専門コラム「指揮官の決断」
第293回責任は運航会社だけか?
無謀な運航が原因ではあるけど
北海道知床半島沖で生起した海難事故について、当コラムでは早々に素人の運航会社と素人の船長が起こした無謀な運航による事故にすぎず、危機管理の問題ではないと切り捨てていますが、議論がどうも深層に迫っていかないので敢えて一筆申し上げようと考えました。
今回は、この事故を引き起こした原因の一端に触れます。
何故アマチュア無線だったのか
報道では遭難しそうになっている当該船舶からの報告が携帯電話で行われたことが伝えられています。
しかも、船長の携帯電話のキャリアがカバーしていない海域だったので乗客の電話を使って報告がなされたと伝えられています。
報道では会社の無線機のアンテナが折れていて使えず、他の会社が無線で呼びかけて緊迫した事態になっていることを知ったと伝えられていますが、報道では「無線」と伝えられているだけで、どのような無線なのかが不明です。
様々な情報を総合して分かることは次のような内容です。
会社の無線機のアンテナというのはアマチュア無線用のアンテナのようです。それが折れていて使えないことを他社の従業員も知っていたため、試しに自分の会社のアマチュア無線用の無線機で交信を試みたところ通じたということですので、遭難した観光船も使っていたのはアマチュア無線用の無線機だったということです。
このことから分かるのは、この地域の観光船業者はアマチュア無線機を日常的に使っているということです。
また、最初に前部が浸水していると報告があったのは携帯電話であり、しかも船長の電話ではなく乗客の電話だったということでした。つまり船長の電話が覆域外で通話ができず、かろうじて覆域内となっていた乗客の電話が使われたということです。
遭難した「KAZU Ⅰ」のような総トン数20トン未満の船舶は、それ以上の大きさの船舶とは別のカテゴリーに属する検査を受けなければなりません。
小型船舶安全検査と呼ばれる検査であり、検査を行うのは「日本小型船舶検査機構」という特別民間法人です。
5年に一度の検査と検査から3年目に行われる中間検査に合格しないと検査証が発行されず、その船舶は運航することができません。
これは筆者が所有するような小さなヨットであろうとエンジンがついている限り同様であり、同じ小型船舶検査機構の検査を受けなければなりません。
安全検査では何が行われるのか
安全検査ではまず船体の強度が試されます。設計図が提出されていたり、メーカーが生産に当たって検査を受けていたりするとこの検査は行われないのですが、落下試験や復元性能の試験なども行うとなると結構大変な検査です。
さらにはエンジンの性能も検査の対象となります。特にギアが前進か後進に入ったままエンジンが始動することがないような仕組みができていないと検査には合格しません。
この項目は検査のたびに試されるようです。
筆者の船のような帆船は、マストの強度やマストを立てているワイヤ(ステーと呼ばれます。)がしっかりとしているかどうかも確認されます。
さらには安全備品の確認が行われます。
安全備品はその船が航行する海域や船の使用目的に応じて搭載すべきものが異なります。
筆者の船は横浜を母港としてせいぜい伊豆大島や下田程度の相模湾内から出ないという条件をつけており、限定沿海という航行区域の指定がなされています。沖縄から走ってくるとか八丈島を回ってくるなどという本格的な外洋レースに参加しようとしたり、あるいは太平洋を横断しようなどと考えると航行区域の変更を申請しなければなりません。
その場合には積み込まなければならない安全備品が変わってきます。
検査では定員に十分な数の救命胴衣、霧に囲まれた際に使用する音響信号、排水ポンプ、落水者発生時に使う救命浮環など様々な安全備品を持っているかどうかが確認されます。
ここで無線機の有無が検されることになるのですが、アマチュア無線機が認められることはありません。したがって、何故アマチュア無線が通じたのかよく分かりません。先にも述べましたが、彼らは日常的にアマチュア無線を使っているようです。
通常は国際VHFという無線機を搭載します。しかし、筆者の船のような航行区域指定を受けていると、携帯電話でもいいという場合があります。ただし、条件があり、携帯電話で通信できる範囲内に限り代替物として搭載が認められると船舶安全法施行規則に定められています。
