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専門コラム「指揮官の決断」

第414回 

     議論のすり替え

カテゴリ:

兵庫県知事選挙

兵庫県知事選の結果、不信任を突きつけられて辞任した斎藤元彦氏が兵庫県民によって知事に再選されました。

当コラムは、危機管理の専門コラムとして、「意思決定」「リーダーシップ」「プロトコール」の三点に関して社会に起こっている事象に注目してきています。

斎藤知事の問題は、その「リーダーシップ」が大問題となる案件でした。しかし、当コラムは沈黙を守りました。

この騒ぎの発端は、3月中旬に県知事のパワハラがあまりにも酷いという内部告発文書が報道機関に配られたことです。

このことが公務員としてあるまじきこととして、調査の結果、県民局長が起案した文書であることが発覚し、兵庫県では5月初旬に停職3か月という懲戒処分が下されました。

しかし、これが公益通報者保護法に抵触するおそれがあるということで、6月に百条委員会が設置されました。このころからテレビのワイドショーで取り上げられることが多くなってきたのですが、ことがいきなり大きくなったのは、7月7日にその元局長が死亡しているのが発見され、それが自殺であると推定されたからです。

その後、県議会では9月19日に全会一致で不信任が可決され、知事は熟考の結果、議会を解散せず、自分が辞任し、知事選挙に自分も打って出るという事態になったため、テレビが大喜びして、あらゆる機会を使って斎藤バッシングに走りました。

パワハラで問題を起こした知事が停職処分にした局長が自殺してしまったのですから、この知事を叩けば、日本人が大好きな勧善懲悪のストーリーが出来上がるからです。

当コラムがこの問題が、リーダーシップ上の大問題であるにもかかわらず沈黙を守ってきたのには、理由があります。

兵庫県の問題であり、神奈川県民である筆者にとっては、それほど身近な問題ではなかったこともありますが、テレビの騒ぎ方が尋常ではなかったので、もともとテレビや新聞などのマスメディアを嫌いな筆者が、この問題を取り扱うのに嫌悪感を抱いたのが主な理由です。忙しすぎて、コラムもメールマガジンも定期的に発行できずにいるのに、この馬鹿げた茶番に付き合うつもりが無かったのです。

筆者は、テレビのワイドショーなどの情報番組を全く信じておらず、テレビなどはドラマだけ作っていればよく、国際情勢や経済、社会を語るなどおこがましく、せいぜい芸能人のゴシップをあさる程度が身の丈と考えており、連中の作る情報番組など観る気にもなりません。

そこで、斎藤知事のパワハラ、おねだり疑惑など、様々なバッシングに関しても、沈黙を守っていました。

それが、選挙で斎藤元彦氏が再選された後の、マスメディアの態度に我慢がならず、ついにこのくだらない茶番劇に関して筆をとることになった次第です。

何に怒っているのか

そこで、筆者が何に我慢できずにいるのかというのが問題となりますが、それは、選挙後のマスメディアの態度です。

彼らは一斉にテレビがSNSに敗れたという論調を取っています。

そしてなぜ敗れたのかについて、テレビにはいろいろな規制があり、ファクトチェックもしなければならず、プライバシー問題にも配慮しなければならず、公職選挙法の縛りもあって、公示後は辞職した前知事に関する報道も控えなければならなかった、一方のSNSはそのような規制がなく、玉石混交の情報が飛び交い、それが斎藤氏を当選させる方向に大きな力を持った、というのです。

つまり、自分たちは正しい報道をしてきたが、公職選挙法の規定により、公示後はそれらの報道も控えなければならず、その間、好き勝手なことを言いたい放題のSNSが若い人たちをミスリードして、斎藤再選という結果を招いたということです。

これほど兵庫県民を馬鹿にした議論はありません。

テレビがろくなファクトチェックもできず、出鱈目な報道を続けたことは、当コラムではコロナ禍の間に何度も指摘してきたところです。

彼らは何のファクトチェックもせず、通信社の英語も算数も分からぬ記者の書いた記事をそのままコピー&ペーストし、数多い優秀な感染症専門家の中から、よりによって致死率の計算もろくにできない感染症の専門家だけを選んで連日登場させ、局の方針通りの解説をさせて危機感を煽り続けたのです。(当時、まともな感染症専門家は、ろくに寝ることもできないほど多忙で、テレビに出演などできなかったことも事実で、暇を持て余していた専門家しかテレビに出れなかったという事情もあったかもしれません。まぁ、致死率の計算すら出来ないようでは、まともな仕事を任せることができませんからね。)

日本社会はコロナに罹患しても、37.5度の熱が4日間続かなければ検査を受けることができないとテレビ朝日の玉川徹氏に信じ込まされ、彼の国民全員にPCR検査をするべきという滑稽武藤な議論が正しいと思い込まされました。

