専門コラム「指揮官の決断」
第396回生兵法は大怪我の基
しつこいようですが専門性の問題に触れます
当コラムをお読み頂いている方々は、「またか」と思われるかもしれませんが、当コラムは「専門コラム」と題しておりますので、専門外の分野について語るときにはかなり慎重な態度をとっています。
筆者は大学院で組織論を専攻した後、海上自衛隊で約30年間暮らし、その後ビジネスの世界に飛び込んで、専門技術商社の営業部長を経験した後、カリフォルニアにある米国法人のCEOを務めました。
この経験から導き出される専門性というのはほとんどありません。それぞれの経験が直接役に立つような関連性を持たないからです。防衛大学校から自衛隊に入り、退官後防衛産業の顧問でもしていれば一貫性があるのですが、筆者の場合にはそのような一貫性がありません。
海上自衛隊でも20以上の配置を経験しましたが、前の経験が役にたつような配置はほとんどありませんでした。
任官後、初任幹部として就いた艦隊勤務は3年間で3隻でしたが、機関士、通信士、砲術士というバラバラな勤務でした。これは海上自衛隊の艦艇における幹部自衛官の育て方の特徴です。護衛艦の艦長を育てるためには、護衛艦のすべてに精通していなければなりません。商船の船長は機関科のことは機関長に任せておけばよく、貨物や原油の積み込み要領を熟知している必要がありますが、軍艦の艦長は戦闘被害を覚悟せねばならず、戦闘力の維持や最大発揮の指揮を執る必要があり、機関科についても精通していなければなりません。そこで、初任幹部のうちに、航海、武器、機関の配置を経験させ、その後に専門的な配置に就かせていき、副長としてすべてを統括する経験と艦長としての勤務を学ぶ機会を与えた後に艦長に補職するという育て方です。
ところが筆者の場合は、機関、航海、武器の配置を経験した後に後方配置の勉強をさせられ、いきなり在米連絡官に送り込まれました。当時建造中だったイージス一番艦「こんごう」の建造調整が主な任務でした。
帰国後、内局に出向させられ、装備行政を担当したと思ったら、幹部学校指揮幕僚課程に放り込まれ、いきなり当時海上自衛隊の最精強部隊であった第二護衛隊群司令部の幕僚を命ぜられました。その頃は2等海佐で、そろそろ同期からは艦長が出るころでしたが、筆者は3年間の初任幹部としての艦艇勤務経験しかありませんでした。1等海尉の半ばから三等海佐にかけて船に乗っておらず、艦艇部隊が何をやっているのか知らなかったのです。
2年間で17日しか休みのない艦隊司令部勤務を終えた後、補職されたのは海上幕僚監部防衛課であり、海上防衛政策の中枢で海上自衛隊の予算要求や業務計画の立案と執行の監督などの業務についていました。
その勤務の後に、青森県八戸の航空部隊で補給部隊の指揮官となりましたが、これまでの説明で補給に何の経験もないことがお分かりかと思います。
その勤務の後、幹部学校高級課程にまた放り込まれ、1年間勉強させてもらう機会がありましたが、在学中に1等海佐に昇任したため、卒業後に就いた配置は、海上幕僚監部の監査官でした。全国の海上自衛隊部隊の監査を行う配置です。
海上自衛隊では業務監査は監察官が行うので、監査官が行うのは金銭会計と物品管理会計の監査なのですが、やはり経理・会計の勤務経験がありませんでしたので、何も分からないまま監査班員を指揮して全国の部隊を監査し、会計検査院の検査の正面に立っていました。
監査官を終えた後、部隊に出ることができるかと期待していたら、補職された先は援護企画班長という配置でした。
「援護」というのは自衛官の退職後の生活の安定のために再就職を支援する制度であり、企画班長というのは、その制度設計や予算要求に責任を持っていました。これまでのノウハウはまったく役に立ちません。
その勤務のち、やっと部隊に出してもらいましたが、行った先は自衛艦隊司令部であり、ここでやっと護衛隊群司令部幕僚の経験を生かすことができました。
ところがその勤務の後、また海上幕僚監部に戻され、補給管理室長という海上自衛隊の補給制度の元締め役の配置を押し付けられました。補給システムの更新などを担当したのですが、補給の実務経験は航空補給隊長の1年間しかありませんでした。
その後は経理部や海幕経理課の勤務も全くないのに総監部経理部長に補職され、年間1400億円の予算執行の責任者となったり、やはり航空補給隊長1年の経験しかないのに地方隊の造修補給所長として呉を母港とする護衛艦や補給艦、潜水艦などの整備や陸上基地の補給を担当したりという、それまでの経験が全くない、あるいは1回しか経験がない業務が続いていました。
