専門コラム「指揮官の決断」
第397回何が真実なのか 検証の難しさ
「事実」とは何か
当コラムでは、メディアの報道がファクトチェックもしない、どころか、自分たちの先入観や価値観に基づいて事実を歪曲した報道すら平気ですることをたびたび批判してきました。
真実はともかくとして、少なくとも事実に反する報道をすることは許されないことだと考えます。
しかし、何が事実なのか、ということになると、実はそれほど簡単ではありません。
私たちは、専門家と呼ばれる人々がメディアに登場して解説をすると、それを信じてしまいます。ところが、その専門家たちすら、何が事実であるのか理解していないということがよくあります。
私たちは、何が事実であるのかを、峻別する能力がなければなりません。それがこの時代において、判断を誤らないメディアとの付き合い方でもあります。
コンサルタントがセミナーで困ること
私はコンサルタントなのでセミナーの講師として登壇することはあまりありませんが、それでも専門分野について話をしてくれと言われることが時々あります。
ここで困ることが一つあります。
コンサルタントはクライアントの具体的な問題を解決することが仕事であり、個別具体的な検討をしなければならないのですが、セミナーで話をする場合にはある程度抽象化して一般的な話をせざるを得ません。
ここで問題となるのは、何をもって真実というかということです。
真実を見極める方法
一般的に理論の真実性を検証するためには二つの方法があります。
一つは事実による検証です。
物理学が行うように、実験室において、同一条件の下では同一結果が生じることを証明できればその理論の正しさを立証できます。
社会科学を扱っているとそういう実験室的環境における検証はなかなかできませんので、統計的に有意な計算ができるだけのサンプル数を集めて検証することになります。
これは極めて難しい作業を伴います。
社会調査の技法をしっかりと学び、様々な変数を独立に測定できなければならないからです。
筆者はコンサルタントですので、多くのセミナー講師が自分の経験からいろいろなことを自分が発見した法則のように述べるのを聴いていてもピンときません。
筆者自身についても同様で、自分がある仮説を持っていても、その正しさをどうやって証明すればいいのか、いつも悩みます。
具体的なコンサルティングに際しては、クライアントに説明して納得を頂いてから具体的な話に入っていくのですが、セミナーで話をするように言われた場合には、あたかもそれが公理であるかのように話をしなければならないのがつらい所です。
例えばPM理論
筆者がこの問題に関心を持ったのは筆者の専門である組織論の学説史を学んでいた時でした。
リーダーシップ論の議論の中で三隅二不二氏らが1960年代の半ばに提唱したPM理論というものがあります。
詳細な説明は省きますが、PM理論では、リーダーシップを「P(Performance function)目標達成機能」と、「M(Maintenance function)集団維持機能」という二つの機能に分けて考えています。これに近い考え方をしているのが「マネジリアル・グリッド」論です。
三隅氏は、「リーダーシップが果たすべき役割=集団を発展させること」と考え、「集団を発展させるために必要な機能とは何なのか」を上記二つのP機能とM機能に分類し、どちらを重視するかにより重視する機能を大文字で、副次的に見る機能を小文字で表して、業績の高い組織のリーダーが何を重視しているのかを観察しました。
つまり、個人に着目して目標達成機能を重視するスタイルをPm、逆に組織に着目して集団維持機能を重視するスタイルをpMとするというような組み合わせでリーダーシップスタイルを比較検討したのですが、その結果、PとMの両方の機能を重視したPM型のリーダーシップスタイルを取る集団のパフォーマンスが最も高いというものです。
筆者が学生だったのはこの理論が発表されてすでに10年以上経ったときですが、このPM理論の研究会や企業への具体的な適用のためのセミナーが全国で開催されていました。
筆者自身はというと、呆れて物も言いたくないという状況に陥りました。
三隅氏はこの理論をどこかの会社の製造業の現場で何人かの女性の工員さんへのインタビューを通じて発見されたのだそうですが、私には出来レースにしか見えませんでした。
しかもPとMの両方の機能に意を払うPMタイプがベストであるというその結論は「当たり前だろう」という結論であり、反論のしようがないからです。
例えば、「優しい上司と厳しい上司」
よく経営コンサルタントのセミナーで厳しい部長の下には優しい課長を補職し、優しい部長の下には厳しい課長を補職してバランスを取るべきなどと説明されることがあります。
ちょっと聴くとどう考えてもそうだなと思ってしまいます。両方とも厳しいと部下は息が詰まりますし、両方とも優しいとダレた組織になってしまいそうです。
この仮説は実は第2次世界大戦中に米陸軍がリーダーシップの研究を行う際に立てたものです。しかし、これらの経営コンサルタントが知らないだけなのですが、その理論を肯定する実証研究はなされませんでした(少なくとも有名な研究はありません。)。
戦後、むしろ、その仮説が真実ではないという実証研究が米国のフォード社、NASA、あるいはユナイテッド航空で行われたことがあります。
直感的には正しくても
つまり、直感的にはどう考えても正しいと思われることであっても、実証的には誤りであることがあり、セミナーなどで語る場合には注意しなければなりません。
あえて申し上げれば、一般に行われているセミナーはある意味で知的エンターテイメントなので、聴衆がなるほどと納得して関心をもって聴いてくれていればいいのですが、しかし、専門家の眼にはその講師が素人に見えてしまいます。
この理論と直感的事実の相違について私はよく隣のネコの例を用いて説明することがあります。
隣の家にネコが2匹います。茶色のネコとグレーのネコです。
1匹がメスだということが分かりました。
もう1匹がメスである確率は何分の1でしょうか、という問題です。
