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専門コラム「指揮官の決断」

第384回 

勉強してからモノを言え  その2

カテゴリ:危機管理

逐次投入と段階的投入の違い

前回、当コラムでは、能登半島の地震災害に対する救援活動に関し、立憲民主党の杉尾秀哉議員が、「「明らかに自衛隊の出動が遅すぎる。人数も少なすぎる。被害を過小評価したのではないか。」と批判したことについて紹介しました。

確かに災害派遣に投入された陸上自衛隊員数は、1月1日に1000名、3日に約2000名、4日に5000名、7日には6000名と段階的に増えていきました。

杉尾議員は、このことを被害を過小評価して、逐次投入となったと考えておられるようです。

前回、当コラムで、初日に6000名の投入を行っていたら、現場は大混乱を起こし、地元では救急車も走れなくなったかもしれないことを指摘し、兵力の逐次投入ではなく、段階的投入であると説明しています。

筆者は海上自衛隊出身ですが、戦術上の常識として兵力の逐次投入はやってはならないことは知っていますし、陸上自衛隊も同じ常識を持っているはずです。

ただ、それは戦術上の常識であって、必ずしも災害派遣に関して適用される常識かどうかは注意を要します。

戦術上、逐次投入が疎まれるのは、数学的な問題であり、同様の能力や意思をもった敵と戦うことを前提とすると逐次投入では各個撃破されるだけなので止めておけ、ということであり、投入する先が被災地の場合は、同等の能力や意図を持った敵がいるわけではないので、別途考慮する必要のあるものがあります。

陸上自衛隊は、現地で自己完結性を維持しながら捜索救難に当たるために、膨大な資材や食料・燃料を必要とします。装備車両が走り回る道路は、救急車も通る道であり、特に能登半島の場合は、半島の外側を回る国道が幹線道路であり、それが大きな地震によって寸断されたり波打ったりしており、内陸の細い道は周辺の倒壊した建物などを除去しなければ通行できませんでした。倒壊した建物の下には行方不明者がいるかもしれず、戦車で吹き飛ばしながら進むことのできる戦場ではないのです。

「兵力の逐次投入という軍事用語を覚えた評論家たちは、幼児が新しい言葉を覚えると使いたがるのと一緒で、その意味もろくに知らずに使いたがりますから、そのような過ちも犯します。

災害派遣であっても、初度全力という発想は持っており、最初に全力を挙げて取り組み、必要が無ければ適宜引き上げるというのは、自衛隊の基本的な常識になっています。

東日本大震災においては、自衛艦隊司令官は発災の6分後に「可動全艦出航せよ。」と命令し、発令後1時間以内に42隻の艦艇が三陸沖に向かって航海を始めています。発令は、津波が三陸沖に襲い掛かる遥か前に下されていますし、動ける船は全部出ろという命令でした。

文民統制であり、文民指揮ではない

杉尾議員はさらに、木原防衛大臣が現地を初めて視察したのはいつかと質問しました。木原防衛大臣の視察は1月17日でした。発災から2週間以上たっています。

杉尾議員は、防衛大臣は習志野の空挺団の降下訓練始めですら1月7日に行っているのに、何故17日まで現地に行かないのか、現地で自分の眼で視なければ現地の状況は分からないだろう、自衛隊の最高指揮官としてそれでいいのか、という議論でした。

この点についても、当コラムで過去に指摘しています。

現場に行くべき指揮官と行ってはならない指揮官がいるのです。

行ってはならない指揮官の代表は、東日本大震災当時の菅首相です。ヘリコプターを飛ばして福島原発に自分で見に行ったのです。これを台湾で見ていた李登輝元総統は激怒していました。トップが絶対にやってはならない振る舞いだというのは、日本の筆者も台湾の彼も同じ思いだったようです。

行くべき指揮官の代表は、日露戦争における対馬沖の海戦を指揮した東郷平八郎連合艦隊司令長官です。

両者の違いは何でしょうか?

素人か専門家かの違いです。

東郷提督は、当時の連合艦隊の誰よりも軍歴が古く、かつ最も多くの海戦に参加してきた歴戦の海軍軍人でした。日清戦争ではすでに艦長として参加しています。しかも、彼が艦隊の先頭を進む旗艦の艦橋トップの露天甲板の最前部に位置したことは、彼の覚悟を物語っています。

彼はその場で自分が戦死しても、その海戦は参謀たちの指導で戦われることを知っていましたし、その海戦に勝利すれば日本が勝利する、負ければ、日本が敗れるということも知っていました。だからこそ、彼は中に入ってくれという参謀の進言を断り、参謀たちこそ中に入れと指示をしました。

つまり、自分の生死などどうでも良かったのです。というよりも、自分がその場で戦死することにより、全軍の士気が鼓舞されると考えていたかもしれません。

したがって、世界の海戦史に名を遺す東郷ターンの最初のタイミングと、早く撃ちたい砲術長を抑えて射撃開始の指示だけを行い、、その後は海戦が一段落するまでその場を動かずに立ち続けたのです。

一方の菅首相については、原子力発電の素人で、首相が行くことにより現場指揮官の吉田所長は、緊急対応を一時部下に任せて首相の出迎えや説明に当たらなければなりませんでした。現場にとっては、士気が鼓舞されるどころか、こんな邪魔な存在はありません。

そもそも現場を自分の眼で見なければ自衛隊の最高指揮官(実は最高指揮官は内閣総理大臣なのですが。)が務まらないのでしょうか。

尖閣有事になって、尖閣諸島で戦闘が始まった場合、防衛大臣は尖閣諸島にヘリで飛んで行って、現場を確認する必要があるのでしょうか?

