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専門コラム「指揮官の決断」

第193回 

言論という名の暴力 その2

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本当にマスメディアはいい加減なのか

前回、当コラムで池上彰氏の解説について疑義を唱えたところ、本当にそうなのかという反応を頂き、もう少し説明せよというご意見がありました。

私は別に経済論議をしたかったわけではなく、マスメディアというものがいかに信頼性の低いものなのかを例証するために持ち出したものだったのですが、例示した対象が大物過ぎたかもしれません。確かに池上氏の解説は分かりやすく、誰にでも時事問題を理解させるという難しい課題をそれなりにこなされているので傾聴に値するかとも思われます。普段、政治や経済の問題にあまり関心がなかった人たちに関心を持たせる話術も素晴らしいものがあります。ただ、残念なことに経済問題はあまり理解されていないようです。中東問題についても「アレッ?」と思うこともあるのですが、それこそ私も偉そうなことは言えないので論及しません。

経済に関する議論について池上氏が苦手なのかもしれないと思うのは、どうも彼のよって立つ経済理論が恐ろしく古く、とても平成以後の経済情勢を語る理論ではないのではないかという疑問があるからです。

彼が財政について語る時、特に国債の発行についての議論においてそれが分かります。

彼は国債の発行による財政政策には十分に慎重であるべきだとして、「子供や孫の時代に借金を背負わせる。」からだと説明しています。

国債を発行すると子孫に借金を残すことになるという理論は何に根拠があるというのでしょうか。

確かに日露戦争の頃の議論であれば頷けないこともありません。

ロシアと戦う戦費の準備がなかった日本は必死になって公債を外国で買ってもらおうとしました。日銀副総裁であった高橋是清がアメリカやヨーロッパで死に物狂いで政財界の要人を説得して歩いたのは有名です。

高橋是清が売り歩いた相手は外国です。その時代の国債ならたしかに子孫に借金を残します。

しかし、令和の現代、日本国政府が発行する国債の引き受け手はほとんどが国内の銀行、法人、あるいは個人の投資家などです。

つまり子供や孫に残るのは債権であって債務ではありません。たしかに政府は国債の償還に応じなければならないので借金を背負うことになりますが、子供や孫に残るのはおじいちゃんが残した債権であり、借金を子孫に肩代わりさせることにはなりません。むしろ資産が残るのです。

よくメディアに登場する評論家たちが、日本政府が抱えている借金の額に論及し、この国はまもなく財政破綻すると述べたりしますが、これもマスメディアの情報操作なのか評論家たちの無知なのか分かりませんが出鱈目もいいところです。

日本が持っている対外債権の額が世界一位なのを考えていません。

評論家たちは財務省がこれらのことに黙っているので理解できていないのかもしれません。財務省が黙っている理由は簡単です。国債を発行しても子孫に借金を残すことにならず、また国の借金も相殺できるとなると増税の理由がなくなるからです。

財務省が黙っている理由は分かるのですが、評論家たちまで同じ議論をするのは、結局我が国の財政の概要すら理解できていないということなのでしょう。

池上氏はその議論に際して我が国も下手をするとデフォルトに陥る恐れがあると論及されるのですが、変動相場制を取っていて自国通貨を発行できる国でデフォルトがどんな時に起きるのかを理論的に説明されたことはありません。

そんなことは最近流行のMMTなどを持ち出さなくとも、私のような昭和の時代に大学で経済学の授業を聴いていただけの者にでも理解できますが、世の経済評論家の多くはどうもそうではないようです。

私たちが学生の頃の多くの大学では経済原論をマルクス経済学で教えていたので財政や金融が分からないのかもしれないのですが、平成以降に学んだ人々はマルクスは経済学史で学ぶ程度のはずですから、もう少しましな議論をして欲しいと思います。

