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専門コラム「指揮官の決断」

第184回 

論理性の問題:PCR検査を無駄に行ってはならない理由

カテゴリ:意思決定

直感と論理の狭間

前回の当コラムで危機管理上の事態における意思決定についての科学性と論理性について述べました。

具体的にはある野党議員の国会における政府の学校の休講措置に関して科学的根拠があるのかという質問が、危機管理上の事態においてはナンセンスであるばかりか、意思決定を遅延させて事態を悪化させかねないと指摘し、危機管理上の事態においては正確な情報や科学的根拠なしに意思決定をしなければならない、したがってその意思決定は論理的でなければならないと述べています。

実際の重要な意思決定は直感に基づいて行われることが多いことが様々な研究から分かっています。ただ、その直感の多くは、いわゆる霊感や神のお告げのような直感ではなく、様々な経験や知識を基礎にして、あたかも閃きがあったかのごとく出てくるものであり、サイコロ賭博における直感とはまったく異質のものであることは間違いありません。

この場合、論理はその直感的な意思決定の正しさを証明するために後から説明されるものという役割を負うのですが、実際にその意思決定が人の頭の中で行われる道筋であるので、その論理が間違っているのであれば行われた意思決定も間違っているはずであり、正しさを証明するためには、その論理的説明がしっかりと行えるかどうかを確認することは必要な作業であると言えます。

マスコミのイメージ操作

さて、現在世間を騒がせている新型コロナウイルスの問題を少し論理的に考えてみます。

繰り返し申し上げておりますように当コラムの執筆者は感染症に関する専門的知見を持っているわけではありません。したがって、この問題について科学的、医学的、あるいは公衆衛生学的に言及することはできません。テレビに登場する評論家たちとは異なる立場を取っているので、責任を取れない発言は控えています。

このため当コラムではこの問題を論理的な側面から考えるという態度を取っています。

当コラムでは、テレビのニュースショーや国会でなぜウイルスの検査数を増やさないのかと批判していることについて問題があると指摘しました。

特にクルーズ船が横浜港に横付けされているころにその議論が盛んに行われていました。あるワイドショー番組では、開業医が患者を診察して肺炎の疑いがあるとして「検査をしてみましょうか?」などと言って保健所に電話をするのですが、その電話がまったく通じないという場面を繰り返し繰り返し放映していました。この番組は医師の「早期発見、早期治療が大切」という見解を元に番組を作っており、疑わしきを早く発見しなければならないという主張を繰り返したものでした。

この番組が視聴者の頭に作り上げようとしたイメージは、検査を必要とする患者が列をなしているのに保健所はそれらの検査を拒否しており、極めて少数の検査しか行っていない、というものであり、それが繰り返し繰り返し放映されるとそれが実態であるように視聴者は信じるようになります。エコーチェンバー効果と呼ばれる現象です。

その背景にはオリンピックを前に、感染者数が大きくなると大変なことになるので意図的に感染者数を小さくするために検査をしないという国の方針があるという思い込み、あるいは政権批判の意図があります。

しかし、実際にPCR検査が保険適用で行えるようになり、行政検査ではなくなった後、国全体の検査能力が一日6千件にまで増加したにもかかわらず検査数は1500件程度を推移しました。ある野党議員はこの理由が理解できず、なぜ検査能力が増えていると政府が主張しているのに検査数が増えないのかという非論理的な質問を国会で呆れるほど繰り返していましたが、要するに現場の医師が診れば風邪かインフルエンザか、それとも新型ウイルスを疑った方がいいのか程度の判断はできるので、実際にPCR検査をしなければならない事例が毎日膨大な数に上るということが無かったということなのです。

全数の検査が行われていないから感染者の実態の本当のところは分からないと今日現在でも主張する評論家がいますが、死亡者の数を見れば歴然としていることが分からないものと見えます。感染者数がもっと多いのであれば死者が増えて致死率が跳ね上がるはずなのが理解できないのでしょう。

