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専門コラム「指揮官の決断」

第241回 

言葉を誤ると危機を乗り切れない

カテゴリ:危機管理

言葉を知らないメディア

当コラムにおいては以前に何回か言葉について触れています。

たとえば、メディアがよく使う「首相の独断専行」などという言葉の使い方が正しいかどうかなどです。(専門コラム「指揮官の決断」第67回 「独断専行」の意味 https://aegis-cms.co.jp/1030 )

結論を申し上げれば、この言葉の使い方は間違いです。

「独断専行」というのは、現場指揮官が自らに与えられた命令が想定している状況と現状があまりにも乖離しており、そのまま付与された命令を実行すると失敗する怖れが極めて大きい場合に、その状況を上司に報告すべきなのですが、その時間的余裕や報告の手段がなく、改めて命令を出してもらうことができない時、自らの判断で上司からの命令から離れて適切な対応をとることを意味しており、そのような場合には上司の命令を墨守すると免責されません。現場指揮官は現場において最適な行動を要求されるからです。

つまり、現場指揮官には独断専行はあってもトップに独断専行はないのです。

トップが周りの言うことを聞かずに勝手にいろいろな決定をしてしまうのは、単なる横暴であって、独断専行ではありません。

また、あたかも独断専行は好ましくないように伝えられますが、現場指揮官は独断専行すべきときにしないと免責されません。それが現場指揮官の責任です。

「魚雷被弾」という言葉はない

また、昨年の夏、読売新聞が終戦記念日の特集で、元海軍の通信兵であった方へのインタビューを紹介し、「魚雷被弾、上甲板へ・・」という言葉を使ったため、当コラムでは「魚雷被弾」という言葉はない、と指摘しています。(専門コラム「指揮官の決断」第207回 メディアの終焉 その2 https://aegis-cms.co.jp/2157 )

魚雷の場合は「被雷」であって「被弾」とは言いません。「被弾」という言葉は爆弾や砲弾が命中した場合に使われる言葉です。

なぜそんなことに拘るかと言えば、「被雷」と「被弾」は意味が異なり対応も違ったものになるからです。

船が戦闘中に「被弾」すると、その船の乗員はまず火災への対応を準備します。被弾箇所が風上にあると空気が取り込まれて火勢が強くなりますし、その風下側が弾薬庫だったりすると危険ですので、船を走らせる向きを変えることも考えます。

また、弾薬庫の隣接区画が火災になると熱で誘爆することがありますので、壁を冷却するために散水の準備をしたりすることも考えなければなりません。

一方で魚雷が命中した場合には被害は喫水線の下になりますので、乗員がまず対応を始めるのは浸水被害です。穴が開いている場所を塞ぐための機材や材料を集めて現場へ運びます。排水ポンプも起動させなければなりません。

このように「被弾」と「被雷」では対応が初動から全く異なるので、この言葉の違いは重要なのです。

言葉を使って商売しているはずの新聞や雑誌などの編集に当たっている人々がものを知らな過ぎて、その程度の過ちがあちらこちらに散見される昨今です。ジャーナリズムはすでに死んだのかもしれません。

言葉を正しく理解して使わないと危機管理も初動から誤ってしまうことは「被弾」と「被雷」の例でも分かります。

コロナ禍における言葉の誤り

この1年、私たちを悩ませ続けている新型コロナウイルスですが、このコロナ禍も実は言葉の使い方の誤りで騒動が大きくなった典型的な例です。

結論を先に申し上げると、PCR検査における陽性判定者を感染者と呼んでいることが間違いであり、この言葉の使い方でこの国の対応が誤っているのが現状です。

当コラムでは昨年の早い段階から新型コロナウイルスについての記事で「感染」と「陽性」は違うと指摘しておりますが、「感染」=「陽性」と捉えているのがこの社会であり、これに基づいて空気が作られていますので、社会においてもこのことが理解されていないことが分かります。

PCR検査における陽性とは

当コラムは感染症は専門外ですので詳しく解説することは避けますがPCR検査というのは、Polymerase Chain Reaction; 核酸増幅法と呼ばれる検査手法であり、対象のDNAを選択的に増幅させて、その存在を判定する検査方法です。検査ではサンプルのウイルス遺伝子を増幅させて判定し、増幅させる回数を表すのがCt値と言われています。1サイクルで2本、2サイクルで4本、3サイクルで8本と、乗数的に増幅させ、ある特定の反応が立ち上がったらそれを陽性と判定するのですが、日本は今年の2月までこのCt値を45という世界的にもトップの高さで行っていたので、ほんのわずかのウイルス量でも検知して陽性としていました。Ct値の上限一杯で遺伝子が5つ以上発見されれば「陽性」なのです。