また、救急車を呼んでも、どこの病院もコロナ専用病棟が一杯で受け入れを断られ、7時間もたらいまわしにされていると信じ込まされ、廊下にベッドを持ち出して、医師や看護師が大変な重労働を続けているシーンを繰り返し繰り返し見せつけられ、それが実態だと信じ込まされたのです。

ところが、厚労省の通達は「37.5度の熱が4日も続いたら、必ず検査を受けるように。発熱外来や帰国者外来で検査を受けることができる態勢を取っている。」と書いてあり、4日続かないと検査はしないとはどこにも書いていませんでした。それどころか、4日も続かなくても、高齢者や基礎疾患のある人は早めに検査を受けるようにと書いてあったのです。

この通達をクリニックや保健所職員はよく読んでいないのです。

また、会計検査院の検査で明らかになったのは、コロナの検査陽性者がピークに達した時でも、コロナ専用病床は60%しか埋まっていなかったという事実です。

にもかかわらず、何故、救急車のたらい回しが起きたのか。

それは、コロナ専用病床として届け出て補助金を得た病院が、実際にはコロナ患者がそれほど入院してこないために、本来そこにいなければならない医師や看護師などを通常の診察のシフトに入れてしまっていたからです。元のシフトに入っている医師や看護師を、救急車が来たからと言ってコロナ病棟に戻すこともできずに受け入れを断ったのですが、それらを受け入れていた市民病院や徳洲会病院、日赤病院などは大変なことになりました。そして、テレビはそのような思いをしている病院の映像だけを繰り返し繰り返し放映し、その間にもガラーンとしているその他の病院のコロナ専用病床については何の報道もしなかったのです。

報道の本来の使命からすれば、一方でそのような空きベッドが多数あり、他方で救急車で搬入される患者のたらい回しが起きていることを問題視すべきですが、それでは、コロナ禍が彼らが主張しているほどの感染病ではないことが明らかになってしまうので、そこは黙っていたのか、あるいは彼らも気付いていなかったのかのいずれかでしょう。

このように、テレビはファクトチェックをした正しい報道をしているというのは、まったくの出鱈目であり、彼らこそ、視聴率の為には事実を捻じ曲げ、あるいは隠蔽した番組作りに必死だったのです。

本音が現れたテレビの言い訳

それがこの度の兵庫県知事の再選によって、いよいよ彼らの本性が露わになりました。

もし、テレビが主張し続けたように、斎藤元彦氏のパワハラやおねだりが事実なのであれば、SNSに敗北したなどと言う必要はありません。

彼らは、テレビはファクトチェックやプライバシーへの配慮などの規制があり、また公示後は公職選挙法の規定により、公平な報道に努めなければならず、一方のSNSは玉石混交であり、そのような規制がないので、好き勝手なことを言えると言い訳をするのですが、これを要するに、テレビの言っていたことは事実なのだが、公示後沈黙を守らなければならなかった間に、SNSのデマに有権者が騙されてしまったと言っているということです。

これほど有権者である兵庫県民を馬鹿にした発言もないかと考えますし、もし彼らが自分たちが主張してきたパワハラやおねだりが事実なのなら、これからもそれを主張し続ければいいだけではないでしょうか。

兵庫県民は斎藤元彦氏を支持したが、しかし、彼はこういう人物だから、彼を再選させたことを兵庫県民は後悔するはずというコメントを出せば済むはずです。

それを自分たちの議論が根拠のない出鱈目であったことを隠すために、公職選挙法を持ち出してきて議論のすり替えを行っているのです。

少しは歴史を学んでからものを言え

SNSが玉石混交なのは、若い人たちだって知っています。だから、自分たちは正しいことを言っているのに、若い人たちがSNSに騙されたというのは、彼らのお粗末な言い訳に過ぎません。テレビが出鱈目であることに多くの人たちが気付いたというだけのことです。

東京都知事選を思い出して頂ければ、テレビの欺瞞が分かります。

都知事選でSNSは小池知事を袋叩きにしました。しかし、圧倒的な支持を得て彼女が当選しています。民衆はテレビが想定しているようなバカではありません。

また、NHK党の立花氏の立候補についてのテレビでのコメントには、呆れました。

立花氏は当選を目的とせずに立候補しました、と公言して選挙戦を戦いました。

この戦い方に異論を唱える識者が多いのですが、テレビの司会者や解説者のものを知らないことにはあきれるばかりです。

というのは、立花氏の「当選を目的としない立候補」というのは、前代未聞で、これまで聞いたことのない話だというコメントが圧倒的なのですが、そのような選挙は昭和の時代に何度もありました。

