専門コラム「指揮官の決断」
第441回陰謀論をどう考えるか その2

日航123便事故に関する陰謀論が酷すぎる
前回、当コラムに関して訂正を出したのは、日航123便の墜落事故に関する記事でした。
弊社が危機管理の専門コラムにそのテーマを選んだのには理由があります。
この日航123便の墜落事故に関し、あまりにも酷いデマが飛び交い、それが多くの方々に信じられてきているからです。
社会的に影響力の強い人たちによって流布され、事故から40年もたつのにくすぶり続け、個人の名誉が著しく傷つけられている現実を看過できず、社会がそのような流言飛語に容易に騙されるようであればこれから先が思いやられるという危機感がありました。
マジェスティック12
筆者はこれまで、いろいろな陰謀論を見てきました。
1等海尉で米国駐在を命ぜられたときには、マジェスティック12という文書が日本のメディアを賑わせていたので、その真偽を確かめようとしたこともあります。
これは、1947年にニューメキシコ州ロズウェルでUFOの墜落事件があり、4体の宇宙人の死体が回収され、その宇宙人は地球人とは全く異なるものであり、この問題に対処するため、トルーマン大統領がMJ-12委員会を設置したことを、アイゼンハワー大統領に説明するために起案された文書だということでした。
その最高機密文書が国立公文書館に所蔵されており、それが50年という期間を経て開示されたということだったので、赴任した基地の司令官の副官に頼んで、そのコピーを取って欲しいと言ったら、彼に笑い飛ばされました。
彼によれば、その文書は一時米国でもイエローペーパーを中心に話題になったことがあるが、偽造文書であることは明らかであり、誰もそんな陰謀論は信じていないよ、ということでした。彼はそう言いつつも国立公文書館のデータベースにアクセスしてコピーを取ってくれ、何でこれが偽造文書だと分かるかと説明してくれました。
公文書としての番号のつけ方が出鱈目であること、大統領のサインが、別の文書のサインのコピーをわずかに拡大したものであることなど、いくつもの論点でそれが偽造文書であると皆知っているのだそうでしたが、日本のテレビはそんなことはおくびにも出さず、あたかもそれがアメリカを揺るがしている大問題であるかのように番組作りをしていたものです。
アポロ11号
その次に筆者の眼をひいた陰謀論は、アポロ11号は実際には月に行っておらず、月面のシーンは地球上のスタジオで撮影されたものであるというものでした。
筆者はさすがにその陰謀論は信じませんでした。
アポロ計画に携わっているNASA職員だけでも数万人に上り、その人たちをすべてだますのは、いくらなんでも無理だろうということと、月面に行っていないことの証拠として挙げられているのが、空気がない月面で星条旗がたなびいているのがおかしいということであったからです。
空気がなくとも月面には地球の六分の一程度の重力があります。したがって、慣性の法則は働くので、旗がはためいても不思議はなかろうというのが当時の筆者の見解でした。
筆者は、アポロ11号が確実に月面着陸したと述べているのではありません。ただ、空気がない月面で星条旗がはためいているのがおかしいという議論に反論しているにすぎません。
つまり、それはアポロ11号が月に行っていないことの根拠にはならないというだけです。
陰謀論者は基本的に〇✕が多い
陰謀論をネット上で展開している人たちには、この程度の基本的な知識もない人々が多いように思います。あまりにも物を知らないために、何となく納得できそうな理屈で説明されると、それを信じてしまうのでしょう。
空気がないはずの月面で、旗がたなびくのはおかしいと言われると、そのまま人類は月に到達していないという議論になってしまうのです。
無知蒙昧という言葉がありますが、これは、知識や学問がなく、物事の道理に暗いことを意味していますが、そのとおりです。
しかし、陰謀論そのものを切り捨てる態度はとらない
筆者は、自分の見方を主流派として、それに従わない少数の比較的斬新なものの見方を、陰謀論として片付ける考え方は好きではありません。
陰謀論と言われていた考え方も、実は真実であったということも歴史上珍しくないからです。
例えば、北朝鮮による日本人拉致疑惑は、小泉首相が金正日氏と平壌で握手する日まで、社会党の土井たか子さんは陰謀論だと笑い飛ばしていました。彼女は、それを「創作」と呼んでいました。北朝鮮が拉致を認めたことで彼女は凍り付いたと言われています。しかし、彼女は自分たちの追及が不十分であったことは事実であり、拉致被害者やそのご家族には深くお詫び申し上げると謝罪をしています。政治家として、自らの非を認め、謝罪するというのは、めったにない態度ではあります。
地動説だって、当時は神を恐れぬ陰謀論として扱われたようですし、陰謀論とされた議論の中にも、真実であったものが多々あります。
したがって、筆者は自分の考え方と異なる考え方を陰謀論として片付ける考え方には組しません。
陰謀論に臨む態度
それでは筆者は陰謀論にどのように接しようとしているのかが問題となります。
筆者は陰謀論そのものの否定は自分が当事者でない限り基本的にはしません。自分が当事者であれば、それが陰謀なのかどうかは自分がよく知っているからです。
ただ、陰謀論に限らず、様々な説に関して、その根拠となる議論について検討します。
ちょうど、アポロ11号が月には行っていないという議論に関し、月面に行っていないという議論を全否定するのではなく、空気のない月面でたなびくはずのない星条旗がたなびいているので、それは月面での撮影ではなく、地球上のスタジオでの撮影だという議論を、根拠にはならないと否定しているにすぎません。
つまり、実際に月に行ってないのかもしれないが、空気のない月面でたなびくはずのない星条旗がたなびいていることは、その撮影が地上のスタジオで行われたという根拠にはならない、月面だって重力がある限り、慣性の法則が働き、星条旗がたなびくことは十分にあり得る、と主張しているそういう議論です。
次回は、そのような考え方で陰謀論と対峙するとどうなるのかという議論を日航123便の墜落事故を例にとって展開します。