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専門コラム「指揮官の決断」

第201回 

追悼 李登輝元台湾総統

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巨星堕つ

しばらく入院をされていた台湾の李登輝元総統がお亡くなりになりました。この方の足跡について新たにご説明する必要はないかと思いますが、「一つの中国」という甘言に惑わされることなく、「二国論」を提起し台湾の民主化に多大な貢献をされた偉人です。

このところ久しく「巨星堕つ」という言葉が相応しい政治家を知りませんが、この方ほどそれが相応しい政治家もいないかと思います。

かなり前のことですが、李登輝氏の著作を読んだことがあります。新渡戸稲造博士の『武士道』を解説した本でした。

私は原典主義なので解説書を読むことが好きではないのですが、李登輝氏が書かれたということで読んでみました。武士道を「ノーブレス・オブリージュ」ととらえ、指導者としてあるべき姿を示し、単なる解説ではなくご自分の経験や知見を随所に織り交ぜ、「覚悟」を持つことの重要性、リベラル・アーツを学ぶことの必要性を説かれた秀逸な解説書でした。

それまでは、台湾の指導者で京都大学に留学していた総統という程度の認識だったのですが、その本を読んで以降、特別な巨人として意識するようになりました。

その後しばらくして思わぬことが起こりました。

私の息子が大学院で地方活性化の勉強をしていた時に東日本大震災が起こり、地方活性化を研究している院生としてこの事態を前に何もしないわけにはいかぬとして、宮城県のある街にボランティアで通うようになりました。50回くらいは通っているはずです。

いろいろな人々と出会い、いろいろと考えたのでしょう。母校慶應義塾の研究員となったものの、そこを辞して様々な活動に首を突っ込み始めました。(本人は脱藩と言っているようです。坂本龍馬にでもなったつもりでしょうか。)

そこで関わったのが日中の若者が国境を超えて交流しようという「超越国境」というプロジェクトであり、その一環として日台若者交流会という団体が設立されました。その台湾側の名誉会長に就任されたのが李登輝氏でした。

当然、息子たちは何度も台湾に出かけ、いろいろな話し合いを持ち、李登輝氏にもお目にかかっています。発足に際して李登輝氏に会って言葉をかけて頂いたりしていたようです。

握手された時の握力と手の温かさが半端ではなかったそうです。

ある時、台湾に行く準備をしているので、「今度はどこに行くんだ?」と尋ねたら、「りとうきさんち」などと言うので、「幼稚園児じゃあるまいし李登輝元総統のお宅と言え!」と叱りつけたこともあります。

とにかく連日テレビに登場する日本の政治家たちとはスケールそのものの桁が違う政治家であったと思います。

台湾の人々が極めて親日的なのもこの方のお蔭かと思っています。東日本大震災で日本救援の募金を世界に先駆けて始めたのは台湾でした。

配慮とは何か?

しかし、この李登輝総統の死去に伴う葬儀への日本側からの参列者を見て愕然としました。

中国への配慮から政権の閣僚等の参列は見合わせ、森元首相が参列するとのことです。

配慮と言えば聞こえはいいのですが、中国の恫喝が怖くて腰が抜けているだけでしょう。中国の感情を逆なでしたくないという思いだけです。

今の中国になぜ配慮が必要なのか、しっかりと説明して頂きたいものです。

尖閣水域への中国海警局の船が居座り続けて100日以上になります。いくら抗議しても尖閣は中国の領土であり、当該接続水域は中国の接続水域なので、日本の海上保安庁こそ退去せよという主張を繰り返しています。

国連海洋法条約の仲介裁判により南沙諸島の中国の領有権は否定されているにもかかわらず、その判決を認めず、しかし沖の鳥島は1500年代にスペインによって発見され、国連海洋法条約第121条によっても島であることが明らかであるにもかかわらず、中国は「岩」であり排他的経済水域は認められないという主張の下、海洋調査を日本国政府の了解なしに続けています。沖の鳥島は高潮時においても水面に出ており、島の定義を満たしているのですが、中国が南沙諸島で行ったのは、高潮時において水没する岩を埋め立てて強引に島にしたものです。

このように日本の国際法上の正当な抗議にはまったく耳を貸さず、一方的に自国の、しかも国際法に根拠を持たない主張だけしてくる国へ何を配慮する必要があるのでしょうか。

事を構えたくないという恐怖心意外になにも感じることができません。

配慮と媚は違うでしょうが

自民党政権は歴代中国には媚びへつらう対応を続けてきました。

例えば国連海洋法条約においてもそうでした。

この条約において、領海は基線から最大12海里までの範囲で国家が決めることができるとされており、さらにリアス式海岸のようなデコボコした海岸線がある場合には、その突端を結んだ直線を基線とすることができることが定められました。

このことにより、領海をデコボコすることなく一定の太さを持った帯状にすることができるようになりました。これを直線基線と呼んでいます。

しかし、この条約が結ばれ、それに応じて領海法を制定する際、外務省はこの直線基線を我が国は採用しないという方針を定めました。

何故かというと、デコボコしている領海の尖った先を結んで直線の領海にすると、若干日本の領海面積が広くなるので、中国や韓国を刺激するというのです。

したがって、領海の外側も海岸線の形状同様にデコボコすることになります。

さすがにこの時の防衛庁(まだ省になる前です。)は猛反発しました。

領海の上空が領空です。領空の範囲がデコボコすると、そのデコボコの上を音速で飛んでいる他国機は数秒間に領空侵犯と退去を何度も繰り返すことになり、対領空侵犯措置(いわゆるスクランブル)ができなくなります。退去指示に従わない他国戦闘機や爆撃機に対して武器を使用した場合、発射した時は領空内であっても命中した時が領空外であったりするからです。

