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専門コラム「指揮官の決断」

第181回 

眼に見えない敵との戦い:危機管理の眼から見た新型コロナウイルス対応 その3

カテゴリ:危機管理

見えない敵と戦う不気味さ

当コラムは危機管理の専門コラムではありますが、執筆者が感染症に関する知見を持ち合わせているわけではないので、感染症に関しては素人である旨申し上げてきております。しかし、現在の事態が危機管理上の事態であることは疑いないので、感染症の専門的な内容に踏み込まない範囲で、この事態を危機管理の眼から見るとどう見えるのかという点に絞って二回にわたってコラムをお届けしました。

感染症に関しては素人ですと申し上げているにもかかわらず、何人かの方から質問のメールを頂いたり、打ち合わせなどをしている際に意見を求められたりすることが続いており、これはやはり多くの方がどうしようもない不安をお持ちなのだとつくづくと思い知らされております。

この事態を受けて米国にもパニックが拡がっています。先日、米国政治を専門とする学者が米国の慌てようは9.11以上だとコメントしているのを観ましたが、さすがにその見方はいかがなものかとは思われます。

その政治学者はまだ若いので9.11の時に米国がどう反応したのかを理解していないのかと思います。

ただ、9.11の時は敵が誰だか分かっていましたが、今回は敵の姿が見えず、またその正体もよく分かっていないという不気味さがあります。

アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『プレデター』という映画がありました。宇宙から来た生物がカモフラージュが巧みで背景に完全に溶け込んでしまって眼に見えないという設定で、眼に見えない敵と戦うことの不気味さがよく分かる映画です。

またアメリカ人はゾンビの映画が大好きで、テレビのドラマでもゾンビを扱ったものがたくさんありますが、それも今回のウイルス騒ぎと似ています。

つまり、敵の姿が眼に見えず、どこに敵がいるかわからない、そしていつ自分や家族が感染者になるか分からないという状況がそっくりと言えば言えなくはないかもしれません。

パンデミック宣言

いよいよWHOがCOVID-19の感染状況を「パンデミック」であると宣言しました。この宣言を巡って感染症の専門家はもう少し早く宣言すべきだったと評価しています。たしかに先週の半ば(3月11日頃)には出してもいい条件が揃っていたかもしれません。

ただ、WHOは、2009年に新型インフルエンザが流行した際にパンデミックを宣言した結果、多くの国が大量のワクチンの調達に膨大な予算を費やし、しかし予想したほどの死者が発生しなかったので「いたずらに恐怖を煽った。」と猛烈な非難にさらされた経験を持っています。WHOはパンデミックの宣言によりパニックが起きることを恐れたのでしょう。

また、宣言を出しても健康管理が十分に行うことができず、しっかりと対応できないアフリカなどの国々への配慮もあったかもしれません。

ただ、ネットを賑わしているもう数週間前に出すべきだったという批判や、この宣言が中国の感染者数が頭打ちになったのを受けて感染の中心は今やヨーロッパであるとしたことを受けて中国に配慮して宣言を遅らせたとするテレビのコメンテータの発言などは適切とは言えません。

WHOはパンデミックを宣言するにあたり6段階のフェーズを設定しています。そして中国に加えてイランとイタリアでの感染が急激に拡大した状況を受けてフェーズを5として注視していました。この段階はパンデミックが宣言される事態が切迫していることを示しており、強い警告であると受け止める必要がありました。

そこへドイツ、フランス、スペインでの感染が一挙に拡大し、コントロールが効かなくなったと判断されたためパンデミックを宣言したものであり、同時に中国での感染者の増加が頭打ちになったのは偶然に過ぎません。まして数週間前は中国以外の国のそれぞれの感染者はまだ2桁または3桁でした。パンデミックは一国の中でいくら感染が拡大しても宣言されません。極端に言えば、中国で1億人が感染しても他の国に拡がっていなければパンデミックは宣言されないのです。

ネット上でパンデミックの宣言が何を意味するのか理解していない人々が何週間も前に宣言すべきだったなどと批判するのは仕方ないにしても、評論家たちがテレビで中国に忖度があったなどとうがった評論をするのは考えものです。

このWHOの警戒段階についての説明はWHOのウェブサイトを見れば一目瞭然であり、それくらいは確認してからものを言うべきでしょう。WHOのサイトを読むのに感染症の専門知識は不要です。

