専門コラム「指揮官の決断」
第371回イスラエルにおけるテロ事件について
中東問題を論じる人たち
イスラエルにおいてハマスが越境してテロを行った事件から1ヵ月経ちました。
この間、この問題に関して当コラムでは、政府の対応への批判は行ったものの、この問題を危機管理の専門コラムとしてどうとらえるかという課題に応えてきませんでした。
そのことに関して、何人かの方から、「何も発言はないのか?」というメールを頂いています。
この問題について、テレビの情報番組では様々なコメンテーターが登場して、様々な発言をされているようで、この国にはそんなに中東を語ることのできる人が多かったのかとびっくりしています。
しかし、にわかというか似非というか、出鱈目な解説が多すぎます。
メディアで解説をするということは大変なことです。
筆者は3年前に母校の非常勤講師として半期の講義を受け持ったことがあります。大学生相手の入門的講義でしたが、持てるバックグランドを総動員してやっと14回の講義を終えることができました。大学生相手の講義ですらそうなのですから、誰が観ているか分からないテレビで解説するのには並外れた専門的知見が必要なはずです。
ところが、ほとんどのコメンテーターが国際法上の自衛権の概念を理解していなかったり、中東やイスラム教に関して素人の筆者ですら「こいつ何を言っているんだ?」という発言に終始する現状を見て、恐ろしくてものを言えないという状況に追い込まれています。
中田敦彦さんという漫才師を本業としていたYoutuberがいて、YouTube大学というサイトを作って様々な時事問題を解説しています。
筆者は彼が元はお笑い芸人だから時事問題を語るべきではないと思っているわけではありません。大学教授だろうが評論家だろうがジャーナリストだろうが、自分の専門と称する領域についてほとんど理解できない奴もたくさんいますから、漫才師だろうが元海上自衛官だろうが、しっかりと勉強して、理解してからものを言えば問題はありませんし、むしろ異なるバックグランドを持つ人たちがそれぞれの見方で見ていくことの方が聞きごたえがあると思っていますが、この人の授業(ご本人がそう言っています。)は、間違いだらけで、少なくとも時事問題についての解説は止めた方がいいと思っています。
彼の授業のどこが間違っているのかを指摘し始めるときりがありませんが、そもそも根本的な考え方が間違っているので、その上に組み立てられた現状分析は、ほぼ噴飯物でしかありません。
例えば、次のような発言があります。
「イスラム教はユダヤ教とキリスト教の流れを汲んでいるが、よりカスタマイズされてヨーロッパ以外にも広がりやすい状態だった。なので、イスラム教はそれで爆発的に広がっていく。」
この人は、歴史に関する「授業」もいくつか行っているのですが、イスラム教がヨーロッパからヨーロッパ以外に広がっていったと思っているようです。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も中東発祥の宗教です。彼が4年ほど前にアップした「授業」では、そんな発言はなかったのですが、どうしたのでしょうか。
さらにこのような発言もあります。
「一神教1.0がユダヤ教 2.0がキリスト教、 3.0がイスラム教」
これはWeb1.0から3.0への展開になぞらえてものを言っているのかもしれませんが、Web1~Web3がそれぞれの進化の段階を示しているのであって、それと宗教をなぞらえるという認識は如何なものかです。ユダヤ教徒にとっては絶対なのはユダヤ教ですし、キリスト教徒やイスラム教徒にとってもそれぞれの宗教が絶対であり、それらは進化の段階を表しているのではありません。つまり、中東問題の根幹にある宗教問題の本質を彼は理解しているとは思えないのです。
彼は専門外のことについて、様々な情報ソースから学び、自分なりにまとめ上げて、それなりの動画を作り上げています。おそろしく頭のいい芸人さんであることは間違いありません。
しかし、筆者のような素人でも「?」と思うような発言がたびたび出てくるところを見ると、その程度の知見で話をしているのでしょう。
少なくとも時事問題や安全保障、経済問題などについての発言は慎んだ方がいいかもしれません。
意外ですね