政治家の役割はそうではないはずです。だからこそ、ユニフォームとシビリアンは役割を分担しているのです。

多くの政治家が勘違いしているのですが、文民統制というのは、武力の行使の可否について軍人に決定させないことが主旨であり、併せてその行使の限度について規制していくことが重要なのであり、どのように行使するかについて素人が口を出すべきではありません。

まして、最前線に立つなどもってのほかです。政治家が軍隊を現場で指揮できるなどと考えたら大間違いです。

だからこそ「文民統制」なのであり、「文民指揮」ではないのです。

立憲民主党最高顧問である菅直人氏は東日本大震災発災時の自衛隊の最高指揮官であったにも関わらず、10万人規模で派遣作業に従事している自衛隊部隊に一度も顔を出していません。

平成天皇ご夫妻が避難所で膝をついて被災者の目線で慰めの言葉をかけられたのに対し、彼は避難所に立ち寄り、ちょっと中を見て立ち去ろうとして、首相を待っていた避難民から「それだけで帰るのか?」と詰問されて狼狽えたりしていました。

この程度の最高指揮官ですから、来られても現場は迷惑だったはずです。現場隊員があの劣悪な環境の中で捜索救難に従事していられたのは、被災者の方々からの「自衛隊さん、ありがとね。」という言葉だけだったはずです。政治家の訓示など何の役にも立ちません。

常識のない政治家たち

災害時における政治家で不勉強が目立ってしまったのは杉尾議員に留まりません。

東日本大震災直後に新設された復興担当大臣に指名された松本大臣(故人)などは最たるものでした。

彼は宮城県を訪れ、県庁で村井県知事の出迎えが気に入らなかったのか最初から不機嫌で、「県でコンセンサスを得ろよ、そうしないと我々は何もしないぞ、ちゃんとやれ。そいうのは。」と述べたあげく、先に応接室に入って出迎えなかった村井知事に対して「お客さんが来る時は自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか、長幼の序が分かっている自衛隊ならそんなことやるぞ!」と述べています。(現場報道の聞き取りのまま。)

確かに大臣は天皇の認証が必要な配置ではありますが、彼は地方自治の本旨を理解していません。理解していたら、そのような上から目線の発言はできないはずです。

復興担当大臣の役割を理解していたら、「現場で気づいたことで、国でなければできないことがあれば何でも言ってくれ。」というスタンスになるはずです。

また、村井知事が自衛隊出身であることを知っていて、「長幼の序が分かっている自衛隊なら・・・」と言っているのですが、これも自衛隊をまったく理解していない証左です。

自衛隊は長幼の序を貴ぶことはありません。そこは階級社会です。年齢の上下がモノを言うのは防衛大学校卒業生の間だけです。

筆者が任官して最初に勤務した船では80名の部下がいましたが、三分の二は年上であり、筆者が生まれる前からの海上自衛官もいました。

筆者は彼らから多くのことを学び、彼らを尊重し、敬意を払ってはいましたが、しかし、彼らの上司でしたので、こちらから敬礼したことはなく、常に答礼する側でした。自衛隊は長幼の序ではなく、階級を重んじるのです。

まして、応接間に先に入って出迎えるなどという接遇はやったことも聞いたこともありません。

指揮系統の上官であれば玄関で出迎えます。通常はお客様を先にお通しして、持ってこられた荷物の整理や名刺の準備、女性なら髪を直したりといろいろな細々としたことが落ち着いたのを副官や総務が確認して報告してきます。それに応じてあいさつに出向くというようにするのが自衛隊のやり方です。

県知事は復興担当大臣の指揮系統の部下ではありませんので、玄関で出迎えなくても問題はありません。

自衛隊を退官後、ビジネスの世界に身を投じ、商社の営業部長としていろいろな会社に伺いましたが、玄関で出迎えられたことはあっても応接室で出迎えられたことはありませんので、多分自衛隊だけの常識ではないのだろうと思っています。

復興担当大臣には地方自治の本旨や自衛隊の規律が何によって保たれているのか、世間一般では接遇はどのように行われるのかの理解が不足していたようです。

すでに故人ですから、勉強して来てくださいと言うわけにもいかず、汚名が残って残念ですね、としか申し上げようがありません。

合成の誤謬  批判は簡単

杉尾議員は、また阪神淡路大震災から対策は何も変わっていないと述べています。

さすがにこれは酷いです。

筆者の住む鎌倉市は、キャンピングカーを改造した公衆トイレが4つほどついた車を持っており、それを派遣しています。

台風で大変な目に会った千葉県富津市は水循環システム及び屋外シャワーキットを現地に送っています。少ない水で多くの人がシャワーを浴びることのできる装置です。これらは阪神淡路大震災の頃にはなかったものです。

それらが現地に送られ、自衛隊も災害派遣が本来任務になったことから、それなりの装備も訓練も積んできているのに、何も変わっていないと批判しても建設的な批判にはなりません。熊本震災の時におけるみのもんたさんと変わりありません。

必死なって抗弁する岸田首相に対し、杉尾議員は首相が視察した避難所はそうだったかもしれないが、自分が見に行った避難所はそうでなかった、と述べて追及を続けましたが、これは典型的な「合成の誤謬」という論理的な過ちです。つまり、一部をもって全体と見做すことの誤りなのですが、この議員の世界の見方がそれで分かってしまいます。(議員の国会での質問で、その議員の世界観を推し量ろうという方が合成の誤謬であるという指摘もありそうですね。しかし、議員の国会での質問と言うのは、日常的な世間話ではありません。長く議事録に残る国政の場における発言です。)

とにかく政治家や評論家、マスコミの記者という連中は、不勉強で何も知らないわりに、一人前の口をききたがる始末の負えない連中のようです。