エコーチェンバー効果と確証バイアス

ところが報道でこの類の解説が頻繁に行われると人々はそのとおりだと思うようになっていきます。これは行動経済学で「エコーチェンバー効果」と呼ばれます。繰り返し繰り返し聞かされているとそれが本当らしく聞こえてくるのです。

さらにここに「確証バイアス」が働きます。自分が信じているものを証拠立てる情報のみを受け入れるようになり、それに反する情報は間違いだと信ずるようになるのです。

私の所に来るご質問でよくあるのが、「東日本大震災の教訓が何も生かされていないですね。」というものですが、これがそれらの心理的効果をよく体現している質問です。

この「東日本大震災の教訓が生かされていない。」という指摘は熊本地震やその前後のゲリラ豪雨、一昨年と昨年の台風などの際によく聞いたコメントです。つまり、災害が起こるたびに言われ続けるコメントとなっています。

そして、私にそうお尋ねになる方は私が危機管理を専門としている以上、私が当然にそのような見解を持っているであろうとお考えのようです。

そして質問者ご自身は東日本大震災のどの教訓がどう生かされていないのか具体的に指摘することが出来ないにも関わらず、評論家が繰り返しそういうのを聞いているために、そうだと思い込んでいます。そして、それを裏付ける情報のみを信じていくのでますますそれが確信となります。

試しに、そのような質問をされる方に、東日本大震災で私たちが得た教訓とは何ですか?とお尋ねするのですが、まともな答えが返ってきたことはありません。

トランプ大統領の決断

3月12日、トランプ大統領はヨーロッパからの米国への入国を30日間差し止めるという宣言を行いました。当初は英国とアイルランドを除外していたのですが、すぐに両国とも事実上の禁止となりました。

米国での感染状況が予断を許さない事態になったからです。

米国では3月2日に感染者が明らかになり、半月で3000人を超える感染者を出しています。

日本の感染者数がそれほど増えていない事態を評論家たちは日本は感染者数を少なく見せるためにPCR検査を行っていないからだと論評したりしますが、それが誤りであることはすでに当コラムで指摘しています。(専門コラム「指揮官の決断」 第180回 危機管理の眼から見た新型コロナウイルス対応 その2 https://aegis-cms.co.jp/1915 )

実は米国のPCR検査数も日本より少ないくらいだったのですが、それでも感染者数はすでに5倍を超えています。拡がり方も尋常ではなく、すでに感染症者が出ていないのはウェスト・バージニア州だけということです。

これには理由があり、米国立アレルギー・感染症研究所のファウチ所長が下院で証言したところによると、検査キットに欠陥があったこと、検査に従事するスタッフの訓練不足で正しい検査ができていないことなどから初期の検査が相当いい加減であったことが分かりました。

また米国もまず医師が検査の必要を認めて検査を行う態勢になっておらず、保険会社からの指示で検査を受ける場所が指定され、そこで検査を受けるようになっていたということで、国民皆保険制となっておらず10%程度の国民が医療保険に未加入であり、従ってそれらの人々が保険会社からの指示を得られずにPCR検査が受けられなかったという事情があるようです。

非常事態宣言を受けて、ドライブスルーの検査場が全米に開設されていますが、肝心の検査キットが欠陥品で、検査スタッフが不慣れであれば正確な感染の判定ができず、感染者であるにもかかわらず陰性と判定されて隔離されない潜在的な感染者が増大するだけとなってしまいます。

私が米国企業でCEOとして勤務していた2015年に米国はエボラ出血熱で大騒ぎをしました。その経験があるにもかかわらずこの事態です。

日本での感染者が目立ち始めた頃、ワイドショーに出演する多くの評論家が米国のCDC(疾病症管理センター)の存在に言及し、そのような強力な大きな予算を持つ機能を持たない我が国の態勢を批判していましたが、その評論家たちが現在の米国の事態をどうコメントするのか楽しみです。

米国が非常事態宣言を発し、ヨーロッパからの入国を制限したのは思い付きではありません。これは米国の戦争計画(War Plan)に基づくものです。

米国は安全保障上のあらゆる事態を想定した計画を何万通りもあらかじめ作っています。

様々な事態を想定し、その事態に対応するための見積もり、物資の所要量、動員計画など実際の作戦計画にほぼ近いものを作ってファイルしています。そして、実際に何らかの事態が発生した場合、コンピュータがその事態に一番近い事態を想定した計画を選び出してきます。その計画は実際に起きている事態に酷似した事態を想定しているはずですので、それをさらに現実の事態に合わせて修正して作戦計画とします。

