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専門コラム「指揮官の決断」

第341回 

弾道ミサイル対処

カテゴリ:

北朝鮮のミサイル発射

4月13日午前8時前、北朝鮮の発射したミサイルが北海道周辺に落下する怖れがあるとのことでJアラートが発動され、列島は騒然とした空気に包まれました。

この事態を受けて、さすがに当コラムでもこの問題を考えなければならず、予定していたコラムを急遽差し替えて掲載することにいたしました。

当コラムは安全保障や軍事は専門外としてあえて触れてきませんでしたが、誤解されている方があまりにも多いので、少しだけ説明をさせて頂きます。

このコラムが安全保障を専門外とするのは、危機管理論を専門としており、安全保障論を専門としているわけではないという理由なのですが、専門としていないということが何を意味するかと言うと、筆者の得ている情報が絶えずアップデートされているわけではないということです。

現在、そのような情報に触ることのできる環境にいるのでもなく、また積極的にそのような情報の収集に当たっているということでもないからです。

ただし、筆者自身は現在は安全保障論の専門家ではありませんが、かつては安全保障の現場にいたプロでしたので、それなりの見解は有しています。あくまでも、現時点で安全保障論を専門としていないというだけのことです。

このコラムを執筆している時点においてはまだ「すでに落下したものと見られる」と言う程度の情報しかなく、細部については分析中とのことですので、北朝鮮が発射したミサイルがどのような性能を持っているのかなどを推測することもできませんが、このミサイルの発射をどのように監視しているのかについては、一般の方々はあまりご存じないかと拝察いたしますので、今回はちょっとだけ説明しておきます。

実は海上自衛隊に在職していたために、在職時に知り得た秘密を守らざるを得ず、評論家のように話すことができないことが多いのでもどかしいのですが、すでに公刊されている内容の範囲内で語ります。

どうやって発射を察知するか

北朝鮮のミサイル発射については、いろいろな情報ソースを使って監視しています。

一つは人からもたらされる情報です。北側に潜入している工作員や現地の反政府勢力などから送られてくる情報などが含まれます。これはヒューミントと呼ばれます。(HUMINT:Human Intelligence)

相手が大きな作戦を準備している時などに有効な情報ソースですが、北朝鮮のミサイル発射に関してこの情報がどれほど役に立っているのかは疑問です。

この情報ソースに関しては韓国に依存する部分が大きく、GSOMIA(General Security of Military Information Agreement: 軍事情報包括保護協定)が破棄されるとこの情報が入ってこないということになるはずだったのですが、日本政府が強気だったのは、この情報がリアルタイムのものではなく、比較的中・長期の情報だったので、韓国が米国に提供する情報で重要なものは米国から提供されるため、たとえ韓国からダイレクトにもたらされなくなっても支障がなかったからです。

日本が北朝鮮のミサイル発射に対して最も力を入れているのはイミント、エリントと呼ばれる情報です。

イミント(IMINT Imagery Intelligence)とは、航空機や偵察衛星によって集められる画像情報であり、米国の偵察衛星からの監視画像などを分析しています。かつてはミサイルの発射基地が分かっており、しかも液体燃料を使っていましたので発射の前日などに燃料の注入などが行われるため、衛星写真を見ていればその動静が分かったのですが、最近は固体燃料を使用しており、また発射プラットフォームも地下、鉄道、潜水艦などと位置が判明しにくくなったので、この情報による発射兆候の察知は難しくなりつつあります。

一方で海上自衛隊は日本海上空に赤外線を探知して撮影する機材を積んだ哨戒機を24時間飛行させて情報収集を行っています。

かなりの高度を飛行するこの哨戒機は、北朝鮮を赤外線センサーで監視し、ミサイルが発射されると探知した情報を日本海に展開しているイージス艦に送ります。

韓国においても北朝鮮の上空を赤外線で監視していますが、地上から監視しているのでミサイルがある程度の高度に達しないと探知できません。海上自衛隊の哨戒機は日本海上空ですので、韓国よりは距離的には遠方ですが、高度が高いため、ほぼ発射した瞬間に掴むことができます。

