専門コラム「指揮官の決断」
第174回戦いの原則 初度全力・水際撃破
戦いの原則とは
当コラムではかつて『失敗の本質』というビジネスマンの必読書と謳われた書物を取り上げたことがあります。(専門コラム「指揮官の決断」 第30回 『失敗の本質』の失敗の本質 https://aegis-cms.co.jp/560 )
この書物は戦史をテーマとしているため後知恵になるのは仕方がないのですが、学者が軍事を語っているために分析が浮世離れしていて、斬れば血の出る現場で奮闘しているビジネスマンがこの本から何を学べるのだろうといつも疑問に思っています。
特にお粗末なのはミッドウェイ作戦の分析であり、「米空母の存在を確認したら、護衛戦闘機なしでもすぐに攻撃隊を発進させるべきであった。航空決戦では先制奇襲が大原則なのである。」などという記述は、何十年も後に大学の研究室の机の上でのんびりと書いている学者の発想でしかなく、国家の命運を賭け、大勢の将兵の命と引き換えに血みどろの作戦を指揮している現場指揮官の立場に対する理解が全くないため、現場にいるビジネスマンの参考には到底ならないかと思います。
詳しくは当該記事をお読みいただければ分かりますが、学者がそのような現場への理解が不足しているのは無理もないのですが、理論的に考えてもこの記述は理解できません。
なぜならこの当時、航空決戦に原則はまだ確立されていません。歴史上、ミッドウェイ作戦の前に行われた航空決戦はその約一か月前のサンゴ海海戦の一度しかなく、原則を打ち立てようがないのです。たった一度の海戦から原則を導き出すというのは研究者にあるまじき態度でしょう。
しかし、戦いに臨むにあたって、どのように取り組むのかについての原則は確かに存在します。
それが「初度全力」です。そして、その反対の絶対にやってはならない戦い方が「兵力の逐次投入」です。
戦うに際し、最初は動員できる限りの兵力を投入して対応し、情勢を見ながら適宜兵力を引いてくのが戦いの原則です。一方、小手先のジャブのような対応をして、間に合わないと判断したら次から次へちょっとずつ小出しに兵力を投入していくという逐次投入は何があってもやってはなりません。相手の出方によっては各個撃破で、投入するたびに全滅させられてしまいます。
この原則の正しさは歴史的な事実によっても確かめることができます。
日露戦争における旅順要塞の攻防戦で乃木軍司令官の率いる第三軍が、後にこの戦いの天王山となった203高地に対してとった作戦がこの兵力の逐次投入であり、逆にロシア軍に203高地の重要性を認識させてしまう結果となった結果、第三軍全軍を挙げて突撃しても落とせない要塞となってしまいました。
太平洋戦争中のガダルカナル島の攻防戦で日本陸軍がやったのもこのやり方です。ガダルカナル島への米軍の上陸に際して救援に赴いた一木支隊は自信満々の軽装備で逆上陸し、アッという間に全滅させられ、さらに救援に向かった川口支隊も一木支隊の教訓を生かさぬ軽装備で突入して全滅しています。
教訓を生かせぬ組織に未来はありません。
歴史的な事実だけでなく、数学的にも証明できます。ランチェスターの戦闘法則がそれです。
我が国の対応は?