ということで、マスメディアがいかにいい加減なのかについて、もう少し話を進めます。

メディアの本質をしっかりと理解したうえで、その情報を評価しないと、世の中で起きていることを正しく判断できないからです。

メディアはいかに情報を操作するか

まず、メディアがいかに情報を操作するかという話です。

前回、ヨーロッパの医療最前線から帰国された渋谷医師がテレビ朝日の番組でご自分の主張がまったくその反対の主張を根拠づけるように編集されて放送されたと抗議していることに触れました。

私もかつて海上自衛隊において司令部勤務の幕僚として報道対応を経験していますが、毎回、マスコミ対策には悩まされました。ある時にはブリーフィングでの質問への答えを巧みな編集など全くなしにモロに反対に書かれて新聞に掲載され、海幕から一体どういうブリーフィングをしたんだと問い詰められたこともあります。

前統合幕僚長の河野元海将が海幕防衛部長だった時、護衛艦あたごが漁船と衝突して漁船乗員の二人が亡くなるという事故が起きました。

この時、海上幕僚監部で記者会で説明を担当していたのが河野防衛部長でしたが、ある日、記者会見でニッコリしている映像が流され、これが不謹慎であると大きな非難を受けたことがありました。海幕防衛部長というエリートコースにいた当時の河野防衛部長にとってはキャリア上致命的でした。

しかし、これもマスコミの悪意ある情報操作でした。

これはブリーフィングが終わり、多くの記者が退席した後、それでも話しかけてくる記者への対応のために残っていた河野防衛部長に、馴染みの記者が最後に「お疲れ様です。」と声をかけてきたのに対してニッコリとして対応したところを映像に取られ、いかにもブリーフィングの最中にニッコリしたように報道されたものです。

この程度の印象操作はマスコミは日常的に行います。

護衛艦くらまが関門海峡で韓国籍のコンテナ船に衝突されたときも、衝突直後のテレビ朝日のニュースステーションという番組で古館伊知郎キャスターが電話で元朝日新聞記者で雑誌「アエラ」編集長の田岡俊次氏に電話でインタビューした際、田岡氏が「韓国船が護衛艦の左側に衝突しているようですから、海上自衛隊には有利でしょうね。」というコメントをしたので一瞬番組が凍り付きました。古館キャスターは慌てて「でも観艦式の帰りということで、気の緩みとかあったかもしれませんよね。」などと食い下がり、必死で印象操作をしていたのが印象的でした。夜間に関門海峡を通る船がどれほど緊張しているか彼には想像ができないのでしょう。鼻歌交じりに通り抜けることができるような海峡ではなく、海上自衛隊の艦艇は総員が配置について対応しているのです。

田岡氏のコメントは生番組だったので編集できなかったのでしょう。まさか田岡氏が自衛隊有利と言い出すなどと思っていなかったものと推察されます。

ちなみに田岡氏の「自衛隊にとって有利」という発言は「今回は海上自衛隊に責任をかぶせるのはちょっと難しい。」という意味なのですが、その根拠はまったく誤っています。

田岡氏は韓国船が護衛艦の左に衝突したことを根拠としています。

海上衝突予防法における「横切り船の航法」と言われる条文を適用するとたしかにそうなりますが、この海面は海上衝突予防法が適用される海域ではありません。

田岡氏は「あたご」の事故の際に、船舶が海上で衝突するおそれがある場合には相手船を右に見る船が衝突を回避するために針路や速力を変えなければならないと規定されていることをはじめて知ったのでしょう。そしてそれを護衛艦くらまの場合に当てはめたのでしょう。くらまの左舷に相手船が衝突しているのであれば、くらまは相手船を左に見ていたことになるからです。

ところがあたごが衝突した海域は海上衝突予防法が適用されるのですが、くらまが衝突した海域は海上衝突予防法ではなく海上交通安全法が適用される海域でした。

つまり、海上衝突予防法の「横切り船の航法」は適用されない海域であることを知らなかったようです。軍事評論家である田岡俊次氏の解説と言うのはそのレベルです。

そもそもがマスコミのレベルがその程度であるにもかかわらず、さらに印象操作を加えて報道しようとしているのです。

許しがたい印象操作

印象操作の例をもう一つ上げます。

今回のコラムに添付した写真をご覧いただければお分かりになるかと思います。

これは2017年6月3日のNHKの「ニュースウォッチ9」で放送された画像のスクリーンショットです。

この時、中国空軍機の我が国防空識別圏への異常接近の回数が多く、航空自衛隊のスクランブルが多くなっているという内容の説明が行われていたのですが、その時映された映像がこれです。