1匹のネコがオスかメスかという確率はそれぞれ2分の1であると直感的には思います。
しかし、確率論から申し上げるともう一匹がメスである確率は3分の1です。
2匹のネコの組み合わせは、メス・メス、メス・オス、オス・メス、オス・オスの4通りであり、一匹がメスであることが分かっているのでオス・オスの組み合わせは考慮しないため、このネコの性別の組み合わせはメス・メス、メス・オス、オス・メスの3通りあることになります。
そして、もう1匹もメスであるのはこのうちの一通りなので確率は3分の1ということになります。
納得がいかなくて今夜眠ることができなくなる方がいらっしゃると困りますので、もうちょっとだけ解説しますね。
メスだとわかっているネコが茶色かグレーかの指定がされていれば、確率は皆様が直感的に考えられたように、確率は二分の一になります。なぜ、そうなるのかは統計検定3級受験程度の教科書を読んでいただければちゃんと理解できます。
この例でも分かる通り、理論的な正しさと私たちの直感とにはズレがあります。
専門家はそれが事実として正しいかどうかを重視しますが、素人は直感的に正しいかどうかで判断をします。
先に挙げた経営コンサルタントは、直感的には正しいと彼が思っている事実について言及しているのですが、実証的には否定されていることを知りません。コンサルタントは必ずしも一つの分野の専門家ではないので無理もありませんし、確証バイアスにとらわれていると、自分の考え方を裏付ける文献だけが目に入り、それを否定する実証研究がなされていても目に留めません。専門家としては忌避すべき態度です。
例えば、天動説が支配的だった頃、誰も地球が丸いなどと思ってはいませんでした。コロンブスが地球が丸いことを証明して見せたからたちどころにすぐに皆が地球が丸いと考えるようになったのではなく、その事実が普及するには長い年月がかかりました。コペルニクスが苦労しなければならなかったのです。
コロンブスの航海以後も地球の端に行くと奈落の底に落ちてしまうと教え続けた宣教師たちはたくさんいたのです。
欲求5段階説だって例外ではない
マズローの欲求5段階説というのは極めて有名で、人は生存の欲求から自己実現の欲求に至る5段階の欲求をもっており、低次の欲求が満たされると次に高い欲求を満たそうとすると言われてきました。
この欲求5段階説はいまだにセミナーなどで語られ続けていますが、実は学説としては70年代には否定されています。コンサルタントは研究者ではないので若い頃教科書で学んだきりになってしまうのは無理もありませんが、しかし、それらの学説をしっかりとチェックしないと単なる知ったかぶりということになってしまうので要注意です。
注意すべきこと
自分の経験から何かを話す時に注意しなければならないことがあります。
特にセミナーなどで講師として登壇する際には特に気を使わねばならないことがあるのですが、それは講師がしゃべると素直に信じてしまう人が多いからです。
たとえば、先のマズローの欲求5段階説ですが、社会科学の実証論的にはすでに否定された研究が出ているので、もし人間はそのような欲求を持つという前提でマネジメントをすべきなどという内容で話をするのであれば、マズローの説が正しかったという検証を自らするか、あるいはそのような研究を探し出す必要があります。
そうでなければそれらに詳しくない一般の方々に嘘を教えることになるからです。
私はそういう意味で、論文サーベイを時々行い、自分の寄って立つ議論が社会科学的にはどうなのかを常に気にしています。
また、自分の経験から語る場合、先にも申し上げている通り、自分の感覚と客観的事実は異なることがあるということを常に意識しなければなりません。
社会科学の方法論に従った検証によらない単なる自分の経験である場合、それを公理であるかのように語るのは禁物です。
人前でしゃべるなら、その経験を説明できる先行研究があるかないかをちょっとでもチェックしておくくらいのことはすべきであり、それがプロの仕事の仕方なのですが、どうもそれすら理解していないセミナー講師がたくさんいますし、それを否定する先行研究がたくさんあるのを知らずに堂々としゃべる講師もいます。はなはだしきは、自分は自分の経験から得たものを伝えるんだと言って憚らない講師も少なくありません。ひょっとしたらその経験が合成の誤謬を起こしているかもしれないなどとはまったく思っていないのでしょう。
筆者が若い頃なら大学の図書館に行って調べなければならなかったのでしょうが、今ではネットで簡単に調べることができるのに、自分の観念だけでセミナーに登壇するというのは相当な強心臓だと思っています。
ただ、先にも述べた通り、セミナーというのは大抵は知的エンターテイメントなので、聴いている方々の知的好奇心が満足されればいいのであって、社会科学的に正しいかどうかということはあまり問題ではないのかもしれません。
ところがコンサルタントは実績を出さねばならないので、科学的に否定された理論に従うわけにはいかないのです。
お菓子屋さんは美味しければ何を出してもいいかもしれませんが、医者は効く薬を出さねばなりません。効かないことが実証されていることを知らなかったでは済まないのです。
筆者が当コラムで自分の専門外の領域について言及する際に、自分の専門ではないといちいちコメントするのは、必ずしも自信を持っていないからですし、引用に止めたり伝聞の形を取るのは、自分の頭で考えたわけではなく、信頼できると考えた論者の主張に同意しているだけだからです。
理論の検証のもう一つの方法は、論理の一貫性を検討することですが、これは論理が一貫していることを説明できるにとどまり、その事実が正しいのかどうかとは別問題となるおそれをなしとしません。ただし、実証ができない場合にはこの手法によるしか方法がありません。湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞された中間子の存在の予言がこれです。
とにかく、何が真実なのかを見極めるというのは大変骨の折れることなのです。