当初、感染が目立ったのが中国と日本だけだった頃、日本の感染者数が多いと諸外国のマスコミが非難を始め、日本の初動の対応が過ちであるとの批判が繰り返されました。しかし、それから2か月以上が経ち、東京都知事が繰り返し感染爆発の重大局面と警告する日本における感染者数はいまだ3000人台です。感染者が日々2万人以上増えているアメリカは極端ですが、欧米各国も日々数千の単位で感染者が増えていることを見ても、日本の感染者数の抑え方はほぼ奇跡です。

この時点になってようやくマスコミや評論家たち、あるいは野党議員たちは当初の抑制的な検査の結果、病院の待合室での感染を防ぐことができたことに気が付き、それをしなかった韓国が爆発的に8000人にまで増え、イタリアが医療崩壊の危機に陥ったことを理解したようですが、自分たちの主張がこの国をとんでもない危機に陥れかねなかったことなどには何食わぬ顔をしています。

先に当コラムでは根拠のない日本批判を繰り返したワシントンポスト紙に対し「恥を知れ」と批判しましたが、おなじことを我が国のマスコミとそこに登場する評論家、コメンテーターたちに申し上げたいと思っています。

検査は希望者全員に行うべきだったのだろうか?

さて、議論の論理性に話を戻しますが、日本のPCR検査に関する抑制的姿勢の何が正しかったのかを論理的に理解している方は意外に少ないのではないかと考えています。

多いのは、検査はできるのであればやった方がいいが、待合室での感染のおそれがあるから病院に殺到することはしない方がいいと考えている方で、立憲民主党の議員にもそのように考える議員が多数いるらしく、韓国がやったようにドライブスルーの検査を充実させるべきだという主張をしているようです。

なぜ2か月以上感染者数を3000名程度に抑えている日本が、短期に8000人にまで増えた韓国のやり方を見習わなければならないのかまったく理解に苦しむのですが、その主張をされる議員の方々も、まったく非論理的で極めて直感的な議論しかしていないことをこれから説明させていただきます。

つまりむやみやたらと検査をしても意味がないということを論理的に説明しようということなのですが、私は数学の教師ではないので、うまく伝わるかどうか不安もあります。

PCR検査が感染者の状態を正確に判断できる確率は70%程度と言われています。

この診断の精度というものは、実は二種類あることをまず理解しなければなりません。

一つは、感染している人が、陽性と正しく判定される確率です。

もう一つは感染していない人が正しく陰性と判定される確率です。

公衆衛生学においてはそれらは感度とか特異度などと表現されるのだそうですが、ここではそのような専門的領域には踏み込みません。

理解と計算を楽にするためにこのPCR検査の精度を両方ともに90%であるとします。実際よりもかなり高い精度を仮定しています。

この場合にPCR検査が本当に正しく陽性・陰性を判定できる確率を計算してみます。

これは条件付き確率と呼ばれる考え方です。

条件付確率

一般に確率を計算するのは (確かな数)/(全体数)という単純な割り算で求めることができます。

たとえば、ある人が男性か女性かという確率は単純に考えるとそれぞれ1/2なのですが、これを90歳以上の高齢者を対象として任意に抽出した人が男性か女性かという確率となると、90歳以上の母集団では平均寿命が女性の方が長いことを考慮すべきなので、単純に1/2にはならず、女性である確率の方が高くなります。これが条件付き確率の問題として考えなければならない問題の例です。

そこで、今回は計算を容易にするために、日本人一般のコロナウイルスへの感染者数を1万人に一人と仮定して計算します。

計算式は極めてシンプルです。 

母数である分母は 0.01/100 × 90 /100 + 99.99 /100 × 10/100 となります。正しく判定されるであろう人の割合と正しく判定されないであろう人の割合を合計して全体数を算出しています。

