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専門コラム「指揮官の決断」

第412回 

失敗の本質

カテゴリ:危機管理

迷著『失敗の本質』

今回のタイトルをお読みになって、当コラムを古くからお読みの方々は「?」が頭の中に浮かんだことと拝察します。

ビジネスマン必読の書と言われて久しく、いまだに名著の誉れ高い『失敗の本質』を弊社ではほとんど評価していないからです。「ほとんど」ということは、一部評価しているところもあるということですが、それは、「論文の書き方の教科書としてはいいかもしれない。」という評価をしているのと、ノモンハンやインパールなどの陸軍の戦いについては、評価出来ないという事情があるためです。

しかし、この書物で取り上げられている海軍の作戦については、「学者が机上でものを考えるとそうなるんだろうな。」という評価をしているのと、それだけではなく、組織論の専門家がハワイ奇襲作戦を成功した作戦であると評価しているのは、やってはならない誤りであると評価しています。作戦は目的を達成してこそ成功であり、真珠湾奇襲攻撃で米国の対日戦意を削ごうという目的に反して「リメンバー・パールハーバー」として対日戦意を高揚させた結果を招いたこの作戦は、少なくとも組織論・意思決定論の立場からは「成功」とは言えないはずだからです。

今回、このタイトルを掲げたのは、この『失敗の本質』について論及しようというのではありません。

この国のあり様を眺めていて、この国にはどうしようもない欠陥があるかもしれないと最近考えていることに鑑み、今回はこのタイトルを選びました。

ここで、筆者が申し上げたい結論を先に申し上げます。

この国のどうしようもない欠陥というのは、多分、失敗の原因を突き詰め、それを改めていくということが私たちにはできないということなのではないかということです。

それを論証してまいります。

何が失敗なのか

G7の国々を比べてみます。2000年における一人当たりGDPは、G7各国の中で日本は最高の39,173ドルでした。この時、米国は36,313ドルでした。

2023年には、日本は35,385ドルであり、23年かけて0.9倍になりました。米国は80,035ドルで、2.2倍に成長しています。

G7で日本の次に伸び率が低い国は英国であり、その伸び率は1.64倍でした。マイナス成長をしたのは日本だけです。

しかし、この国は、なぜ日本だけが経済成長から取り残されているのかという原因を真剣に追及していません。

失敗に気づかない政治家、失敗を隠す財務省

なぜ追及しないのかという原因は簡単で、国会議員が経済をほとんど理解していないことに起因します。プライマリーバランスを黒にすることが正しいと信じ込んでいる議員が多く、しかし、なぜ、それが正しいのかをしっかりと説明できる議員はほとんどいません。

なにせ政府高官が予算書の歳出に記載されている国債利払いが何を指しているのかも理解できず、日銀が行っているオペレーションも何をしているのかをまともに理解している議員もほとんどいません。

日銀が政策金利を利上げしたら、国債利払いが大きくなって大変だと発言する程度のお粗末さです。日銀の買っている長期国債は固定金利なので、政策金利に影響は受けないのですが、日銀の利上げということの意味を理解できない国会議員が多いのです。その結果、国が発行してきた国債による債務が1105兆円というのを「国の借金」だと思い込んでいる議員がほとんどであり、「債務」と「借金」の違いすら理解できない連中です。G7の他の国で、国債償還費を国の借金と理解している国はありません。

財務省はそれらの事実に関しては論及せず、とにかく国の借金が膨らんでいるという嘘を国会議員に教え込んでいます。

メディアと経済界も同罪

これは池上彰氏のようなメディア人が「将来の世代への借財」という誤ったプロバガンダをまき散らした結果かもしれませんが、国会議員はこと経済に関してはほとんど理解力を持っていないようです。

まともに世界の経済情勢を示すグラフを見る力があれば、緊縮財政が経済成長の足を引っ張っていることくらい誰にでも分かるはずなのですが、日本を経済成長させる前に、負債をなくさなければならないという妄想に取りつかれています。維新の藤巻健史氏などは、ここ10年ほど、このままでは円は紙くずになり、ハイパーインフレになると警鐘を鳴らし続けていますが、モルガンスタンレーの日本代表だった彼の経済に関する認識に筆者は頷くことができません。彼はハイパーインフレーションの定義を知らないのかもしれませんし、銀行経営をしていながら、銀行が行っている「信用創造」という機能を理解していないのかもしれません。まぁ、企業経営はミクロ経済の世界ですから、マクロ経済を理解していなくても社長は務まるのかもしれませんが、彼は経済評論家として間違いをまき散らすので困るのです。

理屈は簡単

本稿は、経済の専門コラムではありませんので、これらの議論について深入りはしません。経済学部の2年生で、まじめに経済原論を学んだ学生なら、マクロ経済学を学んでいなくても当コラムの議論は理解でき、銀行に勤めて1年経った人なら、銀行の「信用創造」という機能はご存じです。それが理解できれば、「国の債務」と「国の借金」の違いくらい理解でき、国債発行が「子や孫の世代」への借金を残すことになるという議論の嘘をすぐに見抜くことができます。

簡単に説明すると、私たちの社会は、昭和の時代の東京オリンピックに向けて準備された新幹線や東名高速道路、首都高速道路などの恩恵にあずかってきましたが、その借金を毎年必死になって返しているという実感はありません。そんなものを返していないから実感がないのも当然ですし、円は紙くずどころか、最近は円高基調に戻りつつあり、輸出が頭打ちになるおそれさえ出てきています。

