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専門コラム「指揮官の決断」

第394回 

危機管理の視座

カテゴリ:危機管理

専門家とは

筆者は当コラムの中で、繰り返し執拗に専門性について論じています。専門内の事柄については文責を負うし、それなりにファクトチェックも行い、誤りのない議論に努めています。一方、専門外の問題については極めて慎重な態度を取り、自分で確認できないものについては伝聞推定の形を取って表現するようにしています。

筆者がこのことにこだわるのは、専門家が専門の内容について発言することの怖ろしさを熟知しているからです。

この観点から、ここ数年間にわたりメディアに登場してきた感染症や公衆衛生の専門家たちの出鱈目な議論にはうんざりしています。致死率もまともに計算できずに世間の恐怖を煽り続けた罪は重大です。いずれ新型コロナが落ち着いたら、そこで飛び跳ねていた連中は戦犯として裁かれるべきと考えています。

「危機管理の専門家」という言葉の自己撞着性

一方で、危機管理という領域はその危機管理上の事態が生じる場面によって異なる専門性が要求されます。

ウクライナ問題を考える場合には、国際関係論や国際法、安全保障論あるいは軍事技術の専門領域から問題を見なければなりません。

新型コロナウィルスの引き起こした問題を考える場合には国際法や軍事技術に関する知識・経験はあまり役に立たず、医学・公衆衛生学などの専門性が必要でしょう。

さらに、このウイルスが経済発展に及ぼした影響を考えるためには、経済や金融に関する知識や企業経営についての経験が必要になるはずです。この際、感染症に関する知識・経験はあまり役に立ちません。

このように多様な専門性が要求されるのが危機管理ですので、危機管理論の専門家は専門外の問題については議論しませんという態度を取ることはできません。

実はたった今申し上げたことも論理的には自己撞着を生じています。

「危機管理論の専門家」という言葉です。

危機管理論には様々な専門性が要求されると述べつつ、「危機管理の専門家」という表現を使っています。

それでは「危機管理の専門性」とは何かということが議論されなければなりません。

「学」と「論」の違い

学問の世界では、ある学問が扱う範囲や方法論等について一定のコンセンサスがあり、そのコンセンサスのもとに体系的な研究が行われるものが「学」として認識されています。

物理「学」、医「学」、法律「学」や経済「学」と呼ばれる学問体系がそれです。

一方で、学問的研究が行われているにも関わらず、いまだに学問体系が確立せず、様々に議論が行われている分野があります。

それらの分野は、研究範囲や対象に一定のコンセンサスがなく、研究者の立場によって様々な研究が行われており、その領域は「学」ではなく、「論」と呼ばれています。

例えば、「国際関係論」という分野がありますが、その分野は研究者のバックグランドによって様々な研究が行われている典型的な分野です。

この分野の研究者で多いのが政治学をバックグランドとして研究している研究者たちですが、経済学や法律学をバックグランドとして研究している研究者も多く、ウクライナでの戦争が勃発して以来、安全保障の観点から国際関係を研究している研究者たちの発言も目立っています。

かつて、コンサルタントの先輩と話をしていた時、彼が「自分は組織経営学を学んできた。」とおっしゃったことがあります。興味をもって、「どうやって学ばれたんですか?」と訊くと、「会社勤務をしながら、ある大学の組織経営学専門の先生について学んだ。」と言うのです。重ねて「その先生と言うのはどこの大学のどなたですか?」と尋ねると、言葉を濁して答えてくれませんでした。

筆者は大学で経営学を学び、大学院で組織論や意思決定論を専攻していますので、あえて申し上げますが、「組織経営学」という確立された学問領域はありません。

経営学の分野に経営組織論という分野と経営管理論という分野があります。両者の関係は経済社会における主として企業の基礎生理学が前者で、臨床医学が後者です。しかし、組織経営学という学問領域を聞いたことがありません。

筆者にはこのコンサルタントが大学の先生について学んだことも経営学の入門書も読んだことがないことは一目瞭然でした。

専門性を持てずとも、視座を持つことはできるはず

弊社が専門とする危機管理も、いまだ「危機管理論」と呼ばれ、危機管理「学」と呼ばれる学問領域が確立しているとは言い難い状況にあります。

この状況はある意味で学際的な研究が行われている分野であるということであり、また、危機管理論に特有な現象としては、学者だけではなく実務家も多く参入していることが挙げられます。

実は筆者も学者ではなく実務出身ですが、危機管理論を語る多くの実務家出身の論者と異なるのは、「警察」出身の危機管理論専門家が防犯を語り、「消防」出身の専門家が防災を語るのに対し、「自衛隊」出身でありながら軍事や安全保障は専門外であるとして慎重な態度を取っていることです。

筆者は大学院で専攻した組織論や意思決定論を自衛隊入隊後も研究を続けてきました。したがって、筆者の危機管理論のバックは意思決定論だったり組織論だったりするのですが、これは特定の分野の専門的バックグランドということではなく、考え方のバックグランドであり、現在の危機管理論が取り扱っている様々な分野のどれが専門という分類ができない専門性と言うことができます。

つまり、「防災」や「防犯」あるいは「軍事」という特定の分野ではなく、危機管理上のあらゆる事態に関して、それを「危機管理の眼」で見るとどうなのかという議論ができるということなります。