第2次大戦の前に日本との戦争が始まったらどうするのかという計画を米国が作り、それをオレンジ計画(Plan Orange)と呼んでいたことは有名です。

米国が世界中で何か起きた際に軍を速やかに派遣できるのはそのような膨大な数のプランをファイルし、世界の各地に物資を搭載した事前集積船(Prepositioning ship)を配備しているからです。

我が国でも自衛隊は同様の準備をしています。詳しくは申し上げることができませんが、「事態対処計画」として、いろいろな事態への基本計画を作っています。その中には首都圏直下型地震や南海トラフ地震への対応計画なども含まれています。ただ、事前集積するような余裕がないので、備蓄されている装備や弾薬はそれほど多くはありません。

米国は常にCBR戦への備えをしています。CBR戦とは化学(Chemical)、生物学(Biological)、放射能(Radioactive)戦という意味で、化学兵器、生物学兵器、核兵器が使用される恐れがある場合の防御をどうするかという作戦計画があります。

その計画は最前線の部隊や艦艇を防御する戦術レベルの計画から国家全体を防御する戦略レベルの計画まで様々の規模で作られていますが、今回発動された入国禁止措置は国家全体を生物学兵器から防御するための標準的な手続きです。

大統領の非常事態宣言により軍が動くことができるようになります。極めて人手を必要とする除染作業などにこれまでは州知事の権限で州兵が一部動員されていたようですが、今後は陸・海・空・海兵隊が動くようになり、沿岸警備隊が海軍の指揮下に入ることもあるかもしれません。

米国は約1か月、日本の状況を観ていたはずです。米国のメディアは日本政府のクルーズ船の扱いを人道上最低の措置と批判しましたが、米国自体が日本よりもはるかに無様な対応しかできていません。入港しようとしたクルーズ船を日本は検疫錨地ではなく横浜港大黒ふ頭に横付けさせましたが、米国政府はサンフランシスコの湾内への進入も許さず、太平洋上に1週間近くとどめたのです。

また、横浜に入港したクルーズ船の船籍国である英国のメディアも、自国が責任を負わねばならない存在であるにも関わらず見当違いの批判をしていましたが、3月15日に英国首相の求めに応じて安倍首相との間に行われた電話による首脳会談において、英国首相は日本政府が同クルーズ船に対してとった人道的な措置に感謝の意を表しています。

評論家やワイドショーのキャスターたちは我が国の初動の失敗をあげつらうことに一生懸命でしたが、日本の様子を一か月観ていた各国がどのような状況に陥っているのかを観てどう評価するのでしょうか。

我が国の対応の評価について

私は当コラムにおいて現政権の危機管理能力には期待していない旨何度も表明しています。

(専門コラム「指揮官の決断」第44回 呆れてものが言えない https://aegis-cms.co.jp/654 )

外務大臣と防衛大臣を兼務させるなどあってはならない暴挙であり、安全保障というものを理解しているとは到底思えないからです。また、このウイルス騒ぎに対して開かれた政府の対策会議の初会合に政務官を代理に立てて自らは地元支持者の主催する新年会に出席していた緊張感を欠いた閣僚がいるなど緊張感の緩んだ政権に期待はしていませんでした。

私は感染症を専門的に勉強したことはありません。かつて海上自衛隊で感染症対策で災害派遣に指揮下の部隊を率いて出動したことがあり、その際に事前教育として大学の教授に頼んで感染症というものの考え方をレクチャーしてもらったことがあるだけです。ただ、統計学やORは短期間ですが真剣に勉強したことがありますので、その見地から現在の感染症の状況を見ているにすぎません。

その感染症の素人から今回の危機に関して第174回で「初動全力」と「水際撃破」が重要であるという原則のみ述べ(https://aegis-cms.co.jp/1872 )、179回(https://aegis-cms.co.jp/1909 ) 、180回(https://aegis-cms.co.jp/1915 ) において、その「初動全力」と「水際撃破」の観点から評価して一応の成果は上がっているのではないかという評価をしています。

これはテレビに登場するほとんどの評論家の意見とは大きく異なっています。

しかし、韓国やイタリアを別としても、日本の状況を観ていたはずのドイツ、フランス、スペインそして米国までが凄まじい感染者を出してあっという間に日本の感染者数の数倍に達してしまった客観的な状況を見ると私の見方も間違ってはいないように思えるのですが、いかがでしょうか。

専門家の方々のご意見を伺いたいと思っています。