専門コラム「指揮官の決断」
第372回国際感覚
国際社会における「常識」とは
弊社では危機管理に重要な要素として、意思決定・リーダーシップ・プロトコールの三点を挙げています。
これら三点のどの観点から見ても、政治にとって「国際感覚」は重要です。
これは語学力の問題ではありません。
最近の政治家は外国語でのコミュニケーションを得意としている人が多いようです。海外の名門大学の大学院で学んだことのある閣僚も多いようです。
岸田首相自身も外務大臣の頃から各国要人と通訳なしで会話をしているところがよく見受けられました。
しかし、政治家に要求される「国際感覚」は語学力だけではありません。語学力が関係ないかと言えばそうでもなく、最低限の日常会話はできる必要がありますが、それよりも大切なのは、国際社会における常識です。
基本的に筆者は「常識」という言葉好きではありません。常識というのは、実は人によって違うものだと思っています。自分にとっての常識と別の人の常識は違うはずです。例えば、筆者は海上自衛隊で30年間暮らしてきましたが、筆者の常識は銀行員として30年間勤務してきた方々とは異なるはずです。したがって、ビジネスの世界の方々の眼には筆者は常識のない奴と映るはずです。
つまり、人によって異なるはずであり、そんなものが「常識」と呼ばれるのが不思議です。
しかし、国際社会には最低限知っておくべきマナーがあります。それを知らないのはやはり国際常識の欠如と呼ばれても仕方ないかもしれません。
官邸スタッフの「常識」
例えば、筆者は首相以下の首相官邸スタッフの国際感覚を疑っています。
以前にも指摘したことがありますが、首相官邸で撮影されている政府広報における首相の立ち位置が、日章旗との関係で間違っています。彼は日章旗の右前に立って話をしています。これは最近のものであり、11月5日に公表されたものです。つまり、前回この問題を指摘した時にたまたま首相が日章旗の右前に立っていたのではなく、彼はその位置に立ち続けているのです。
日章旗は彼の右側に置かれなければなりません。
これに気付かない首相も、それを平気で撮影して政府広報として流す官邸スタッフも国際的なマナーを理解していません。
今回のタイトルに使っている写真は政府広報の写真ですが、日章旗が首相の左後ろに置かれています。つまり、首相が日章旗の右側にいることになります。
一方でバイデン大統領のホワイトハウスでの国民向けメッセージの写真は星条旗が大統領の右後ろにあります。大統領は左前に立っているのです。こちらが国旗との関係では正式です。
ラオス副首相とのツーショットでは首相が日章旗の右前に立っていますが、これはラオスの国旗を日章旗の右側に置いており、ラオスに対して敬意を表しているだけなので問題はありません。しかし、首相が単独でメッセージを発するときなどに国旗の右前に立つのは、他に何らかの事情がない限り国際的に見ると常識がないと思われるはずです。
海洋ブイを放置すると・・・
上川法務大臣は我が国の排他的経済水域の中に設けられた中国の海洋観測ブイの撤去について、国会で日本維新の会の議員から質問を受けた際、「撤去について国際法に関連規定がない」として慎重な姿勢を示しています。
これは国際法の問題ではないことを外務省のスタッフが知らないはずはありません。
海洋に関する国際法は英米法の世界なので、基本的にはネガティブリストになるはずです。つまり、国際法に「これはやってはならない」とする規定がなければやってもいいということになります。
EEZ内での海洋調査や漁労は旗国の了解なしには実施できませんが、観測ブイは明白にこの規定に違反しており、まして海図にない障害物であり、航行の安全に支障をきたす漂流物であるので、旗国が取り除くことを禁止する規定はありません。
つまり、国際法上の問題ではなく、中国への忖度以外の何物でもありません。
元々、中国は前世紀の終わりころから、日本周辺海域において海洋調査を活発に行ってきました。旗国の了解なしのこの調査に防衛省は再三にわたり、外務省に対して中国に抗議するように申し入れてきましたが、当時の外務省はそれを受け入れることはありませんでした。
その結果、何が起こったか。
2004年10月に生起した中国の漢クラス原子力潜水艦の領海侵犯事件では、海上における警備行動を発令された海上自衛隊が追跡して捕捉し続けましたが、海上自衛隊がびっくりしたのは、周辺海域海底の様子を彼らが熟知して、その海底の谷間を縫って逃走を図ろうとしたことです。
つまり、彼らは日本周辺の海底の詳細な地形図を作り上げていたのです。
今回のブイ設置はその延長上にあります。
海中の潜水艦を探知するのは音に頼らざるを得ません。
海中の音波の伝搬状況は、海水温度、潮流、水深、塩分濃度などの影響を受けます。ブイが何を測ろうとしていたのか承知していませんが、少なくとも表層における潮流や水温は測定できたはずです。
それらのデータを収集して、海中において音波探知が及ばないゾーンを見つけ、そのゾーンを動くことで探知を免れるつもりでしょう。
海上自衛隊もそのようなゾーンがどこにあるかを知っておくことが重要なので、日常的にその情報を集めて分析を行っています。
この海域の音波の特性が知られると、海上自衛隊の潜水艦が潜むポイントが知られてしまうことにもなりかねません。
海洋特性を把握するということは非常に重要なことで、海上自衛隊はそのための専門の船を運航しており、護衛艦も航海中にいろいろなポイントで深度ごとの水温を測る計器を使って海域の水温を測っています。
上川大臣の態度は、そのような海上自衛隊の地道な努力を踏みにじるものです。
先に「外務省のスタッフが知らないはずはない」と述べましたが、ひょっとすると知らないのかもしれません。官邸スタッフは各省庁から出向していますが、彼らは国旗の扱いを知りませんし、国連海洋法条約を締結する際、スイスのジュネーブで何年にもわたって開かれた準備会合に外務省スタッフでは力が及ばないので外務省の依頼により海上自衛隊で幹部学校の教官をしていた国際法の専門家が出席していました。領海警備の担当省庁である海上保安庁ではなく、海上自衛隊から対潜飛行艇のパイロットであった自衛官が出席したのです。
筆者が幹部学校の学生の時、その教官から戦時国際法の講義を受講しましたので、私たちの恩師の一人です。
外務省というのはその程度の組織です。
憲法すら知らない・・・
先に指摘していますが、10月22日にバイデン米大統領とカナダ、フランス、ドイツ、イタリア、英国の各首脳が中東情勢に関するオンライン会議を開き、イスラエルに民間人保護を要請する共同声明を発表した際、日本は呼ばれませんでした。声明は、「イスラエルは、イスラム組織ハマスと戦闘を続けている。イスラエルの自衛権を支持する。しかし、国際人道法の順守を要請する」というものであり、日本の対応を見ていた6か国が、日本を呼ぶ必要は無いと判断したのでしょう。
この状況に松野官房長官は23日の記者会見で、「6か国は誘拐・行方不明者などの犠牲者が発生しているとされる国々だ」と指摘し、邦人被害が出ていない日本が加わらなかった背景を説明していますが、自分の国が犠牲を払っていないから加わっていないというのは、どう考えても非常識な発言です。
官房長官は日本国憲法を読んだことがないとみえます。
憲法の前文には次のように記述されています。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
閣僚には憲法遵守義務がありますが、官房長官の発言は憲法違反です。
もっとも、政治家に「名誉」とか「崇高な理想」などを求めること自体が誤りかもしれないのですが・・・
(写真:政府広報)