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専門コラム「指揮官の決断」

第398回 

使命の自覚

カテゴリ:

目的は何かを問い直すためには

当コラムでは最近、目的は何かを問い直すべきというコラムを複数回にわたって掲載いたしました。

意思決定に際して、まず、自分たちの使命は何かを考え、その使命から、自分たちが何をすべきなのかを導き出し、しっかりと目的を設定して意思決定を行うことが重要であるということです。

このことがこの社会一般にほとんど理解されていないということを目の当たりにさせられる事実があります。

今回は、最近の話題の一つから、その事実に触れていきたいと思います。

優生保護法が違憲立法とされました

優生保護法が最高裁によって、立法そのものが憲法違反と判断されました。

これを受けて岸田首相が「法を執行してきたものとして、真摯(しんし)に反省し、心から深くおわびを申し上げる。原告の皆さまにお会いして、反省とおわびの言葉を直接お伝えしたいと思っている。」と述べています。

さらに、加藤こども政策担当大臣が、原告団と面会し、謝罪と反省の言葉を述べていました。

誰の責任だったのでしょうか

筆者に言わせれば、これが究極の勘違いです。

岸田首相は行政府の最高責任者です。

一方、最高裁は旧優生保護法の立法そのものが憲法違反であるという判断をしています。

行政は法の執行機関です。国権の最高機関である国会で作られた法を誠実に執行するのが行政の役割であり、国会の立法はともかくとして行政機関には行政機関の考え方があるとして、法律を執行しないということは許されないことなのです。

優生保護法に関し、真摯に反省し、心からお詫びをしなければならないのは立法府である国会であるはずです。

確かに、現在の国会は、優生保護法を成立させた国会とは全く別物です。

しかし、国会議事堂に象徴される国権の最高機関である国会は、少なくとも日本国憲法下の国会は、国民にとって一体のものであるはずです。さすがに、大日本帝国憲法下の戦前の国会が現在の国会と一体かというと違和感がありますが、戦後の国会は、分立した三つの権力の一つであることは間違いないでしょう。

なぜ、最高裁が立法そのものが憲法違反であると判断しているのに、行政府の長が反省し、謝罪しているのでしょうか。

岸田首相が反省し、謝罪すべきとすれば、自民党総裁としてであり、内閣総理大臣としてではないはずです。

優生保護法だけではない

同じことは「らい予防法」についても言うことができます。

らい予防法が熊本地方裁判所において違憲とされ、国が控訴しなかったため、その判決が確定し、違憲立法とされた件において、「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」という日が設けられ、毎年、東京霞が関の厚労省前に式台が設けられ、追悼の儀式が行われています。

当コラムでは、このことにも違和感を持っています。

この追悼式が行われるべきは、厚労省の前ではなく、国会議事堂の前で、主催は、衆参両院であるべきです。そして、国会議員総員が参列して、二度とこのような立法を行わないという誓いを立てる日であるべきと思料しています。

自分の使命が何なのか分からない奴が政治を行っているという恐怖

内閣も国会も自分たちが何者であり、自分たちの使命は何であるのかを理解していないのではないかというのが、当コラムが持っている疑いです。

自分たちが何者であるのかを理解していないと、自分の使命は何であるのかという分析は当然できません。自分の使命が何であるのかを分かっていなければ、その行動ははたから見ても不思議な行動になるのは仕方がありません。

政治家が役人たちが、自分の利益しか追わず、国益などには微塵も関心を持たないのも、そのためかもしれません。

ピラミッドの形をした行政機関の基礎部分を支えている現場担当者たち、警察官、消防官、海上保安官、自衛官をはじめとする現場で汗を流している人たち、特に制服を着ている人々は、その制服に象徴される使命をしっかりと自覚して、その任務に邁進しているのですが、その上にいる制服を着ていない役人や、国会議事堂にたむろしている政治家たちは、自分たちの使命が何であるのかという自覚がほとんどないので、国会での議論も呆れるほどの低レベルですし、政府の決定も出鱈目です。

予算国会で、予算が真剣に議論されず、政治資金パーティーの裏金問題に終始し、そこで解せずに通常国会においても、その議論が続けられました。

この国の将来をどうするかという議論ではなく、政治家の資金集めの方法を巡る議論なのです。

一方の国の施策も出鱈目です。

若い人たちも海上自衛隊も犠牲者

少子化対策として子育て支援策しか出てきません。この問題はかつて当コラムでも触れましたが、子育て支援は大切ですが、少子化対策にはなりません。むしろ、今行われている子育て支援は、結婚できた若いカップルと結婚できない若い人たちの格差を拡大する効果しかもたらしません。

また、海上自衛隊の負担軽減という目的で計画されたはずのイージス・アショアの導入も、役人たちの度重なる失策と政治家の思惑のために当初の計画がひっくり返され、帳消しになったのであればまだしも、ロッキード・マーチン社に違約金を払わなければならなくなるという理由で、そのアショアに搭載するはずだったイージスシステムをそのまま船に載せるという発想になってしまいました。

これをイージスシステム搭載艦というのですが、護衛艦ですらありません。陸上用のシステムを船に載せただけの、張り子のブタのような世界に向かって恥ずかしいだけのブヨブヨした船を作ることになり、海上自衛隊が一方的に負担が大きくなる結果になりました。

これも政治家と役人の無感覚、無教養、無責任の結果です。

私たちの責任を自覚しよう

とても悲しいことですが、私たちの社会をリードしている政治家や役人が自分たちの使命を自覚していないため、この国の劣化は急激であり、歯止めが利かない状況にあります。

それはだれの責任でもありません。そのような政権を誕生させた私たち自身なのです。

筆者自身は現政権政党に投票したりしていませんので責任はない、とは申しません。岸田政権の誕生を阻止するための活動は何もしていないからです。唯一やってきたのは、総裁選の時から、この男は危機管理というものを理解していないと主張してきたことです。総裁選において、「危機管理の要諦は、最悪の事態を想定して、それに備えること。」と述べたことを捉えて、「想定外のことが起きた時に、こいつは何の対処もできないはず。想定外の事態に毅然と対応するのが危機管理。」と主張してきました。しかし、基本的に政治家が嫌いな筆者は、この政権の誕生を座して見ていましたので、この政権誕生に責任がないとは申しません。

国民の民度以上の政権は誕生しません。

現政権が危機管理を理解していないのは、国民が理解していないからですし、国会が自分たちの立法が憲法違反であると言われているのに、反省し謝罪しているのが行政府であるというのも、立法・行政という三権のうちの二つが自分たちの役割を理解していないからです。また、それを不思議とも思わず報道しているのは、マスメディアが三権分立ということの意味を理解していないからですし、その報道を見ても不思議に思わないのは、私たち国民が憲法の原則である三権分立という概念を理解していないからです。

私たちが選んだ政治がダメなら、その政治に文句を言うのは天に唾する行為であることを私たちは深く自覚する必要があります。