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専門コラム「指揮官の決断」

第405回 

日本航空123便墜落事故の謎  その3

カテゴリ:危機管理

承前

前回に引き続き、1985年8月12日に起きた日本航空123便の墜落事故についての記事です。

前回は、米空軍の元中尉が、事故から10年ほどたってからカリフォルニアのローカル紙に、御巣鷹山に墜落している日航機を見つけたが、早々に帰還するように命ぜられ、その後、上官から事故のことについては口外するなと命令されたという手記を載せていることに関し、その記事の信ぴょう性について疑問を呈しています。

その記事の裏を誰も取っていないのと、TheStars&Stripes紙が日本に司令部を置く第5空軍に確認したところ、そのような記録はないという回答を得たとのことですが、これは古くて記録が破棄されているのか、あるいはそのような事実がないために記録がないのかは分かりません。

ただ、この記事が事実であることは証明されていません。

また、厚木の米海兵隊のヘリが現場に駆け付け、救助を始めようとしたところ、日本国政府の要請で救助を中止して帰還したという話は、まったく根拠がないことを説明いたしました。

当時(今もそうですが、)厚木にいた海兵隊は基地警備の部隊であり、航空救難をできる技量も機材も持っていませんでした。航空救難のためには、看護師の資格と航空救難員としての特別な訓練が必要です。米国の海兵隊は確かに世界最強の武力集団ではありますが、どの部隊もなんでもできるということにはなっていません。今、厚木にいる海兵隊隊員たちも、どこかの戦場に投入しようとする場合には、再錬成訓練をしてからではなければ戦えないのです。

戦場のノウハウと基地警備のノウハウは全く違うので、戦闘部隊である海兵隊の部隊をそのまま基地警備に使うこともできないのであり、この事故当時、厚木から海兵隊のヘリが現場に到着して救助活動を始めようとしていたというのは全く事実ではありません。

今回は、山梨県など、尾翼を失った日航機が、機長たちの必死の努力で飛んでいた地域で、目撃され、そこには航空自衛隊のファントム戦闘機がぴったりと一緒に飛んでおり、小学生や大人たちの証言が多数あり、その日航機の機体には赤いミサイル上のものがめり込んでいたということで、このことから自衛隊は日航機にミサイルを意図的に命中させ、ファントム機がその結果を見届けるために一緒に飛んでいたと言われているようです。

経済アナリストの森永卓郎さんは、このことを取り上げ、多くの人の目撃証言があり、特に小学生たちがその証言をして、文集まで作っているということを重視して、「子供たちが嘘をつくなんていうことはありえないので、これは事実だ。」という発言をされています。森永氏は、最後には航空自衛隊の戦闘機が撃墜したとまで述べています。

今回は、この問題を取り上げます。

記憶は書き換えられるというのが心理学上の常識

米国におけるテロ事件である9.11を巡って、様々な研究が行われています。

この事件は、国際関係論や安全保障論、あるいは対テロの専門家だけでなく、経済学者や心理学者による研究でもよく取り上げられています。

経済学者でこの問題を積極的に取り上げているのは、行動経済学を専門とする研究者たちで、この人たちは心理学的な側面を非常に重視するので、意思決定論を専門とする筆者にも興味深い研究がたくさんあります。

このテロが起きた瞬間の記憶を巡る研究もたくさん行われています。

多くの人々は、このニュースをテレビで観て、その瞬間記憶しています。このコラムをお読みの方々も、その時、自分がどこにいて、何をしているときにその映像を観て、誰とそのことについてどのように話をし、その後、何をしていたかを鮮やかに覚えていらっしゃることと思います。

それは「フラッシュバルブ記憶」と呼ばれる記憶であり、あたかもその瞬間をカメラでフラッシュを焚いて写したように鮮明に覚えている、と思っています。

ところが、その記憶自体が書き換えられていくことがあることが研究で分かっています。

行動経済学や心理学の研究者たちが、米国でMITなどの名門大学の多くの学生を対象にして、その9.11テロの記憶について調査したところ、時が経つにつれて記憶が変わっていき、しかし、その記憶の確かさに関する意識調査では、自分の鮮やかな記憶に間違いはないという自信がまったく変わらないことが分かってきました。

ジョージ・ブッシュ大統領の場合

有名な例を挙げます。

テロ当日、ジョージ・ブッシュ大統領は、フロリダにいました。

テレビで、小学校で「わたしのヤギさん」という絵本を児童たちに読んでやっているところに、大統領首席補佐官が近づいて耳打ちをした時の大統領の驚愕した顔が映され、その顔がその後しばらく風刺漫画に掲載されていたのをご記憶の方もいらっしゃるかと思います。

実は、その時は二度目の攻撃が報告された時でした。

大統領は一度目の攻撃の事実は、教室に入る前に報告を受けていました。

ただ、その時はテロの詳細が分からず、大統領は下手くそなパイロットが操縦ミスでタワーに突っ込んだものと考えていたようです。

ところが、その後、大統領は公の場で、少なくとも2回、最初の飛行機がタワーに衝突するのを、教室に入る前にテレビで観たと発言しています。「最悪のパイロットだな。」「これは大惨事になった。」と続けています。

大統領は、最初の事件については、確かに教室に入る前に報告を受けていますが、単なる事故だと考えていました。それで、2度目の攻撃が報告され、意図的な攻撃であることが伝えられて驚愕の表情を浮かべたのでした。

最初の事件を教室に入る前に観ていなかったことには証拠があります。

当日テレビで流された映像は、二回目の攻撃の模様だけでした。一機目の突入の場面の映像はかなり経ってから入手されたので、最初の三日間は二機目の突入の場面しか流されていませんでした。つまり、大統領の記憶が書き換えられたのです。