赤尾敏という戦時中の衆議院議員で、右翼活動家、戦後は大日本愛国党の総裁として何度も衆議院銀選挙や東京都知事選に立候補した政治活動家がいました。

元は社会主義者でしたが、その後右翼に転じ、共産主義ソ連の策略に乗るだけだとして対米戦争に反対し、戦時中の戦時刑事特別法改正案に猛反対し、東条英機首相の施政方針演説を阻止しようとして妨害行為を行って議場退場処分を受けたりした、筋を通した右翼活動家とし評価を得ている人物で、戦後の衆議院選挙や東京都知事選に何度も立候補し、筆者も数寄屋橋で変なおじさんが変な演説をしているなぁと思ったことがありました。

筆者は右翼が嫌いなんです。街宣車で大音量で品のないコールを続ける連中には我慢なりません。さらに、政治家が嫌いなので、それほど関心もありませんでした。

ところが、大学の頃に、乗っていたヨットのグループの一隻が石原慎太郎さんの船だったことから、彼の選挙に関わらざるを得なくなったことがあり、都知事選なども関心を持って観ていたことがありました。

当時、どこかの公会堂のようなところで、すべての立候補者が集まって演説会を行うという催しがありました。いわゆる立ち合い演説会というやつです。

その時の赤尾敏氏の選挙演説が次のようなものでした。「俺に票を入れる必要はないけど、是非、石原君に入れてやってくれよな。」

続いて登壇した石原氏は、仕方ないので、苦笑いしながら「赤尾先生にご紹介頂いた、石原でございます。」というような挨拶から始めざるを得ませんでした。

つまり、立花氏のように、自らの当選を目的としない立候補は昭和の時代にあったのです。

最近の政治記者はそんな歴史も勉強していないのです。

そうでなくても、都知事選でテレビが「泡沫候補」と呼ぶ(この呼び方自体が公職選挙法違反ですが。)候補者たちは、自分が都知事に選ばれるなどと思って立候補しているのではないでしょう。それぞれに思いがあるはずです。

テレビの司会者や解説者などは、斎藤バッシングの流れを変えようとしている立花氏が気に入らないのでしょう。

これまで何度も当コラムで主張してきましたが、マスメディアの堕落、迷走は留まるところを知らず、ジャーナリズムは死に絶えたと考えるしかないようです。

SNSの出鱈目さもひどいもの

SNS上では、このマスメディアを批判する動画で溢れていますが、それらの多くは、「マスメディアの偏向報道」と指摘しています。

この連中も言葉の使い方を理解していません。

「偏向報道」というのは、ある事象について複数の意見が対立する状況で、特定の立場からの主張を否定もしくは肯定する意図をもって、直接的・間接的な情報操作を行う報道を言います。

現在のテレビを中心とするメディアが行っているのは、事実を隠蔽し、虚偽の報道を作り出して視聴率を稼ごうとすることであって、これはすでに「報道」ですらありません。

SNSはこのような相手と戦う必要はなく、玉石混交と言われないように、自らの主張の質を高める努力をすべきです。

しかし、YouTuberの多くは、チャンネル登録者数を増やして広告収入を得たいばかりに、出鱈目を言い放題の者も数多く、マスメディアが批判するようにSNSには騙される人々も多いかもしれません。

ウクライナ戦線に派遣された北朝鮮軍の3000名の兵士が15分で全滅して、重傷を負った1名だけが生き残ったというような動画も多数あります。衛星で監視を続けている米軍ですら、まだ北朝鮮軍の実戦配備を確認していない時点で、彼ら素人がどこから情報を得ているのでしょうか。

そもそも軍事的常識があれば、15分で3000名の敵を全滅させるには核兵器が必要だということくらいは分かるはずです。陸戦では、重機関銃の前に3000人が肉弾突撃をしてきても、15分で全滅させることはできません。できたとしても、半数以上は負傷のはずであり、重傷者1名だけが生き残るなどということにはなりません。

 YouTubeやXなどのサービスで、報道機関に携わっていない一般人でも自らの意見などを世に問うことができるようになって、まだそれほどの歴史が流れていません。

 つまり、これらのSNSはまだ黎明期にあると言っていいのかもしれません。新しい手段を手にした社会が、珍しさや嬉しさが入り混じって、いろいろな試行錯誤が行われ、玉石混交どころか、玉1に対して石9の状態かもしれません。

 しかし、このネット社会が成熟してくると、その混乱も収まり、SNSの内容も淘汰されて成熟していくことでしょう。

 SNSで流言飛語が飛び交う事態もまだ続くかもしれませんが、それが「若さ」であり、未成熟さかもしれませんが、だと言って、マスメディアが主張するように、「SNSの出鱈目に一般人が惑わされないように、SNSにも一定の規制をすべき。」という議論にはくみすることができません。

 現在生じているSNSの出鱈目さ加減は、「若さ」ゆえの未成熟さによるものであるとすれば、それを規制してしまうと、出かかった芽を摘んでしまうことになります。

 大人は、それを見守ってやる必要があります。

 むしろ規制すべきは、既存メディアの方です。

 この連中の出鱈目さは徹底的に糾弾すべきです。