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専門コラム「指揮官の決断」

第222回 

第3波襲来?? 私たちが学ぶべきものは・・・

カテゴリ:危機管理

コロナ騒動についての予想は・・・

電子顕微鏡でなければよく見えないくらいチッポケなウイルスごときに世界中が翻弄され続けた1年がようやく暮れようとしています。

この騒ぎが始まったころ、弊社は感染症は専門外であるので、この問題にマスコミがどのように対応し、社会がどう反応するかを注視していくと宣言しておりますが、いろいろと学ぶことができました。

マスコミの反応は予想した方向ではありましたが、その酷さは予想を極端に上回りました。特にテレビの醜さには目を覆わんばかりでした。

社会の反応は私たちの予想を大きく外れたものでした。マスコミに不安を煽られながらもパニックに陥ることなく、単なる自粛要請でしかないのに見事に応え、またお互いに助け合うことも忘れず、私たちの社会の美徳がまだ十分に残っていることが示されました。特に若い人たちが、現在の生活や将来に大きな不安を持っているはずであるのに必死に耐えている姿には胸を打たれました。

政府や医師会などの無様さは語るに落ちるというところでしょうか。

特別な感染症なのか?

コロナウイルスというのは基本的には毎年日本でも流行する季節性の感冒の原因ウイルスです。つまり冬になると夏の10倍以上の感染力を持って流行する風邪なので、現在第3波と呼ばれているPCR陽性判定者の増加はあからじめ予想されたことであり、政府や医師会が「我慢の3週間」などと言って短期に感染者の減少を企図しても、少なくとも3月一杯までは増え続けるでしょう。

ただ、集団免疫が達成される結果、発症する人、重篤化する人、そして死に至る人の割合は減少していくはずです。現在ですら連日の死亡者数は昨年の1月のインフルエンザ流行時の方が多数です。この時私たちは自粛など全くせずに平成最後のお正月を謳歌していました。ただ、割合は小さくなっていっても母数が大きくなる結果、絶対数は増加し続けるはずですが、例年のインフルエンザや風邪と大差はなく、ニューヨークやミラノのようにはなりません。

メディアが垂れ流すウイルスの恐怖

昨年のインフルエンザの猛威の方が遥かにひどかったはずなのに、そろそろコロナ報道に飽きてきた視聴者の関心を再び取り戻そうとするテレビの視聴率獲得戦略のため連日「コロナ怖いウイルス」をまき散らし続ける結果、私たちの社会は再び恐怖心が支配し始めています。

羽田雄一郎参議院議員が新型コロナの感染症により急死された例などはテレビにとっては格好の材料を提供したことになります。野党にありながら、野党の不甲斐なさを常々嘆いた羽田議員が亡くなったことは野党のみならず、この国の憲政にとっても痛手ではありますが、その亡くなり方が新型コロナに特有のものかというとそうではありません。発症から2日も経ずに亡くなる例はインフルエンザや流行性感冒などでも珍しくはなく、特に脳症などを惹起するとアッという間に亡くなってしまいます。羽田議員の例を取り上げて、だから新型コロナは怖いというのは、ある意味で正しく、ある意味で過ちです。新型コロナに限らず、毎年流行するインフルエンザも風邪も怖いのです。

そこへ、医師会会長らが、8月以降の陽性判定者数が落ち着いていた時期に適切な準備を怠っておきながら、その責任転嫁のために何のエビデンスもないにもかかわらずGoToトラベルとの関係は明らかだなどと発言したので、テレビしか情報ソースを持たない私たちはそのように信じ込まされてしまいました。

その結果、政府は国民に向かって「大丈夫、気にしなくていい。」という訳にもいかず、GoToトラベルキャンペーン中止に追い込まれました。

このため、藁をも掴む思いで観光需要のために準備をしてきた地方経済はまた打撃を受けることになります。準備のためにどれほどの時間と資金が必要だったかを思うとその損失は計り知れません。

