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専門コラム「指揮官の決断」

第382回 

リーダーのあり方

カテゴリ:リーダーシップ

リーダーシップ論の不在

当コラムでは、危機管理の三本柱として、意思決定、リーダーシップ、プロトコールを掲げています。

これまで、意思決定の問題やプロトコールについては時々触れて参りましたが、リーダーシップの問題については、あまり触れてきていません。

これには理由があります。

当コラムは、軸足を組織論においておりますが、経営組織論の世界において、意思決定の議論は活発に行われており、素晴らしい勢いで学問自体が進化していますが、一方のリーダーシップ論の世界はまったく進化がなく、停滞したままであり、その議論に観るべきものがないからです。

筆者は大学院で組織論を専攻したのですが、組織論の二大要素である意思決定論とリーダーシップ論のうち、意思決定論は真剣に学びましたが、リーダーシップ論は馬鹿にしていて研究する気になれませんでした。

したがって、リーダーシップに関して議論をする際の理論的な根拠を持たないということが、筆者をリーダーシップの議論から遠ざけていると言ってもいいかもしれません。

しかし、このリーダーシップの欠如が、大変な危機を読んでいる現状に鑑み、この事態を放置できず、今回取り上げることになりました。

唾棄すべき連中

元旦早々、能登半島で大変な自然災害が生じているのに、永田町界隈では政治資金を巡る話題で喧しいこと甚だしい事態が続いています。

先日、自民党の代議士で参議院の大野泰正議員の記者会見を聞いていて呆れ果ててしまいました。

彼は「わたしは政治資金の管理や政治資金収支報告書の作成といった経理面をすべて事務所スタッフに任せていた。このため、わたしが収支報告書の作成に関与したことはない。事務所スタッフを全面的に信頼し、任せていたので、収支報告書が適正に作成・提出されているものと認識していた。わたしとしては、検察との間に意見の相違があるので、裁判でしっかりとみずからの主張をしていきたい」と述べたのです。

この感覚は、海上自衛隊で育てられた筆者には許しがたいものです。

功は部下に譲り・・・

海上自衛隊は帝国海軍の伝統を継承しており、特に生活習慣や躾け、若年幹部に対する教育などは帝国海軍そのものと思われるほどのものがあります。幹部候補生学校を海軍兵学校の跡地である広島県江田島に作ったのもその一例です。

海軍で、若年士官の躾けに使われたテキストに、『次室士官心得』という文書があります。そこに、「「功は部下に譲り部下の過は自ら負う」は西郷南洲翁の教えし処なり。」と記載され、海上自衛隊においても、それはやかましく教育されます。つまり、海軍士官たるもの、部下の功を自分の功として誇ったりしてはならず、一方で部下の失敗は自らの責任として引き受けなければならないということです。

組織編成からして異なる

このことは組織の作り方にも表れています。

海上自衛隊の部隊は、指揮官の下に幕僚部があり、指揮官が率いる部隊があることは陸上自衛隊と同じですが、幕僚部の編成が陸上自衛隊と異なるのです。

例えば、陸上自衛隊の方面総監部の編成を見て見ましょう。

総監の下に方面総監部があり、その幕僚部には部や課が置かれています。つまり、作戦部や監理部、作戦課や監理課が置かれるということです。方面総監の部下である幕僚長の下に部長や課長がいて、順に権限と責任が委譲されていきます。これは通常の会社の組織と同じです。

ところが、海上自衛隊はそのような編成を取りません。

自衛艦隊を見てみます。

自衛艦隊司令官の下に護衛艦隊、潜水艦隊、航空集団、掃海隊群などの部隊がぶら下がっています。一方、自衛艦隊司令部には幕僚長以下の幕僚部がありますが、陸上自衛隊の方面総監部の幕僚部と異なり、部や課が置かれていません。

幕僚室が番号を振られて置かれているだけなのです。例えば、第一幕僚室は監理事項を担当し、第二幕僚室は情報を担当しています。第三幕僚室は作戦を担当し、第四幕僚室は後方を担当するというように専門分野ごとに幕僚室が置かれており、それぞれのトップは主任幕僚と呼ばれます。筆者はかつて自衛艦隊司令部監理主任幕僚として勤務していたことがあります。会社で言えば総務部長です。

