専門コラム「指揮官の決断」
第386回目的は何か?
危機管理の本質論に立ち返ると
当たり前のことですが、何かを行う際に、自分が何の目的の為に、何をしようとしているのかを明確に理解していることが大切です。
「分かり切ったことを言うな。」というお叱りの声が聞こえそうですが、実は、この重要なことを理解していない行動が目につきます。
つまり、自分のこれから行う行動と、その目的とが一致していないということがよくあるということです。そのような行動は、いくら頑張っても目的を達することができません。
これは危機管理においては最も注意を要する事項です。
危機管理上の事態においては、わずかな情報から現状を把握し、適切な対策を次々に取っていかなければなりません。
しかも、最初の第一手を間違ってはなりません。最初の一手を誤ると、その間違いを修正しながら変化する情勢に対応していかなければならないという大変な事態が生まれるからです。
つまり、その時点で、目的を的確に定めた対応策が講じられなければなりません。
ある問題を解決するための対応策が見当違いであったとしたら、いくら努力し、その対応策自体は的確に実行されたとしても、目的を達しないのです。
例えば、現政権が掲げる少子化対策です。
それらの主なものを列挙すると次のような施策を検討しているようです。
・児童手当の拡充
・出産等の経済的負担の軽減
・高等教育費の負担軽減
・個人の主体的なリスキリングへの支援
・「年収の壁」への対応
・全ての子育て家庭を対象とした保育の拡充
・ひとり親家庭の自立促進
・男性育休の取得促進
大変結構な施策が並んでいますが、これらは子育て支援策です。少子化対策ではありません。
子育て支援は重要です。重要な施策なので、政府がそれを行うというのに文句はありませんが、少子化対策ではないので、少子化対策はどうなるんですか?という疑問が当然湧いてきます。
確かに、子育て支援策は少子化対策にならないということではありません。子育てが少しでも楽になることが見通すことができれば子供を産もうという所帯も出てくるかもしれません。
しかし、少子化の根本的な問題の解決になっていないので、間接的な効果しかもたらしません。子育て支援は大変重要な施策ではありますが、少子化対策という観点から見ると、やらないよりはいいよね、という程度の評価となります。
少子化のそもそもの原因は、若い人たちが結婚しないからです。
正規職員としての就職が難しく、非正規の賃金では共稼ぎでも子供を産んで育てることができないという事情もあるでしょう。そもそも、結婚して所帯を持つということ自体が困難な収入しか若い世代が得られていないのです。
この御時世、結婚して所帯を持つことができる若い世代は、正規社員として採用された恵まれた就職をした人たちが大半であることを考えると、根本的な問題に手を付けず、結婚できたカップルの子育て支援策を取っていくと、格差が拡大する結果となります。
つまり、現政権が少子化対策として行っているのは、子育て支援であり、少子化対策ではありません。
放っておいてくれ
しかも、その子育て支援策すら、何を考えているのか理解に苦しむ施策もあります。
たとえば、男性育休の取得促進策ですが、政権は男性の育休の取得率を2025年までに50%、2030年までには85%に引き上げるという目標を立てていますが、これなどは勘違いの典型です。
夫婦には個別具体的な事情があります。育児をどうするかという問題も夫婦で考えるべきであり、父親が育てた方がいいという夫婦なら父親が育てればいいし、交替で育てることを選択する夫婦なら交代で育てることができる制度を作ればいいのであって、男性の85%が子育てのために育児休暇を取らなければならないというのは如何なものかと考えます。
例えば、筆者の家庭では、筆者が幹部候補生のときに婚約し、任官して遠洋航海から戻り、最初の配置に就いた年に結婚しましたが、当時は共稼ぎでした。しかし、主婦業に専念したいという希望もあり、筆者が自衛隊に留まるという選択となりました。そのうち子供が出来ましたが、当時は男性の育児休暇という発想が全くなく、また、母親が専業主婦だったので育児は任せていました。
しかし、例え当時父親が育児休暇を取ることが制度上可能であったとしても我が家で筆者が育児休暇を取るということにはならなかったと考えます。
それは母親が望まなかったはずです。彼女は男の子が生まれたので乳児から幼児にかけては母親がしっかりと育て、中学や高校以降は父親の出番と考えておりましたし、筆者もそう考えていました。それが私たち夫婦の子育てのための設計でした。
しかし、男性の育児休暇取得率を85%とするというような目標が立てられると、まず公務員が率先せねばならず、自分たち夫婦の想いとは関係なく、父親が育児休暇を取得しなければならなくなります。
これは夫婦にとっても子供にとっても不幸なことです。
しっかりと授乳させ、自分で子供と向き合って乳幼児期を育てたいという母親に代わって哺乳瓶からの授乳しかさせられない父親が子育てを行うのです。
脳科学的にも、乳児は父親よりも母親に抱かれている時の方が脳がリラックスしていることは実証されています。
夫婦が話し合って、自分たちはどのような子育てをしたいのかによって育児休暇を取得できる制度が必要なのであって、男性の85%が育休を取得することが目的ではありません。
この施策なども、目的が何であるのかを履き違えた施策の典型でしょう。
専門家ですら目的を見失う
太平洋戦争において、日本海軍はハワイ真珠湾に在泊する米国海軍太平洋艦隊に奇襲攻撃を加えて大きな戦果を挙げましたが、これなども目的と手段がかみ合っていない例の一つです。
日本海軍は、海戦劈頭に米国海軍に大打撃を与えて、日本と戦う戦意を失わせようと考えました。連合艦隊の山本五十六司令長官自身がそのように書き残しています。
しかし、結果として” Remember Peal Harbor “ という合言葉の下に米国の戦意を盛り上げてしまいました。
これは、宣戦の布告が攻撃の後になってしまったことによるものではありません。
米国の西部劇などを観ていると分かりますが、米国では先に拳銃を抜いた方が悪いのです。
もともとパリ不戦条約以降、国際法上では自衛のための戦いしか認められていないので、宣戦布告をしようがしまいが関係はなく、先に手を出した日本が責められるのが米国です。
つまり、米国の戦意を喪失させるという目的の観点からすると、やってはならない作戦だったと言えます。
米国の戦意を失わせるために必要なのは、大義を見失わさせることです。ベトナム戦争が典型です。
目的が達成されていない以上、この真珠湾奇襲作戦は理論的には失敗と考えるのが適当なのですが、意思決定論などを専門とする学者・研究者たちですら、この作戦を成功した事例だと考えているのには驚きます。
目先の成果に惑わされると、本来の目的を見失うことがあります。
目的をしっかりと認識していないと、努力が成果を生みません。
真珠湾奇襲などはその最たるものかもしれません。
意思決定は目的を達成するために行うべきという一見単純なことが、実は意外に難しかったりするのです。