つまりマスメディアが作り出した「空気」により政府がバカバカしい政策を取らざるを得なくなっているのです。

私たちは大戦の悲劇から学ぶべきもの

これは近年の近代史研究において明らかになってきた戦前の日本の政策立案過程における新聞の果たした役割を彷彿とさせます。

「我国民はかかる場合に処し能く毅然たる態度を持続し得るや否や、日本は日清、日露の二大戦争を敢行した。・・・(中略)・・・吾人はかくの如き危機が避け得られんことを衷心切望し、またそれを未然に解消すべく努力しなければならないが、若し万一不幸にしてそれを避け得られなかったならどうする。わが国民はこれを回避する最善の努力をすべく政府者を鞭撻すると同時に、他面また最悪の場合につきても考究を怠らず、これに処するの方途を十分に講じて置かねばならぬ。」

これは昭和8年2月14日の朝日新聞の記事です。朝日新聞はこうやって国際連盟脱退を煽り、世論を誘導し、その結果政府は翌3月27日、正式に国際連盟を脱退しました。最後の一文は明らかに戦争を準備すべきと言う論旨です。

そして本コラムに添付した写真は国際連盟脱退を快挙として伝える朝日新聞の記事です。

そもそも満州への進出も新聞が煽って世論が巻き上がったことに端を発しています。

その後も当時のマスメディアであった新聞は世論を煽り続け、ついに対米英開戦もやむなしという空気をこの国に作ってしまいました。その結果、昭和16年12月8日朝のNHKの臨時ニュースで真珠湾奇襲が伝えられると国民は躍り上がって喜んだのです。

ところが戦後、新聞はそれら都合の悪い真実を隠ぺいすることに躍起となり、代わりに軍部を悪役に仕立て、戦争の責任をすべて軍部に押し付けました。帝国陸軍が解散していて反論できないことをいいことに、あらゆる報道は軍部の検閲により捻じ曲げられたと主張し、その圧力に屈したことを反省して見せるという姑息な手段を取って自らの責任を逃れてきました。

しかし、この2月からのコロナ報道を見ていて、マスメディアの体質は戦前とまったく変わっていないことに気が付かされました。

不安を煽って視聴率を稼ぎ、そしてその不安を作っているとして政府を批判し、世間を過剰な自粛ムードに陥れ、そして徹底的にダメージを受けた飲食業や観光業を取材してさらに視聴率を稼ぐという往復ビンタで稼ごうとしているのです。

このようなマスメディアの体質をしっかり理解することがメディア・リテラシーの基礎となります。それが出来ないと、日本が戦争を始めざるを得なくなったような過ちを再び繰り返すことになります。

私たちはあの大戦から多くのことを学ばなければなりません。海上自衛官であった頃の私は「何故負けたのか」を考え続けました。退官後は危機管理の専門家として、「なぜあのような戦争を始めたのか」を考えてきました。

つまるところ、「対英米開戦やむなし」という空気が政府を戦争に突き進ませたと言って過言でもないのではないかと思わせる今年のメディアです

この程度の連中のために意思決定を誤ってはならない

しかも、そのメディアの質が高いのであればまだ救われます。

しかし、当コラムがこれまで指摘してきたとおり、この国のメディアの質は落ちるところまで落ちています。NHKは三権分立の意味を理解していませんし(専門コラム「指揮官の決断」第159回 地方自治体の責任能力 その2 https://aegis-cms.co.jp/1705 )、読売新聞はコンプライアンスの意味を誤解しています(専門コラム「指揮官の決断」第206回 

メディアの終焉 https://aegis-cms.co.jp/2150)。首相が接触を70%削減してくれと要請すると人出の数と勘違いする(専門コラム「指揮官の決断」第195回 何故私たちは正しい情報を得られないのか https://aegis-cms.co.jp/2081 )、外務大臣と防衛大臣が兼務になっても、それが我が国の安全保障にとってどれほど危険なことなのか考えることすらできない(専門コラム「指揮官の決断」第44回 呆れてものが言えない https://aegis-cms.co.jp/654 )、戦争の記憶をとどめるプロジェクト担当の記者が船に爆弾が命中することと魚雷が命中することの違いを理解しない(専門コラム「指揮官の決断」第207回 メディアの終焉 その2 https://aegis-cms.co.jp/2157 )、それが現代のマスメディアです。

特にテレビの酷さは話になりません。

この程度の連中に空気が操られ、我が国の政策が誤ってしまうなどという愚挙は二度と繰り返してはなりません。それがあの戦争から私たちが学ばなければならない最大の問題かと考えています。

国を亡ぼすのはこの連中かもしれないのです。