つまり、ここ20年以上、日本の経済成長が止まっている原因を真剣に議論し、それを修正しようという努力がこの国では行われていないのです。

同様に、ここ20年以上取り組んできた少子化対策もほとんど効を奏していないことの原因究明がなされておらず、同じことが繰り返されています。この原因は明らかで、少子化の原因は若い人たちが結婚して家庭を持たなくなっているからなのですが、そこに手をつけておらず、子育て支援ばかり行っているからです。

子育て支援は重要な施策ですが、「少子化対策」ではありません。有配偶者の出産率はわずかではありますが、向上を続けています。ただ、結婚率が著しく低下しているので、出産に結びついていないのが少子化の原因です。この原因はちょっと考えればすぐに分かるのですが、それを追及して政策を修正しようとせず、ここ20年以上、子育て支援ばかりが議論されています。若い人たちの結婚率を向上させるためには、彼らが結婚して子供作ることのできる経済的環境を準備することが必要なのですが、緊縮財政を標榜し、プライマリーバランスの黒字化を目指す政府にそんなことができるはずはありません。経済学を少しでも学んだ方には「有効需要」を創出することが唯一の方法であることをご理解いただけるのですが、その程度のこともこの国の政治家たちは知らないようです。

失敗の原因が追及されない国

ほとほと左様に、この国では過ちの原因を追究して修正していくという態度がありませんが、これは昔からのこの国の体質であり、今始まったものではありません。

戦史を顧みると、陸軍ではノモンハン事件以降、作戦の失敗を問われて更迭された指揮官は数えるほどです。

海軍も、ミッドウェイ作戦を軍令部や海軍省の反対を押し切って実施した山本連合艦隊司令長官は更迭されませんでしたし、実施部隊指揮官の南雲忠一中将が連合艦隊司令部に現れ、「再度チャンスをください。」と述べたことを山本長官は認めています。

海軍が始めた航空機による特別攻撃にいたっては、作戦立案にあたった司令部による戦果確認すら行われておらず、初期段階こそ若干の戦果があったものの、最後には敵陣に到達すらできない状況であったのにもかかわらず戦法を変えていません。

一方の米軍は、上陸作戦の最中に、現場で指揮を執っている師団長を、「上陸作戦の進め方に積極性がない。」として更迭したり、日本機の特攻により被害が大きくなると、その対応を必死に研究し、対空射撃の指揮法を変えたりしました。その時編み出されたのが、オペレーションズ・リサーチ(OR)であり、対空射撃を目視による指揮法から、数学的な指揮法に変換させるという離れ業をやってのけています。

戦果確認すら行わず、戦果が上がっていないこと自体すら認識していなかった日本との差は歴然としています。

筆者は、海上自衛官であった若い時期、具体的には1等海尉であったころにこの問題を考えたことがありました。日本海軍がなぜ責任の所在を曖昧にして、失敗の原因を追究して修正しようとしなかったのかという問題点でした。これを「科学的発想の欠如」と片付けてしまうのは簡単ですが、それではなぜ「科学的発想」が生まれなかったのかを考えなければなりません。

ところが、当時の海上自衛隊は、そのような疑問を持つこと自体が異端視されていました。筆者が入隊時にまず教え諭されたのが、「帝国海軍の良き伝統を継承する。」ということであったくらいで、海軍の伝統や発想は美化され、特に山本元帥などを批判するということには大きな抵抗がありました。

ところが、筆者は、組織論の観点から真珠湾奇襲作戦は失敗した作戦だと考えていましたので、海上自衛隊の考え方と相容れるわけがありませんでした。

社会学的考察

当時、筆者の出した結論は、日本人の美点の裏返しが出てきているのと、この国の自然環境によるところが大きいのではないのかということでした。

前者については、つまり、責任を追及して誰かを罰するということが、この国が大切にしてきた「和」という価値観と合わないということです。あえて責任を追及して角を立てるのではなく、過ぎたことは水に流していくということで、この国は調和を保ってきたのではないかということです。

もう一つの自然環境によるところが大きいのではないかというのは、この国が元来世界有数の地震大国であり、毎年、台風に何回も見舞われ、そのたびに被害を出してきたということを指しています。自然災害ですから、誰の責任にすることもできません。

21世紀の現在であれば、防災に臨む政府の姿勢などが問われるのかもしれませんが、歴史的には神・仏の与える天罰であり、それは甘受すべきものと認識されてきたのではないか、誰かの責任としてその原因を追究する姿勢が私たちにないのは、そこに原因の一端があるのではないかという考えです。

これを要するに、自分たちに降りかかる数々の災いは、天が与えたもうたものとして甘受し、ことさら責任を追及して角を立てるのではなく、「和」を重んじようという国民性がこの国にあり、それが私たち日本人の美点ではあるのですが、一方で、米国のようなプラグマティズムとフロンティアスピリットに満たされた国と戦うには不利な面が出てしまうということなのだと考えています。

この議論は、文化論や社会心理学を専門としない弊社には専門外であり、仮説にとどめますが、皆様のご意見を拝聴したいと考えています。

ちなみに、今日現在(2024年11月7日)、総選挙で大きく議席を失った自民党総裁は、その責任を取ることなく居座り続ける旨を表明しています。

彼はマクロ経済の基礎をまったく理解していないので、これまで自民党が犯してきた過ちをそのまま踏襲するはずであり、この国の滅亡に拍車をかけようとしています。

これは、そのような政権を誕生させ、生きながらえさせてきた私たち国民の責任です。

「自分の犯した失敗の責任は自分が取る。」それが、失敗に対する最低限の態度です。