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専門コラム「指揮官の決断」

第214回 

危機管理概念の混乱はどう始まったのか

カテゴリ:危機管理

日本的特徴である誤解

前々回、当コラムでは危機管理論がいかに誕生したかについて述べ、前回ではリスクマネジメント論がどう発展してきたかに触れました。

これらをお読みいただいた方はクライシスマネジメントとリスクマネジメントの相違をご理解いただけたかと存じます。クライシスマネジメントは危機を扱い、リスクマネジメントは危険性を扱うため、両者は目的が全く異なります。

リスクマネジメントをしっかりと行っておかなければ、あらゆる意思決定に伴うリスク(危険性)に対応できず、リスクが現実化した際にそのまま呑み込まれてしまいます。また、リスクマネジメントをしっかりと行っていれば、競合が入ってこれないようなハイリスクの分野に堂々と入り込みハイリターンを得ることも可能となります。したがって、特に企業にとっては営業努力と同様に重要な活動であるのがこのリスクマネジメントです。

しかし、それは危険性を管理するためのものであり、危機を管理するためのものではないため、リスクマネジメントだけ行っていたのでは危機に対応できません。危機管理についての認識が別途必要なのです。

ところが、私の知る限り、この日本においてのみリスクマネジメントが危機管理だと誤解されており、この国が危機管理を苦手とする大きな原因となっています。

英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語圏ではリスクマネジメントとクライシスマネジメントがしっかりと峻別されて理解されていることはかなり前から分かっていましたが、5年ほど前、ハングルにおいても両者がしっかりと別々の概念として捉えられていることが分かりました。

今年、私は大学で危機管理論を教えているのですが、受講している中国からの留学生に言葉の意味を確認し、クライシスマネジメントとリスクマネジメントがどう理解されているか、危機と危険との違いを認識されているのかを尋ねたのですが、彼らはしっかりと峻別していました。

つまり、これらの言葉を使う文化圏ではリスクマネジメントを危機管理と考えている国はなく、日本だけがそう理解しているということが分かったのです。

以前、危機管理のコンサルタントとなっていろいろなセミナーに登壇するようになった頃、リスクマネジメントの専門家として紹介されることが多く、妙だなと感じていたのですが、そのうちに、世間一般でリスクマネジメントが危機管理だと誤解していることに気が付きました。

そこで何故そのような理解になったのかを調べてみました。

その結果、いろいろなことが分かってきました。

発端は阪神淡路大震災

リスクマネジメントが危機管理であるとの認識が始まったのは、どうも阪神淡路大震災の頃に端を発するようです。

阪神淡路大震災は当時としては戦後最大の震災でした。社会はいろいろな教訓を得ることになり、その中でも政府・自治体・企業において危機管理の重要性が強く認識されました。

前々回に申し上げたとおり、元々危機管理論は国際関係論において世界を第三次世界大戦とその結果起きるであろう核戦争から救うための議論として始まっていますが、日本では警察官僚出身の佐々淳行氏の『危機管理のノウハウ』という書物によって国際関係論の専門的議論から私たちの日常生活への適用が図られていたところです。

政府・自治体・企業などが本格的に危機管理をしなければならないということに気が付いたのがこの阪神淡路大震災でした。

一方、この震災を機に、銀行・損害保険など金融系の企業がリスクマネジメント関連の金融商品の開発に力を入れ始めました。前回述べたとおり、もともとリスクマネジメントは保険論から生まれてきています。金融商品を使っていかに企業の資産を守るかという議論だったのです。阪神淡路大震災の被害を受けて、地震大国であることを再認識した金融関連企業がそのための商品を開発するのは当然だったのです。

ここでクライシスマネジメントとリスクマネジメントがそれぞれのニーズに従って本格的に検討されることになりました。

これらがそのまま進展してくれば何の問題も生じなかったはずです。

メディアの誤解

ところが、これを誤解した人々がいました。

マスメディアです。

危機管理論の誕生のところで述べたとおり、危機管理論の専門家は「クライシスマネジメント」というカタカナ英語を使用せず、日本語訳の「危機管理」と言う言葉を使っていました。

一方のリスクマネジメントの専門家はそのままカタカナ英語を使いました。

マスコミに登場する評論家たちがこれを誤解したのです。彼らがリスクマネジメントという言葉と危機管理という言葉の概念の相違を理解せずにそれらの言葉を乱発した結果、両者の概念が混在してしまったのです。

私はほぼ2年かけて、当時の新聞や雑誌などを読み漁り、だんだんとその誤解が定着していく様を確認しました。当時のVTRをあまり観ることができなかったのでテレビでどのようなことが言われてきたのかを確認することはできませんでしたが、今年のコロナ騒ぎを見る限り、当時の危機管理についても新聞や雑誌よりもはるかにひどい誤解がテレビでまかり通っていたことは想像に難くありません。

コロナ禍でも新聞や雑誌の記事に比べてテレビのレベルの低さが圧倒的でしたが、多分、当時もそうであったかと思っています。

メディアは新しい言葉を使いたがります。しかし、その概念をしっかりと理解して使っているかと思うとびっくりするような間違いを平気でしています。

読売新聞はコンプライアンスという言葉を使う際に、必ずと言っていいほど「コンプライアンス(法令遵守)」とカッコつきで記事を書くのですが、これはコンプライアンスと言う言葉の概念を読売新聞がまったく理解していないことの証左です。法令順守などと言うのは当たり前であり、わざわざカタカタ英語で述べなければならない新しい概念ではありません。社会的存在である組織は、しっかりと社会規範を守らなければならないという社会的要請が強くなり、法令に抵触していなくても法の網を潜り抜けるような真似はするなというのがコンプライアンスという言葉の意味なのであって、法令順守では逆の意味になりかねないのです。

同様に阪神淡路大震災の後、リスクマネジメントと言う言葉を得意になって使っていた評論家やテレビのコメンテータという連中が勝手な解釈で言葉を意味を捻じ曲げて使い、それを見事に定着させてしまったのです。

この度のコロナ禍においてもテレビは視聴率稼ぎに不安を煽る報道に終始し、PCR検査の陽性判定と感染の違いも理解しない誤報道を続け、統計的に見れば明らかにピークを超えているにも関わらず、東京はニューヨークやミラノのようになると世間を脅し続けましたが、これらも簡単な統計学が理解できないためでした。阪神淡路大震災の際にも、同様のメディアの無知が概念の混乱を招いたのです。

リスクマネジメントとクライシスマネジメントが峻別できないと危機には対応できない

先にも述べたとおり、危機と危険はまったく概念が異なるのですが、どちらにも「危うい」という文字が使われているため、それらのテレビや雑誌を通じて新しい言葉に触れた人々が誤解するのはある意味で無理もないことだったのかもしれません。

その結果、この国ではリスクマネジメント=危機管理 であると思い込まれてしまったのです。

困るのは、リスクマネジメントはあらゆる意思決定において、その決定に伴うリスクを正確に評価し、そのリスクが現実化した際にどう対応するかをあらかじめ準備するという極めて重要な活動ではあるのですが、しかしそれは危険性への対応であって、危機への対応ではないため、危機管理ではないということです。

リスクマネジメントは危機に対処するマネジメントではありません。

内科医でも盲腸の手術くらいはいざとなればやるかもしれませんが、本格的な手術はできません。逆に外科医は手術によらずに治療するということが得意ではないでしょう。それと同じで、リスクマネジメントとクライシスマネジメントは対応すべき対象とそのやり方が全く異なるのです。