退職後についた仕事も、専門技術商社の営業部長というまったく経験のない仕事でしたし、その後カリフォルニアの米国法人のCEOも、若いころに連絡官として在米勤務は経験していたものの、米国内での営業経験などまったくなく、暗中模索の日々でした。
つまり、筆者には「これが専門」と言うことのできるバックグランドがないということです。
危機管理に必要な専門性とは
しかし、当コラムでは「専門は危機管理」と言い張って執筆を担当しています。
それは、危機管理という分野がそもそもそういう性格のものだからです。
危機管理の専門家には多様な人々がいます。
分かりやすいのは防災や防犯などです。あるいは国際関係論や安全保障論などで、核抑止や戦争の分析などを研究している人々もいます。
筆者にはそのような特定の専門がない代わりに「危機管理」の考え方について研究をしてきました。それは大学院で専攻した組織論、特にその中でも意思決定論を基礎として、「危機とは何か」「危機管理にとって重要なことは何か」という命題を海上防衛の最前線にある海上自衛隊で考え続けたということです。
このようなバックグランドを持つためでもあるのですが、特定の分野の専門領域を持たないため、それら専門領域について言及する際には、自分が得意とする分野からの分析をしています。つまり、危機管理上の問題を考える際、弊社の得意とする分析手法を用いて、危機管理の眼で見るとどう見えるのかという議論を展開することになります。
しかし、あくまでもそのような分析に留まっており、専門分野について、直接ものを言うことはあまりありません。特に当コラムで気を付けているのは、断言せずに伝聞推定の形をとるということです。
この視座をもっているため、当コラムでは感染症の問題や政治的な意思決定問題、安全保障問題など広範囲な話題に対して議論をしています。そこで専門的な知識経験なしにモノを言うことには慎重でなければならないという態度を貫いています。
これがどういうことなのかを説明しましょう。
知らずに議論するな
1990年代初頭に話を戻しますが、カンボジア国際平和協力業務という行動が決定され、陸上自衛隊が初めて業務のために海外派遣されることになりました。いわゆるカンボジアPKOです。
この時は国会での反対がすさまじく、法律の成立を阻止するため、歴史に残る牛歩戦術が取られたりしました。
ここでは実にくだらないことが口角泡を飛ばして議論されていました。
曰く「機関銃2丁を持っていくのは多すぎる。1丁でいい。」という議論です。
これはど素人の議論です。
機関銃というのは、歩兵が突撃時に持っている自動小銃とは異なり、布陣している中隊の左右両端に配置して、敵が突撃をかけてきたら、右端の機関銃は斜め左前、左端の機関銃は斜め右前を狙って撃ち続けます。左右から斜め前に向かって撃つので、その銃弾が線を描いて部隊中央の正面でクロスします。この二本の線は突撃破砕線と呼ばれ、撃ち続けるかぎり、その線を越えて突撃してくることができません。
つまり、2丁ないと意味がないのです。実際には機関銃は撃ち続けると熱をもってしまうので、時々冷却しなければならず、また弾丸詰まりを起こして発火停止となることもあるので、予備銃が必要なのですが、なぜか陸上自衛隊は2丁を要求したようです。
それを2丁は多いので1丁とすべきという野党(当時の土井たか子さんを主力とする社会党です。)の議論はまったく意味がありません。
彼らは武器の使用と武力の行使の違いを理解していなかったのです。
憲法が禁止するのは、国権の発動や国際紛争を解決するための手段としての武力の行使であり、自衛のための武器の使用を禁止したわけではありません。
多くの武器を持ち込むと、それで関係国が威圧されるという議論なのですが、機関銃2丁で威圧される国があるのでしょうか。
一方で、海上自衛隊は1950年代から護衛艦が世界中の様々な国に入港しています。その護衛艦は機関銃どころか5インチ(127mm)という口径の大砲を搭載しています。
この護衛艦の遠洋航海は、友好国との親善の意味を持ちますが、それ以下の関係の国にはShow the Flagという、いわば示威行動の効果を持ちます。これこそ武力の行使です。
このことには触れず、PKO部隊が持っていく機関銃が2丁は多いから1丁にせよというのは、武器の使用と武力の行使の概念を全く理解していないということにほかなりません。
この程度のことすら分からずに議論するのが国会議員たちです。この連中の愚かさ加減は当時だけでなく、今も変わっていません。
評論家すら怪しい