ただし、海上自衛隊の司令部幕僚は権限と責任を委譲されていません。幕僚には何の権限もありません。同時に何の責任もありません。責任は司令官が単独で負います。

これは軍種の伝統の差が表れたものと考えています。

陸軍は最高指揮官を守りながら戦いが進められます。最高指揮官が最前線に立つという図は、せいぜい大隊長まででしょう。

日本陸軍で最前線で指揮を執った指揮官というのは、日露戦争における秋山好古騎兵旅団長しか知りません。米国ではダグラス・マッカーサー将軍やアフリカ戦線で戦車部隊を指揮したジョージ・パットン将軍くらいでしょう。

海軍は、例えば日露戦争の対馬沖の海戦で、東郷平八郎連合艦隊司令長官は、連合艦隊の先頭を走る旗艦三笠の艦橋トップの露天甲板の最前部で、海戦の最初から指揮を執っており、むしろ作戦指導に当たる参謀たちに中に入るよう指示をしています。

英国でも、トラファルガー海戦に勝利したネルソン提督は、その海戦で戦死しています。

このように軍種の差があり、陸軍ではトップを守り、中間管理職が先に犠牲になっていきます。一方の海軍は、トップが露天甲板で陣頭指揮をしたりするため、これを守りようがなく、自然にトップが単独で責任を取るという体質ができたものと思われます。

筆者が現役時代も、勤務評定で部下の功を自分の功としたり、責任を部下に追わせたりする幹部には厳しい評定が行われました。海上自衛隊は、自分の責任を免れようとする幹部には厳しいのです。

そのような海上自衛隊で育てられた筆者にとっては、大野議員の発言など唾棄すべきものにしか映りません。

自浄能力がないことにすら気付いていない

自民党では、秘書や会計責任者が有罪となった場合には、議員も自民党内の処分を受けるべきという議論が起きていると聞きますが、筆者に言わせれば噴飯物です。

自民党の議論の本旨は、刑事処分は担当者に負わせ、世論の批判をかわすために内部処分を行うというものでしかありません。

筆者は連座制にすら反対です。

もし事務所の会計責任者や秘書が不正を働いていたのであれば、そのトップである議員が責任をとって裁かれるべきです。議員には教育し、監督する責任があるはずですから。

もし、会計責任者や秘書が、議員を貶めようとしたり、あるいは私腹を肥やそうとしたりして生じた不正であれば、秘書や会計担当者が単独で処罰されればいいかと考えます。

筆者は法律に関して専門的議論はできませんが、犯罪とするためには、構成要件該当性、違法性、有責性が必要で、この場合、構成要件該当性が問題となるはずです。特にその主観的要件である「故意」が問題となりますが、監督者責任論から、明白な「故意」が認められずとも、重大な過失を認定すればいいし、選挙によって選ばれた議員に対して、それを要求できるような法改正を要求すればいいのではないでしょうか。罪刑法定主義の下、そのような監督責任を要求する法律があれば、構成要件の問題はクリアできるはずです。いずれにせよ、連座制が適用すべきではないと思料いたします。

そのように考えることに何の違和感もない筆者にとっては、大野議員の発言など、単なるトカゲの尻尾切りでしかありません。

脳裏に駆け巡る歌とは・・・

この手合いが、日本全体に蔓延っています。

国会議員が、自分の事務所で行われていることを、担当者の責任として自らは何の責任も取ろうとしない、そんな責任逃れに終始する連中だけであるとすれば、そのような政権は滅びるべきであり、国の舵取りを任せるわけにはいきません。

筆者にも国政は多岐にわたるため、すべてを網羅できる人材など得ることは不可能なことは分かっています。しかし、せめて人格が高潔で、私心のない人物が政治を担当して欲しいと思っています。。

現状は、品性が下劣で、私心しかなく、國を思う心の見えない連中ばかりです。

最近、筆者の頭を駆け巡っている歌があります。

 汨羅の渕に波騒ぎ、巫山の雲は乱れ飛ぶ

 混濁の世に我立てば、義憤に燃えて血潮湧く・・・