専門コラム「指揮官の決断」
第359回危機管理の実践のために その2
承前
前回のコラムで、かなりもったいぶった終わり方をしました。
危機管理において、その組織が常日頃から社会的信頼を勝ち得ていることが重要だと述べたのですが、その理由の半分をお伝えしましたが、前回は、肝心な理由について触れずに終わってしまいました。
前回、当コラムでは、組織が社会的に絶対の信頼を得ていないと、いくら正しい意思決定をしても受け入れてもらえず、努力がすべて無駄に終わる恐れがあることを指摘しました。
福島原発において発生する処理水を巡って、どれだけ丁寧に地元説明をしても、中央大学の目加田設子教授のように、そのような事情を全く知らずに風評被害を引き起こす発言を平気でする識者がいると、地元は風評被害を防げないという判断に立ち、処理水の放出に反対の立場を取らざるを得なくなるということが現実に起こっています。
政権が絶対の信頼を勝ち得ていて、政府が言うなら間違いないだろうと皆が思うのであれば問題はないのですが、現政権は悲しいまでにそのような信頼を得ていません。
つまり、福島原発の処理水は、関係者が凄まじい努力をして、国際的な基準の数分の一の放射線レベルに抑え、IAEAの査察も受け、韓国の調査団も受け入れてきているにもかかわらず、結果的に政府が強引に放出に踏み切るという形になってしまったのです。
これだけを見ても、組織が社会から絶対の信頼を勝ち得ていることがいかに重要かがお分かりいただけるかと考えます。
今回は、組織が社会から信頼を勝ち得ていることが重要であることのもう一つの側面についてお伝えしようと思っています。
老舗旅館の女将の危機管理
かつて、ある地方都市の老舗旅館を経営するご夫妻から相談を受けたことがあります。筆者がまだ海上自衛隊にいた頃の話です。
小さいけれど伝統のある旅館で、その女将の采配は見事でした。
見に来てくださいというお招きで、ある出張の最終日にお邪魔することにしたのですが、敷地に入る入り口から玄関までの小道や庭は非の打ちどころがなく手入れされ、館内も完璧な整い方でした。
筆者は海上自衛隊で様々な点検を受け、また指揮官として点検もしてきました。さらに海幕監査官として海上自衛隊のすべての機関や部隊に対する監査を行い、それこそ重箱の隅をつつくような検査もしてきました。
その筆者の眼で見ても非の打ちどころがなかった旅館は、見事の一言に尽きます。
その完璧な整備を日常的に行っている原動力は、女将の「あるべきものをあるべきように整えておく。」という執念です。何があっても妥協をせず、どのような些細なことも見逃さず、完璧な姿に整え直す労力を惜しまない、という執念です。
それが危機管理と何の関係があるんだ?という声が聞こえそうですが、もう少しお付き合いください。
ある日、再び旅館にお邪魔した筆者は、御主人と一緒に女将の後ろを宿の玄関に続く小道を歩いていました。舗装されているのではなく、砂利が敷いてあるのでもない、短く刈り込まれた芝に覆われた小道でした。
入り口から三分の二ほど歩いたところで、女将がふと立ち止まり、ちょっと小首をかしげたのち、また歩き始めました。そして玄関に着き、筆者とご主人が奥に入る時に、女将が番頭さんを呼んでいる声が聞こえました。
筆者は、女将が何を気にしたのかが知りたくて、御主人に断って帳場に戻り、番頭さんに何があったのかを尋ねました。
番頭さんは「いつものことですよ。」と言って、筆者を女将が立ち止まった場所へ連れて行ってくれたのですが、何が起きているのかが分かりません。
番頭さんが「指で注意深く探ると分かりますよ。」と言うので、芝の面を指でさすってみたところ、たしかにあるところが若干膨らんでいるような気がしました。
番頭さんが持ってきたシャベルを突き刺すと、なんと筍が顔を出したのです。
彼女は、筆者が注意深く指でさすらないと分からない筍による地表の膨らみを、草履越しに足で感じ取ったのです。
ご承知の通り、筍の成長はびっくりするほど早いので、放置すると夜の間につまずくくらいになるかもしれませんし、次の日には明らかに竹となってしまっているはずです。
つまり、かすかな地面の変化を見逃さなかったことにより事故の原因となるかもしれない要素を取り除いてしまったのです。
危機管理における感性
この感性は危機管理において非常に重要です。
いかなる変化の兆候も見落とさないということが、危機を未然に回避するのです。
そのような感性はあらゆる場面で必要とされます。
飛行機の操縦士なら、スタートさせたエンジンの音、飛行前点検で確かめる操縦桿とエルロンの動きの微妙な手触り、船乗りなら両耳に当たる風の強さや当り方の変化などに気付かないのは素人です。
ヨット乗りは、風が息をしていることを知っていますので、両耳の耳たぶに当たる風もコンスタントではないのですが、それでも風が変わり、縮帆の必要があるかないか、左右の開きを入れ替えるかどうかなどを判断します。
そのような感性が事故を防ぐのです。
商社の営業部長として勤務していたころ、長野県駒ケ根のある製造会社を訪問したことがあります。
そこの製品を取り扱いたいという申し出に出かけたのですが、そこでびっくりしたことがあります。
小さな応接室に通され、低いコーヒーテーブルに向かって営業部長である筆者と、連れて行った若い営業部員の三人が座りました。
反対側には、社長、専務、工場長が座っています。
そこへ若い女性の職員がお茶をお盆に載せて現れました。
彼女が無造作に各人の前にお茶を置いて出て行った時に気が付いたのです。
牡丹の模様が一つだけあしらわれた普通の湯飲み茶わんを彼女が無造作に置いて行ったと思っていたのですが、実は牡丹の模様がすべてこちらを向いて置かれていたのです。
若い女性職員がそのような芸当を何気なくやってしまうという会社は恐るべきです。
その後、社内を案内して頂いたのですが、先ほどお伝えしたように、元海幕監査官の眼を持って見ても問題は発見されず、品質保証に関しては全く問題がないという報告書の結論を訪れた最初の15分くらいで得てしまいました。つまり、その後は見る必要がなかったのです。
その会社は若い女性社員が茶椀の置きかたで契約を勝ち取ったのです。
組織が社会的な信頼を得ているということが重要であると弊社が主張する理由をお分かりいただけたかと思います。
そのような活動や気の使い方を弊社の危機管理システムでは「プロトコール」と呼んでいます。
このプロトコールに関しては、感性が大きくものをいいます。
それではそのような感性が鈍い人には無理なのかというとそうではありません。
何に注意すべきか、何を見ておくべきかというポイントを少しずつ学んでいくことにより、その感性は育てられていきます。
筆者の場合も、幹部候補生学校のベッドメイキングで、ベッドカバーの張り方が少しでも緩いとマットごと飛ばされ、制服の靴が顔が映るくらい磨かれていないと外出止めになったりする教育を受け、部隊では各種の点検行事で、重箱の隅をつつくような検査を受け、逆に監査官として部隊の監査を行ってきた過程で、少しずつ学び、身につけてきたものです。
要は「着意」があるかないかだけの問題なのです。
そのような感性を育てることから危機管理は始まります。