専門コラム「指揮官の決断」
第367回図上演習の薦め その3
図上演習のイメージ
図上演習についての解説を進めます。
前2回で、図上演習がどういうところで用いられて、どのような役割を果たしているかについての話をしてまいりました。
お読みになった方の中には「?」となっている方も多いかと拝察いたします。
多くの皆様がお持ちの図上演習のイメージと、私が前2回で語った図上演習のイメージが少し違うからかもしれません。
多くの方のイメージにある図上演習とは、例えば防災の日に首相官邸で行われる図上演習であったり、自治体が体育館や公民館で行う防災の図上演習だったりします。
ところが、それらは実は図上演習ではなく、図上訓練なのです。
やり方がほぼ同じなので傍から見ていると区別がつきませんが、演習と訓練はまったく別物です。
そう言われても多くの方にとっては「?」だと思います。
かつてあるセミナーの参加者に尋ねたところ、演習というのはかなり大規模に行う訓練というイメージを持たれている方が多く、今後の説明でそこをしっかりと説明しなければならないなという教訓を得たことがありました。
訓練と演習
やり方はほとんど一緒なのですが、行う目的がまったく違うのです。
訓練とは参加者あるいはチームの練度向上を目指して行うものです。
訓練のシナリオを発動して、各段階において参加者が何を行うべきなのかを確認しながらすすめることによって、参加者が実際の場合において、何をしなければならないのかを学んでもらい、その次に行わなければならない行動を理解してすみやかに移行できるように手順などを確認していきます。
一方の演習は、参加者の練度の向上は副産物として期待できますが、主目的ではありません。
主な目的は検証です。
果たしてその計画を実施に実行した場合、うまくいくのだろうか、何か問題はないだろうか、などを参加者がそれぞれの立場から考えることにより、矛盾点などを見つけ出したり、検討漏れの有無を確認したりすることが目的です。
前々回に事例として挙げた真珠湾攻撃に際しての攻撃順序などは図上演習をやってみて計画の不具合が分かった事例です。
次に両者の違いを具体的に説明します。
石油コンビナートで火災に対する防災訓練を行うことをイメージしてください。
場所としては京浜工業地帯で、横を首都高速道路が通っているというような状況です。
ある石油精製工場で火災が発生しました。
火災報知器が鳴り、付近の自動消火装置が一斉に起動し、自衛消防隊が出動の準備を始めます。
最寄りの消防署に通報が行われ、社員が退避を始めます。
消防署から消防車が到着し、自衛消防隊のリーダーから申し継を受けて消火作業が始まります。
順調に進行すればいい訓練になったはずです。
ところが、首都高速湾岸線で自動車事故が起こり、首都高に上がれなくなった車が一斉に下の一般道に入ってきたため大渋滞になりました。そこでさらに交通事故が起こり、一般道も大渋滞で身動きが取れなくなりました。
消防車が現場に到着せず、自衛消防隊との引継ぎ要領の確認もなく、実際の放水も行われませんでした。
訓練なら失敗です。
そこで次回の訓練のためには、付近消防署からの車両はコンビナート正門前で待機し、通報からの相当の時間をおいて進入を開始するということになるでしょう。
ところが、これが演習なら大成功です。
実際の火災でも、そのような事故は起こりうることですし、まして地震などの場合は、化学消防車を必要とする火災が発生するのはそのコンビナートだけでなく、付近のあちらこちらで生じて、化学消防車が足らなくなるということは容易に想像できることです。
つまり、現実に消防車が到着できないという事態が起こりうることが分かり、そのためにどうすべきかを検討しなければならないということが分かったのです。
消防艇の導入を検討するとか、様々な対策の検討が必要だということが分かったということが検証作業としての成果となります。
図上訓練ではそれら一連の作業を実際にヒトや機械を動かさずに行います。
火災発生の想定を行い、火災報知器が鳴ったと想定します。総務部では最寄り消防署に火災発生の連絡をする手続きを確認します。自衛消防隊は隊員が集まり出動するまでの手順を確認します。チェックリストなどが活用されるはずです。
シナリオに基づいて行われて行きますので、近隣の消防署からの消防車はしっかりと到着するでしょう。
自衛消防隊との引継ぎ要領なども確認されます。
もしこの図上訓練が何度も行われて参加者全員が手続きに習熟してきたら、近隣の消防車が到着しないという前提の訓練を行うのもいいかもしれません。そういう場合に備えた訓練というのも当然のことながら実施しておくべきです。
段階を追ったシナリオを作ることが出来る
図上演習では、一連のシナリオを実施中に、そのシナリオを妨げるような想定を突如出してみるということが出来ます。
例えば、近隣の消防署からの化学消防車が道路の渋滞で到着できないというような想定を出せばいいのです。
このような想定はある程度の蓋然性があることが必要ですが、実際の大惨事はありえないような偶然が重なって起こることが良くありますので、それら蓋然性の低いものであってもゼロでない場合には一応検証しておくと効果を発揮する場合があります。
想定さえできれば何でもあり
ただ、ゴジラが東京湾に現れたとか、宇宙人の来襲があったなどの想定まで行う必要があるかと言われれば疑問です。
頭の体操としては悪くはないのですが、それよりも蓋然性の高い情勢を付与した演習を行った後の方がいいかと思います。
一度でも実施しておけば
もし福島原発で、想定よりも高い津波に襲われて防波堤が津波来襲を防げなかったらという図上演習が一度でも行われていれば、あの大惨事は防げたかもしれません。
想定を超えた高さの津波に襲われたら地下の電力設備が作動しなくなり、冷却が出来なくなることは簡単に分かったはずです。
だからと言って防波堤の高さを無制限に高くすればいいというものでもありません。予算との兼ね合いで現実的な妥協を図らざるを得ないからです。
しかし、その場合でも移動できる予備電源を持つという発想が生まれたはずですし、それにはとんでもない予算が必要ということでもありません。
たった一度図上演習を行っていれば、あの事故は起きなかったかもしれないのです。
地下の電源設備が冠水して使用不能となったという想定で図上演習を行っていれば、予備の非常用電源を近くの標高の高いところに確保しておけばいいという解決策が見つけられたはずです。
それをしなかったために予備電源の到着が遅れ、しかも施設のレセプタクルが予備電源の出力と形状が一致しないという無様さを露呈しました。
本当に電気屋なのかと疑いたくなる無様さでした。
たった一回の図上演習をやっていれば、あの大惨事は免れたのです。