このことが筆者が当コラムで皆様に危機管理論の入門的議論として危機管理を体系的に学ぶことのできる場を提供できる理由です。

筆者が「防災」や「防犯」の専門家であれば、そのような大局的な議論はできなかったはずです。

同じ理由をもって、母校上智大学で危機管理の入門的講義を担当したりもしましたが、ここで筆者が意を用いたのは、「危機管理の視座」を理解してもらうということでした。

卒業後どのような進路を取るか分からない学生たちに、危機管理のものの見方さえ教えておけば、あとは実務経験と合わせて現場で役立つ危機管理ができるからです。

危機管理の学際性

繰り返し申し上げている通り、危機管理論は学際的な研究のみならず、実務家も参加して多様な議論が行われている場であり、非常に興味深い研究が進展しています。

ウクライナがロシアから侵攻されたり、北朝鮮が核兵器の開発に力を入れたり、中国の露骨な海洋進出が顕著になってきた現在、この分野の議論に世間の関心が集まるのは当然のことで、様々な研究者や実務家が登場しています。

ミサイル問題では海上自衛隊のOBで元自衛艦隊司令官がテレビでよく解説を行っています。この元自衛艦隊司令官は筆者が若い頃にミサイル射撃担当の砲術士として艦隊勤務をしていたころの上司であり、その後海上幕僚監部でも指導して頂いたことがあります。また、ウクライナでの戦闘については元陸上自衛隊の方面総監がよく登場して実務家としての解説をしていますし、防衛研究所や東大先端技術研の研究者も研究者としての解説をしています。さらに慶應義塾大学や筑波大学などの大学の研究者たちも議論に参加して、それぞれの立場からの議論が行われています。

一昨年の2月以来のそれらの専門家たちの議論を聴いていて感ずることがあります。

筆者は軍事や安全保障を専門としないと言いつつ、しかし元海上自衛隊の幹部自衛官でしたから、それらの分野について一定の基礎的な知識を持っています。

そのような眼から見て、ウクライナ問題や北朝鮮のミサイル問題について解説している人々を見ていると、「そうだよな。」と頷けるものが多く、さらには「へぇ、そうなんだ。」と勉強になることも多々あります。特に現在ウクライナで行われている戦争は陸上での戦いがほとんどで、筆者は陸上戦闘については素人ですので学ぶことばかりですし、国際関係論に至っては海上自衛隊の幹部学校でいろいろな専門家の講義を聴いたくらいの知識しかありません。

ここ数年は国際協力推進協会の朝食会に参加して現役の外交官からいろいろな話を聞いている程度です。

そのような筆者から見ると、様々な報道番組や情報番組で解説を行っている専門家たちの意見は参考になります。

酷かった感染症専門家たち

一方の新型コロナの問題はどうだったかということを筆者は問題視しています。

筆者は医学を学んだことはありません。感染症についても、かつて広島県の呉で勤務していた時に、口蹄疫が蔓延して災害派遣が命ぜられ、指揮下の部隊を率いて宮島の鹿が口蹄疫に感染しないようにするための作業を1週間ほど行った際に、広島大学の先生に口蹄疫について講義をしていただいたことくらいの経験しかありません。

その筆者がテレビに登場する感染症専門家たちが出鱈目であることを見抜くのにあまり時間は必要ありませんでした。

彼らが致死率を正しく計算できないことが分かり、さらには統計のグラフの解釈の仕方を知らないことが簡単に見て取れたからです。

医学の専門的知識はなくとも、グラフの見方は知っています。簡単な算数の問題だからです。数学の問題ですらありません。

視座を持つことの重要性

筆者が「危機管理の視座」と述べたのはこのことを指しています。

危機管理は対象とする事象によって専門性が全く異なりますので、それぞれの専門的視点から考えるということはできません。

しかし、危機管理に臨むために、どういう考え方をすればいいのかという視座さえ確立していれば、私たちは事実から多くのことを学ぶことができますし、専門家の言っていることが正しいのか出鱈目なのかも評価できます。

事実から学ぶことができ、専門家の評価ができるということは重要なことです。

把握できた事実から何をすべきなのかを見極めることは危機管理上の事態に即応するために必要なことですし、専門家が出鱈目かどうかが判断できれば惑わされずに済みます。

コロナに関してはテレビに登場した専門家のほとんどが出鱈目だったので社会は必要以上に怖れ、政治が混乱し、G7の中で最も充実した医療体制を持っていたはずのこの国だけが経済発展をできませんでした。他の6か国はコロナで多くの犠牲を出しながらもしっかりと経済を成長させたにもかかわらずです。最も犠牲が少なかったこの国だけが経済的敗者となったことはボディブローのように将来に影響を与えていきます。

感染症の専門家たちは、逆の解釈をしています。他の国は経済発展を重視したため犠牲者が多かったというのです。この解釈が誤りであるのは、彼らが苦手な数字を見ればすぐに分かります。

日本で本当にコロナウイルスに感染して肺炎で亡くなった患者が非常に少なかったのは、現場の医療関係者たちが死に物狂いで対応したからです。それができたのは、もともとの日本の医療体制がしっかりしていたためであり、メディアが騒いで政府が対策を打ったからではありません。実際にコロナ専用病床は最も感染が深刻であった時ですら60%しか使用されていなかったことは会計検査院の検査で明らかになっています。

つまり、必要以上に不安を煽って的確な対策となっていなかったために、多くの施策が無駄に終わり、犠牲者はもっと減らせたかもしれない一方、G7の中で最低の経済情勢になってしまったのです。

テレビで飛び跳ねていた感染症の専門家たちにはそれらの道義的責任があります。

私たち一人一人が危機管理の視座を持ち、たとえ自分の知識・経験の及ばない事態であっても毅然と対応し、世の中のゴミのような雑多な情報に惑わされないことが大切です。

当コラムが少しでもそのような世の中をつくることにお役に立てばという思いで綴っています。