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専門コラム「指揮官の決断」

第161回 

最強の指揮官逝く  追悼 緒方貞子元国連難民高等弁務官

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訃報

緒方貞子さんがお亡くなりになりました。

1975年に女性として初めて国連公使に起用されて以降、UNICEFや国連人権委員会などで精力的に活動され、1991年に第8代の国連難民高等弁務官に着任された緒方さんの活動はあえて私がご紹介するまでもありません。

ただ、私が緒方貞子さんの活動に以前から関心を持ってきたのは、彼女が難民高等弁務官として行っていた事業が危機管理そのものだったからです。

彼女の偉業については様々なニュース等で解説されておりますのでここでは詳しくは触れませんが、彼女が難民高等弁務官に着任し1991年は、日本はバブル崩壊で大騒ぎをしていましたが、世界では湾岸戦争、ソマリア内戦、シエラレオネ内戦、旧ユーゴスラビア内戦などが生起し、旧ユーゴスラビアでは最も悲惨であったボスニア内戦が勃発しています。

また、ルワンダでは3か月で80万人が虐殺され、周辺諸国を巻き込んだコンゴ戦争も勃発しました。

私はこの前年から米海軍への連絡官としてペンシルバニア州に駐在しており、米軍が湾岸戦争をどう準備して、どう戦うのかを目の当たりにしていました。

海上自衛官だった私はバブルの恩恵に一切浴していなかったので、逆にバブル崩壊も直接は影響を受けませんでした。

バブル絶頂期に高校や大学の同期が2年で年収が3倍になったとか言っている折、定時昇給で月額1700円ベースアップになったなどと言って安物のワインで我が家の司令長官と乾杯していたりしていたのです。

ただし、バブル崩壊の影響はボディブローのように数年後に現れてきました。公務員だけがリストラもされず給料の減額もされないのはおかしいという訳の分からぬ理屈でバッシングが起き、人事院勧告で給料の減額が始まったのです。

当時の私の階級の前後が最も中心のターゲットとされ、年額100万円近い減額が行われました。バブルで上がらなかった給料がバブル崩壊で減額されるという理不尽さでした。

ただ、私たち制服は理不尽な仕打ちには耐えるように訓練され躾けられておりましたので、別にクーデターを起こすわけでもなく、淡々と業務についていました。

私も国内のバブル崩壊騒動とはまったく無関係なペンシルバニア州の山の中の海軍基地で米海軍の後方支援の実態などを目の前にして様々な調査を行っていました。米国という強大な軍事国家が戦争を準備して突入していくという過程をその中にいて見ることができるのは自衛官としては稀に見る幸運だと考えていたのです。

湾岸戦争に引き続く海上自衛隊の掃海艇部隊の派遣などで私の注意もペルシャ湾に向かいがちでしたが、米国内ではCNNがトルコの問題をよく特集していました。湾岸戦争の後処理ともいえるすさまじい問題が生じていたからです。

ここで私は緒方さんの活動に気が付いたのです。

危機管理の面から見ると

現在、私は危機管理を三つの側面から考えています。

それは「意思決定」「リーダーシップ」そして「プロトコール」です。

この枠組みは私が危機管理という課題を組織論の観点から見るようになった大学院の研究室でぼんやりと構築していたものですが、この頃に少しずつその形を具体的に表してきたように思います。

それでは緒方さんの活動をこの三つの枠組みで観てみます。

1991年の3月に100時間で決着のついた湾岸戦争の陸上戦闘でしたが、その間に4日間でクルド人180万人がイランとトルコの国境地帯に避難してきました。

イランは彼らを難民として受け入れたのですがトルコに向かった40万人をトルコは受け入れませんでした。

ここで問題となったのはこの40万人をどう救うかということでした。

難民には定義があります。

1951年に締結された難民条約第1条で国籍国の外にいることが条件とされているのです。イランに入ったクルド人は難民として扱うことができますが、トルコに入国を拒否されたクルド人は国連の扱いでは国内避難民となります。

難民高等弁務官事務所(UNHCR)の仕事は難民に対する救援・援助なので国内避難民に対する支援はできないのです。本来の任務ではないというだけではなく、国内避難民に対する支援は当該国の了解が必要になるからです。

しかし、緒方さんはイラク国内に国内避難民キャンプを作ってUNHCRが救援するという決断をしました。彼女は「人の命を救う」ということを自分の使命として捉えていたので、相手が難民であろうと国内避難民であろうと頓着しなかったのです。