この検査法で注意しなければならない特徴がいくつかあります。

1 「ウイルスに活性がある(生きている)」か「活性がない(死んでいる)」かは分かりません。遺伝子の一部でも残っていると陽性になるからです。

2 ウイルスが細胞に感染しているかどうかも分かりません。単に体内に残骸が残っているだけでも陽性になるからです。

3 同様の理由で感染した人が発症しているかどうかも分かりません。

4 陽性者が他人に感染させるかどうかも分かりません。

 通常ウイルスが感染するためには、数百〜数万以上のウイルス量が必要になりますが、PCR法は遺伝子を数百万〜数億倍に増幅して調べる検査法なので、極端な話、体内に1個〜数個のウイルスしかいない場合でも陽性になる場合があるからです。

5 ウイルスが「今、いるのか」「少し前にいた」のかも分かりません。

要するに、検査した時に、たとえ残骸かもしれないけど新型コロナウイルスに似た遺伝子をもったものが検出されたかどうかしか分からないのです。

陽性と感染の違い

多くの方はすでにご存じですが、「陽性」と「感染」も意味がまったく違います。

陽性は先に申し上げたように、検査時にウイルスの遺伝子が発見されたことを示しているに過ぎませんが、感染はそのウイルスが体内の奥深くに入り込んで、寄生と増殖が始まっている状態です。この感染状態になるためにはCt値上限一杯で5つとかではなく、数百から数万のウイルスの侵入が必要と言われています。一方でPCR検査はウイルスの遺伝子を週百万倍~数億倍に増幅して調べる方法なので感染しているかどうかなど判断できないのです。

当コラムでは昨年の4月以来、PCR検査はむやみにやっても意味はないと主張していますが、その根拠はここにあります。

確かに感染者が激増しているなら大問題だが

多くの方は陽性と感染が異なることをご存じです。しかし、テレビは何を企んでいるのか陽性判定者数を感染者数として扱います。明確な誤りなのですが、昨年から終始一貫してこの扱いを改めません。このことが問題を惹起しています。

メディアは連日の陽性判定者数を感染者数と発表し、感染者の増大に歯止めがかからないと伝えます。

確かに、他人にも感染させる恐れのある感染者の増加に歯止めがかからず、身の回りをウロウロしているかと考えると不気味です。

そこで感染者数の増大に歯止めがかからないと聞くと不安になります。テレビの思うつぼなのです。

何故なら、これが「陽性者が増えています。」と言われると印象がまったく異なるからです。

例えば結核ですが、かつては小学校でツベルクリン反応検査という検査が一斉に行われていました。これは体内に結核の抗体を持っているかどうかを確認する検査であり、これで陽性ならいいのですが、陰性だとBCG接種が行われていました。

つまり、陰性だと良くないのです。

陽性反応であれば、極端な場合は結核を発症している恐れもありますが、適度な陽性であれば結核に対する免疫を持つと判断されるからです。

つまり、世の中の多くの人が陽性になると、その感染症を恐れる必要が無くなるのです。全員にワクチンを接種させるということは、全員に抗体を持たせて社会的な免疫を作ろうという試みでもあります。

恐怖により正常な判断力が失われた結果・・・

つまり、PCR検査での陽性者が増えるということは、ワクチン接種者が増えているのと同じなのです。違うのはワクチン接種の場合は抗体がコントロールされる量が接種されますが、自然に陽性になる場合には感染や発症まで進んでしまう人も出てくるということです。

このため、陽性判定者が著しく増加する場合には重篤化する人数や死亡者数の推移などを注意して見る必要があります。

新型コロナウイルスによる死亡者数のカウントについても問題があり、私たちは問題の本質から目をそらされています。この問題については紙面の関係で今回は触れませんが、私たちが連日、繰り返し繰り返し「感染者が増えている。」と聞かされることにより、不安を煽られ、エコーチェンバー効果によりそれが真実であると思い込み、恐怖のために正常な判断力を失っています。

そのために、街頭インタビューで多くの人が「緊急事態宣言延長は仕方がない。」と答えるようになってしまっています。さらにはオリンピック中止の署名運動を始める者まで現れる始末です。

当コラムではアンナ・アーレントの「悪の陳腐さについての報告」を引用して、社会が何も考えずに現状を受け入れることがどのような結果をもたらすかについて述べています。(専門コラム「指揮官の決断」第227回 悪の陳腐さについての報告の現代的意味 https://aegis-cms.co.jp/2270 )

メディアのまき散らす「コロナ怖いウイルス」に感染して脳が犯され、恐怖心で正常な判断力を失った人々によって醸し出された「空気」でこの国が混乱の極致に陥れられています。

何度も申し上げますが、これは新聞が満州進出を煽り、国際連盟脱退に喝さいを送り、対米開戦やむなしという空気を作り、そして昭和16年12月8日朝の大本営発表に国民が小躍りするという世の中となったのと同じ経過を辿ろうとしています。

新聞はすでに解体されて反論しない軍部にすべての責任を押し付けていますが、私たちはメディアリテラシーを高め、二度とメディアに同じ過ちをさせてはなりません。当コラムがそのために何らかのお役に立つことを願っています。