖母が、出勤の際に保育園に預けていくことになっていたのに、保育園に送るのを失念して勤務先の駐車場に車を駐車させ、男の子が乗ったままであることも忘れて勤務に入ってしまい、日中の駐車場の車の中で熱中症により死亡したという痛ましい事件です。

祖母は過失致死の疑いで逮捕されましたが、筆者が許されないと考えているのは、保育園です。

保育園はこの男の子が登園していないことを知っていました。しかし、家にいるのだろうと判断して、家庭に連絡を取っていませんでした。

祖母は、預けるべき責任を負っていながら、そのことを失念するという重大な過失を犯しましたが、失念していたのであって動機に問題があるわけではありません。

一方の保育園は、その子が登園していないことに気付いていたにもかかわらず、家にいるのだろうと判断して、連絡を取っていないのです。故意に連絡を取らなかったのです。

この保育園の規則では、連絡なしに登園しなかった園児がいる場合には、家庭に事情を確認することになっていました。つまり、意図的に規則を破って、失われずに済む命を失わせたのです。

祖母に残されているのは贖罪の日々でしょう。一瞬でもそのことを忘れることはないはずです。

しかし、保育園はどうでしょうか。ここ何年かにわたり、類似事件が発生しています。それにもかかわらず、同じ不注意により尊い人命を失わせてきています。

この性懲りもない〇〇(〇〇には差別用語が入ります。)が業務上過失致死に問われるなどの法改正が行われない限り、この種の事故の再発は防げないのかもしれません。

避けることが出来る危機とできない危機

筆者は、性善説に立ちたいとは思いつつ、ある種の人々に関しては性悪説に立たざるを得ないという苦い思いにかられることがたびたびあります。

私見によれば、政治家なんぞはもちろん性悪説で構いませんし、マスコミ関係者は性悪とは言いませんが、基本的な素養に著しい問題を抱えた連中だと考えます。筆者の住む街の市役所職員(消防関係者を除く。)と一般の保育園経営者も同様です。

お断りしておきますが、これは危機管理の問題ではありません。

子供を預かる施設を経営するための常識の話です。

ただ、常識にあるはずのことを忘れていたり、手を抜いたりすることにより危機を呼ぶことも多々ありますので、その意味で当コラムで取り上げています。

弊社では、危機には二種類があると常々クライアントの方々には説明申し上げています。

一つは避けることのできない危機です。

東日本大震災やリーマンショックなどは個人や企業にとって避けられるものではありません。これらは社会全体に襲い掛かってきますので、ある意味で経営環境の劇的な変化と捉えることが出来ます。

経営環境が変化したならば、そこには機会も見出すことが出来るはずです。

輸出が好調で景気のいい時の企業経営など誰にでもできます。そうではなくなった時が経営者の腕の見せ所です。つまり、危機を経営環境の変化と捉え、そこに機会を見出せるかどうかが経営者としての能力を問われるポイントになります。

一方で、避けることのできる危機があります。

コンプライアンス違反とか、スキャンダルな話題はほとんどが避けることができたはずの危機です。事故も不可抗力で起こる事故などは航空事故などにはないとは言いませんが、普通の工場などではありません。大抵は、重大なヒューマンエラーが原因です。

この種の危機は、ある一つの性質を大切にすることにより防ぐことが出来ます。

危機管理に必要なのは「愚直さ」

この避けることができる事故を起こさないために必要なのは、ただ一つ、「愚直さ」です。

何があっても妥協せず、手を抜かず、決められたことを決められたように行っていく、決して応用に走らないという「愚直さ」が必要です。

人間はヒューマンエラーを犯すという前提で、様々な装置やシステムあるいは手法が考えられ適用されてきています。

駅のプラットフォームで駅員が指差し呼称をしているのをよく見かけます。あれも、ただ振り向いて目で確認するのではなく、指を差すことによりより一層の注意をもってプラットフォームの安全を確認しようとするものですし、離陸前の飛行機のコックピットで副操縦士が読み上げるチェックリストに機長が指を差して確認し、その機器の状態を声に出して応えるのも同様です。

しかし、ここにも危機を呼ぶ要因があります。

指差し呼称が形骸化すると、指を差して声を出して「異常なし」などと言っていても頭の中は別のことを考えているかもしれないのです。

コックピットでも、もし副操縦士がリストから目を離さずに読み上げているだけでは、事故防止にはなりません。副操縦士は機長が間違いなくリストに規定された機器を見ているのかどうかを確認し、その状態を把握しているのかどうかを見なければならないのです。

送迎バスでの送り迎えに際して置き去りにされる事故が続いたころ、メーカーが社内に誰かが残っている場合にセンサーが検知する装置などを作ったことなどがニュースで取り上げられていました。

しかし、ヒューマンエラーは起きるという前提でものを考えるとしたら、そのような装置が故障する確率も考えなければなりません。機械は必ず故障すると考えなければなりません。

実は、送迎バスへの置き去りを防ぐ方法でもっとも簡単なのは、送迎を終えた後、運転手が下車する前に車内を確認することです。

そして、載せた人数と下車した人数が不一致の場合には、再度点検し、また、通知なしに登園していない園児がいる場合には、保護者に確認することです。これはどこの保育園でも規則にそのように定められているはずです。

そんな簡単なことが出来ていないところが、バスにセンサーを付けたところで、そのセンサーを適切にメンテナンスできるはずはありません。

センサーの作動を確認するというのは、意外に面倒なのです。本来はあってはならない状況を意図的に作り出さないと、そのようなセンサーの作動は確認できません。そのような面倒な作業を地道に行うことのできる保育園なら、そのようなセンサーなしにしっかりと園児たちの安全を確保できるはずですし、いい加減な保育園は、センサーのチェックすらできないでしょうから、結局事故を起こすのです。

運転手の下車前のチェックがしっかりと行われているかどうかは、車内を写すドライブレコーダーを設置して、下車前チェックがしっかりと行われているかどうかを確認するという手もありますが、これも、そのようなビデオの確認をしっかりと行う保育園では必要はなく、必要になるはずの出鱈目な保育園ではビデオの確認も行われないのでしょう。

危機を防ぐためには、結局は愚直さが必要です。

目的達成のため、ひたすら自分の責務を果たしていく、そのような姿勢がなければ危機は防ぐことが出来ません。

かつて、陸上自衛隊の大先輩に、災害派遣は平時において自衛隊が実施できる極めて高度な精神教育になっていると教えらえたことがあります。

大規模災害において行方不明になっている人達の命が消えてしまう前に何とか見つけるという目的のために、陸上自衛隊では、がれきの山に隊員たちが手作業で挑むのです。重機をいきなり使うと、生き埋めになっている人の生命が危ないため、スコップを注意深く使います。

しかし、時間とも戦わなければなりません。

彼らは、黙々と、その永遠に続くかと思われるような作業に取り組みます。

愚直さというのはそういうことです。