私は思わずわが目を疑い、その場で録画してかろうじて撮ったシーンです。

一般に国際儀礼上、国旗を同一ポールに上下に掲げるということはしません。それは上に掲げられた国家に対する隷属、あるいは戦闘状態においては降伏を意味するからです。

また同一の壁面に国旗を張り付ける場合には同じ高さとし、通常は相手国に敬意を払って相手国の国旗を向かって左側とするのが国際常識です。

NHKの放送では、たしかに同じポールに掲揚されているものではありませんが、同一画面内で明らかに上下にされています。

これは国際的には中国への隷属関係を認めたものと解されます。

NHKの印象操作なのか、担当ディレクターがその程度のことも知らないのかのどちらかです。

私はかつてNHKの求めに応じて、図上演習の指導に行ったことがあります。

渋谷の放送センターが首都圏直下型地震が発生した場合の帰宅困難者の収容施設に指定された頃で、NHK全体が東日本大震災の教訓を生かして、報道を継続しながら地元住民への対応も如何に行うかという課題と取り組んでおり、モノ買いや施設整備は一応行ったが、あとはどう訓練したらいいのかわからないということで、図上演習をやってみようということになってお呼びがかかったものです。その時に全国の支局から集まって来た担当者たちの優秀さにびっくりした覚えがあります。

多くを語らずとも私の言いたいことを理解してどんどん吸収していく理解力の鋭さは超一流だと思ったものです。

しかし、そのNHKですらこのような映像を平気で流します。

三権分立を理解できない解説委員

NHKの解説委員にも問題があります。

宮城県石巻市立大川小学校の児童ら84人が犠牲となった東日本大震災における避難の適否を巡る最高裁判決についてのNHKのニュース報道とその解説に問題があったことはすでに当コラムで言及しています。

自判せずに上告を棄却した最高裁判決は、その判決理由にかなり問題があるのですが、それを解説した解説委員が「最高裁は自分の判断を下さずに高等裁判所の判決を継承した。できれば、自ら危機管理の指針となるような何かを示してほしかった。」と解説したのはさらに問題です。

この解説委員は三権分立というものをまったく理解していません。

司法の役割は具体的な争訟に法律を適用して解決を図ることであり、政策提言をすることではありません。司法だからと言って政策にモノを言ってはならないということはないというご意見も聞こえてきそうですが、司法はそれをしてはなりません。それは司法権による行政権の侵害となります。

最高裁判所は危機管理の専門家ではありません。その素人の裁判官が「危機管理はこうあるべき」などと発言して、それが行政を拘束することになるなどちょっと考えても恐ろしいことです。

この時に解説した解説委員は科学技術専門の解説委員で、難しい科学技術上の問題を分かりやすく解説する人ではあるのですが、憲法についてはあまりご存じなかったようです。大川小学校訴訟は自然災害によって起こった事件ではあるのですが、科学技術担当の解説員が解説するにふさわしい訴訟であったかどうかには疑問が残ります。いずれにせよ、その解説委員にそのような解説をさせたディレクターが問題を理解できていないのでしょう。

個人を見ると極めて優秀な人材が集まっていると思われるNHKがそのようなレベルの報道を続けている理由は考えてみる必要があるかもしれません。

メディアの早とちりと情報操作

2週間ほど前、厚労省がPCRの検査についてあらたに考え方を示しましたが、この際、加藤厚労省大臣がマスコミから相談の目安として示した「三七・五度以上の発熱が四日以上」の文言が削除されたことについて質問され、それが基準のように捉えられたとして、「われわれから見れば誤解」と述べことに対し、まるで国民や保健所の理解不足が原因かのような物言いだとして批判されました。