さて、新型肺炎の流行に際し、我が国の対応はどうでしょうか。
政府が対策本保の設置を明言したのは30日になってからです。
「検疫感染症」に指定したのが27日ですが、告知期間があってこれが発効するのは2月7日なので、それまでの間、空港などでの検査や診療を強制できません。
習近平主席が武漢を封鎖したのが23日です。北朝鮮に至っては22日の時点で中国からの入国及び中国からの自国民の帰国を禁止しています。我が国は対策本部の設置すらそれから1週間かかっています。
オーストラリアも早々に罹患の疑いのある入国者をクリスマス島などに隔離して経過を観察する方針を出しています。
なぜ日本政府の対応はのんびりしているのでしょうか。
察するに中国の大型連休による日本への経済効果への影響を考えているのではないでしょうか。現に、安倍首相は参議院予算委員会で「中国人旅行者の減少など経済への影響が懸念されている。しっかりと注視していかなければならない。」と述べています。
この政治家の言葉を私たち娑婆の人間の言葉で分かりやすく言い換えると、「中国人観光客の落とす金が惜しいから、もうちょっと様子を見る。」ということになります。
この政権が最初に発足したとき、掲げたスローガンは「美しい国」だったはずです。それがいつの間にかIR立国などと称してギャンブルで金儲けすることを優先する政策に切り替え、パンデミックの騒ぎに際しても観光収入を先に心配しています。
この国の基本的価値観や国民の安全を何が何でも守り抜くという覚悟がまったくうかがえません。
訪日を控えた習近平主席への配慮もあるのかもしれません。
迎撃に失敗したどうするのか
しかし、もし我が国が水際の防疫に失敗して国内にこの新型ウィルスが蔓延したら、経済への影響は中国の大型連休に伴う観光収入とは桁の違うものになります。
習近平主席への配慮も軽く吹っ飛ぶ事態がオリンピックを控えた日本を襲います。
選手も海外から応援に来る旅行者も誰もいなくなるということです。
政府の対応の遅れが、オリンピックに向けて一生懸命に準備している何十万人の人々の努力を水泡に帰させることになるのです。
そもそも、中国政府の発表する患者数及び死亡者数を私たちは信じていいのでしょうか。
自分の国の人口が何人なのかすらよく分からない国の発表です。
その国から我が国にすでに入国している人々が乗った観光バスの運転手とガイドが発症しています。マスコミは運転手とガイドにのみ注目しているようですが、問題はそのバスにウィルスを持って乗り込んだ中国からの旅行者がいるということです。そのような人々がすでにこの国に大勢入り込んで全国を回っているのです。
この国の国亡政策
防疫は安全保障の一環です。国防と同じなのですが、現政権の対応は国防政策ではなく、国亡政策に他なりません。
攻めてくる敵に立ち向かうにはまず水際でせき止めるのが最も効果的です。一度内陸に引き込んだが最後、凄まじい犠牲を覚悟しなければなりません。そしてそれは持久戦になります。沖縄の戦いを顧みれば一目瞭然です。
沖縄戦はもともと本土決戦の準備の時間を稼ぐために持久戦に持ち込んだのですが、そのために沖縄県民の犠牲は凄まじいものになりました。
この度はもし水際での防疫に失敗したら、オリンピックの円滑な開催はあきらめるしかありません。
そこで起こる経済的なダメージは中国の大型連休のもたらす経済効果とは桁が二けた違うものとなります
当コラムでは何度も指摘していますが、現政権は外務大臣に防衛大臣を兼務させるという暴挙を平気で行う安全保障に関しては無神経な政権です。(専門コラム「指揮官の決断」第44回 呆れてものが言えない https://aegis-cms.co.jp/654 )
このような政権に国家の安全保障を任せることは大変危険ですが、残念ながら、それでは誰に任せればいいのかというと誰もいないという心細い国が現在の日本なので、私たちはあきらめて覚悟を決めるしかありません。
政府の発表では、常に動揺することなく行政機関の発表する情報に従って落ち着いて行動するようにと求められますが、その行政機関を信ずることができない私たちはもっとバタバタしてもいいのかもしれません。
私たちもしたたかに生き抜かなければ
一方で、一足先に日本に入国した中国人たちはしたたかです。先日、新宿歌舞伎町の何軒ものドラックストアで、マスクを買い漁る中国人を見受けました。若いカップルが箱を10箱以上買って、店の外で大きな袋に詰め替えているのです。国へ持って帰ると大儲けできるのでしょう。
私たちもこのようなしたたかさを持ち、国家を信頼せず、自らの力で生き抜く覚悟をしなければならないのかもしれません。
社会保険庁から年金機構への改革を見ていて、老後は年金で何とか暮らしていこうなどという幻想は捨てた私ですが、自らの安全は自分で確保する必要もあるのかと暗澹たる思いをしています。