ヒラリー・クリントンの場合

同じような記憶の書き換えの例を紹介しましょう。

2008年の米国大統領選挙の民主党候補指名争いでバラク・オバマと争ったヒラリー・クリントンが、ジョージ・ワシントン大学で行ったスピーチが有名です。

彼女は1996年にボスニアのトゥズラを訪れた際の恐怖体験を語りました。「私は、着陸したときに、狙撃兵の銃火を浴びたことを覚えています。空港では歓迎式典が行われる予定でしたが、私たちはひたすら頭を低くし、基地へ向かう車まで走りました。

彼女がクリントン大統領の妻として、米国のファーストレディとして同国を訪問した際の話なのですが、この話はホワイトハウスのウェブサイトには出ておらず、側近たちにインタビューしてもそのような話は出てきません。

「ワシントン・ポスト」が調べた結果、一枚の写真を掲載しました。その写真には、歓迎式典で、歓迎の詩を朗読した子供に彼女がキスをしているところが写されていました。当時の様子を記録する数百の動画がチェックされましたが、どれにも歓迎式典に向かって歩く彼女の姿が映されていました。

これは彼女が嘘をついていたわけではありません。そんな嘘はすぐに見抜かれるからです。歓迎式典が滞りなく執り行われたことを証言する目撃者は多数いるのに、テロリストに狙撃されて逃げ惑う彼女を目撃した人はいないからです。

彼女の頭の中では、トゥズラ着陸の時の記憶を自分のイメージに合わせた書き換えが行われていたのです。

このようなことは、特に珍しいことではなく、頻繁に起こっています。

社会心理学上の有名な事件をご紹介しましょう。

マクマーティン事件

1983年、米国カリフォルニア州ロサンゼルスのマンハッタンビーチで、ある女性が自分の息子が保育園で性的虐待を受けたと警察に告発しました。そして、翌年までに360人の児童が虐待を受けたとされ、全米を揺るがす訴訟事件に発展しました。

この事件を担当した検事から依頼された専門カウンセラーによる調査が行われたのですが、魔女が飛ぶのを見た、熱気球で旅行した、秘密の地下トンネルを通ったことなどが語られ、さらに、窓のない飛行機に乗った、教会で動物を殺し、血を飲まされたなどの証言が相次ぎましたが、結局どれも物的証拠が発見されませんでした。

つまり、カウンセラーの誘導尋問により、子供たちの記憶が書き換えられたのです。

1990年、この事件において何も立証することのできなかった検察は起訴を取り下げました。

子供たちは嘘をついたのではなく、大人たちによって記憶が書き換えられて、自分たちがそのような経験をしたと思い込んだのです。

この事件以降、カウンセリングの手法が大きく見直されていきました。

森永卓郎さんは経済アナリストなのかもしれませんが、この社会心理学上で極めて有名な事例をご存じないのかもしれません。

多くの人々の目撃証言があるから事実なのか?

森永卓郎氏は、それら小学生を含む多くの人々が、赤いミサイルが尾部にめり込んだ状態で低空で飛ぶ日航機に航空自衛隊のファントム戦闘機が2機ぴったりと寄り添って飛んでいるのを目撃しているとして、海上自衛隊の誤射によりミサイルが命中したジャンボ機を航空自衛隊が追跡して、最後には撃墜したのが真相という滑稽な説を公表しています。

確かに、この日、航空自衛隊はファントム機を2機緊急発進させていますが、これは戦闘機ではなく、偵察機です。

航空自衛隊の中部航空警戒管制団の峯岡山サイトで123便の緊急事態を表すスコーク7700が受信されたため、中部航空方面隊では、その対応を航空救難で中心的な役割を果たす航空自衛隊の中央救難調整所(RCC: Rescue Coordination Center)に移管しました。

18時56分に123便が峯岡山サイトのレーダーから消えたため、当直司令が墜落と判断し、捜索機の発進をリコメンドし、中部方面隊司令部の判断で百里基地からスクランブル待機中のRF-4E偵察機が2機発進しました。

なぜ偵察機だったかというと、スクランブル待機の戦闘機は外国航空機の領空侵犯に備えなければならず、国内での墜落事故であれば武器は必要なく、むしろ遭難機の捜索などに有利な偵察機が適任だったからです。

この発進が123便がレーダースコープから消えた後で、消滅したポイントをまず確認に向かったため、山梨県あたりで目撃されていた可能性はありますが、時間的に日航123便と一緒に飛ぶことはできません。しかも発進したのは偵察機であり、ミサイルを装備していません。ただ、小学生には戦闘機と偵察機の見分けはつかないでしょう。

小学生たちが寄り添って飛んでいるのを見たと証言しているのは、後から大人たちの会話や、様々なインタビューを繰り返されているうちに記憶が書き換えられたのかもしれません。

筆者は現地の取材などをしておりませんので、証言をしている小学生たちの記憶が書き換えられたという証拠をもっているわけではありません。

ただ、森永卓郎さんのように、多くの小学生たちが証言している、だからこのことは事実だと簡単に断言するのはいかがなものかという疑問を持っているにすぎません。筆者は、その疑いが根拠のないものではないという事例をいくつも知っているからです。それらの多くは社会心理学や行動経済学を学ぶと紹介される事例です。

筆者はそれらを専門としているわけではありませんが、意思決定論を学んできたため、それらの論文の数多くに目を通しており、森永さんのように「小学生がそんなうそをつくはずがない。」というような判断には同意しかねています。