専門コラム「指揮官の決断」
第380回メディアリテラシーということ
はじめに
昨年末の最終号を、来る年が「危機管理」などという言葉を聞かなくて済む年であればという思いで締めくくった当コラムですが、元旦に北陸地方を凄まじい地震が襲い、翌日には羽田で滑走路内で離陸準備機と着陸機が衝突するという事故が生じ、暗澹たる思いに包まれています。
地震については予想されていたことで、しかもあの規模の地震に襲われても何の不思議もないということは、専門家でなくても筆者のような素人ですら認識していたことであり、議論すべきは、どのように備え、それがどのように機能したかであると考えます。
羽田の事故については、まず事故原因の究明が急務であり、その上に再発防止策を早急に打ち立てなければなりません。世界中の航空当局が重大な関心を持っているはずです。
メディアというものの性格
ここで、SNSを含むメディアの動向を眺めていて気が付いたことが一つあります。
当コラムでは、コロナ禍に関するテレビや新聞の取り上げかたを再三にわたり批判してきました。
事実を確認することもせず、ちょっと考えれば分かることすら何も考えず、ただひたすら不安を煽る番組作りに終始し、統計学の初歩も理解せず、簡単な英語も読めない記者の配信を鵜呑みにしてファクトチェックもせず、それを医師会長をはじめとする専門家たちまで引用して議論をするというバカバカしさを披歴していました。
社会は病床がひっ迫状態でコロナ重症になっても必要な治療を受けることができないと信じ込まされていましたが、当コラムが指摘していたとおり、病床はがら空きで、最もPCR検査陽性者が多かった頃ですら、専用病棟は6割しか使われておらず、助成金を得て敗因されていたはずのスタッフたちが通常の診療のシフトに組み入れられていたがために受け入れができなかっただけだったということが会計検査院の指摘で分かった次第です。
この度の地震や事故に際して、テレビや新聞は冷静です。
地震に関しては、被災地の人々の窮状を伝える番組が多いようですが、これは重要なことです。 現地の悲鳴が聞こえないと、明日は我が身とは考えにくいからであり、それだからこそ義援金を送ったりボランティアに出かけたりするからです。
一方の羽田の事故に関しても海上保安庁の職員は殉職してしまいましたが、旅客機の乗員・乗客がすべて脱出できたため、犠牲者の数が少なかったこともありますが、コロナ禍に比べて出鱈目な報道があまり見当たりません。
元旅客機の機長などを招いて意見を聞いたりしていますが、彼らもさすがに熟練の操縦士だけあって、コロナ禍においてテレビに出演し続けた専門家たちのように、素人の筆者が聞いても「エーッ?」と思うようなことは一切言わず、その経験から想定される事態について控えめに述べるに留まっています。
筆者は旅客機の操縦などはできませんが、一応固定翼航空機の操縦資格を持っており、羽田に降りたことはありませんが、夜間のノーフォーク国際空港にジャンボ機に続いて着陸したりしたことがありますので、それなりの知見を有しているつもりです。
しかし、だからゆえに、今回の羽田の事故については、語ることができません。
素人論議
出鱈目なのはネットです。
地震については、陰謀説が盛んであり、核攻撃であるとの説が平気で流されており、また鳩山元総理大臣もX(Twitter)で、志賀原発で火災が起きて大変なことになっているのに政府は何でもないかのように装っているというフェイクを流したりりとネットの方が出鱈目です。
今回の羽田の事故についても、ネット上では素人の議論が喧しく取り交わされていますが、それらのほとんどは、1月1日までは彼らが考えたことすらないような聞きかじりの知識に基づいています。
例えば、旅客機のクルーが乗客を脱出させるのに18分のかかったのはどうしてか?という議論があります。90秒ルールがあるはずなのに、ということです。
この議論をしている人たちも90秒ルールなどは知らなかったのでしょう。それが何を意味しているのかについて誤解しています。
確かに訓練所では90秒で乗客を脱出させる訓練をしていますが、これはあらかじめ不時着陸や不時着水をすることが分かっており、事前に乗客にその旨を伝え、飛行機が停止するまではどのような姿勢を取る、止まったらどのシートから脱出を始めるというような説明をしっかりとして落ち着かせてから着陸や着水をし、機の動きが止まったところでハッチを開けてシューターを下ろし、クルーが安全を確認してから脱出のための乗客誘導を始めるまでの時間であり、今回の事故とはまったく事情が違うのです。
今回は普通に着陸していったらいきなり衝突して炎が上がるという事態であり、乗客は何の覚悟もしておらず、また衝撃で開かないハッチがあったり、左のエンジンが燃えているという条件が重なっています。
機内に煙が充満してきたということですが、そのような状態のときにうっかりとハッチを開けると新鮮な空気が流入してきて一挙にキャビンが火災になる惧れもあり、どのハッチを開けて脱出させるかを判断するのに時間がかかったかと考えます。
コックピットとのインターフォンが壊れたキャビンでは、空港当局がどう判断しているかの情報もなく、機内から見える情景だけで判断しなければならなかったはずで、よく全員を無事に脱出させたと筆者は称賛しています。