分子は正しく判定されるはずの人の割合を表しますので、 0.01 / 100 × 90 / 100 となります。

これを計算すると 0.9 / 1000.8 となります。この値を小数で表すと0.0009、百分率では0.09%です。 

つまり、本当に正しく判定されるのは1111人に1人ということです。

これがどういうことかと言えば、ウイルス感染者が1万人に一人くらいいるとされる時、むやみに検査をしても1111人に一人くらいしか正しく判定できないということです。

PCR検査の実際の判定の精度はこの計算の仮定よりも低いですので、この値はもっと小さくなります。

この検査精度を上げるには、0.01%ではない母集団の検査をする必要があります。具体的には発熱が続いて感染が疑われる人ばかりを母集団とすれば確率は高くなります。

かりに発熱がある人の100人に一人(1%)がコロナウイルスに感染していると分かっている時、正しく判定できる確率を計算し直すと、8%に確率が上昇します。つまり母集団を絞れば絞るほど正しく判定できる確率が高くなるということです。

それでも12.5人に一人しか正しく判定されません。

この程度の検査のために、多くの感染者でもない人々が診療所に押しかけると待合室での感染のリスクの方が高くなります。これがむやみに検査数を多くすべきでない理由です。

政府が37.5度の熱が4日続いたら検査をするという基準を設けたのは、この検査の結果が正しく判定される確率をできるだけ引き揚げ、しかし治療開始が手遅れにならないという限界の基準なのだろうと思われます。

そこで10人中2人は感染しているであろう集団に、先ほどの検査精度(感度、特異度)をそれぞれ70%、90%と現実的な数字を当てはめて荒っぽく計算してみても、陽性であると正しく判定されるのが65%に満たない割合です。

政府の示した基準で検査してもその程度のものなのです。

感染が目立ち始めた頃、70%の精度であっても検査をして、陰性と判定された人も1週間後に再検査をすれば感染者を見逃さない検査ができるという議論をする評論家や国会議員が多かったのですが、これがいかに意味のない議論であったのかをご理解いただけたかと思います。

評論家たちは判定の精度が70%であるということの意味をまったく理解できないでいるのです。

私は感染症の専門的知識は持っていません。しかし、経済学部に入学したため統計学の初歩の勉強はしていました。この条件付き確率という議論も確率論のもっとも基本的な概念として入門書の最初の方に出てくる内容です。

その程度の知識すら持たずに感染症の検査についてマスコミでコメントをする評論家や国会で政府を追及する議員たちの心臓の強さには恐れ入るばかりです。

不要不急はダメ? では不毛は?

本稿では感染症の検査を専門的・科学的見地からではなく、論理的に見るとどうなのかという議論をいたしました。いかに巷で行われている議論が論理的でないかをご説明したつもりです。

一方、もう一つ、これも全く論理的でないなと最近感じている事柄があります。

国会の会期です。

国会はコロナウイルスの問題が終息するまで休会としないことを決定しました。

そして立憲民主党の逢坂政調会長が代表質問で、新型コロナウイルスの検査件数が先進国の中でも圧倒的に少ないと政府を追及しました。

この質問の論理性はどこにあるのでしょうか。

検査数が先進国の中で最も少ない結果、先進国中で日本の感染者数が突出して多いのであればこの議論は聞く価値がありそうです。しかし、先進国で感染者数が突出して少ないのに、何故数十倍もの感染者数を出している諸国のやり方を参考にしなければならないのでしょうか。

また、この質問では東京での検査を意図的に少なくしているのではないかという疑問も呈されています。検査数を意図的に抑制すれば致死率が跳ね上がるはずですが、4月3日現在の東京都の新型コロナウイルスによる致死率は2.3%で異常値を示してはいません。いったいこの議員は何を言いたいのでしょうか。

条件付確率の話ではありません。単純な割り算の問題です。

政府は国民に不要不急の集会や外出は控えるように要請しています。国民は不要不急のものは自粛しなければならないのに、政治家が国会で不毛な議論をするのは自粛しなくてよいというのは、最も論理的でないように思うのですが。

不要不急はダメで不毛はいいというのは納得ができません。