イージス艦では哨戒機から送られたミサイルの情報に基づきイージスシステムでこれを探知し、軌道の計算を始めます。これはエリント(ELINT:Electronic Intelligence)と呼ばれます。

つまり、日本海上空には海上自衛隊の哨戒機が交替で連日24時間態勢で赤外線による監視飛行を続けており、その下の海上では同じくイージス艦が警戒にあたっているということです。

ミサイルは発射されるとロケットエンジンから炎を発しますから、夜間でも赤外線センサーで探知することができ、弾道ミサイルはそれなりの筐体を持っていますから、イージスシステムで追尾が可能です。

発射を察知し軌道の計算ができたところで、エリントの他にテリントと呼ばれる情報収集活動が始ります。(TELINT:Telemetry Intelligence)

ミサイルは飛行中に様々なデータを信号によって送ってきます。この情報をテレメトリー信号と呼びますが、エンジンの燃焼状況、飛行姿勢の制御状態などその種類は100を超えるはずです。これはミサイルが順調に飛行しているかどうかを判断するだけなく、失敗した際に貴重なデータとなります。この情報を分析することによって、ミサイルが何を狙ってどのように飛んでいるのかを察知することができます。

イージス艦は追尾を続け、弾道を詳細に計算していきます。イージス艦が海上自衛隊に導入されたばかりの頃は艦隊防空を担当していたので、戦闘機や対艦ミサイルが飛んでくる高度を監視するようにシステム設計がなされていましたが、弾道ミサイル対処を任務とするイージス艦は成層圏まで追尾しなければならないので大幅な改修が行われ、高高度も監視できるようになりました。

しかし、一隻で海面すれすれに飛んでくる巡航ミサイルと高高度の弾道ミサイルの双方に対応するのはさすがに大変なので、イージス艦に弾道ミサイルに専念させるため、イージス艦自体を経空脅威から守るために対空防御能力の優れた護衛艦が付き添っています。

どうやって弾道ミサイルを撃ち落とすか

弾道ミサイルの軌道が計算できたところで迎撃のためのミサイルが発射されます。

日本海で哨戒中のイージス艦は哨戒配備という当直態勢にあり、戦闘指揮所や射撃指揮所、ミサイルランチャーなどでそれなりの人員が当直を維持しています。

弾道ミサイル発射が明らかとなり、これを迎撃する必要があると判断されると「対空戦闘」が下令され、全乗員が配置に就きます。艦内各部署の防水ハッチが閉鎖され、艦外との通風も遮断されます。この作業は3分以内に行われるのが標準です。

大気中を飛んでくるミサイルや戦闘機なら通常のミサイルで迎撃が可能ですが、弾道ミサイルの迎撃は大気圏内で行わるわけではありません。ミサイルは高速度で飛行しますので、上昇中や下降中に命中させるのは大変です。上に向けて撃った拳銃弾を拳銃で撃ち落とすようなものだからです。

ミサイルの軌道の最上部で上昇から下降に変わる時が最も速度が遅くなります。そこを撃つのが最も効率的なのですが、問題になるのはその高度だと迎撃ミサイルの制御が難しいことです。

大気圏内を飛行するのであれば、飛行機と同様に翼についたエルロンやラダーで姿勢を制御できますが、空気がないとその制御ができないからです。

大気圏外で迎撃するためのミサイルは、空気抵抗を用いて制御するのではなく、ミサイル下部に横向きに装着された噴射口からロケットエンジンの噴射を行い、お尻を振って制御することになります。これをダクテッド・ロケットと呼びます。現在のイージス艦は、そのような能力を持つ対空ミサイルを多数搭載しています。