またネット上の議論の多くが、管制塔と各機の交信記録をもとに邪推をしていますが、彼らがネタにしている交信記録は、マニアが録音してサイトにアップしているものを、航空管制英語を聞き取れない人たちがマニアの訳したものを使っているにすぎません。ボイスレコーダーの記録ではないのです。つまり、すべてが録音されているかどうか分からないものです。
ボイスレコーダーには機外には電波として出ていない機長と副操縦士との会話も録音されていますので、海保機が管制塔の指示をどう理解していたかはそれを聞かなければ分かりません。
いくら自分の飛行機よりも小さいとは云え、飛行機が滑走路上にいるのに気づかずに着陸する旅客機の機長は何だ?という批判もあります。これも操縦桿を握ったことのない素人の議論です。
あの時間、羽田のような空港で、滑走路でこちらに後ろを見せて止まっている飛行機がいても、気付くことは難しいでしょう。動いていれば分かることもあるかもしれませんが、止まっていると、他の信号や照明、マーキングに溶け込んでしまって判別が困難なはずです。このコラムの表題画像をご覧いただければ想像できるかもしれません。
いかにも役人らしい措置
国交省が臨時の措置として対策を打ち出しています。
曰く「基本の徹底」などとありきたりの対策です。
筆者がいた防衛省もそうですが、事故が起きるとまず「基本の徹底」と言われるのですが、筆者はこの「基本の徹底」という対策案を承認したことはありません。
基本がおろそかになったために起きたのであれば、何の対策にもならないからです。基本が徹底されなかったから事故になったのであり、なぜ基本が徹底されなかったのかを追及しなければ再発防止にならないのです。
また、ありきたりならありきたりの対策だけ出しておけばいいのに、余計なことも国交省の役人が考えています。
曰く「離陸優先順位のNo.1、No.2」についてはしばらく中止なのだそうです。
優先順位を伝えられて離陸許可と受け取るパイロットはいません。
おそろしくローカルな飛行場で訓練を受けているアマチュアパイロットなら、初めて聞いたら勘違いするかもしれませんが、羽田を離発着するようなパイロットがそれを勘違いするなど考えにくく、もし、勘違いしたとしたら、その優先順位を伝えたことが原因なのではなく、そのパイロット自身の問題と解すべきです。
混雑している空港で、離陸優先順位を与えられ、滑走路の末端からではなく、途中から離陸するように指示を受けた飛行機はどうするでしょうか。
滑走路のエンドにつながる誘導路上に何機もの飛行機が連なっているのを見ながら、途中から滑走路に入るのです。
その操縦士は滑走上で止まって、マックスパワーにして離陸するというような通常の離陸方式は取りません。
滑走路に入って機首を風上に立てるとそのまま加速して離陸していきます。ローリングテイクオフといい、離陸順を譲ってくれた他機へのマナーです。
飛行機は滑走路に入る前、誘導路のエンドくらいのところで、最終的なチェックをします。エルロンやラダーの動きを確認したり、パワーをあるところまで上げて、油圧がついてくるかどうかなど最後のチェックをしていますから、滑走路で一度止まらずともパワーを挙げることはできるのです。
そのコールは世界中で行われており、羽田だけが中止すると別の問題を惹起しかねません。自分が操縦桿を握らない国交省の役人の浅知恵です。
人は過ちを犯す
優先順位を与えられた海保機が離陸許可を得たと考えたのなら、なぜ滑走路上で数十秒にわたって停止していたのかが問題のカギかもしれません。
多分、ボイスレコーダーから、そのあたりの状況がおおむね判明しており、それに基づいて緊急対策がとられたものと考えます。
という前提で考えると、やはりNo.1と言われたことが遠因となって離陸許可が出たと認識し、しかし速やかにローリングテイクオフをせずに滑走路内にいたことに大きな規律違反があったということなのかと推測されますが、それも情報不足で単なる推測に過ぎません。
当コラムでは、「テネリフェの悲劇」として、1977年3月にスペイン領カナリア諸島のテネリフェ島で起きたパンアメリカン航空とKLMオランダ航空の2機のジャンボ機の滑走路での衝突事故を紹介していますが(専門コラム「指揮官の決断」第6回 CRM https://aegis-cms.co.jp/159 )、これも自機に離陸許可が下りたと勘違いした機が離陸のための滑走に入ったことにより起きた事故です。
人はエラーを起こします。
今回の事故も、通常では考えられない勘違いにより引き起こされたものかもしれず、素人が聞きかじりの知識で推測すべきものではありません。しっかりとしたデータに基づく速やかな原因究明が待たれます。
メディアを見極める力が必要
私たちはメディアに情報を頼らなければなりませんが、そのメディアの情報がどこまで信頼できるものなのかを確認する術を持たねばなりません。メディアに対する目利きが必要ということです。
簡単ではありません。
しかし、それができなかったばかりにコロナ禍で社会は翻弄され続けました。
この国では「言論の自由」は極めて高度に保護されています。しかし、私たちがしっかりとしたメディアリテラシーを持たなければ、言論はただの暴力にすぎなくなります。
私たちは私たちの基本的人権を守るためにも言論の暴力と戦わなければなりません。
メディアリテラシーの重要性が極めて高くなっているのです。