メディアでよく聞く言葉に、イスラム原理主義者という言葉がありますが、本当の中東問題の専門家はこの言葉を使いません。なぜなら、イスラム教はそもそも原理主義であることを要求しているからです。
この原理主義という言葉はキリスト教との対比においてメディアで使われるようになった言葉です。
キリスト教の数ある宗派の中で、聖書に書かれている言葉は正しく、一言一句そのとおりに実践すべきという教えを説いているのがキリスト教原理主義であり、一方のイスラム教において、西欧のファッションや風俗に妥協せず、厳しく戒律を守らせようとする教えを説く宗派をイスラム原理主義と呼び、ハマスをイスラム原理主義武装組織とメディアは呼ぶのですが、これはイスラム教についてのYoutube的皮相な理解にすぎません。
イスラム教は元来原理主義なのです。コーランに書かれているのは神の言葉であり、一言一句正しいとするのがイスラム教の教義です。
第一次大戦でオスマン帝国が敗れた結果、イスラム圏に多くの国家が生まれたのですが、それらの国家は当初の期待ほど発展せず、産油国として富んだ国においても貧富の差が拡大してしまいました。神の前における平等を訓えるイスラム教に反する状況を解決するため、伝統に立ち戻ろうとするイスラム復興運動が生まれました。
これを原理主義運動と理解している評論家が多いのです。
そして、一部の過激派が行うジハードをイスラム教の挑戦だと受け取る風潮が広がりました。
ジハードを「聖戦」と理解しているのもイスラム教のYoutube的理解です。
筆者は海上自衛隊在隊時に幹部学校の学生として中東問題の専門家の講義を聴いたことがあります。中東問題を巡る小論文を書くことになり、過激派のテロと国家としてどう戦うのかというテーマを選び、その専門家のところに通って話を聴く機会を得ました。
ジハードというのは「努力」という意味だそうです。
自分の内面にある弱さと戦い、戒律に従った生き方をしていく精神的努力を「大ジハード」と呼び、そのようなイスラム教徒の共同体(イスラム教は国家を否定しますので。)に対する侵略と戦うことを「小ジハード」と呼び、共同体を守り、信仰を侵されないための戦いなのだそうです。つまり、正当防衛でしか戦うことを許されていません。
イスラム教では人としての尊厳を蹂躙される事態でない限り戦うことは許されないのだそうです。
ところが、一部の過激派は小ジハードの解釈を大きく歪め、テロを正当化する理由としているというのが、イスラム教徒の理解です。
小ジハードを戦うにしても、先制攻撃、非戦闘員の市民、女性、子どもへの攻撃、他宗教指導者の殺害などは禁じられており、9・11同時多発テロのような無差別攻撃はイスラムの教えに反するというのが大勢の解釈です。
私たちの理解とは異なり、イスラム法では自爆テロは認められないのだそうです。しかし、貧困にあえぎ不満を募らせる若者にこのジハード=聖戦という解釈を刷り込み、「殉教することが自己の救いとなり、ジハードで死んだ者には天国が約束され、天女の慰安が受けられ、その恵は末代にまで及ぶ。」などと吹き込んで、テロ組織の駒になるよう仕立てているのです。
本稿の立場
中東の問題に関し、これは筆者の弱点かもしれませんが、歴史も宗教も文化も非常に分かりにくく、専門コラムに掲載しても上述のごとく、伝聞の形式をとった記述となります。
しかし、世界を揺るがしている危機管理上の事態であることは間違いありませんので、当コラムならではの視点でこの問題を斬ることになります。
この3年間、コロナ禍の問題について考えてきました。医学的なバックグランドを持たない当コラムのこの問題に対する向かい合い方も独自のものでしたが、この度の事案に関しても独自の立場から考えます。
当コラムの寄って立つ立場は明快です。
この問題には様々な歴史的、宗教的、文化的、政治的、経済的な問題が複雑に絡み合い、イスラエルにもハマスにもそれなりの理由があり、それがメディアを賑わせており、ハマスの行為をあながち非難できないという議論もあります。
同様の議論はウクライナで起きている戦争についても言うことができます。
しかしながら当コラムの寄って立つ立場からは、そのような議論は致しません。
それらの議論はそれぞれの専門家にお任せし、当コラムは、理由の如何を問わず、いかなるテロも許容しない、国際紛争を解決するための手段としての武力の行使は許容しない、という立場からの議論を展開することになるかと考えます。