それらは垂直発射のランチャーに収められ、イージス艦の前甲板と後甲板の直下に装備されています。

このようにミサイル発射兆候の察知、軌道計算、迎撃ミサイルの発射をそれぞれ数秒の間に行わなければならず、どのプロセスもまごまごしていることは許されません。

そのため、弾道ミサイル対処の訓練は頻繁に行われ、海上自衛隊のイージス艦は指導に来る米海軍の指導官たちを驚かせるほどの練度を持っています。

初代イージス艦建造時の思い出

簡単に弾道ミサイルの発射探知からイージス艦による迎撃までを紹介いたしました。秘密保持義務に縛られているので、いろいろとお話しすることができずもどかしく思います。縛られない軍事評論家の方がより詳細な話ができるはずです。
Youtubeなどでも雰囲気が伝わる映像が時々紹介されますから、それらをご覧になるといいかと思います。https://www.youtube.com/watch?v=fF01VUVnRgQ などは、訓練の雰囲気が伝わってきますね。

筆者がイージス艦に関わったのは、海上自衛隊が初めて導入した「こんごう」の建造中でした。

米国海軍からイージス艦を導入するに際し、秘密が多くて商社を介在させることができず、政府間取引で直接輸入することになったため、本来は商社が果たす役割を国がやらねばならず、そのための調整に当たる連絡官として2年間派遣されていました。

米国防省が日本のイージス艦建造のための様々な部品調達をしっかりとやっているかを確認し、それらの部品や装置が納入され、三菱長崎造船所で建造中の船の建造工程に合わせて長崎に送られるように調整するのが主な任務でした。

ところが、赴任した年にイラクのクウェート侵攻があって国防省のあらゆる後方支援組織が戦争の準備を始めたため、直接人的貢献をしなかった日本の優先順位が、それまで2位だったものが24位に下げられてしまい、連絡官として肩身の狭い思いをしながらの勤務でした。

日本のイージス艦建造プロジェクトを担当している米国防省の職員たちは困難な状況の中でもよく働いてくれましたが、最後のフェーズでイージスシステム用のGPS装置が建造に間に合わないことが分かり、予定通りに就役できないという局面を迎えました。

これこそが連絡官の腕の見せ所です。

着任以来培った人脈と身に付けた悪知恵をフルに発揮して、何とか建造に間に合わせ、無事就役させたのが懐かしい思い出です。今となっては懐かしいなどと言っていられますが、当時は毎日心臓がパクパクしていました。

この時どのような手を使ったのかは四半世紀以上を経た現在でもお話しすることはできません。

賄賂とかの違法な手段ではありませんでしたが、当時の状況や人間関係においてのみ効果を発揮した手法であり、再現性がなく、奥の手として大切にすべき手法なので、退官までに一人にだけ、この手法を伝授しておきました。彼がその手法を使ったかどうかは知りませんが、いろいろな修羅場を乗り切っているところを見ると、役に立っているのかもしれません。

連絡官として2年間の勤務を終えて帰国すると、当時始まった自衛官を内局で勤務させるプログラムの一期生として制服を脱いで背広で2年間勤務しました。

ここでは装備局の職員として対米関係の業務が多く、当時防衛省が弾道ミサイル対処の基礎研究に着手しており、DARPA(Defense Advanced Research Projects Agency 米国防高等研究計画局)の資料などが逐次送られてきていたので、それらを読み漁っていました。

その後、幹部学校の指揮幕僚課程に入学、翌年修了とともに補職されたのが佐世保を母港とする第2護衛隊群司令部の監理幕僚でした。

着任すると、そこに待ち受けていたのがイージス艦「こんごう」でした。

自分が建造に関わって苦労していた船と初めて対面し感無量だったのを覚えています。

この船の司令部公室は三菱長崎造船所の「飛鳥Ⅱ」の内装を手掛けたチームが担当したということで、海上自衛隊の護衛艦にしては珍しく豪華に作られていました。

司令部がこんごうに乗って出航すると、夕食後のひと時をその司令部公室のソファで珈琲を楽しみながら、普段読めない本などを読むのが楽しみでした。他の幕僚は訓練指導などのために戦闘指揮所の司令部の席か幕僚事務室にいるので、司令部公室で珈琲を飲んでいるのは監理幕僚である筆者か首席幕僚や群司令くらいでした。

母港に入港中はほとんど休みを取れない監理幕僚としては日常の激務を忘れる貴重な時間でした。