国際VHF無線機は無線局としての免許と、その無線機を使う無線技士の資格の両方が必要です。したがって、船にこの国際VHF無線機を搭載するためには、最低でも2級海上無線技士の資格を持った乗組員が必要であり、さらに船自体を無線局として認可してもらわなければなりません。
国際VHFは交信要領に様々なルールがあり、呼び出すチャンネルと通話をするチャンネルが異なったり、電波を出してはいけない時間帯が定められていたりしますので、無線従事者の資格が必要なのです。
筆者の船は東京湾や相模湾内のみを航行区域として申請しており、かつ旅客を乗せない船舶であるのでこの国際VHFの搭載義務はありません。この船の航行区域では筆者の携帯電話が通じるからです。
しかし、筆者はこの船に国際VHF無線機を搭載しています。
国際VHF無線機は大きく分けると二種類あります。
一つはトランシーバー型の5Wの出力の無線機であり、もう一つは固定局型の25Wの無線機です。
筆者はなんと自分の小さな限定沿海航行用のヨットに25Wの固定局無線機を搭載しています。この無線機は遭難して救助を求める船舶からの通信も入ってくるので、洋上にあるときには常に聴守して、少しでもお役に立てればという思いからです。
小型船舶ではこの国際VHFの正しい運用法を理解している人が少なく、交信を聞いていると出鱈目なので、筆者の船に乗る人たちには正しい運用法を教えようとも思っています。
このため、その船は小型船舶ではまずないと思われる国際信号旗を搭載し、その信号用の揚旗線もマストに取り付けてあります。信号旗による通信も教えてやろうということです。もちろん国際信号書も載せてあります。
一方、知床沖で沈んだKAZUⅠは、この国際VHFは搭載せず、携帯電話で船舶検査を受けたようです。
それでは安全検査はどのように行われるか
問題は、その船舶検査がなぜ合格になったのかです。
船舶安全法によれば、携帯電話が通信できる範囲内に限り国際VHF無線機の代替物として携帯電話の搭載が認められるのですが、現実に船長の持っていた携帯電話は覆域外でした。
検査の担当者はKAZUⅠの航行区域と観光船として旅客を乗せる船であることを知っていたはずです。申請された電話が通信範囲内の代替物として適当であったかどうか、その確認をしていなかったものと思われます。
そもそも小型船舶検査機構という組織は昭和40年代の終わりころ、ヨットブームを中心にして急増しつつあった小型船舶の安全を確保する目的で組織された認可法人を基礎としてできています。
その職員はほとんどが当時の運輸省や海上保安庁の天下りであり、どこのオフィスもお役所の匂いがプンプンする組織でした。
筆者は大学院の院生時代から25フィートの外洋レース艇を持っていましたので、その安全検査を何度も受けたことがあります。
と言うと、半ば嘘になります。
検査を申請して合格して検査証を交付されたことは何度もありますが、実際に検査を受けたことはありませんでした。
当時、筆者は自分の船を横浜港のかなり奥にあるハーバーに置いていました。そこにはヨットクラブがあり、クラブハウスにはレストランがありました。
現在の船は別のハーバーに係留していますが、そのヨットクラブにはいまだにメンバーとして籍を置いています。
当時、船舶検査を受ける頃になると、そのクラブで同じく検査を受けたい船が何隻か一緒に申請を出します。検査機構からできるだけ受験する船をまとめてくれと言われていたようです。
手続きをして受験料を支払うと、しばらくして検査合格の通知と検査証が送られてきます。
筆者自身は立ち会っていないどころか、キャビンの鍵もエンジンキーも持ったままで誰にも預けてもいませんが、検査は終わってしまうのです。
どうしてかというと、検査機構から通知があった日に検査員がやってきて、書類をチェックして、クラブハウスにあるレストランで昼食を食べて、ワインなど飲んでお帰りになるだけなのです。
昭和の時代はその程度でした。
そのうちに、レジャーボートが著しく増えて、救命胴衣などが検査を受ける船でたらい回しになっているという実態を受けて、救命胴衣に船名を記入することと救命胴衣の領収書を検査時に提示することが要求されるようになりました。その際、救命胴衣は桜マークの検定品でなければ検査を通らなくなりました。