安全保障政策の根本思想の違い

最終的に直線基線は採用されましたが、この時明らかになったのは外務省の安全保障に関する考え方です。彼らにとって安全保障とは「他国を刺激しないこと」なのです。

この腑抜けの外交姿勢は自民党の姿勢そのものです。

ただ、自民党だけがそのような体質を持っているのではなく、政権交代に成功した民主党も全く変わっていませんでした。

海上保安庁の巡視船に体当たりまでして抵抗した中国漁船の船長を不起訴として中国に送り返したのです。当然、中国では英雄として迎えられました。

この時、現場の検察官の判断だと政権は弁明しましたが、そんなことがありえるはずはありません。それこそ法律が禁止する検察官の独立性への侵犯です。定年延長問題どころではないのです。

腰抜け外交の結果は

中国に関する限り、外務省は腰の抜けた外交だけを続けてきました。

我が国EEZ内での海洋調査について、かつてはそれでも中国は一応承認を求める申請をしていた時期がありました。

防衛省が猛反対するにもかかわらず、外務省は科学的な調査に協力することは人類の未来にとって望ましいという美名の下に承認をしてきました。科学技術の未来について判断するのは外務省ではなく越権行為です。

2004年11月、中国の漢クラス原子力潜水艦の領海侵犯事件が起こり、海上における警備行動が発令され、海上自衛隊が徹底的に捕捉追尾した結果、中国領海へ逃げ帰りましたが、その時海上自衛隊は中国海軍が日本のEEZの海底地形の詳細を知っていることを理解しました。そのデータがなければ逃げ込めないような海底の谷間に入り込んで逃走を図っていたからです。

つまり、外務省の腰の抜けた方針が、我が国の安全保障の根幹を揺るがしているのです。

この結果、我が国外交は中国に舐められ、近年は許可を求める申請さえせず、中国のEEZ内の調査であり、中国固有の権利であるとまで言い出しています。

国民の眼を逸らすな

最近、イージスアショアが防衛省のいい加減な計画で中止となり、代わって敵基地反撃能力の議論がクローズアップされ、それを政権は「相手領域内でも弾道ミサイル等を阻止する能力」と言い換えるなどの印象操作に必死です。

しかし、これは政権の目隠しです。

貴重な時間と予算を配分するには優先順位を定める必要がありますが、中国の海洋進出と北朝鮮のミサイルと、私たちにとって切迫した危機がどちらなのかを考えねばなりません。

北の指導者は韓国の指導者のような愚かな指導者ではありません。優秀でしたたかな政治家です。

彼がいきなり日本に向かって核ミサイルを撃ち込んでくるなどと言う暴挙に出ることは当面ないでしょう。彼らにとって得るものは何もないからです。

しかし、尖閣の領有問題は根本的に違います。

この夏の台風シーズンに、尖閣付近で操業中の中国漁船が台風のために尖閣に大挙して避難して来ることは十分にありうることです。

当然、中国海警局の船が救助に来ます。これを海上保安庁が巡視船が阻止することはできません。人道上の問題になるからです。うっかり阻止すると世界中に中国が訴え、日本は非難の的になります。

しかし、ひと度彼らの入域を公的に認めると、尖閣には接岸できないことを理由に漁民たちを尖閣に置いたまま食料や医薬品の補給を始めるはずです。

これも日本政府は阻止することはできません。

結局、既成事実として尖閣に中国人はいるものの日本人は誰もいないということになります。

今のうちに魚釣島にある灯台の保守・管理のため海上保安官を常駐させるべきです。

また、そのような事態になることを避けるためにも、現在居座っている海警局の船舶を駆逐しておかなければならないのですが、そんな気概はないのでしょう。

しかし、そのような事態がこの台風シーズンに起こっても何の不思議はありません。そのような事態に対する覚悟など微塵もないので、弾道ミサイル問題などで国民の眼を逸らそうとしているとしか思えません。

危機管理にはトップの覚悟が必要

もともと当コラムでは現政権に危機管理はできないと断言しています。

政局を重視して外務大臣と防衛大臣という事に臨んでは全く正反対の必死の努力をしなければならない閣僚ポストを兼任させるなどというのは、例え一週間であっても言語道断で、この政権が安全保障というものを舐めきっている証左であり、彼らにとって重要なのは、この国の安寧ではなく、自分たちの党が政権を取り続け、その中で自分の派閥が重要ポストを占めることでしかないという本性が明らかになったからです。(専門コラム「指揮官の決断」第112回 No.112 この国の行方は・・・・ https://aegis-cms.co.jp/1351 )

この点については野党も同様で、自分たちが政権をとることしか考えておらずあまりにも出鱈目で、私たちにとっては他に選択肢がないと言うだけのことです。

危機管理に臨むトップに必要なのは腹をくくる覚悟です。

中国の顔色を窺うだけの腰抜けに尖閣問題をはじめとする現在生じている様々な問題にまともに対応できるはずはありません。

現政権は「毅然とした態度で対応する。」と表明するのが好きです。

多分、日本語の意味を理解していないのでしょう。黙っていれば毅然とした態度だと思い込んでいるようです。

一人だけでも結構ですので、李登輝元総統のような巨人と呼ぶにふさわしい政治家が現れてこないかと渇望しています。

                         写真撮影:ETToday紙