彼女は「自分がトップなので、私が決断しなければならない。」と述べ、「国際法にどう規定されていようと関係ない。」としてそれまでUNHCRの任務とされていなかった国内避難民の救済にルールを変えて乗り出したのです。

私は危機管理の問題を考えるうえで意思決定の問題の重要性を常に訴えています。そして危機管理においては最初の一手を絶対に打ち間違ってはならないと主張しています。

系統だった正確な情報などほとんどない中で、危機管理に臨むトップは何があっても最初に一手を打ち間違ってはならないという主張です。

最初の一手を打ち間違えてボタンの掛け違いが生ずると、次から次へと入ってくる情報にボタンの掛け違いを修正しながら対応しなければならなくなり、対応が付け焼刃になり粗雑なものとなっていきます。つまり状況がスパイラルに悪化していきます。

逆に最初の一手が正しく打てれば、対応に余裕が生まれ、よりきめ細かい対応も可能となっていきます。

この最初の一手を正しく打つためにもっとも重要なことは、自分の使命を見つめ続けることであり、常に自らの使命に立ち返って対応していくことであると私は主張し続けています。

緒方難民高等弁務官は明快に自分の使命を「人の命を救うこと」と定義し、その使命の下に国際法にどう規定されていようとお構いなしに決断を下したのです。それがその後数百万人の命を救うことになります。

私が「意思決定」と同様に重要視しているのが「リーダーシップ」です。

緒方貞子さんのリーダーシップについて今更言及する必要はないでしょう。

常に現場主義を貫き、小さな体に重い防弾チョッキとヘルメットを着けて最前線を自分の眼で確かめて歩く彼女には国連事務総長ですら従わざるを得なかったほどです。

ボスニアでは停戦の合意のない戦闘状態における人道支援という問題に自ら先頭に立って取り組んだのです。

トップが先頭に立つというはリーダーシップの基本です。

メンバーの様々な個性をどう生かすか、それらの意見をどう反映させるかなどリーダーシップにはいろいろな課題があるのですが、しかし、トップが先頭に立つということの重要性を否定する議論にはお目にかかったことがありません。

日露戦争において作戦の立案を全て部下の幕僚に任せた東郷連合艦隊司令長官ですら、日本海海戦においては先頭艦の三笠最上部の露天艦橋に立ち尽くして指揮を執りました。彼が集中砲火を浴びる艦橋のトップから一歩も引かない姿を見て、部下は従わざるを得ないのです。

私が危機管理において重要だと最後にいつも主張するのは「プロトコール」です。これは他の「意思決定」「リーダーシップ」が組織の内部の問題であるのに対して、組織と外部との接点に関する問題を扱います。

具体的にはお客様へのお茶の出し方に始まり、宣伝広告の出し方、理念や重要な価値の社会への伝え方、株主総会の運営の仕方など組織が外部と関わる際のあらゆるポイントについて、それを徹底的に考え、磨き抜き、一点の非の打ちどころのないものに仕立て上げていく努力を指しています。

言い換えれば超一流のおもてなしをする料亭の女将の覚悟に相通ずるものかもしれません。

緒方貞子さんに関して言及するなら、それは卓越した語学力です。

ジョージタウン大学及びカリフォルニア大学で学び、上智大学の教授を勤め、同大学外国語学部学部長を経験した緒方さんは国連を説得できる英語力を持っていました。

その上に類稀なる国際性を有し、国連事務総長からアフリカの難民に至るまでの信頼を勝ち取る人柄があったからこその偉業であったことは間違いありません。

つまり、私が危機管理の観点からどのように検討しても非の打ち所がなく、手本としたいお一人が緒方貞子さんであったということです。

追悼

ちなみに、緒方さんが外国語学部学部長を勤められていた上智大学は私の母校であり、米国で学ばれたジョージタウン大学は上智大学と同じイエズス会が経営する大学なのでちょっとしたご縁を感じているという事情はありますが、ノーベル財団がオバマ前米国大統領に平和賞を授与し彼女に授与しなかったのはどう考えてもノーベル賞の価値を下げてしまっていると考えています。

何百万人もの命を救い、国連の新たな姿を創り出した緒方貞子さんに感謝申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。

(写真:UNHCR撮影)