私もこの厚労相の発言は閣僚として説明責任をしっかりと果たしていない発言だとは思いますが、しかし、厚労相の発言は間違ってはいません。

厚労省は最初から検査の基準として「三七・五度以上の発熱が四日以上」になったら検査するとは一言も言っていません。そうなったら帰国者外来などに相談するようにと呼びかけています。また、そうでなくとも強いだるさや息苦しさがある場合には相談するように呼び掛けています。つまり、そうなるまでは来るなというのではなく、そうなったら必ず相談してねと言ってきているのです。それをマスコミが「基準」として捉え、そのように報道し続けた結果、私たちが皆誤解してしまったのです。厚労省もそれに気づいており、そうではないという通知を何回も出しています。私の手元にあるコピーだけでも4通あります。

当初テレビのワイドショーでは、街の医師が患者を診察してPCR検査の必要を認めて保険所に電話をしますが、それがなかなか繋がらず、結局、後になって繋がったけれどまだ基準に達していなかったので検査はしないと言われたという映像が繰り返し流されていましたが、あれは作られた映像です。行政検査が行われていたこの頃、保健所が検査を断った事例はありません。検査態勢が貧弱だったため結果が出るのに10日を要したことはあっても、検査を断られたということはないはずです。しかし、私たちはテレビしか情報源が無かったので、実態はそうなのだと思い込まされたのです。

私たちの社会が誤解したのは私たちの理解不足ではなく、マスコミの誤った、あるいは意図的に操作された報道のせいなのです。

憲法によって守られた暴力

マスコミはそのような報道を続けるのですが、しかし言論の自由の保障の陰に隠れてその規制から逃れています。

私はマスコミが政府御用達であるべきだと考えているわけではありません。十分なチェック機能を発揮するべきだと信じています。

しかし、事実を捻じ曲げる情報操作をしたり、それが出来ないとなると印象操作をしたりして真実を伝えないという姿勢には共鳴できません。

言論の自由に守られたマスコミは巨大な権力です。剣を振るう暴力は犯罪となりますが、ペンによる暴力はいかにやりたい放題でも犯罪とはなりません。せいぜい、名誉棄損で民事責任を追及される程度です。

どうも現在のマスメディアはマルクーゼのダブルスタンダードに毒されているように見えて仕方ありません。

報道に関わる人々の間で、自分たちは特別だという認識を持っている人が異常に多いのも事実です。

紛争地域で取材を続けるジャーナリストがテロ集団に拘束されるときによく「自己責任」が問題になります。

そのような地域で命がけで取材にあたるジャーナリストがいるからこそ私たちはいろいろな情報を得ることができることは間違いなく、それは極めて貴重なものだとは思います。しかし、だからと言ってその仕事が尊いから「自己責任」などと批判するなと言う意見も見当違いだと考えています。

もちろん、どのような立場を取るジャーナリストであろうと、日本国民である以上、その救出のためにあらゆる手を尽くすのは国家の責任であり、「自己責任」だからテロリストに処刑されても仕方ないということにはなりません。

しかし、ジャーナリストの取材の価値が極めて高いから「自己責任」論を回避できるというのは甘えでしかありません。自分たちは特別だという思い込みは勘違い以外の何物でもないでしょう。国家の命令で強制的に派遣されたのでもない限り、自己責任は自己責任です。

いずれにせよ、マスコミは自分たちがこの社会に対して正義を行っているという思い込みがあるのでしょうが、そうであるならば、もっと勉強し、本質が何であるのかを素早くつかみ、事実は何か、そして真実は何なのかを見極める力を付けるべきであり、今のお粗末極まるマスコミは、自分たちの力量を勘違いしているとしか思えません。

当コラムでは何度も繰り返していますが、たとえ1週間とはいえ外務大臣と防衛大臣を兼務させるという現政権の暴挙が我が国の安全保障にどのような意味を持つのかを指摘できなかったマスコミなどは、芸能人のゴシップを漁る程度がせいぜいの身の丈であり、言論の自由・報道の自由などを振りかざすのは100年早いと言うべきでしょう。