その検定品は筆者のように外洋レース艇のクルーは絶対に身に着けない粗悪品でした。現在もそうですが、高価ですが作りは極めて安物の、荒海に投げ出されたらこの救命胴衣は何時間持つのかと不安になるような代物で、筆者たちは海外の外洋レーサーが使っているライフジャケットを身に着けるか、あるいはどうせ落水したら助からないからということでライフラインのみを身に着けていました。
多分、検査機構に上納金を払っているメーカーのものが桜マークの検定済みのお墨付きを得られるのでしょう。
現在もその粗悪で高価な検定品を検査用に積んではいますが、実際に着用しているのは別製品です。
時代が流れ、国交省や海上保安庁の天下りが名目だけの検査をしていると非難されるようになり、彼らも真剣に検査をするようになりました。
ところが、彼らの役人根性はそう簡単には抜けないと見え、どうでもいいチェックをして検査実績を作って帰るのが彼らの習性になっているようです。
その典型が「救命胴衣格納場所」の掲示です。
救命胴衣を格納してある倉庫の入り口に「救命胴衣格納場所」というステッカーを張らねばならないのだそうです。これは小型船舶安全規則の第61条の規定だということです。
これがロッカー等に格納されている船ならそうでしょう。しかし、筆者の船は小さくて格納場所が少なく、普段使わない整備用工具や停泊中にしか使わない調理器具や食器などを格納するのが精一杯で、逆に航海中に使う救命胴衣などは出しやすいように船首部分のバース(寝台)の上のネットに収めてあり、キャビンに入れば嫌でも目に入ります。
同規則61条2項但し書きには「ただし、小型船舶用救命胴衣及び小型船舶用浮力補助具を積み付けた場所が明らかに視認できると検査機関が認める場合は、これを積み付けた旨を表示することを要しない。」と明確に規定されているにもかかわらず、そのステッカーを張っていないと検査を通らないのです。
検査員は皆一目見て救命胴衣かどうか判断できないオツムの持主か、あるいは極度の近眼に違いありません。
つまり、その程度の検査員が行う検査でしかないのです。
どうでもいい簡単にチェックできる違反には煩く、実際に覆域を調査しなければならない項目などはスルーしているのです。
KAZUⅠについても、携帯電話で申請が出されても、携帯電話のキャリアごとの覆域の確認などしていなかったのでしょう。
多分、海上保安庁からはかなり指摘されているはずです。
その結果何が起きるか。
以後の小型船舶の安全検査がしばらく、重箱の隅を楊枝でほじくるような激烈なものになるでしょう。
筆者の船も現在中間検査を受検する準備をしているところですが、多分、かなり厳格な、というよりも本末転倒な検査が行われるかもしれません。このような場合にはヒステリー症状を起こすのが日本の社会の特徴ですから。
責任を逃れるための有識者会議
現在、国交省は小型観光船等の航行安全を確保するための有識者会議などを設置して答申を待っている状況です。典型的にお役所的なやり方です。
筆者は防衛省内部部局に出向してお役人勤務をした経験を持っているから分かるのですが、有識者会議が議論をして結論を出すのではありません。担当省庁の担当部局が自分たちの施策にしやすい答申を書いて、それを有識者会議に了承させるのです。
その結果出てくる対策案は、規制の強化だったり省庁の権限の強化だったりします。いずれ省益に資する案しか出てきません。
担当者の処分が必要
この度の事故の本質は素人による無謀な運航ですが、それと杜撰な安全検査が相まって惨事を引き起こしたのであって、あらたに有識者会議などを開いて新しい制度など作る必要はありません。現行の規則が徹底的に活用されれば十分です。
有識者会議を開いて新たな制度を作るということは、これまでの制度では不十分だったということを主張して国交省が責任逃れをしているにすぎません。
まず実施すべきは、杜撰な検査の実態の解明です。KAZUⅠの検査を合格させた担当者を業務怠慢により処分すれば、他の検査員もまともな検査を行うようになるでしょう。
それで充分です。
いくら安全検査が厳格に行われても、海での遭難は起こります。
どうしても嫌なら船には乗らないことをお勧めします。
そして踝より深いところには足を踏み入れないことです。