さらに専門ジャーナリストも、出鱈目なことがあります。
2009年10月、相模湾での観艦式に観閲官内閣総理大臣を乗せるという任務を果たして佐世保へ帰投しようとしていた護衛艦くらまが関門海峡で韓国のコンテナ船に衝突されるという事故がありました。
夜間であり、火災を発生させたくらまが赤々と燃える様子がテレビ放映され、センセーショナルなニュースとなりました。
その頃、古舘伊知郎氏がキャスターを務めるニュースステーションという報道番組がありました。
この番組に、朝日新聞記者出身で雑誌「AERA」の編集長であった田岡俊次氏が電話インタービューで登場し、「韓国船がくらまの左減に衝突しているようですから、海上自衛隊にとって有利でしょうね。」と解説しました。有利というのは裁判で有利ということなのでしょうが、事故が起きているその場の解説として相応しいコメントではないように思います。
護衛艦の不注意であるという解説を期待していた古舘氏は一瞬凍り付き、「でも、観艦式の帰りという気の緩みがあったりしたのでは?」という印象操作に必死になっていました。
筆者はその時に呉地方隊の補給部隊の指揮官でしたので、総監部から至急出てきて欲しいと要請され、総監部の作戦室で大きなスクリーンを見ているところでした。
周りには警備隊司令、総監部防衛部長、護衛隊司令などが集まって、一緒に画面を見ていました。私たちが一斉に思ったのが、「田岡は分かっていない。現場は関門海峡であり、海上交通安全法が適用される海域であり、衝突が右だろうが左だろうが関係ない。」ということでした。
思うに、田岡氏はその2年間に起きたイージス艦あたごの衝突事故のときに、相手船を右に見ていたあたごに衝突回避の義務があったということを知ったのでしょう。これは海上衝突予防法の規定であり、たしかにあたごの事故が発生した海域では海上衝突予防法が適用されます。これは国際条約に基づいた法律であり、世界中で同じ規定が適用されます。
しかし、特定航路内では、その航路に合わせた航行方式が規定され、それが海上交通安全法として規定されています。船乗りはそこに規定される特定航路を通過するときにはその法律に従わなければなりません。
また横浜港や名古屋港などの港ごとには港則法という別の法律が適用されるので、船乗りはそれらの法律を港ごとに勉強しなければなりません。
田岡氏は海上法規には何の知見もないにもかかわらずテレビで専門家のようにコメントしたのです。もし、彼が小型船舶操縦士の資格でも持っていれば知っているような初歩的な知識にすぎません。日本では自動車は道路の左側を走る、程度のことです。それすら知らないでテレビでコメントするのがメディアの評論家たちです。
専門的知識よりも視座が重要
政治家にせよメディアのジャーナリストにせよ、生兵法はいかに恐ろしいかの例です。
筆者はこのようなみっともない例をいくつも見てきたので、余計に専門性にこだわり続けています。
したがって、例えば感染症の問題を扱う際、弊社には医学的な知見がまったくないので、医学的な見地からの意見は差し控え、数理社会学的な分析に留まっていました。
ところが、この度のコロナ禍は、統計的な知識で見ると出鱈目なことばかりで、逆に感染症の専門家たちに騙されることなく事態を観察することができました。
弊社が注意してみていたのはPCR検査の結果やコロナ専用病棟の使用数などでしたが、そこから感染症専門家の喧伝する新型コロナの致死率が出鱈目であることを見抜きましたし、メディアが病床の不足で患者が救急車でたらいまわしにあっていると騒いでも、そんなはずはないと看破していました。結果といえば、会計検査院の検査で、コロナ患者数のピーク時ですら専用病床は6割しか埋まっていなかったことが分かりました。
危機管理の専門性というのはそういうものです。
危機管理というのはあらゆる分野で必要なマネジメントです。すべての分野の専門性を身につけることはできませんが、危機管理は素人が簡単にできるようなものではありません。
それなりの経験や覚悟が必要です。そして、危機管理の視座が必要です。
当コラムでは、その危機管理の視座というものがどういうものなのかを様々な例を用いて解説しています。
皆様、どうかそれぞれのご専門や得てこられた知識・経験を活かし、危機管理の視座に立って、この複雑な社会情勢を乗り切っていただきたいと思っています。
視座さえしっかりしていれば、いかなる分野においても危機管理はできます。重要なのは「見方」の問題であり、政治家やジャーナリストのように皮相な知識で訳知り顔でモノを言うと恥をかくことになりますので、要注意です。